第32話 深夜の食堂で

 魔族の国であるエルラン国に何の宛も無く

やって来た赤毛の少女は、その日の内に自分の目的達成まで大きく前進した幸運に興奮を覚えていた。


 若々しい身体はその心に素直に反応し、シャンヌは用意してもらった部屋のベットの中でなかなか寝付けなかった。


 シャンヌは隣のベットで眠るチャシャの為に物音を立てないように静かに歩き、衣装棚にあったベージュのガウンを羽織り部屋の外に出た。


 ジオリとカイトにあてがわれた隣の部屋を通り過ぎ、シャンヌは静寂が包む夜の城中を歩いて行く。


 元奴隷男の助け舟に救われたシャンヌはカイトに感謝を伝えたが、ああでもしないと謁見が終わらず休めなかったからだと冷たく言い返された。


 それでもシャンヌは事態の打開策を提案してくれたカイトに心から感謝していた。


 赤毛の少女はこの城の中庭で見た花を見て外の空気を吸って気持ちを落ち着かせるつもりだった。


 だが、慣れない城の中でシャンヌはたちまち迷ってしまった。


 気付くと、シャンヌは夕食時にも訪れた食堂に辿り着いた。つい数時間前にここで食べたキノコ入りシチューの味を赤毛の少女は思い出す。


 あれ程美味しいシチューをシャンヌはこれ迄食べた事が無かった。この城の料理人は腕がいい事を赤毛の少女はその記憶に刻み込んでいた。


 その食堂の中から人の声が漏れている事にシャンヌは気付く。それはとても楽しそうな笑い声も混じっていた。


「······こんな夜更けに誰だろう?」


 食堂の入口から頭を出し中を覗いたシャンヌは、声の主達の姿を見た。そして好奇心は直ぐに驚愕に変わる。


「タイラント。貴方、シャンヌに少し厳し過ぎるわよ」


 幾つもの蝋燭の灯りで照らされた一つのテーブルで、王妃リリーカが何かの料理を皿に取り分けていた。そして隣に座る寝癖がつた金髪の男に詰め寄っている。


「大それた行いをしようとする者に対して当然の対応だ。リリーカ。そなたは甘すぎるぞ」


 酒杯を口にしながらそう答えた国王タイラントの声は、シャンヌへの冷徹な声色とはまるで違っていた。


「しかしまあ、中々骨がある奴じゃないか。たった一人で四つ目一族を何とかしようとするなんてな」


 ザンカルが逞しい腕を伸ばし、串に刺さった肉を頬張る。


「シャンヌ殿の連れのチャシャ殿も変わった方ですよ。本に興味があるらしく書庫に案内したら貪る様に読書に耽っている様子でした」


 白髪眼鏡のリケイが背が低くなった蝋燭を新しい物に替えながら笑う。リケイの言う通り食事を必要としないチャシャは、就寝までずっと書庫に籠もっていた。


「あのカイトって青い髪の彼も頭が切れそうな感じだわ。顔も悪く無い。でも積極性は無さそうね」


 紫色の長髪美人シースンが酒杯を空けながら少し残念そうに嘆息する。黒髪美人メイドのカラミィが素早くシースンに新たな酒を注ぐ。


 カラミィの他に、茶色の髪と黄色の髪の美しいメイドが厨房のカウンターから料理皿を運ぶ。それを手伝うイバトとクレアの姿も在った。


 両手に器用に大皿を持つイバトが、入口に立つシャンヌに気付いた。


「あれ?  シャンヌじゃん。良かったらお前も来いよ。これからカーゼルの兄ちゃんの誕生日祝いやるからさ」


 突然声をかけられてシャンヌは硬直して動けなかったが、俊足のイバトがたちまち赤毛の少女の手を引きテーブルの前に連れて来た。


「あら。シャンヌ。もしかして眠れなかったの?」


 慣れた手付きで次々と料理を皿に分けているリリーカがシャンヌに心配そうに声をかける。


「は、はい。外の空気を吸おうと思ったのですが、迷ってしまって」


 シャンヌは返答しながら違和感を感じていた。何故国王や王妃、そしてその臣下達が同じテーブルを囲んで和やかに会話をしているのか。


 田舎者のシャンヌでも、身分の違いは理解しているつもりだった。その時、厨房の中から人影が現れた。


 それは、腕が四本ある長身の男だった。しかも、その男の後ろに立つ屈強な男も同様に腕が四本あった。


 驚くシャンヌは更に驚愕する。四本の腕を生やした二人の男の背後には、六本の腕がある金髪の女が蝋燭の灯りに照らされていた。


「カ、カーゼルさん。今日は貴方が主役なんですから何もしないで下さい」


 スープの大鍋を持つ四本腕の男に、王妃リリーカが慌てて駆け寄る。


「······リリーカ様。やはり厨房で何もしないのは落ち着きませんので」


 カーゼルと呼ばれた四本腕の男は、そう言いながら大鍋をテーブルに置く。


「止めて下さい。カーゼルさん。今は公な場ではないんですから。リリーカでいいです」


 リリーカとカーゼルの会話をシャンヌは信じられない思いで聞いていた。何故王妃が臣下に対して敬語を使っているのか。


 そんな疑問だらけのシャンヌに対して、王妃は気さくに笑い異形の身の者達を赤毛の少女に紹介する。


「この美男子がここの厨房の料理長カーゼルさん。隣のコルカさんは料理人の一人。金髪の女性はシャンフさん。別の食堂の料理長よ」


 そして茶色い髪のメイドがハクラン。黄色い髪のメイドがエマーリだと王妃は紹介を続ける。


「お待たせしました!」


 元気の良い声と共に、花束を持った新たな参加者が食堂に現れた。それは、シャンヌが中庭で見た庭師の若者だった。


「中庭で一度会いましたね。僕は庭師のエドロンです」


 エドロンと名乗った庭師は、シャンヌに微笑みながら王妃に花束を渡す。リリーカはエドロンに礼を述べ小さく咳払いをする。


「えーと。深夜に関わらずお集まり頂きありがとうございます。それでは皆さん。親愛なるカーゼル料理長のお誕生日を祝って乾杯しましょう。因みに今日の料理は殆ど私一人で作りました。すこーしだけシャンフさんに手伝って貰ったのはご愛嬌と言う事で」


 陽気に話すリリーカは、金髪の六本腕のシャンフに片目を閉じて見せる。


「言わなきゃいいのにさ」


 シャンフは六本の腕の内二本を組みながら苦笑する。そしてリリーカは手にした酒杯を高く掲げた。


「では乾杯!!」


「料理長に乾杯!!」


 王妃の掛け声に、この場所に集った者達が同時に声を合わせ酒杯を掲げる。リリーカがカーゼル料理長に花束を渡し、深夜の誕生日会は始まった。


「······美味しそう」


 シャンヌは椅子に座りながら、テーブルに並べられた料理を眺める。季節の野菜のサラダ。キノコのクリームスープ。


 焼き立てのライ麦パン。牛肉の香草焼き。オムレツに豚肉の串焼き。どれもシャンヌの食欲を刺激する湯気と匂いを漂わせていた。


 深夜に食事を摂る事などシャンヌにとっては初めての体験だった。だが、育ち盛りの胃袋は直ぐに目を覚まし、その欲求を脳に伝達する。


 何か悪い事をしている様な背徳感が、シャンヌ味覚を更に刺激していた。赤毛の少女はふと王妃を見た。


 城下町で初めて王妃と対面していた時、リリーカは自らの事を村娘だと言っていた。どんな経緯でこのエルラン国の王妃になったのか。シャンヌにはまるで想像がつかなかった。


「私ね。この金髪の国王に村から誘拐されたのよ」


 賑やかに宴が続いていた最中、シャンヌの隣に座ったリリーカが小声で赤毛の少女の疑問に答える。


 シャンヌは口を開けて驚く。そして王妃は過去を思い返す様に両目を閉じ話を続ける。


「······最初は腹も立てたし、納得も行かない事も多々あったんだけどね。ここの皆に出会って、魔族も人間も変わらないって教えられたの」


 リリーカはこの城にやって来てから様々な出来事を体験した。悩み。悲しみ。喜び。そしてリリーカは寝癖がついた国王と恋に落ちた。


「俺とクレア。コルカのおじさんの三人はその後この国に来たんだ」


 イバトが牛肉の香草焼きを咀嚼しながらシャンヌの前に座る。イバトは勇者を目指しており、魔法使いのクレア、そしてエリクと言う冒険者と三人でパーティを組んでいた。


 そして聖龍を巡る争いに巻き込まれ、虹の塔と呼ばれる塔で天界人と遭遇すると言う出来事を体験をした。


 その過程でイバトとクレア、そしてコルカは休暇中のザンカルと出会った。天界人が聖龍と共に天界に去った後、ザンカルに誘われたコルカはこのエルラン国を訪れ料理人として働く様になった。


 イバトとクレアはコルカについて来ると言う形でこのエルラン国で各々の腕を磨き修行中だと言う。


 リリーカは気心の知れた臣下達の誕生日には、必ず自ら食材の買い出しから料理まで自分で請け負った。そして深夜に宴を開いているとイバトが説明する。


「カーゼルさんは料理が上手いだけじゃ無く、男気溢れた素敵な人よ。顔も格好いいでしよう?」


 リリーカの楽しそうな口調に、シャンヌは首を伸ばして奥の席で黙して酒を飲むカーゼルを見た。


 四手一族と呼ばれるその身に目が行きがちだが、リリーカの言う通りカーゼルは美形だった。


「昔ちょっと憧れていた時期があったのよ」


 王妃が小声でシャンヌの耳元で囁くと、その声が聞こえたのか否か、寝癖がついた国王が勢い良く立ち上がった。


「リリーカ! 私は常日頃から考えていたが、そなたはカーゼルを褒め過ぎだぞ!!」


 つむじに寝癖がついたタイラントは、真顔で隣に座る妻に不満を爆発させる。リリーカは疲れたようにため息をついた。


「止めろタイラント。男の嫉妬は見苦しいぞ」


 ザンカルが手のひらを振りながら国王の不満を非難する。


「そう言えば、リリーカ様のカリフェース留学も途中で帰国させましたね。あれはやはり、タイラント様は寂しかったからでしょうか?」


 追い打ちをかけるように白髪眼鏡のリケイが、過去の話を持ち出し国王の嫉妬心の火に油を注ぐ。


「やれやれ。困った国王様ね。仕方ない。後で言おうと思ったんだけど」


 リリーカはゆっくりと立ち上がり、夫の右手を掴み、自分の腹部に添えさせる。


「······? これは何かの儀式か? リリーカ」


 至って真面目な表情でタイラントは妻を見つめる。


「はあ。やっぱりね。いつまで経っても鈍感なんだから」


 リリーカが項垂れて深いため息をついた。その時、金髪の六手一族シャンフが手にしたフォークを離して席から立ち上がる。


「リリーカ! アンタまさか。お腹に子供が!?」


 シャンフの大きな声が食堂に響くと、深夜の食堂は一瞬の沈黙が流れた。リリーカは頬を赤らめ、花が開いたような笑顔を見せた。


「お、おい! 本当か!? リリーカ!」


「え、ええ!? お腹に子供!? に、妊娠しているって事ですか!?」


「タ、タイラント様!! 何かリリーカ様にお声をかけて下さい!!」


 一同が驚愕する中で、ザンカル、カラミィ、リケイの声が矢継ぎ早に食堂に響く。リリーカは待った。紅い両目を見開き自分を見つめる夫の言葉を。


「······リリーカが懐妊。私の子か?」


 国王のこの一言に、食堂に集った者達は全員漏れなく凍りついた。そして誰もが間もなく訪れる破局を想像し顔を背ける。


「このど阿呆! アンタの子供に決まっているでしょうが!!」


 王妃の繰り出す渾身の右拳による打撃により、国王は右頬を殴られ背中から倒れる。怒りが冷めないリリーカは、倒れたタイラントを更に踏みつけようとする。


 血相をかえて臣下達が必死に王妃を抑える。シャンヌは一人椅子に座り、果実水が入ったグラスを持ちながらその光景を眺めていた。


 シャンヌは先程から頭に熱を感じ、思考もどこか浮ついていた。王と恋に落ちた村娘。少年と少女の冒険譚。


 一冊の物語の中を覗いているような感覚。夜更けに耳にした彼等の話は、シャンヌをそんな錯覚に陥らせていた。


「······こんな人達がいるんだ」


 ······騒ぎが一段落した時、シャンヌは頬を赤く染めテーブルの上に頭を乗せながら眠りに落ちていた。そんなシャンヌにイバトが気付いた。


 訝しく思ったイバトは、シャンヌが飲んでいたグラスの中身を改める。それは、果実水では無く果実酒だった。


「シースンの姉ちゃん。また人のグラスの中身入れ替えただろう。シャンヌに酒を飲ませてどうするんだよ」


 イバトは呆れ顔で証拠も無くシースンを犯人だと断定した。一方、犯人扱いされた本人は悪びれず平然としていた。


「あら。その娘がお酒が飲めるなら、砦に乗り込む時同行させようと思っただけよ。でも、まだお酒は早いみたいね」


 シースンは穏やかな眼差しでシャンヌを見ていた。四つ目一族を救うべく、このエルラン国に裸一貫でやって来た少女に、臣下達は好意的な感情を抱いていた。


「······せめて眠りの中では幸せな夢を見なさい」


 シースンは誰にも聞こえない小声で呟き、手にした酒杯を一息に飲み干した。そして、視線は既に新たな酒瓶に移っていた。


 





 




 


 

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