第31話 元奴隷男の助け舟
縁もゆかりもない四つ目一族を救出する。それは、シャンヌにとっては当たり前の正義だった。
死んだ弟と重なる気弱なメルアを通して、四つ目一族はシャンヌにとって最早赤の他人では無かったからだ。
だが、それはシャンヌ個人の正義であり、他人にとっては何の価値も無い理解不能の動機だった。
ましてやそれが一国の王から見れば、取るに足らない村娘の戯れ言に過ぎなかった。
「どうした? 娘。何故答えない?」
エルラン国の王のその催促の言葉は、崖っぷちに立たされたシャンヌを更に奈落の底に追い詰める物だった。
シャンヌの小さな肩は小刻みに震え、顔は俯き泣きそうになっていた。タイラントに国益の是非を問われた時、シャンヌの中にある正義感は寒空の中に放り投げだされた感覚に陥った。
そしてその正義感には何の価値も無いと誰かに言われている気分だった。十五歳の少女は、一国の国王を納得させる言葉の武器を持ち合わせていなかった。
カリフェースからここ迄。ただ自分の感情に従い猛進して来た。だが、行き着く先に立ちはだかったのは、現実と言う名の高い壁だった。
「······陛下。失礼ながら発言してもよろしいでしょうか?」
その時、シャンヌの後ろに立つ元奴隷男のカイトが控え目に挙手をした。タイラントは暫くカイトを眺め、小さく頷いた。
「ありがとうございます。陛下。私の名はカイトと申します。つい最近まで奴隷の身分であり、そこのシャンヌに引き取られました。彼女は口下手な為に私が御説明させて頂きます」
シャンヌとジオリの驚きの視線を無視し、カイトは淡々とタイラントに説明を始めた。
「私達と同行していた者に十二歳の少年がいました。メルアと言う名の四つ目一族です。小柄な彼は二メートルを越す巨漢に変身し、カリブ軍最強の剣士ジャクリン大尉を一撃で屠りました」
カイトのその説明に反応を示した者がいた。黒髪短髪のザンカルは、組んでいた逞しい両腕を離し声を荒げる。
「ジャクリン大尉だと!? あのジャクリンを一撃で倒した? 本当かその話は!?」
ザンカルのこの反応は、あのジャクリン大尉の武勇が隣国のこのエルラン国にも及んでいた事を示していた。
「はい。私達はその光景を目撃しました。もうお分かりですね? 四つ目一族は恐ろしい能力を秘めています。カリブ軍が彼等を軍事に利用すれば、このエルラン国の大きな脅威になります」
カイトの流暢な説明に、シャンヌとジオリはただ呆然としていた。タイラントはカイトの話に大きく頷く。
「······なる程。そなたの話が真実なら、確かに我が国は危機に陥るな。だが、現在カリブ軍が我が国の領土を侵して無い以上、我が軍を動かす訳にはいかん。戦争は決して起こしてはならない。それが私の掲げる国是だからだ」
タイラントは強い意志が宿った紅い両目をカイトに向けた。エルラン国とカリブ国は過去に渡って戦いを繰り返して来た。
だが、エルラン国の国王は決して自分達から侵略戦争を仕掛ける事を固く禁じていた。カリフェースの王ウェンデルが推進している侵略戦争を禁じる条約に、このエルラン国も加盟している事をこの時シャンヌは知った。
「······戦争は余りにも失う物が多すぎる」
タイラントの物憂げなこの一言に、シャンヌは全てを諦めかけた。そして、元奴隷の男が再び口を開く。
「······一つ私に策があります。陛下の国是を守り、かつ四つ目一族を救出する策が」
王と王妃の私室の中の空気が変わったのはその時だった。この部屋にいる全ての者達の視線がカイトに集中する。
「失礼致します。お茶をお持ち致しました」
その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。王と王妃の私室に新たに入室したのは、メイド服に身を包んだ黒髪の美女カラミィだった。
「取り敢えず皆。座ってお茶にしましょう」
王妃リリーカの明るい声に、シャンヌは何故か救われた気分になった。
「陽動と潜入。そなたの策とはそう言う事か?」
カイトの作戦の概要を一通り聞いたタイラントは二本の指で形の良い顎を掴みながらそう言った。
「はい。作戦の肝は二つ。一つはエルラン軍の動きをカリブ軍に信じ込ませる。もう一つは酒豪の女性を集められるかです」
シャンヌは必死にカイトの説明を反芻していた。カイトは先ず地図をテーブルに広げ、四つ目一族の現在の勾留場所を指し示した。
そこは、四つ目一族の村とカリブ国王都の間にある砦だった。
「何故、四つ目一族達の居場所がこの砦だと断言出来るの?」
シースンが緑色の長い前髪を片手でかき上げながらカイトに質問する。
「先程申し上げた四つ目一族であるメルアの驚異的な能力。これを逃走したカリブ兵も見ています。その報告を受けたカリブ国の王都の上層部は恐れた筈です。もし四つ目一族が王都で反抗し暴れたらと。それを回避する為にこの砦に勾留し、四つ目一族を調べていると思われます」
カイトの説明は説得力のある物だった。エルラン軍には演習と称し、カリブ国との国境付近まで進軍して貰う。
カリブ軍はそれに対抗する為に、必ず国境付近に自軍を展開させる。その際、四つ目一族の居る砦からも兵が徴収され、砦の警備は手薄になる可能性が高い。
その砦に酒に強い女達を送り込み、砦の兵士達を酔わせて無力化させる。その隙に四つ目一族達を救出する。
それがカイトの作戦だった。リケイがずれた眼鏡を直しながら質問する。
「カイト殿。酒に睡眠薬を混ぜた方が確実なのでは? 私の得意分野なので何なら御用意しますが?」
「酒は砦に用意されている物を使います。砦の兵士達に飲ませる全ての酒に睡眠薬を混入させるのは困難です。下手をすると薬が見つかりエルラン国の密偵だと疑われます。ですが、少量なら持ち込んでも問題無いと思われます」
カイトの説明に、リケイは得心が言ったように何度も感心した用に頷く。
「問題は潜入させる人選です。砦の兵士達をその気にさせる端麗な容姿。かつ兵士達を酔い潰れさせる酒豪。剣を扱えるなら尚いい。この人材を探さなくてはなりません」
カイトはここまで言って何かに気付いた。エルラン国の者達全てが、一人の女を見ていた。
エルラン国の全員の注目を一身に受けたシースンは、メイドのカラミィが淹れた蒸留酒入り紅茶を一息に飲み干す。
「どうやら私に適任のお役目の様ね。その砦の兵士達とお酒を飲めばいいのね。カリブ国のお酒はどんな味かしら?」
艶っぽい笑みを浮かべ既にカリブ国の酒の味を考え込んでいるシースンを不思議そうに見るシャンヌに、イバトが小声で耳打ちして来た。
「······あのシースンの姉ちゃん。恐ろしい程の酒飲みなんだよ」
恍惚とした表情のシースンを無視して、タイラントが厳しい表情でシャンヌを見る。
「シャンヌなる娘よ。仮にだ。私達が四つ目一族の救出に成功した後、そなたは四つ目一族をどうするつもりだ?」
突然の国王の質問に、シャンヌは焦り戸惑う。普通なら元の村に戻って貰う。それを四つ目一族の人々も望んでいる筈だった。
「君。本気かい? またカリブ軍や他の国の軍に襲われるに決まっているじゃないか」
呆れた口調でカイトがシャンヌの考えを否定する。途端に赤毛の少女は困り果ててしまう。
「······シャンヌよ。そなたは四つ目一族全てを引き連れ、安住の地を探すつもりか?」
タイラントの追求は、今回の本質的な問題を浮き彫りにさせた。救出後の四つ目一族の処遇問題。
今世界各国は四つ目一族を軍事利用しようと躍起になっている。そんな彼等一族が安心して住める場所など、この大陸に存在しないようにシャンヌには思えた。
『······少し考えれば分かる事だったのに。私が考え無しに行動したせいだわ』
カイトはこの世界を変えて見せると自分に断言した少女の小さくなった両肩を見る。今のシャンヌの双肩には、世界どころか四つ目一族すら担えそうに見えなかった。
自分に大言を吐いき、この世の現実も知らぬ未熟な少女に対し、カイトは不思議と見下す気持ちにはなれなかった。
だが、そんな自分の考えにに気付くと、そう思わせるシャンヌに苛立ちも覚えていた。
「陛下。私に考えがあります」
国王タイラントの隣に静かに座っていた王妃リリーカが突然口を開いた。夫である金髪の国王は、赤毛の妻の顔を見つめ発言を促す。
「世界中からその存在を知られた四つ目一族には、残念ながらもう安住の地は存在しません。ならば逆に四つ目一族はその力を世界に誇示するべきです。そうすれば、一族の力を恐れて容易く手出しする者は居なくなる筈です」
そして四つ目一族を訓練する場所と住まいを一時的にこのエルラン国が与える。四つ目一族はエルラン国に感謝し、彼等一族との良好な関係は必ずエルラン国に利益を与える。
シャンヌは理路整然と話す王妃リリーカを頬を赤らめながら眺めていた。平民の小娘であるシャンヌにとっては、どう逆立ちしても実現出来ない。
そんな規模の話をする王妃リリーカは、やはり自分の様な平民とは違う世界の住人なのだとシャンヌは自覚する。
「······なる程な。王妃の言は傾聴に値するな。だが、我々が四つ目一族を保護したと知ったカリブ軍が果たして黙っているかな? 奴等に戦争の口実を与える事にはならぬか?」
タイラントは元奴隷男に視線を向けながら話す。それは、国王が今回の作戦参謀は既にカイトと認めている事を示唆していた。
「陛下。それは御心配には及ばないと存じます。砦の兵士達を酔い潰れさせ、四つ目一族を脱出させる。カリブ軍はこの恥ずべき失態を隠蔽し決して公にしないと思われます」
いつもの無気力な両目ながら、カイトは国王に向けて静かに断言する。タイラントは暫く無言で考え込み、ソファーから立ち上がった。
「·····よかろう。シャンヌよ。我がエルラン国は四つ目一族救出に協力しよう。救出後は我が国で一族を保護する。それで良いな?」
タイラントの宣言に、シャンヌは慌てて席を立ち敬礼する。
「は、はい! よろしくお願い致します!」
シャンヌは閉ざされそうになった視界が急に開けた気分だった。赤毛の少女は上気した顔のまま、ふとソファーに座る王妃と目が合った。
赤毛の王妃は、優しげな瞳で赤毛の少女を見て微笑んでいた。
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