第30話 寝癖がついた国王

 シャンヌは王妃リリーカ達と茶店で一旦別れた。シャンヌは急いでジオリ達を探しに街の雑踏の中を駆け行く。


「仲間達を見つけてから一緒に城に来なさい」


 王妃は笑顔でシャンヌにそう言うと、イバト。クレア。カラミィの三人の警護者と共に城に向かって去って行った。


 ジオリ達はシャンヌが盗人を追跡した場所から動かなかった。それが幸いし、シャンヌは直に三人と再開を果たした。


「な、何ですと!? 王妃と話す事が出来たですと!?」


 シャンヌの少し興奮した様子の報告に、老人ジオリは驚愕する。首長女ことチャシャは無言で首を傾げ、元奴隷男カイトは胸のペンダントをいじりながら、興味なさ気に明後日の方向を見ていた。


 二人の人間と一人の魔族。そして一体の魔物一行は、早速城に向かう事で一致した。


「いやあ。シャンヌ殿の持って生まれた強運。やはり貴方は「赤帝の姫君」ですな」


 曲がった腰で健気に馬を操るジオリが、高揚した口調でシャンヌをそう評した。


「······爺さん。前にも同じ事を言ってたね。何だい。その赤帝の姫君って」


 万事無気力な筈のカイトが、ジオリの後ろから珍しく自分から口を開いた。


「この大陸の遥か東には巨大な帝国がありましてな。そこの人々が称える神々の名の一つですじゃ。赤帝の姫君は赤き髪をした勇猛な戦士だったと聞いております。まさしくシャンヌ殿に相応しい」


 四つ目一族の村でカリブ軍の兵士達と戦った時、シャンヌの赤毛が一瞬だけ赤く輝いた。


 その事も赤帝の姫君と呼ぶ理由の一つだとジオリは付け加えた。


「······確かに。あの時この娘の赤毛が輝いた。あれは一体······」


 カイトは俯き、考え込む様に小声で呟いていた。シャンヌはジオリの言う事がよく分からなかったが、自分を褒めてくれている事は何となく理解出来しきりに照れていた。


 一行が一軒の武器屋を通りかかった時、ジオリが所用があるとその武器屋に入って行った。


 馬に乗ったまま店の外でジオリを待つシャンヌの後ろから、チャシャが話しかけてきた。


「······シャ。ンヌ。盗人。は。始末。した。のか?」


「え? 始末? 殺したのかと言う事?」


 シャンヌが逆に問いかけると、チャシャは緩慢な動作で頷く。


「盗みは殺す程の罪では無いわ。盗人はこの国の法によって裁かれるわ」


「······法? 何故。それ。を。守る。必要。が。ある? シャ。ンヌ。お前。が。裁け。ば。いい。だ。ろう」


「······え?」


「シャ。ンヌ。お前。は。言った。この。世の。秩序。を。守る為。に。罪人。を。裁く。と。私。は。お前。が。選別。した。者を。始末。する。と。決め。た」


「······チャシャ?」


 首長女ことチャシャのこの時の両目は、平時の眠気を帯びた物では無く真剣その物だった。


 シャンヌはチャシャの声色に込められた殺気にたじろいでいた。 


「······恐らくだけどね。この首長魔物女は生まれたばかりの赤子の様な者なのさ。中身はまだ何物にも染まっていない無垢な白。シャンヌ。君のその言動がこの首長女に影響を及ぼしているんじゃないのかい」


 カイトが無気力な声ながら、鋭い洞察力を伺わせる言葉を口にした。赤毛の少女はカイトを一瞥した後にチャシャの顔を見る。


 四つ目一族の村での戦いの際、チャシャはシャンヌに言った。赤毛の少女が選別した者を自分が殺すと。


「······無垢な赤子」


 シャンヌはカイトが口にした言葉を呟く。自分の言動がこの一体の魔物の今後に影響を与えるかもしれない。


 人外なる魔物を引き連れた以上、シャンヌはその責任を負う覚悟を持たなくてはならないと自覚した。


 この時シャンヌは知り得なかった。後のチャシャの言葉に、深く苦しむ事になる自分を。


「いやあ。お待たせしましたな」


 武器屋から出て来たジオリは、簡易包装された細く長い棒状の様な物を抱えていた。チャシャがそれは何かと質問すと「後でのお楽しみですじゃ」と嬉しそうに返した。


 こうして夕暮れが近付いた頃、シャンヌ達は城門に辿り着いた。勇ましく門の前に立つ門兵に赤毛の少女は自分の名を名乗ると、表情を緩めた門兵は直ぐ様中に通してくれた。


 二頭の馬と荷物や武器を門兵に預け、城中の広い踊り場で待つように別の衛兵に言われたシャンヌ達は、緊張しながらその時を待った。


 程なくして白いローブを身に着け、眼鏡をかけた白髪の男が現れた。厚い本を脇に抱えた三十歳前後に見えるその男は、穏やかにシャンヌ達に微笑む。


「お待たせ致しました。私は臣下のリケイと申します。シャンヌ殿達の事は王妃から聞いております。どうぞこちらへ」


 リケイと名乗った細見の男に案内され、シャンヌ達は城中奥深くに進んで行った。そして石造りの建造物が途切れ、突然夕陽が射し込む中庭に出た。


「······綺麗」


 そこは手入れの行き届いた庭園だった。輝くような白さを見せるスズラン。明るい紫色のライラック。シャンヌは見事に咲き誇る花々に思わず見惚れてしまう。


 庭園で作業していた前掛けを着けた若い青年が、シャンヌ達に帽子を取り挨拶をする。その人懐っこい笑顔にシャンヌも慌てて挨拶をする。


 人の良さそうな庭師。シャンヌは一瞬の遭遇で相手にそんな印象を受けた。中庭を抜け再び城中に入り、螺旋階段をひたすら上に登って行く。


「······その。脇。に。持つ。物。は。何。だ?」


 いつ終わるとも知れぬ長い階段を涼しい顔のまま。否。眠そうな顔のまま上る首長女ことチャシャは白髪眼鏡のリケイに質問する。


「これですか? これは「チーズとマーズ」とう古書です。今私はこの本に夢中でして」


「······本? それ。は。面白い。のか?」


「ええ。面白いですよ。本は知識と想像力。そして感受性を豊かにしてくれます」


 チャシャの聞き取りにくい喋り方にも、リケイは愛想良く答えていた。


 腰の曲がった老人ジオリが息切れしながら長い階段に難儀していると、そのジオリの背中を後ろから押す者がいた。


「大丈夫か? 爺さん」


 それは、黒い衣服の短髪黒髪の大柄な男だった。太い右腕と大きな手で支えられたジオリは、宙を浮いた様に軽やかに階段を上って行く。


「あ、ありがとうございます」


 ジオリとシャンヌは同時に大柄な男に礼を述べる。額と頬に刀傷を残し、一見凶暴そうに見える人相を持つ男は、柔らかい笑みを返した。年齢は二十代半ばに見えた。


「彼の名はザンカル。国王陛下の幼馴染でわが国最強の戦士です」


 先頭を歩く白髪眼鏡のリケイが屈強な短髪男の名をシャンヌ達に明かす。ザンカルのその身に纏う威圧感は、リケイの説明を十分に納得させる物だった。


「そら。そしてそこの扉の前に立つ女はシースン。俺と共にエルラン軍を指揮する者だ」


 ザンカルは視線を上に向けながら口を開いた。長い上り階段がようやく終わりかけた時、その先にある部屋の扉の前には、腰まで伸びる緑色の髪の女が立っていた。


「お待ちしていました。陛下は既にお部屋でお待ちです。どうぞ」


 シースンと呼ばれた若く美しい女は、大きく胸の開いた赤い衣服で豊かな肢体を包み、妖艶な笑みを浮かべシャンヌ達を部屋に案内する。


 シャンヌは部屋に入る時、急激に胸の鼓動が早くなる事を感じていた。エルラン国の国王との対面。


 メルア達四つ目一族の運命が、この国王との話し合いで決まってしまう。そう思いつめていたシャンヌは、その小さな両肩に言い知れぬ重りを乗せられた気分だった。


 リケイ。ザンカル。シースン。三人の後に部屋に入った瞬間、シャンヌは何か妙な感じがした。入室前、リケイはこの部屋は国王と王妃の私室と聞いていた。


 だが、一国の王と王妃の部屋にしては、余りに質素に見えた。部屋には執務室用の机、来客用のテーブルとソファー。


 豪華なシャンデリアも厚みのある絨毯も。そして高価な絵画も飾られていなかった。テーブルに置かれた花瓶に可憐な姿を見せるスズランが、唯一この部屋を彩っていた。


「タイラント様。リリーカ様。シャンヌ殿をお連れしました」


 リケイがソファーに座る男とリリーカに敬礼をする。すると、男はゆっくりと立ち上がりシャンヌ達を見る。


「そなた等の事は王妃から聞いている。先ずは私が名乗るべきかな。私の名はタイラント。この国の王だ」


 背丈は中肉中背。上下とも金の刺繍が入った白い衣服を身に着けていた。肩まで伸びた金髪の髪を後ろで束ね、年齢は二十代半ばに見えた。端正な顔立ちをしたその男は、自らを国王と名乗り、その紅い両目をシャンヌに向けた。


 生まれて初めて国王などと言う身分の者に対面したシャンヌは、心臓が凍りつきそうな程緊張する。


 タイラントの隣でソファーに座っていたリリーカは、微笑みながらシャンヌに頷いた。その王妃の笑顔に、シャンヌは幾分かの落ち着きを取り戻した。


 シャンヌはゆっくりと深呼吸をする。別のソファーには城下町で会ったイバトとクレアも座っていた。


 シャンヌは顔を上げてタイラントの顔を見る。その時、赤毛の少女はある異変に気付いた。


 国王の頭頂部の髪の一部が跳ね上がっている事に、シャンヌの視線は釘付けになっていた。それは誰がどう見ても寝癖だった。


 何故国王の頭に寝癖がついているのか。国王は先程まで就寝中で寝起きなのか。それともこの髪型が今魔族の中で流行しているのか。


 もしそうでは無いのなら、何故誰も一国の王に寝癖がついている事を指摘しないのか。余りに奇異なその光景に、シャンヌはタイラントの寝癖の事で頭が一杯になっていた。


「どうした? 娘。私の顔に何かついているか?」


 タイラントの怪訝そうな口調の質問に、シャンヌは慌てて自分の頭を無理やり現実に引き戻した。


「い、いえ。失礼致しました。国王陛下。私の名はシャンヌと申します。本日は陛下にお願いがありましてこちらに参りました」


 シャンヌは自分の目的を果たす為に、見様見真似の敬礼をタイラントに見せた。国王は小さく頷き再び口を開く。


「シャンヌなる娘よ。そなたの目的は王妃から概要は聞いている。単刀直入に聞こう。我が国の益は何だ?」


「······は、はい? え、益ですか?」


 シャンヌの戸惑った返答に、タイラントは今度は大きく頷いた。


「そうだ。そなたの願い通り四つ目一族を救出して我が国にどんな利益がある? 最初にそれを聞こう」


 カリブ軍によって連れ去られた四つ目一族を助け出す。残されたその一縷の望みは、カリブ国と対立しているエルラン国に助けを乞う事だった。


 その僅かな望みが、国王のこの質問により、たちまち絶たれようとしていた。その危機感と絶望感が、この時のシャンヌの心を支配していた。

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