第27話 神殺しの末裔

 カリブ軍最強の剣士と讃えられるジャクリン大尉は、常に強者との出会いを欲していた。


 この四つ目一族の村を襲う作戦に志願したのも、太古の昔「神殺しの戦士」と呼ばれた四つ目一族の末裔に強者を求めての事だった。


 勇んでこの村に出向いたジャクリン大尉の期待は無残な失望に変わった。無力に逃げ惑う四つ目一族の村人達。伝説は埃の溜まった過去の遺物になっていた。


 村の外に居た四つ目一族が戻って来るのを待ち構えていた兵士達と行動を共にしたのは、それでも一縷の望みをジャクリン大尉は抱いていたからだった。


 強き四つ目一族と剣を交える事を。


「······メルア? メルアなの?」


 先刻まで自分の背後に立っていた十二歳の少年は、身長二メートル以上の大男に変貌していた。


 シャンヌはその光景に自分の目を疑う。だが、筋骨隆々なその魔族の怒れる顔には、赤毛の少女が良く知るメルアの面影がはっきりと残っていた。


 座り込んだシャンヌの直ぐ横を、ジャクリン大尉はゆっくりと通り過ぎて行く。カリブ軍最強の剣士の関心は、既にシャンヌには無く目の前の大男にあった。


「······面白い。面白いぞ小僧。何故お前が子供の身体から大男に変化したのか分からんが、そんな事は些末な事だ。重要なのはお前が四つ目一族だと言う事だ。戦え小僧。俺はこの瞬間を待ち侘びていたぞ!!」


 伝説の神殺しの戦士の末裔。その戦士との対決を求めていたジャクリン大尉は、逞しい両腕で大剣を握り締め構える。


「······お前は許さない。絶対に!!」


 少年から大男に化けたメルアは、大人びた声で怒りの言葉と四つの目をジャクリンに向ける。


 ジャクリン大尉は狂喜の表情で地を蹴り、一瞬でメルアの間合いに入った。その動き。速さ。シャンヌの目には、カリブ軍最強の剣士は完璧な一刀をメルアに与えると思われた。


「うわああぁっ!!」


 メルアは絶叫しながら眼前のジャクリンに向かって右拳を付き出す。その速さに、シャンヌは何が起こったのか視認出来なかった。


 グシャッ。


 それはとても鈍い音だった。メルアの腰を狙ったジャクリン大尉の剣は突然停止した。シャンヌが視線を上に移すと、そこには頭部を失ったジャクリン大尉の身体が直立していた。


 少し間を起き、かつてジャクリン大尉の頭部を形造っていた血と肉片が地面に落ちて行った。


 その一瞬の出来事に、この戦場に居合わせた誰もが言葉を失った。そして最初にシャンヌに聞こえたのは、悲鳴の様な叫び声だった。


「······ジャ、ジャクリン大尉が一撃で殺られた? う、嘘だろ!? ば、化け物だ!! あのガキは化け物だ!!」


 生き残った兵士達は手にした武器を投げ捨て、全力疾走で背を向け走り出す。馬のいななきと共に逃走して行く兵士達に、構う余裕はシャンヌには無かった。


 ジャクリンをその拳で屠ったメルアは、突然意識を失いそのまま地に崩れ落ちた。


「メルア! しっかりしてメルア!!」


 シャンヌが慌ててメルアに駆け寄る。そして赤毛の少女は再び信じ難い光景を目撃する。


 身長二メートルを越すメルアの身体が、徐々に縮んで行った。やがて元の少年の姿に戻ったメルアの額の二つの目は、以前と同じ様に閉じられていた。


 遁走した兵士達と入れ替わる様に、二頭の馬がこの四つ目一族の村に入って来た。その馬に乗る二人は血の匂いを嗅ぎ付け、直に戦闘か行われた場所に辿り着いた。


「······全く。一体何をやらかしたんだ? この直情リスは」


 血を流し倒れている何体もの死体を眺めながら、ブレッドは探し人である赤毛の少女を睨みつける。


「······ブレッドさん。アサシルさんも」


 それは無頼組織「猫の手も借りたい」の先輩である二人に、シャンヌが一ヶ月振りに再会した瞬間だった。


 


 ······夕暮れ時、シャンヌ達は家主が不在のある一軒の家の中にいた。質素なベットに眠るメルアの苦しそうな寝顔を、シャンヌは心配そうに覗き込む。


 大男から元の身体に戻ったメルアの全身には、至る箇所に痣と内出血が見られた。それは、メルアが大男に変化した事が原因だと容易に伺い知れた。


 ブレッドとアサシルは、この一月のシャンヌ達の行動を知り、それぞれの感想を抱いた。


 ブレッドは呆れたが、アサシルはシャンヌが自分が課した鉛の重りを身に着け続けた事を高く評価した。


「······しかも道中に奴隷と魔物を仲間にするとはな。変わった奴だとは思ったがここまでだとは」


 ブレッドは椅子に腰掛け、丸いテーブルに肘を付く。そして家にあった酒を不味そうに飲みながら部屋の隅に座るカイトとその隣に立つ首長女を一瞥する。


「違うな。ブレッド。奴隷では無くあの伝説のロッドメン一族の末裔だ。そして只の魔物じゃない。人の形をしたこれ迄に無い新種の魔物だ。しかも自律する特別製のな」


 足を組みながら座るアサシルは、ブレッドのため息混じりの言葉を訂正する。


「······首長女さん。首の傷は大丈夫ですか?」


 台所で薬草を煎じていたジオリがメルアに飲ませるのを見届け、シャンヌは首長女に声をかける。


 ジャクリン大尉によって斬られたその傷は致命傷と思われたが、首長女の傷は徐々に癒えて行った。


 首長女の話によると、この身体には自己修復機能が備わっていると言う。


「チャ。シャ。で。いい」


「え?」


 首長女の小さな呟きに、シャンヌは首を傾げる。それは、シャンヌが昔飼っていた羊の名前だった。


「······私の。名前。チャ。シャ。で。いい。その。名前。が。いい」


 首長女は眠そうな両眼でシャンヌを見つめる。赤毛の少女が何気無く語った羊の名前を、この自律する魔物は気に入ったのか。


 それとも名前を記号として単に便利と考え、記憶に新しいその名前を利用しようとしたのか。


 シャンヌには首長女の理由は分からなかったが、赤毛の少女は自律する魔物に微笑む。


「······分かりました。いつまでも首長女じゃ可哀想ですよね。貴方の名前はこれからチャシャです。宜しくお願いします。チャシャ」


 新たな名前を得た魔物に、シャンヌは右手をに差し出す。チャシャは不思議そうにその手を凝視し、やがて赤毛の少女の手を握った。


「おいおい。魔物を拾った次は、その魔物と友情を深める気か? 何処まで変わり者なんだ。あの直情リスは」


「そう噛み付くな。ブレッド。シャンヌに無事出会えたんだ。心配した甲斐があったと言うべきだろう?」


 アサシルの冷静な冷やかし口調にブレッドはムキになり「誰も心配しとらん」と強く否定する。


 家に残された食材を拝借し、チャシャ以外の一行はささやかな夕食を摂った。魔物であるチャシャは水だけで事足りる事実をシャンヌ達はこの時知った。


 そして夕食後、テーブルを囲み座る一行は今後の行動を話し合う事となった。ブレッドはメルアを連れて組織の本拠地に戻る事を強く要求したが、シャンヌは即座にそれを断った。


「······カリブ国の王都に連れ去られた四つ目一族の村人達を放ってはおけません。私は救出に向かいます」


 シャンヌは迷いの無い顔でそう断言した。ブレッドはテーブルに拳を叩きつけ言葉を荒げる。


「おい。直情リス! 大言壮語を吐くのは自分の力量と相談してからにしろよ! 相手は一国の軍だぞ! たかだか小娘一人に何が出来ると言うんだ!」


「ブレッドさん。貴方に何を言われても構いません。私はどんな事があってもメルアと同じ一族を見捨てない。必ず助け出します!」


 テーブルを挟みシャンヌとブレッドが睨み合う。ブレッドは小さくため息をつき手元にあった酒杯を一気に煽る。


「おいリス。そこ迄言うのなら覚悟はあるんだろうな? 俺達の組織を抜けると言う覚悟が」


 酒気を帯びた息と共に吐かれたブレッドのその言葉に、シャンヌは黙り込む。十五歳の赤毛の少女にとって、チロルが率いる組織に入る事が人生最大の目的だった。


 その組織を抜けると言う事は、シャンヌの若すぎる人生のこれからの指針を失うに等しい行為だった。


 だが。それでも。シャンヌは自分の言葉を翻さなかった。


「······構いません。私は例え組織を追い出されても、四つ目一族を必ず救います」


 迷いの無い真っ直ぐなシャンヌの瞳に、ブレッドは歯ぎしりをして今度は酒杯をテーブルに叩きつける。


「勝手にしろ! こんな直情リスに付き合っていられん!!」


 ブレッドは席を立ち壁に立て掛けていたサーベルを手にし、今直ぐメルアを連れて組織の本拠地に戻るとアサシルに伝える。


「ブレッド。俺はシャンヌ達と行動を共にする」


 褐色の肌の暗殺者の何気無い口調に、ブレッドは数瞬言葉を失う。


「······おい。アサシル。お前どう言うつもりだ? それはお前がこの直情リスと一緒に組織を辞めると言う意味か?」


「どう取って貰っても構わんが、どの道メルアは今動かせる状態では無い。お前はどうする? ブレッド。俺達が去った後のこの無人の村で、ただ一人残ってメルアの介抱を続けるか?」


 アサシルの言葉は、今この場に風の呪文を使用出来る者がおらず、馬以外の手段で移動する方法が無い事を示唆していた。


 ブレッドは鋭い視線をシャンヌから褐色の暗殺者に移す。だが、アサシルは涼しい顔をしてそれを受け流す。


「ブレッド。シャンヌ。俺に提案がある」


 アサシルは細く長い両手を広げいがみ合う二人を見回す。


「提案とは一体何だ?」


 ブレッドが不快極まり無いと言った表情で酒杯を手にするが、グラスが空な事に気付き舌打ちをしてテーブルに戻す。


「おそらく双方が納得出来る妥協案さ」


 褐色の暗殺者は、両目を細め笑みを浮かべた。



 


 翌朝、四つ目一族の村から出立する二頭の馬の姿があった。ブレッドとアサシルはそれを家の玄関から見送っていた。


「おい。アサシル。お前は本当に上手く行くと思っているのか?」


 開かれた扉に背を預け、両腕を組みながらブレッドはアサシルに問いかける。


「どうかな。全てはシャンヌの器量次第さ。元々荒唐無稽な話だ。失敗して当然。だが万が一······」


 アサシルの言葉をそこで途切れた。あの赤毛の少女に関心を持つこの褐色の暗殺者も、まだシャンヌの全てを測り兼ねている。


 そんな雰囲気をブレッドはアサシルから感じていた。四つ目一族を連行したカリブ軍。そのカリブ国に隣接しているのがエルラン国と言う名の国だった。


 そのエルラン国の国王に四つ目一族救出の協力を乞う。それが、アサシルがシャンヌに提案した内容だった。


「······一縷の望みはエルラン国の国王の妻が人間だと言う事。その一点に尽きるな」


 褐色の暗殺者は、側に立つブレッドにも聞こえない程のか細い声でそう独語していた。

 

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