第26話 命を裁く者

 カリブ軍によって蹂躙された四つ目一族の村の中で、赤毛の少女の魂の叫び声が響き渡った。


 その声を聞いた他の兵士達が家から飛び出して来た。シャンヌ達はあっという間に十五人の兵士達に囲まれた。


 後から現れた兵士達は、仲間の無残な死体を見て状況を瞬時に把握する。


「殺ったのはこの小娘だ! やっちまえ!」


 一人の兵士が剣を抜きシャンヌに向ける。すると、他の兵士達も一斉に剣を構える。


「私が奴等を引きつけます! 皆は逃げて!」


 ジオリはメルアの手を繋ぎ頷く。これまでの旅の経験から、ジオリとメルアはシャンヌの戦いの邪魔をしない事が最善だと知っていた。


 だが、一人身動き一つしない者がいた。元奴隷のカイトは、冷めた両目でシャンヌを見ていた。


「カイト殿! 何をしていますか!? 早く逃げますぞ!」


 ジオリの必死の呼び掛けにも、カイトは振り向きもせずに冷笑する。


「人間も魔族も。いつかは死ぬ。それが早いか遅いかの違いさ」


 元奴隷の男はここでカリブ軍の兵士達に殺されても一向に構わない。ジオリの衰えた聴覚には、それと同義に聞こえた。


 ジオリが無理やりカイトの手を引く最中、首長女だけがシャンヌの側に立っていた。


「何故。お前。が。この。者達。を。殺。す?」


「こいつ等は殺されて当然の事をしたのよ!!」


 首長女の不思議そうな問いに、烈火の如く怒れるシャンヌは乱暴な口調で答える。


「当。然? この。兵士。達は。死んで。当然。なの。か?」

 

「そうよ! 罪も無い村人達の自由を奪い、そして殺した! 絶対に許されない罪なの!!」


 首長女は今正にシャンヌに斬りかかろうとする兵士達を眺める。


「シャン。ヌ。分から。ない。何故。だ? 何故。お前。が。この。兵士。達の。罪を。裁く?」


「誰かが裁かないと駄目なの!! 無法者達を放っておいたら、この世は弱肉強食の地獄になる! 私は絶対にそんな世界を許さない!!」


 シャンヌは叫ぶと同時に駆け出した。三方から迫る兵士達の一角に無謀にも等しい突進を見せる。


「このガキがぁっ! ぶっ殺してやる!」


「陽炎!!」


 兵士の一人がシャンヌに剣を振り下ろした瞬間、赤毛の少女の姿は忽然と消えた。驚愕する兵士の顔は直ぐに苦痛の顔に変わる。


「ぐわっ!?」


 兵士の背後に姿を表したシャンヌは、無防備な兵士の背中を切り裂いた。


「何だこのガキ!? 姿が消えたぞ!?」


 自分の目を疑う兵士達の驚きを他所に、シャンヌは陽炎を連続で使い三方の兵士達を混乱させる。


 全てはジオリ達が逃げる時間を稼ぐ為だった。緊張感の欠落から、鎧も身に着けず昼間から酒盛りをしていた兵士達の動きは鈍く、身を守る防具も無く容易くシャンヌの刃に切られていく。


 だが、休む間も無く術を連発するシャンヌに限界が訪れたのは直ぐだった。


 七人目の兵士を倒した後、シャンヌの陽炎は発動せず疲労により片膝を地につけてしまう。


「シャンヌお姉ちゃん!!」


 メルアはジオリに手を引かれながら、兵士達に囲まれるシャンヌの姿を見て叫ぶ。


「······妙な技を使いやがって。だが、限界らしいな」


 半数近い仲間を倒された兵士達は、肩で息をする赤毛の少女に復讐の殺意を集中させる。その時、一人の兵士がシャンヌの側に立つ橙色の髪の女に近付く。


「ほう? コイツはいい女だな。お前は生かしておいてやるぜ?」


 酒気を含んだ淀んだ両目に好色の色を重ね、兵士は美しい女の顎を掴んだ。


「ぐぎゃあっ!?」


 その瞬間、女の顔に臭い息を吐いた兵士の首に橙色の髪の女が噛み付いた。兵士の酒気は吹き飛んだが、それと同時に命も失った。


 シャンヌを囲んだ七人の兵士達がその惨劇を目撃した瞬間、美しい女の首が伸びて行き、地を這う様に兵士達に素早く迫って行く。


 首長女はシャンヌに一番近かった兵士の喉を噛み切る。噴水の様に吹き出る兵士の大量の血に、兵士達はようやく事態を察した。


「コ、コイツは魔族の女じゃねえ! 人の形をした魔物だ!!」


 そう叫んだ兵士は、それがこの世の最期の言葉となった。首長女はその兵士の首に噛みつき致命傷を与える。


「この化け物があ!!」


 三人の兵士が首長女の長く伸びた首に同時に斬撃を浴びせる。だが、その白い首は傷一つ付かなかった。


「そ、そんな馬鹿な!?」


 白い顔に真っ赤な返り血を浴びた首長女は、恐慌に陥った兵士達を伸びた首で上から見下ろす。


「······首長女さん。どうして?」


 頬に玉の様な汗を流しながら、シャンヌは自分の前に立つ首長女の顔を見上げた。


「シャン。ヌ。お前。が。言った。奴等は。死ぬに。値する。者達。と。私。は。お前。が。選別。した。者。を。殺。す」


 この時シャンヌは、首長女のこの言葉の真意を理解出来ていなかった。恐怖に満ちた表情の兵士達に向かって、首長女は高く伸びた顔を勢い良く斜めに落として行く。


 ザンッ。


 それは一瞬の出来事だった。何者かが家から飛び出し、首長女の首に大剣を叩き込んだ。

 

 兵士達に斬れなかった首長女の首は半ば裂かれ、大量の出血と共に伸びた首は地面に落ちた。


「く、首長女さん!?」


 シャンヌは突然の惨劇にただ叫ぶしかなかった。赤毛の少女は首長女を一撃で倒した者を睨む。


 それは、上半身裸の巨漢の男だった。頭髪が一本も無い三十歳前後に見える男は、鋭い両眼でシャンヌを見下ろす。 


「ジャ、ジャクリン大尉!!」


 生き残った兵士達が突然現れた巨漢の男を見て歓喜の声を上げる。シャンヌは力が入らない足を無理やり奮い立たせ剣を構える。


「この小娘が! ジャクリン大尉はカリブ軍最強の剣士だぞ! お前が敵う相手じゃねえんだよ!!」


 兵士の罵声の様な声を聞きながら、シャンヌはジャクリンから目を離さなかった。そして程なく悟る。


 この巨漢の男が発する殺気に、自分はどう足掻いても勝ち目が無い事を。


「ほう。小娘よ。実力差は分かるようだな」


 シャンヌの勝機を失った心の内を看破したのか、ジャクリンは低い声だけで赤毛の少女を威圧する。そしてシャンヌの顔を品定めする様に見る。


「よく見れば数年後には化けるかもしれん器量だな。機会をやろう。小娘。奴隷として生きるなら命を助けてやる」


 カリブ軍最強の剣士が迫る二者択一に、シャンヌは迷い無く答える。


「断る! 鬼畜の言いなりになって生きるなら、この命など惜しくない!!」


 言うが早いかシャンヌは残った力を振り絞りジャクリンに渾身の一撃を振り下ろす。だが、カリブ軍最強の剣士は面倒そうに軽くそれを弾き返した。


 その衝撃でシャンヌの剣は後方に飛ばされた。その絶望的な光景を見ながら、老人ジオリの頭の中に天啓が閃いた。


「思い出したぞ! カイト殿! 貴方のローブのその胸に記された紋章! それはロッドメン一族の紋章です! 貴方はロッドメン一族の方なのですか!?」


 突然若さを取り戻した様なジオリの豊かな声量に、カイトは冷めた表情を崩さなかった。


「カビの生えた古臭い一族。それを知っているなんて物知りだね。爺さん」

 

「やはりそうか! カイト殿! なら力を貸して下され! 魔法をこの世に造り出したロッドメン一族の末裔なら、貴方にもその力がある筈です!!」


「無理だね」

 

「······は?」

 

 カイトの乾ききった冷たい返答に、ジオリは口を開けて呆然とする。


「確かに僕にはその下らない一族の血が流れている。でもね。使えないんだよ。僕は魔法の杖が無いと呪文一つ使えない」


 錆びたペンダントを指で撫でるカイトの言葉の意味を、ジオリは理解出来なかった。魔法の杖は魔法使いがその魔力を増幅させる為に使用する道具だった。

 

 その道具である魔法の杖が無ければ魔法が使えないなどと、そんな話はジオリは聞いた事がなかった。 


「シャンヌお姉ちゃん!!」


 メルアがジオリの振りほどき、危機に陥ったシャンヌの元へ走って行く。


「いかん! 戻るんじゃメルア!!」


 ジオリが悲痛な叫び声を上げるが、四つ目一族の少年は止まらなかった。あの気弱なメルアのその行動に、ジオリは半ば信じられない思いだった。


 メルアが駆け付けた時、シャンヌの首はジャクリンに左手によって締められていた。


「小娘。最後の機会だ。奴隷か死か。選べ」


 小柄とは言えシャンヌの身体を腕一本で持ち上げるジャクリンは、最後通告を赤毛の少女に突きつける。


「やめろ!!」


 メルアが涙を流しながらジャクリンに向かって絶叫する。その肩と足は恐怖で震えていた。


 だが、四つ目一族の少年は僅かな勇気を振り絞り、額に巻かれた布を自ら取る。その額には、閉じられた小さな目が二つあった。


「僕は四つ目一族だ! お前等の目的は僕だろう! だがらお姉ちゃんを離せよ!!」


 ジャクリンにとって無力な少年メルアは羽虫に等しい存在だった。カリブ軍最強の剣士は、四つ目一族の少年を一顧だにしなかった。


「······メル。ア。逃げ······て」


 ジャクリンの恐るべき握力によってシャンヌは息も絶え絶えになりながらも必死にメルアに訴える。


 カリブ軍最強の剣士は、赤毛の少女のその態度を拒否とみなした。


「ならば死ね。小娘」


 ジャクリンが左手に力を入れた瞬間、シャンヌは声にならない断末魔の様なうめき声を上げた。


「やめろおぉっ!!」


 シャンヌの耳にはメルアの絶叫が聞こえていなかった。朦朧とした意識の中、シャンヌは自分の身体がいつの間に地面に落ちている事に気付く。


 シャンヌは激しく咳き込みながらジャクリンを見上げる。カリブ軍最強の剣士は、石像の様に固まったまま前方を見ていた。


 シャンヌは振り返り、その方向に視線を向ける。そこには、メルアが立っていた筈だった。


 だが、そこには四つ目一族の少年は居なかった。立っていたのは、身長二メートルを越す筋骨逞しい魔族だった。


「······メルア?」


 憤怒の表情を浮かべる魔族の大男の顔を見た瞬間、シャンヌの口から自然とその名が溢れた。


 メルアの面影が残る大男の額には、二つの開かれた目が在った。その怒れる四つの目は、ジャクリンを睨みつけていた。


 


 


 


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