第28話 エルラン国の城下町
エルラン国。大陸の西に位置する魔族の国だ。魔族の国々の中でも中規模の国力を持ち、安定した政情を保っている。
国王はまだ二十代前半の若さであり、その妻は人間だと言う事実も周辺諸国の注目の材料になっていた。
この大陸の歴史の中でも、魔族の王の妻が人間だと言う例は数例しか記録に残っておらず、その稀有な事実を当の国王と王妃は余り自覚していなかった。
「······もう直ぐエルラン国の王都だわ。何とか国王に接見する方法を考えないと」
見晴らしの良い行路を軽快に走る馬の上で、シャンヌは不安そうに独り言を呟く。赤毛少女の後ろに騎乗する首長女ことチャシャは、その言葉を不思議そうな表情で聞いていた。
「······四つ目一族の救出をエルラン国に協力して貰う?」
三日前、四つ目一族の村でアサシルからそう提案されたシャンヌは、余りに予想外の内容に間抜けな声色を出してしまった。
「そうだ。シャンヌ。相手はカリブ軍。一国を相手にするには、こちらも国家級の武力が必要だ。お前がエルラン国の国王を口説き落としてみろ」
アサシルの言葉に、シャンヌは困り果てた。一介の小娘に一国の王が話を聞いてくれる筈が無い事くらい赤毛の少女にも分かる事だった。
「そう悲観するな。シャンヌ。好材料が三つあるぞ」
アサシルは長い指を三本立て説明する。カリフェースは一年前から各国に四つ目一族の保護育成を訴える使者を送っていた。
魔族の国であるエルラン国は、その使者を通じてカリフェースと何度かやり取りを行っている。
エルラン国が四つ目一族に関してのカリフェースの提案に好意的である事が好材料の理由の一つ。
二つ目はエルラン国が長きに渡ってカリブ国と対立している事。エルラン国が敵国の手に四つ目一族が渡る事を良しとしない可能性は十分にある。
そしてアサシルが口にした三つ目の理由は、エルラン国の王妃はカリフェースに留学経験を持つ人間だと言う事。
「しかもだ。シャンヌ。王妃はお前と同じ赤毛らしい」
アサシルのこの台詞に、シャンヌは首を傾げる。どうして髪の色が同じ事が交渉の好材料になるのか。
「シャンヌ。人は自分と同じ物を持つ他人に対して共感を覚える物だ」
「······分かりました。アサシルさん。とにかくエルラン国に行ってみます」
こうと決めた瞬間、シャンヌの表情から迷いが消えた。そしてシャンヌ達がエルラン国を目指し出発した三日後、ブレッドはアサシルから衝撃の事実を聞く事になった。
「三日前にロカポカがここを訪れただと!? どう言う事だ! アサシル!!」
別室で眠っているメルアの事などお構い無しにブレッドは声を荒げ、無頼組織「猫の手も借りたい」に於いてあらゆる情報に精通している男の名を呼んだ。
「済まない。ブレッド。今しがたまで失念していた。ロカポカが訪問した時、丁度お前が入浴中だったのでな。邪魔しては悪いと思い、後で伝えようと思ったのさ」
褐色の暗殺者は白々しく困り果てた表情を見せた。ブレッドとアサシルがシャンヌ達とこの四つ目一族の村で再会した日の夜。
チロルにブレッドやアサシルの行き先を聞いたロカポカは、自力でこの四つ目一族の村を探し当てた。
目的は組織の長であるチロルの伝言を伝える為であった。
「チロルの伝言? いや、それよりも! ロカポカの風の呪文を使えば、俺達は直ぐに本拠地に戻れただろうが!」
「それは無理な相談だ。ブレッド。ロカポカの風の呪文は単独飛行しか出来ん。奴は肥満しているからな」
アサシルの人を喰った様な口調に、ブレッドは苦虫をかみ潰したような表情になる。
「······で。チロルの伝言は何だ?」
アサシルはロカポカから聞いた内容をブレッドに明かした。それは、ブレッドが絶句する程の驚くべき内容だった。
「······天界人の侵攻? ラストルがその天界人に連れ去られただと?」
伝説の空想話と思われた天界人の存在を突然知らされたブレッド、にわかに信じる事が出来なかった。
必死に自分の頭の中を整理するブレッドを他所に、アサシルは自分の思考に浸っていた。
天界人の存在も。カリフェースの街が甚大な被害を受けた事も。アサシルにとってはどうでもいい事だった。
重要なのはラストルがチロルの元から消えたと言う事実だった。チロルの内に秘められた破滅的な破壊衝動。
その防波堤の役割を果たしていたのがラストルの存在だった。今その最後の防波堤が不在だと言う事は、チロルの暴走を止める者は誰一人居ないと言う事だった。
奪われたラストルを取り戻す為に、チロルは準備を開始した。ロカポカが伝えに来た内容とは、組織の者達全ての招集だった。
アサシルはチロルが破壊したいと思っていたのは、争いが絶えないこの世界だと考えていた。
だが、今チロルのその矛先は天界に向けられようとしていた。それも褐色の暗殺者にとって大した事では無かった。
彼が見たかったのは、チロルの内に秘められた狂気が開放される姿であった。
「······これは見物だな。その見物席には命を賭ける価値がある」
アサシルは微かな声でそう呟く。褐色の肌の暗殺者は、その危険な見物席に自分の命を賭ける事など意に介していなかった。
無頼組織「猫の手も借りたい」に所属するロカポカは、普段は情報屋として表と裏の世界で情報を売買していた。
アサシルとブレッドのいるこの四つ目一族の村を訪問した際も、機会を無駄にせずカリブ国内に暫く留まり闇社会に生きる者達に手持ちの情報を売った。
その情報の中には、四つ目一族の所在に関する情報も在った。カリブ軍最強の戦士を倒したメルアの話をアサシルから聞いたロカポカは、カリブ軍は四つ目一族の反乱を恐れて王都では無く近くの砦に幽閉すると予測していた。
そしてロカポカはカリブ軍と長く対立している隣国エルラン国の動向にも目を光らせ、商品になる様な情報を集めていた。
そのロカポカの情報をある野盗が買う事になる。それが後に、シャンヌ達を窮地に落としいれる事になるのだった。
シャンヌ。首長女ことチャシャ。元奴隷カイト。そして老人ジオリの四人は、四つ目一族の村を出てから三日後、何事も無く無事にエルラン国の王都に到着した。
城下町の門をくぐり、シャンヌ達は街の中に入って行く。
街の中央を貫く大通りの先には、シャンヌの目的である国王が居する城がその姿を見せていた。
少し乱暴な走行をする荷馬車を避けながら、シャンヌは街の中を眺める。門を通過する際も荷馬車の往来が活発だった事を赤毛の少女は思い出す。
商店の至る所では買い物客が溢れ、人々の表情は明るく見えた。政治の事はシャンヌには何も分からなかったが、圧政を敷かれた街にこんな快活さは無い事くらいは理解出来た。
まだ二十代前半だと言うこの国の若き国王は、良い政治をしているのだとシャンヌは感じていた。
「誰か! そいつを捕まえて! 盗人よ!」
大勢の人々が行き交う大通りで、突然女性の叫び声が響いた。シャンヌは馬上で声の聞こえた方角を見る。
そしてその方向から、男が人を掻き分けて必死の形相で走って来た。その男の右手には、水色の荷袋が握られていた。
シャンヌは素早く馬から降り、その男を追いかけ始めた。この大勢の人の中では、馬では追跡は困難だと赤毛の少女は即座に判断していた。
全身に鉛の重しを身に着けても尚、シャンヌは見事な快速を見せた。男の背中に迫ったが、男は更に速力を上げ赤毛の少女をつき離す。
「······追いつけない!!」
息を激しく切らせながら、シャンヌの視界から男が遠のいてしまう時だった。赤毛の少女の横を何かが通り過ぎて行った。
その余りの速さに、シャンヌはそれが人だった事に一瞬気が付かなかった。
「な、なんて速さなの!?」
見る見る内に遠ざかっていくその人影にシャンヌは驚きの声を上げる。盗人の男も速かったが、それを猛追する何者かは更にその上を行った。
尋常では無い足の速さを見せたその者が、盗人の男を取り押さえる光景をシャンヌは目撃した。
シャンヌが二人に辿り着いた時、既に盗人は地面に押さえつけられ観念している様子だった。
呼吸が著しく乱れるシャンヌに対して、盗人を取り押さえた者は息切れ一つしていなかった。
「よう。俺の方が捕まえるのが速かったな」
盗人の両腕を押さえながら、短髪の少年はシャンヌに笑顔を見せた。シャンヌはその少年にその快速の理由を聞きたい気持ちで一杯だった。
その時、少年の頭を杖で殴る者がいた。それは、シャンヌの同じ赤毛の少女だった。
「こら! イバト! 勝手に持ち場を離れないでよね! 今アンタは王妃様の警護中なのよ!」
「痛いだろ! 何すんだよ! クレア! 俺は盗人を捕まえたんだぞ!!」
短髪の少年は紺色の衣服。赤毛の少女は髪の毛と同じ色の赤いローブをに身に着けていた。
二人とも十五歳のシャンヌより二、三歳上に見えた。イバトと呼ばれた少年が口にした固有名詞をシャンヌは聞き逃さなかった。
「あ、あの! 今、王妃と仰いましたか?」
シャンヌはクレアと呼ばれた自分と同じ赤毛の少女に信じられない気持ちで質問する。
「なんだ? お前リリーカ姉ちゃんに何か用か?」
右手で盗人を押さえつけ、左手でクレアに杖で叩かれた頭を擦りながら、イバトはシャンヌを見上げる。
そしてまたクレアが杖でイバトの頭を叩く。
「コラ! イバト! リリーカ姉ちゃんじゃない! ちゃんと王妃様と呼びなさい!」
痛みが引かない箇所を再び小突かれたイバトは苦痛の声を上げる。
「何度も叩くなよ! クレア! お前はいつも優等生振りの度か過ぎるんだよ!!」
「な、何よ! 私はただ真面目に生きているだけよ! あんたがいい加減なだけなんだから!!」
クレアは両目に涙を溜めながらイバトと口論を再開する。二人の言い争いは街の憲兵が盗人を連行する迄続いた。
盗まれた荷袋は無事に持ち主に返り、安堵した持ち主の中年の女は、何度もシャンヌとイバトに礼を述べた。
その中年の女がシャンヌの顔を見た時、一瞬怪訝な表情を見せた。シャンヌは頭に被ったフードが取れていた事に気づく。
荷袋の持ち主である女は、魔族の国に人間であるシャンヌがいる事を不思議に思ったのだった。
「リリーカ姉ちゃんに用があるんだろ? 俺達について来いよ」
シャンヌ。イバト。クレアの三人は街の中を歩いていた。イバトは気さくにシャンヌを手招くが、クレアは歓迎していないと言った表情だった。
「困るわ。王妃様と面会を希望なら、正式な手続きを行った上でないと」
「堅いこと言うなよ。クレア。それは城で会う時の決まり事だろう。リリーカの姉ちゃんは今この城下町に居るんだ。構う事無いって」
イバトがそう言いながら、慣れた様子で建物の間を入りシャンヌを先導する。先程荷袋を盗まれた女の様に、イバトもクレアもシャンヌが人間だと言う事に気付いている筈だった。
だが二人はその点について何も触れる事は無かった。この魔族の国の王妃が人間だと言う事実に起因する物なのか。
シャンヌはそう考えながらイバトとクレアを見る。短髪の少年イバトは、背丈だけは立派な戦士に見えた。
だがその両耳は魔族にしては短く、人間にしては長過ぎた。対してクレアの両耳は完全な魔族の長さだった。
それにしても。とシャンヌ考え込む。どこの馬の骨とも分からない人間の娘を一国の王妃に引き合わせるイバトの行為は余りにも安易過ぎないのか。
後でイバトが処罰されないかとシャンヌは心配する。
「心配すんなよ。他人の為に体を張る奴に悪い奴は居ないさ」
イバトはシャンヌが盗人を捕まえようとした事を引き合いに出しそう笑った。イバトとクレア。王妃を護衛すべき二人が不在な今、王妃は大丈夫なのかとシャンヌは再び心配する。
「それも心配すんな。護衛はもう一人いるんだ。怖えーメイドの姉ちゃんがな」
三人は大通りに面した食品売り場の店に到着した。その軒先で、フードを被った一人の客が店主と何やら激しく言い合いをしていた。
「駄目だ! 一品以上はまからねぇ! これ以上の値引はしないぞ!」
「なら! この隅に置いてある傷んでいる果物も全て買うわ。 だからお願い。 もう少しまけて!」
店主に両手を合わせる女性客に対して、太い腕を組みながら店主は唸りながら考え込む。
「······しょうがねえ。アンタには負けた。全部で二割引。それでいいな?」
「ありがとう! おじさん!!」
女性客は店主の両手を握り歓喜の声を上げた。その女性客の側でメイド服を来た若い女がため息をついていた。
「リリーカ姉ちゃん! 姉ちゃんに会いたいって奴を連れて来たよ!」
イバトが女性客に威勢良く声をかける。女性客は袋に食材を入れながらイバトに気付きフードを外した。
「あら。イバト。クレアも。何処に行っていたの?」
返事をしたのは、長い赤毛の髪をみつ編みにしている若い女だった。シャンヌはその女をひと目見て、全身に緊張が走った。
それが、エルラン国王妃リリーカとシャンヌの出会いであった。
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