第23話 青い髪の奴隷
大陸の西側の行路を疾走する二頭の馬がいた。波打つ黒髪と髭を生やした男が視界に広がる平原を見る。
至る所に兵士の死体が転がっており、ここで戦闘が行われた事が一目瞭然だった。
「街で聞いた情報通りだな。アプレン軍とハイザン軍の戦闘後か」
無頼組織「猫の手も借りたい」の一員ブレッドは魔族の国の名を二つ口にした。
「一万二千のハイザン軍を五千のアプレン軍が散々に打ち負かしたらしい。アプレン軍の指揮官は有能だな」
ブレッドの隣を走るもう一頭の馬に乗る細身で褐色の肌の男が、乾いた声で戦場だった平原を眺める。
ブレッドと同じく「猫の手も借りたい」に属するアサシルは、鋭い両目で倒れている兵士達を観察する。
「······死体の兵士から武器や鎧を回収していない。勝者のアプレン軍は戦闘後も直ぐに進軍したらしいな」
アサシルの予想通り、アプレン軍率いるカイザックは勝利の余勢を駆り、勢いそのままにハイザン国の首都を陥落させる事となるのだった。
「さて。あの直情リスはこの戦争から上手く逃れたのかな」
ブレッドは探し人であるシャンヌの名を口にした。声色は軽薄だったが、その表情には懸念の成分が含まれているとアサシルは感じていた。
シャンヌがメルアとジオリを伴いカリフェースから旅立ってから三週間が過ぎた。アプレン国の王カイザックからの資金提供のお陰で、シャンヌ一行は路銀に心配する事なく順調に目的地まで進んでいた。
「シャンヌ殿。このままですとあと一週間程で四つ目一族の森に行けそうですぞ」
よく晴れた日。三人は清流が流れる小川で休憩中だった。老眼のジオリは地図を目から離しながら赤毛の少女に話しかける。
「本当ですか? メルア。良かったわね。もう直ぐ貴方の仲間のいる森に行けるわよ」
馬の頭を撫で、干し草を食べさせながらシャンヌは明るい笑顔をメルアに向ける。そのメルアは干し肉を食べながら曖昧に頷く。
メルアは静かに暮らしていた集落をある日突然襲われ、それからは逃亡の日々だった。かつて「神殺しの戦士」と呼ばれた四つ目一族を利用しようとする各国の思惑も、メルア少年にとっては何一つ理解出来ない災厄だった。
メルアは甲斐甲斐しく馬の世話をするシャンヌを横目で見る。このお節介とも言えなくもない赤毛の少女は、四つ目の住む森にメルアを届ける事が最善の方法だと思っている。
だが、気弱なメルアは同じ一族であっても他人ばかりの村に放り込まれても上手くやって行ける自信がまるで無かった。
その不安が目的地に近付くほど増大し、同時にシャンヌとの別れが迫っている事がメルアの気持ちを暗くさせていた。
気弱なメルアは、その心の内を言葉にする事は出来なかった。
「おらっ! もっと早く歩け!!」
乱暴な叫び声に、シャンヌ達は声の聞こえた方向を見た。そこには、一台の馬車がゆっくりと道を進んでいた。
馬車の荷台の後ろには、両手を縄で繋がれた男が俯きながら歩いていた。荷台に座る肥満した男は、手にした鞭で俯く男の頭をつついていた。
老人ジオリと少年メルアは、同時に嫌な予感を共有し赤毛の少女を見た。その予感は直ぐ様現実の物となり、シャンヌは馬車に向かって走り出していた。
「そこの馬車! 止まりなさい!!」
馬車の進路に立ち塞がったシャンヌに、肥満した男は馬車の御者に停止を命じた。
「何だ? おい赤毛の嬢ちゃん。邪魔だから道を開けてくれるか?」
「その男の人は何をしたんですか? 理由は分かりませんが、縄で繋いで歩かせるなんて余りに可愛そうです!」
シャンヌの痛切な叫びに、肥満した男と馬車の御者は一瞬顔を合わせてため息をつく。
「あのなあ。赤毛の嬢ちゃん。俺達は非道な奴隷商人でも何でも無いぞ。この男は売られた奴隷。俺達はそれを正規のルートで正規の値段で買ったんだ。誰にも後ろ指を指される言われは無い」
肥満した男は困った様な表情でシャンヌに丁寧に説明する。シャンヌは縄で繋ぎ歩かせる理由を厳しく追求する。
「コイツは奴隷になって間もないからな。自分が奴隷だって事を自覚させる為だ。その証拠にコイツには傷一つついて無いし、馬車の進みもゆっくりだっただろう?」
肥満した男の言葉に、シャンヌは縄で繋がれた男を咄嗟に見る。粗末な黒いローブを着た男の顔に、確かに傷は無かった。
ボサボサに伸びた青い髪。細身の長身。両目は生気に乏しく虚ろ。まだ二十代半ばに見えた。耳の形は人間である事を証明していた。
「······この人を自由にさせてあげる事は叶いませんか?」
肥満した男に懇願するシャンヌの姿に、メジオリとメルアの嫌な予感は不吉な予感に変化する。
「あのなあ。赤毛の嬢ちゃん。俺達だって無料でコイツを買った訳じゃないんだ。コイツを自由にするには、嬢ちゃんが俺達からコイツを買わなくちゃならないぞ」
肥満した男の言葉に、ジオリとメルアの不吉な予感は、破滅の予感に確実に変わる。
「この袋に金貨が五十枚以上入っています! これでこの人を自由にして下さい!!」
シャンヌは手にした一行の全財産が入った袋を肥満した男に差し出した。その瞬間、ジオリとメルアがシャンヌの身体を抑える。
「シャ、シャンヌ殿! 落ち着いて下され。その金貨を使っては、私達はまた無一文になりますぞ!」
「そうだよ。止めてよお姉ちゃん。僕またお腹が空くのやだよ」
ジオリとメルアの必死の説得も、鼻息荒いシャンヌには届いていなかった。
「······誰だが知らないけど、余計な事をしないでくれるかな?」
それまで俯いていた奴隷の男が顔を上げ、無気力な声でシャンヌに苦言を呈した。
「貴方はこれから奴隷として扱われるんですよ? 自暴自棄になっては駄目です!」
シャンヌの必死の説得に、青色の髪の男は小さくため息をつく。
「奴隷? この世に生きる者は全て奴隷と同じだよ。どんな身分だろうとね。王族は権力の魔力に繋がれ、庶民はその権力者に支配され一生労働と税金を差し出さなくてはならない。どんな身分で。何処で生きようと同じなんだよ」
覇気はまるで欠落していたが、急に理路整然と話し出した青い髪の男にシャンヌは怯む。
「僕は誰かに買われる奴隷を選んだ。自分でね。だから偽善者の振りをして邪魔をしないでくれ」
青色の髪の男の言葉にシャンヌは絶句する。肥満した男は馬車の御者に頷き、馬車は再び動き出す。
「······心は違います」
縄に引っ張られ歩く男の背中に、下を向いていたシャンヌは小さく呟いた。そして、顔を上げ迷いの無い瞳を青い髪の男に向ける。
「貴方の言う通りかもしれません。でも。心は。心は違います。人の心は誰にも支配出来ない! 縛れない! 自由であるべきなんです! 今の貴方はその心の自由も捨てようとしている! それは駄目です! それでは、生きている人間とは言えません。死んでいるのと同じです!!」
シャンヌは魂を込めて心の内にある思いを吐き出した。だが、返って来たのは冷めきった声だった。
「······こんな争いしか無い世界に、君の言う自由な心を持つ価値があるのかい? 僕は断言出来る。そんな価値は銅貨一枚の価値すらないよ」
気づいた時、シャンヌは駆け出していた。青色の髪の男の肩を掴み、力任せに振り向かせる。
「なら。それなら! 私がこの世界を変えます! 変えて見せます!!」
揺れる瞳のシャンヌと虚ろな男の視線が交錯する。その時、馬車の荷台にいた肥満した男が絶叫する。
「ば、化け物!!」
地面を這いずりながら馬車に近づく者がいた。人の物と思われるその首は、蛇の胴体の様に長く伸びていた。
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