第22話 大食い大会と給仕
「ほう? これは可愛らしい挑戦者だな」
空き皿が積まれた長テーブルの前の席に、足を組みながら悠然と座る魔族の大男がシャンヌを見て笑った。
フードで頭を隠したシャンヌは、注意深く大男を観察する。肩の下までの長さの茶色い髪を後ろで束ね、顔つきは精悍その物。
鎧は身につけていなかったが、シャンヌはこの大男を戦士だとすぐ見抜いた。身長は二メートル近くあると思われ、年齢は三十代前後に見えた。
「よし。娘。ルールを説明するぞ」
白い帽子を被りエプロンを着けた食堂の店主が、シャンヌから参加料を受け取り大男の隣に座らせる。
この大会はどれだけ料理の皿を完食したかを争う。余裕の表情の大男は七枚の空き皿を重ねていた。
シャンヌがこの大男に挑戦するには、先ずシャンヌ自身が大男と同じ量を完食しなくてはならなかった。
「分かりました。料理をお願いします!」
シャンヌが元気よく答えた瞬間、大食い大会を見物していた客達から拍手が沸き起こった。
「おお! 威勢がいいなあの娘!」
「頑張れよ! 応援してやる!」
魔族の街で魔族達に応援される事になったシャンヌは、何とも不思議な気分だった。シャンヌの知識では、人間と魔族の歴史は対立の歴史だった。
だがシャンヌの視界に映る見物客達の顔は、一日の仕事を終えた労働達の顔だった。それはシャンヌが育った村の人々の顔と何も変わらない物だった。
少女のそんな思考と意識は、嗅覚を刺激する湯気で直ぐ様現実に舞い戻った。シャンヌの目の前に置かれた皿には、肉とジャガイモを甘辛く炒めた料理が盛られていた。
シャンヌの胃袋が空腹だった事を思い出し、少女の口の中は唾液が溢れてくる。
「頂きます!」
シャンヌは両手を合わせ、右手にフォークを持ち出来立ての料理を食して行く。その光景をメルアとジオリは空腹感を覚えながら不安気に見つめていた。
シャンヌは次々と料理を完食し、隣に座る大男の記録の七枚に並んだ。大男は不敵な笑いを見せ、二人の前には八枚目の皿が置かれ勝負が始まった。
空き皿の枚数は徐々に増え、お互い十ニ皿目の時に異変は起きた。シャンヌは突然口元を手で抑えた。
逆流しようとした咀嚼物を無理やり押し込み、シャンヌは自分の胃袋の限界を悟る。一方、茶色い髪の魔族は順調に料理を口に運びまだ余力がある様に見えた。
シャンヌはメルアとジオリの為に脂汗を流しながら十二皿目を完食したが、十三皿目を目の前に置かれた瞬間、両手で口を押さえ身動き一つ出来なくなった。
「そこ迄だ。勝者は誰か言う必要は無いな」
店の店主の宣言に、観衆からはシャンヌの健闘を称える声が上がった。シャンヌは椅子から立ち上がる事が出来ず、俯きながら大粒の涙を流す。
「シャンヌ殿。どうか落ち込まないで下さい」
「そうだよ。お姉ちゃんは頑張ったよ。気にしないで」
ジオリとメルアがシャンヌを慰める。だが、シャンヌは「ごめんなさい」と繰り返すばかりだった。
「娘。この賞金がそれ程欲しかったのか?」
他に挑戦者が現れず、賞金を受け取った魔族の大男がシャンヌに声をかけてきた。シャンヌは答える余裕も無く項垂れていた。
「金が必要だったら仕事はあるぞ。付いて来い」
大男はそう言うと、街の北門に向かって歩き出した。シャンヌの表情に突然生気が戻り、大男の背中を急いで追う。メルアとジオリを互いに顔を合わせてから少女の後を追う。
北門を出て暫く歩くと、暗闇の中に幾つもの篝火が見えた。それは、軍の野営地だった。
「······これは?」
シャンヌが驚きながら幾つあるか分からないテントを見回す。大男が大股で歩く度に、周囲の兵士達が慌てて敬礼する。
大男に誘われ、シャンヌ達は警備兵が配置された一際大きいテントの中に入った。
「俺の名はカイザック。このアプレン国の国王だ」
カイザックと名乗った大男の自己紹介に、シャンヌ一行は漏れなく驚愕の表情になる。
「国王と言っても小国の王だ。そうかしこまらなくても良い」
カイザックは表情を緩めシャンヌ達に地図を見せる。現在カイザックは軍を率い、作戦行動中だと言う。
隣国のハイザン国が小国であるアプレン国を併呑しようと侵攻しており、カイザックはその迎撃の為に出向いていた。
「ハイザン軍はここから馬で一日半の距離にいる。娘。仕事とはハイザック軍の偵察だ。上手くやればさっきの賞金を全てやろう」
カイザックは先程獲得した賞金が入った袋を机の上に無造作に置いた。小国の王は、余興で参加した大会の賞金など興味が無さそうだった。
だが、その賞金はシャンヌ達にとって喉から手が出る程欲しい物だった。
「······何故ですか? 見ず知らずの私にそんな仕事を?」
シャンヌの質問に、賞金が入った袋を凝視していたメルアとジオリは我に返り互いに顔を合わせる。確かにシャンヌの言う通りだった。
「娘。お前は路銀欲しさに大会に出たのだろう? そして俺に負けた時のあの涙。連れの老人と子供の為に流した涙だろう。正直な奴は信用出来る。後は人間の娘なら奴等もまさか俺達の軍の者とは思わんだろう」
カイザックの言葉にシャンヌは咄嗟にフードを掴む。耳は隠れており、何故カイザックはシャンヌが人間だと見抜いたのか赤毛の少女はまるで理由が分からなかった。
「俺は鼻が効いてな。まあ特技の一つだ。生娘と人間の匂いは一発で分かる」
カイザックは人の悪い笑顔でシャンヌを赤面させる。赤毛の少女は一呼吸置いて慎重に答える。
「······カイザックさん。有り難いお話ですが、お断りさせて頂きます」
シャンヌがそう言った瞬間、メルアとジオリの我慢していた腹の虫が同時に鳴り出した。
「娘。何故だ?」
「······私は争いの果ての惨禍を骨身に染みて知っています。その争いの一端を担う仕事は出来ません」
「娘。お前は人間だろう。魔族同士の争いであってもか?」
「魔族も人間も関係ありません。命は命。同じ尊い物です」
静かに。だが強固な意思をカイザックは赤毛の少女から感じた。小国の王は気分を害した素振りを見せず不敵に笑った。
「······良かろう。だが、我々の作戦行動を知ったお前達をこのまま帰す訳には行かんな」
カイザックの低い声に、メルアは不吉な予感しかしなかった。
カイザック率いるアプレン軍の野営地の一角で、何機もの窯から勢い良く煙が上っていた。
「何をしている! 早く野菜を切って鍋にぶち込め!」
「は、はい!」
仮設調理場で、エプロンをつけた給仕長からシャンヌは怒鳴られていた。アプレン軍の情報を知ってしまったシャンヌ達は、一晩この野営地に留まる事をカイザックから言い渡された。
五千の軍に三人で対抗出来る筈も無く、シャンヌ達はカイザックの言う通りにするしか無かった。
一晩留まるついでに、シャンヌ達は兵士達の夕食の手伝いを申しつけられた。これまたメルアとジオリが賄いにありつけると言う理由で断われなかった。
シャンヌは手に握った包丁で一心不乱に大量の野菜を切り大鍋に入れて行く。メルアは慣れない手付きでお盆に乗せた料理を運び、ジオリは曲がった腰で洗い物を担当する。
地面に座りながら料理を食べる兵士達からは、各所で笑い声が起きていた。料理の合間に、シャンヌはその光景を不思議な気分で見ていた。
『······明日戦争をするのに。この魔族の人達は何て陽気なんだろう』
大鍋のスープの味見をしていた時、シャンヌはその理由に気づいた。
『そうか。美味しい夕食を食べているからだわ』
シャンヌはかつて家族と過ごした食事の時間を思い出していた。一日の終わりを温かい夕食で締めくくる。そこには、いつも家族の笑顔があった。
『······同じだわ。人間も魔族も。親しい人と食事を採り笑顔になる。何も変わらない』
目が回る様な忙しさの中で、赤毛の少女はそんな事を考えていた。
翌朝、テントの中で泥の様に眠っていたシャンヌ達は、けたたましい馬や兵士の声で飛び起きた。
テントを出ると、周囲の兵士達は既に行軍を開始していた。
「起きたか。娘」
馬に乗ったカイザックが寝ぼけ眼のシャンヌの前に颯爽と現れた。昨晩の平服とはうって変わり、アプレン国の紋章が刻まれた鎧を身につけていた。
「昨晩はご苦労だったな。正当な対価だ。受け取れ」
カイザックは手に持った袋をシャンヌに投げる。少女が慌てて受け取った袋には、大食い大会の賞金がそのまま入っていた。
「このテントも旅に使うといい。良き旅になると良いな」
カイザックは微笑みながらそう言うと、馬を前方に走らせる。
「カ、カイザックさん! ありがとうございました!」
シャンヌの感謝を込めた精一杯の声に、カイザックは前を向いたまま右手を軽く上げていた。
三ヶ月前に小国アプレン国に登極したばかりのカイザックは、侵攻してくるハイザン軍を撃破し、急激に勢力を拡大していく事になるのだった。
その第一歩の場面に遭遇した事など、この時の赤毛の少女には知る由も無かった。
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