第20話 天界軍が去った街で

 カリフェースを襲った天界軍は全軍撤退した。戦いの後、鉾を交えた両陣営で戦いの分析がそれぞれ行われた。


 天界軍二百隻を数える軍船の兵器。帆先から放たれた光の柱を全艦が同時に放っていれば、カリフェースの街は全滅していた点について両軍の意見は一致していた。


 天界軍総指揮官オットイ二等区中将は、数発の光の柱をカリフェースの街に落とした。地上の民に天界軍の力を見せつけ、後に降伏勧告をするつもりだった。


 だが、降伏勧告する為に地上に降下しようとした使者は、チロルによって問答無用で斬り捨てられた。


 そしてチロルの古代呪文「天空の雷撃」によって天界軍は大混乱に陥る。そして雷撃を避ける為に艦隊を地上に降下させて撤退に至る迄、天界軍は軍船の兵器を使う事を失念していた。


 その事実が天界軍混乱を極めていた事を如実に現していた。そして天界軍が被害を出しながらも撤退出来たのは、殿を申し出た火の精霊一族の功績であり、それを疑う者は居なかった。


 ましてその火の精霊一族当主が戦死したとあっては、六大一族を忌み嫌う軍部もその死を悼むしかなかった。


 白髪の少年アキラスは、甚大な被害を被ったカリフェースの街を彷徨っていた。アキラスは父を探していた。


 父に母の死を伝えねばならない。それが、悲しみに暮れる少年の両足を突き動かす唯一の原動力となっていた。


 何人かの聖騎士団の騎士に手がかりを聞き、アキラスは大通りの途中で父と再開を果たした。


 だが、父の身体な既に冷たくなっていた。安らかに眠る様に倒れている父の周囲には、アキラスの見知っている人々が居た。


 一人は紅茶色の髪の王。アキラスの父が仕えていたこのカリフェースの王だ。もう一人は短髪黒髪の大男。よくアキラスの家に酒瓶片手に訪問して来る父の友人ボネット。


 面長の顔に癖毛の男はワトラン。父の副官だ。カリフェースが誇る猛将、ブリツアードとラルフロットの姿も在った。


 皆横たわっているアキラスの父を見つめながら悄然としていた。


 一人だけアキラスが知らない顔がいた。腰までの長い銀髪の女。その顔は若く美しかった。


「······アキラス。アキラス」


 ヨハスの副官だったワトランは、涙を流しながらアキラスの身体を抱きしめる。


「······アキラス。お前の父上は。ヨハス殿は自らの命を散らしウェンデル様を。このカリフェースを救ったのだ」


 母の死で感情の起伏が飽和状態のアキラスは、頭では分かっていても父の死を実感出来なかった。


 主君とカリフェースの街を同時に救った。この比類無い武勲と栄誉は、間違いなくカリフェースが存在する限り永遠に語り継がれる伝説になる筈だった。


 だが、どんな栄誉も。名誉も。今のアキラスの心には何も響かなかった。アキラスは父の前で崩れ落ちる様に座り込む。


「······父さん。母さんが。母さんが死んだんだ。落ちてきた船の下敷きになって。何で? 何でこんな事になったの? 何で母さんは死んだの? 何で?」


 もう枯れ果てた筈の涙が再びアキラスの頬を濡らし、少年は嗚咽を漏らす。その時、銀髪の美しい女が膝を降りアキラスの瞳を見つめる。


「······船を落としたのは私です。貴方の母を殺したのは私です」


 チロルは淡々と事実を少年に伝える。その瞬間、アキラスは何処にもぶつけ様が無かった両親の理不尽な死への怒りが沸々と湧いて来た。


「······何で!? 何でそんな事をしたんだよ!! あんな船を街に落としたらどうなるか分かるだろう!!」


 アキラスはチロルの胸ぐらを掴み絶叫する。チロルは相変わらず無感情な声を返す。


「街の被害を最小限にする為でした。理由はそれ以上でも以下でもありません」


「ふざけるなよ! そんな理由で納得出来るもんか!! 返せよ! 母さんを僕に返せよ!!」


「止めろアキラス! この銀髪の君がいなければ、このカリフェースの街は全滅していたかもしれんのだぞ!!」


 激昂しチロルを押し倒す勢いのアキラスの身体を、ワトランが背中から必死に押える。そのアキラスの頬を叩く者がいた。


「······坊主。お前の父親が目の前で眠っているんだ。余り騒がしくするな」


 アキラスは自分を叩いた者の顔を見る。そこには、アキラスが知っているいつも酒に酔っているボネットでは無く、まるで別人の男が立っていた。


 眉間に深いシワを寄せ、額の血管が浮き出ていた。それは、獣の様な怒りの表情だった。微かにボネットの肩が震えているのを、ブリツアードは目撃していた。


「殺してやる! 父さんと母さんを殺した天界人達を一人残らず殺してやる!!」


 アキラスは拳を地面に叩きつけながら絶叫する。それは、十五歳の子供が強制的に少年時代からの脱皮を余儀なくされた瞬間だった。


 

 


 カリフェースと魔族の国々の国境線にある森の中。チロルは根城にしている小屋に戻っていた。


 時間が経過する度に、チロルの中で喪失感が徐々に大きくなって行った。その埋めようの無い心の空洞の理由は明確だった。


 いつも自分を理解し、支え、守って来てくれたラストルの存在がチロルの心の中の空洞を拡大させていく。


 鬱屈とした気分で小屋の扉を開くと、一人の男がチロルを出迎えた。その男は黒い前髪を切り揃え、大きな顔と突き出た腹は見る者に肥満している印象を与えた。


 商人の様な装いで背丈も低く、年齢は四十歳前後に見えた。


「よお。帰ったかチロル。テーブルにブレットの書き置きがあったぞ」


 男は陽気な声を出し、太い指で掴んだ一枚の紙をチロルに渡す。男はチロルが率いる組織「猫の手も借りたい」の一員であり、一月に一度の定期連絡の為に小屋を訪れていた。

 

 男の渡してきたその手紙には、シャンヌが四つ目一族であるメルアを連れ出した事。


 そしてブレットがアサシルと共にシャンヌを追うと記されていた。チロルは無表情のまま手紙を読み、そして小太りな男に視線を移し男の名を呼ぶ。


「ロカポカ。直ぐに組織の者を全て集めて」


 チロルのその言葉に、ロカポカと呼ばれた男は厚い唇を開き一瞬だけ呆けた表情をした。


「全てか? そいつは一大事だな。どこかの国と戦争でもおっぱじめるのか?」


 ロカポカは大仰におどける。この小太りな商人に見える男があらゆる情報に通じ、組織の者達の居場所を把握している事をチロルは知っていた。


「そうよ。相手は天界軍」


 ロカポカはチロルが口にした固有名詞を瞬時に理解出来ず、口を開けたまま首を傾げる。


「······天界が何だって?」


「滅ぼすのよ。天界を」


 ロカポカが唯一理解出来たのは、今迄見た覚えが無いチロルの冷徹な両目だった。目だけでは無く、全身から放たれる強い殺気をロカポカは感じ取っていた。


 チロルの中にあったこの世の全てを破壊したいと言う強い衝動。ラストルを奪われ、その内にあった脆い防波堤が崩れて行く事に、チロル自身が気付いていなかった。


「奴等を皆殺しにしてやる」


 かつてアサシルが予見した事態が、現実の物となろうとしていた。

 


 


 


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