第17話 選択

 チロルは船の床に大穴を開け、内部に入り込み光の剣を使い壁を破壊しながらメルセラムの立つ方向へ一直線に進んだ。


 そして再び床を突き破り、メルセラムの背後に姿を現した銀髪の君は、必殺の一撃を風の精霊一族当主の首元に叩き込んだ。


 だが、チロルの剣はメルセラムの細い首を切断する事なく停止していた。


「······これは? 水?」


 チロルは自分の一刀を阻んだ物を注意深く観察する。それは、剣士が使用する大盾の大きさ程の薄い水の固まりだった。


「水を高密度に収束させた壁だ。どんな刃でもそれを破るのは不可能だ」


 そう呟いたカセンドラの身体の周囲を囲うように、細い水柱がゆっくりと螺旋状に流れていた。


「水の精霊使いさん。それが貴方の力ですか。なら、これはどうですか?」


 挑発的と表現するには余りにも淡々とした口調に、カセンドラは僅かに眉を動かした。その瞬間、チロルの剣の刀身が光り輝く。


 細目の天界人ヘンメルがその光景を見たら間違い無く「またあの光の剣か」と驚いていたが、当の本人は意識も無く床の上で気を失っていた。


 チロルの光の剣は、どんな刃も通さない筈の水の盾をいとも容易く切断する。メルセラムは必死の形相でそれを避ける。


 ザンッ。


 総指揮官を失い、既に天界軍の旗艦として機能していな船の中で小さな切断音が聞こえた。四散した水の雫と白髪の髪が大量に舞う。


 床に腰を着けたままのメルセラムは、冷たい汗を額から流しながら自分の首の代わりに斬られた髪の毛を呆然と眺めていた。


「······信じられないわ。地上の民がこんな力を持っているなんて」


 腰までの長さだったメルセラムの白髪は、肩までの短かさになっていた。驚嘆の声を漏らす風の精霊一族当主を、チロルは冷たい両目で見下ろす。


「私は数百年に一人生まれると言われる勇者の金の卵です。卵は既に割れ鋭意成長中ですが。他の人間が私と同じと言う訳ではありません」


「······数百年に一人? 勇者の金の卵?」


 チロルの説明にメルセラムの動揺は更に大きくなる。その時、カセンドラの身体を囲う水が急激に流れが激しくなった。


「······メルセラム。歴史を間違えるな。我々天界人にとっての最大の天敵は四つ目一族だ。人間では無い」


 カセンドラがそう言うと、水は九つに枝分かれし全てがチロルに向けられる。


「最上位精霊「九頭海蛇」」


 水の精霊一族当主が手のひらを差し出した瞬間、九つの水柱は一斉にチロルに伸びて行く。その水柱一つ一つの先端が蛇の頭の様な形状に変化して行く。


 チロルは左手を伸ばし火炎の呪文を唱える。巨大な火の塊は九つの水蛇を一瞬で蒸発させた。


 だが、水蒸気は直ぐにまた九つの水蛇に変わる。


「無駄だ「九頭水蛇」は大気に水が満ちている限り永遠に復活する」


 カセンドラの乾いた声とは対照的に、水気に潤った九つの水蛇は水飛沫を飛ばしながらチロルに襲いかかる。


「チロル!!」


 ラストルが「九頭水蛇」とチロルの間に割って入り、九つの水蛇に向かって氷結の呪文を唱える。


 ラストルの左手から猛吹雪が発生し、海蛇達は次々と凍結して行く。季節外れの吹雪はそのままカセンドラの身体を覆い尽くそうとした。


 だが、水の精霊一族当主の前に巨大な水の盾が発生し吹雪を相殺する。


「動かないで。ラストル。チロルが死ぬ事になるわよ」


 背後からのメルセラムの声に、ラストルは振り返る。そこには、チロルの後ろに立つ風の精霊一族当主の姿があった。


「チロルの首に「風の戒め」をはめさせて貰ったわ。少しでも抵抗すれば、チロルの首は切断されるわ。薄い紙よりも脆くね」


 チロルの首の周りを小さな風が回転していた。それは風の枷であり、メルセラムの意思一つでチロルの首はその枷によって切断されると風の一族当主は説明する。


 甘い恋を語っていた先刻までのメルセラムとはうって変わり、その声は冷酷その物だった。


「······何が望みだ? メルセラム」


 ラストルは頬に汗を流しながらメルセラムを睨みつける。単純にメルセラムがチロルを殺すつもりならとっくに実行している筈だった。


 そうしなかった以上、まだ相手と交渉の余地はあるとラストルは望みを捨てなかった。すると、メルセラムは微笑んだ。


「さっきも言ったでしょう? ラストル。私と一緒に天界に来て頂戴。私達はそこで結ばれるの。これは誰にも邪魔出来ない運命よ」


 メルセラムの喜々としたその言葉は、ラストルには世迷言にしか聞こえなかった。だが、チロルの命が懸かっている以上、紺色の髪の勇者に選択の余地は無かった。


「······分かった。一緒に行こう。その変わりチロルのその枷を外すのが条件だ」


 ラストルの重苦しそうな声に、メルセラムは花が開いたような笑顔を見せる。だが、人質の筈の銀髪の君は平然とメルセラムに剣を振り上げる。


「話を聞いていなかったの!? チロル! 今貴方の命は私が握っているのよ!」


「ラストルは渡さない。どちらの首が早く落ちるか。競争しましょうか? メルセラム」


「剣を引くんだ! チロル!!」


 メルセラム。チロル。そしてラストル。二人の深刻な声と一人の冷静な声が交錯する。その時、氷の殻を破った九つの水蛇がしなるような動きでチロルとラストルを包囲する。


 ラストルは主人の命令を待ち待機している「九頭海蛇」を見ながら、状況は一刻の猶予も無い事を思い知らされる。


「······聞いてくれ。チロル。僕はメルセラムと一緒に天界に行く。彼等天界人を知る為だ。これは誰かがやらなくてはならない事なんだ」


 ラストルはチロルの前に立ち、両手をチロルの肩に乗せ銀髪の君の大きな瞳を見つめる。


「駄目よ。ラストル。貴方はどこにも行かせない。誰にも渡さない」


 自分の命すら簡単に天秤に乗せようとしたチロルの態度が急変した。溢れそうな大きな瞳は揺れ、その言葉は感情的になっていた。


 その為、ラストルが微かに唇を動かしている事にチロルは気付かなかった。チロルの右手に握られていた長剣が床に落ちる音が響く。


 そしてチロルの身体は突然崩れ落ちる。ラストルは意識を失ったチロルの身体を優しく抱きしめる。


 集中力を途切れさせていたチロルは、突然のラストルの眠りの魔法になす術なくかかってしまった。


「······ごめん。チロル」


 ラストルは両目を閉じたチロルの頬に口づけをして別れを告げた。そしてチロルを床に寝かせると、カセンドラを目で牽制しメルセラムに顔を向ける。


「······約束だ。メルセラム。僕は君と一緒に行く。その代わりにチロルの枷を解くんだ」


 メルセラムは嬉しそうに頷き、チロルの首から「風の枷」を消し去った。その刹那、今度はラストルの首に「風の枷」が嵌められた。


「ごめんなさい。ラストル。貴方を信用していない訳では無いの。でも、捕虜と言う形でないと、向こうで色々と厄介なの」


 メルセラムはさも悲しそうな顔でラストルを見つめる。だが、一刻も早くラストルと一緒に天界に帰りたいと言う逸った感情を抑えきれない様子だった。


「構わない。地上で交戦中の天界軍はどうなるんだい?」


「あれは私達六大一族とは別の指揮系統だ。私達の命令には従わない」


 ラストルの質問に答えたのはカセンドラだった「九頭海蛇」を解除させる。海蛇が消えた際に発生した霧雨が船内に舞い散る。


「······最後にもう一つ。この浮いている船はどうなる?」


 船の帆が折られ、大穴が至る所に空いた天界軍旗艦を眺めながらラストルは質問する。


「操舵手もその他の兵も全滅しているようだが動力室は健在だ。心配には及ばない。ゆっくりと地上に着地する様に調整しよう」


 カセンドラはそう言うと、船の操舵輪の脇にある伝声管に指示を出す。すると、空に浮遊していた船はゆっくりと降下し始めた。


「武器は置いていけ。地上の民よ」


 カセンドラの言葉にラストルは頷く。魔法石が散りばめられた愛用の剣をラストルは床に置いた。


 メルセラムがラストルの背後から嬉しそうに抱きつき、背中の羽を使って空に浮かぶ。


「さあ。私の船に来て。ラストル。一緒に天界に行きましょう」


 メルセラムに続いてカセンドラも空を飛ぶ。ラストルは最後に床に横たわったチロルの顔を見た。


 それは、チロルが戦いの時に常に見せる冷酷な表情とは対極にある無邪気な寝顔だった。ラストルはせめてこの一時だけは、チロルに幸せな夢を見ていて欲しいと願っていた。


 


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