第16話 風の精霊一族。水の精霊一族

 女は身体の周囲に緩やかな風を纏っていた。背中の羽は畳んでおり、その風に身を任せ女は階段を降りる様な仕草を見せた。


 だが、女の足元には階段は存在せず、何も無い空間を女は降りていった。目に見えない空中階段から甲板に細い両足を着けた女は、チロルに向かって微笑む。


「初めまして。地上の民よ。私の名はメルセラム。風の精霊一族の当主よ。こんな血生臭い場面で初めて異界の民に会うなんて残念だわ」


 至る所に倒れているの血塗れの天界兵達を一瞥し、女は両手でドレスの裾を持ち、腰をかがめチロルに挨拶をする。


「あら。地上の娘さん。貴方のその革の鎧。随分と傷んでいるわね。そろそろ新調した方がいいんじゃない?」


 チロルのボロボロの革の鎧を眺めながら、メルセラムは眉をしかめてそう呟いた。


「物は長く使うほど味わいが出ます。最後の最後まで物は使い倒せ。私の師匠の言葉です」


「そ、そう。貴方の師匠は物を大事にする方だったのね」


 チロルの言葉に、メルセラムは苦笑いを返す。


「······私の名はチロルです。天界人さん。今貴方は背中の羽を使わず飛んでいました。風の呪文とも少し違う。それは、精霊の力ですか?」


 ヘンメルの喉元に剣を突きつけたまま、チロルは白髪の若い娘に質問する。メルセラムは両手を口に当て驚く。


「まあ。この地上では精霊は忘れられた存在と聞いていたのだけれど。地上の民の口から精霊の言葉が出るなんて感動だわ。チロル。貴方は精霊に詳しいの?」


「詳しくはありませんが、精霊を操る者と戦った事があります」


 チロルの乾いた口調の返答に、再びメルセラムは平静を崩される。


「······本当に? 本当なのチロル? 地上の民に精霊を操る者なんて存在するの?」


「本当だよ。希少な数だけど、人間にも精霊を操る者がいた」


 メルセラムの再度の問いに答えたのは、天界兵の返り血で服を赤く染めていたラストルだった。

 

 白髪の美女は顔を横に向け返答者を見る。その瞬間、メルセラムの表情が固まった。


「······信じられない。なんて。なんて綺麗な色をしているの」


 メルセラムは震えた声でラストルを見つめながらそう嘆息した。紺色の髪の勇者は困惑の表情を浮かべる。


「······メルセラムは人の心の色が分かるのだ」


 乾いたその声の主を、チロルとラストルは瞬時に見る。白い礼服を来た水色の髪の男が船端に立っていた。


「······私の名はカセンドラ。水の精霊一族の当主だ。どうやらその紺色の髪の若者は、メルセラムに気に入られたようだな」


 カセンドラは生気の欠けた視線をラストルに向ける。一方、メルセラムは顔を上気させ、両手を頬に当てラストルを見つめる。


「······人の心がここまで澄んだ色をするなんて。初めてだわ。初めてこんな清らかな心の色をした人を見た。教えて。貴方の名前を教えて!」


「······ラストル」


 メルセラムの情熱的な問いに、ラストルは警戒心を解かず答えた。この白髪の精霊使いがこちらを油断させる為の演技だと紺色の髪の勇者は踏んでいた。


「······ラストル。素敵な名前。心の澄んだ貴方にぴったりの名前だわ。ラストル。ねえラストル。私と天界に一緒に行きましょう。そこで二人で暮らすの。大丈夫よ。私達なら、天界人と地上の人間という障害もきっと越えられるわ」


「······何を言っているんだ? 君は」


 メルセラムのまくし立てるような誘いに、ラストルはこの白髪の女から異様な雰囲気を感じていた。


「······メルセラムは思い込みの激しい気性でな。こうなったら、もう誰にも止められん」


 カセンドラの抑揚の無い声がラストルの不安を増大させる。その様子を眺めながら、ヘンメルはチロルに忠告する。


「······銀髪の娘よ。先程も言ったが命が惜しかったら早く逃げろ。あの二人の当主は、天界でも特別な存在だ」


「特別とは?」


 チロルの素っ気ない質問に、ヘンメルは咳払いをして声を荒げる。


「いいか。これも先程言ったが、天界は最下層の九等区から最上位の一等区に分けられ、厳格な身分制度が存在する。だが、あの当主達六大一族は、その身分制度の枠から外れた特別な一族なんだ。その力は、お前達地上の民の想像の外だぞ」


 チロルは懇切丁寧に説明してくれたヘンメルの頭部を剣の柄で殴打した。細目の天界人は、何をされたのか理解出来ないまま昏倒した。 


「細目の天界人さん。貴方には後で色々教えて貰います。今は大人しく眠っていて下さい」


 チロルはそう言うと、ゆっくりと歩き出し

ラストルの前に立った。


「天界の精霊使いさん。いえ。メルセラム。ラストルは何処にも行きません。貴方は天界に去るか。ここで死ぬか。好きな方を選んで下さい」


 チロルは冷たい両目でメルセラムを睨みつける。その瞬間、白髪の美女は恋する乙女の表情から怒りの顔に一変する。


「······チロル。貴方邪魔するの? 私とラストルの仲を邪魔するのね? なら容赦はしないわ。私は愛する人を必ず手に入れる!!」


 叫んだメルセラムの身体の周囲に、強烈な風が巻き起こって来た。


「最上位精霊!!「風の執行官」」


 メルセラムが細い両手を頭の上で交差させる。その瞬間、天界軍旗艦の帆は真っ二つに折れる。


 凄まじ風が船内に吹き荒れ、多くの天界兵達が船外に飛ばされた。ラストルとチロルは姿勢を低く保ち、剣先を床に差し身体を固定する。


「······あれは何だ?」


 ラストルは暴風の中で辛うじて薄目を開けメルセラムを見る。風の一族当主の頭上には旋風が重なり、人の形の様に見えた。


「最上位精霊? 上位精霊より格上と言う事ですか?」


 荒れ狂う風にドレスの裾を激しく揺らすメルセラムにチロルは質問する。


「そうよ。チロル。精霊には下位、中位、上位と三つの階級があるの。私のこの「風の執行官」は上位精霊より更に上の最上位精霊よ」


 メルセラムは乱れる長い白髪の隙間から鋭い視線をチロルに向ける。そして口の端を吊り上げ笑う。


「チロル。貴方のさっきの言葉を借りるわ。この「風の執行官」の風の刃に八つ裂きにされるか。風の圧力で圧死するか。好きな方を選びなさい」


 白髪の美女と銀髪の君の視線が交錯する。


「分かりました。メルセラム。貴方を殺します」


 言い終えた瞬間、チロルは床を蹴りメルセラムに向かって一直線に突進する。風の執行官は旋風の右手をチロルに向かって伸ばす。


 チロルはそれを横に避けようとしたが、風の執行官の腕の旋風が縄が解けた様に広がる。


「チロル!!」


 ラストルが蒼白な表情で叫ぶ。チロルの身体は風の執行官の旋風の中に包まれ、激しく揺さぶられる。


「······なる程。これは一度捕まったら最後ね」


 チロルは時計周りに飛ばされながら、自分の身体が船の甲板に近づく時を測っていた。そして床に最も近付いた時、左腕を伸ばし甲板に爆裂の呪文を唱える。


 船内に轟く炸裂音。チロルは爆風によって上昇し「風の執行官」からの戒めから脱した。


 そして間髪を入れず自分の身体に衝撃波の呪文を当て、大穴が空いた甲板の中に姿を消した。  


「ふふふ。チロル。船の中に逃げ込んだの? まるでネズミさんのようね。私の「風の執行官」からは逃げられないわよ」


 メルセラムが楽しげに指をリズム良く動かす。すると「風の執行官」は旋風の両腕を甲板に突き刺して行く。


 その度に床は吹き飛び、木片が周囲に散乱する。


「うふふ。まるでモグラ叩きね。さあ。出ていらっしゃい。地上の民のモグラさん」


 メルセラムは両目を細め、妖しい笑みでチロルを挑発する。その時、メルセラムの背後から床を突き破る音が聞こえた。


 メルセラムは咄嗟に後ろを振り返る。地上の民のモグラは、手にした剣を風の精霊一族当主の首元に振り下ろした。


 

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