第14話 背に羽を生やした者達

 天界軍艦隊の旗艦で、人間の娘と天界人の男が視線を交えていた。狐の如く細目の天界人は、チロルと距離を保ちつつ口を開く。


「俺の名はヘンメル。天界軍七等区一等兵だ。以後お見知りおきを。地上の娘よ」


 ヘンメルと名乗った細目の男は、自己紹介しながら天候が変化しつつある事に気付いていた。


 先程まで穏やかな晴天だった空に、雷雲のような雲が現れ始めていた。


「私はチロルです。三等だの七等だの、天界人は数字分けを好むのですか?」


「ああ。天界は厳格な身分制度が敷かれていてな。最下層の九等区から最上位の一等区まである。オットイ様は二等区ご出身の身分の高い御方だ。俺は七等区出のしがない一平卒と言う訳だ」


「貴方の後ろに立つその指揮官は二等区出身。だから肩書きもニ等区中将。と言う事ですか?」


「物分りがいいな。地上の娘。そうだ。オットイ様は二等区の中で十人しかいない最高位の御方だ」


「ヘンメル! 敵に我らの情報を軽々しく口にするな!!」


 チロルとヘンメルの会話は、天界軍指揮官オットイの怒声によって中断された。細目の天界人は小さくため息をつき、凄まじい速度でチロルの間合いに侵入する。


 チロルは表情を変えずにヘンメルの斬撃を迎え討つ。二人の剣が激しく火花を散らす。


「どう見ても貴方の方が指揮官より剣の技量は上ですね。どうして指揮官が貴方では無いのですか?」


 チロルは姿勢を低くし、鋭い突きを三連続で繰り出す。


「先程説明した通りだ。どれ程才能があろうと、出身区以上の出世は望めん。俺はオットイ様の護衛止まりだ。地上も同じ様な物だろう? 銀髪の娘よ」


 ヘンメルはチロルの突きを全て受け流す。そして会話の合間にチロルの唇が僅かに動いている事に細目の天界人は気付く。


 空は刻一刻と雷雲の色が濃くなって来た。ヘンメルは天候の激変とチロルの呟きが何か関係があるのでは無いか。そんな疑念を感じ始めた。


「地上は違います。才幹さえあれば、平民から皇帝に登り詰める事も可能です。現状はと言うと、簡単に言うと弱肉強食の世界です」


 チロルは腰をかがめ、長い脚を繰り出しヘンメルの足元を払おうとする。ヘンメルはそれを後方に飛び回避する。


「······平民が皇帝になるだと?」


 ヘンメルは細い両目を見開き驚愕する。その時、オットイの怒号が船に響き渡る。


「ええい! 全ての船に命令を伝えろ! 地上を一斉攻撃せよと!!」


「はっ!!」


 オットイの指示に、伝令兵達が次々と船から飛び立とうとする。だが、その伝令兵達の羽がひしゃげ、身体が八つ裂きにされる。


「命令は出させない」


 ラストルは風の刃の呪文を唱え、この旗艦からの移動を許さなかった。呪文を唱える合間も、天界兵達を斬り伏せて行く。


「うぬう! 地上の民が使う魔法とやらか!」


 オットイが忌々しげにラストルの奮迅振りを睨みつける。天候の激変。チロルの口元の呟き。ヘンメルが次に気付いたのは、チロルの握る剣だった。


「······なんだ? 何故剣が光り輝く?」 


 ヘンメルはチロルの剣の刀身が白い輝きに包まれる光景に目を奪われた。チロルが無造作にその光の剣を振ると、光の刃は剣から放たれ

ヘンメルの頭部に迫った。


「ぬう!?」


 ヘンメルは反射的に首を反らせ光の刃を避ける。光の光線はヘンメルの左頬を切り裂き後方へ飛び去った。


 ザンッ。


 ヘンメルは背後に鈍い音を聞いた。左頬から血を流しながら、細目の天界人は後ろを見る。


 そこには、首を切断されたオットイの身体が在った。頭部を失ったその巨体は、安定さを失い膝から甲板の上に崩れ落ちた。


「······地上の娘よ。最初からオットイ様が狙いだったのか?」


 護衛すべき上官を失った細目の天界人は、血の気が失せた顔でチロルを見る。


「違います。貴方達二人同時に狙いました」


 平然と答えるチロルに、ヘンメルは質問を重ねる。


「······地上の娘よ。お前の先程からの何かの呟き。それは、この空の雷雲と何か関係があるのか?」


 ヘンメルの問いに、チロルは意外そうな表情を浮かべる。


「······貴方は勘が働く天界人の様ですね。でも、もう呪文の詠唱は終わりました」


「······何?」


 剣の技量。光る剣と飛ぶ刃。目の前に立つ美しい銀髪の娘は、ヘンメルの地上の民に対する想像を全て粉微塵に破壊していた。


「古代呪文「天空の雷撃」」


 全ての生物の生殺与奪を握った無慈悲な神の最後通告。チロルのその冷酷な詠唱を、ヘンメルは一瞬そう錯覚した。


 ヘンメル。否。艦隊に乗船する全ての天界人達は、空の雷雲が光り輝いた瞬間、視力を一瞬奪われた。


 そして次に天界人達に訪れたのは、鼓膜を突き刺す爆発音と船が揺れる振動だった。雷雲から放たれた荒れ狂う巨大な光の刃は、天界人の艦隊に次々と突き刺さって行く。


 ある天界人兵は、雷撃をまともに受け身体が蒸発した。ある天界人は、全壊した船から必死に脱出を試みたが、背中の羽が焦げ落ちていた為に、地上へと絶叫しながら落ちて行った。


 天空軍の艦隊は、突然の天変地異に阿鼻叫喚の様相を呈していた。二百隻を数えた天界軍の艦隊は、十隻をチロルとラストルの爆裂の呪文で破壊され、四十隻をチロルの「天空の雷撃」によって全壊、若しくは航行不能に陥った。


 大破した船は地上に向かって落下して行く。十数隻がカリフェースの街に落ち、家々をなぎ倒していった。


 突如として空に出現し、街に光の柱で攻撃を加える艦隊に、カリフェースの街の住人は恐慌状態に陥っていた。


 謎の侵略者から逃げる為に、ある母親と息子は無我夢中で走っていた。そこに、半壊した船が頭上から落ちてくる。


「アキラス!!」


 母親が息子の名を絶叫しながら我が子の背中を押した。息子は前方に倒れ、母親は落下して来た船に押し潰された。


「······母さん?」


 まだ十代半ばの白髪の少年は、粉塵が立ち込める視界の中で母の姿を探す。かつて船の形をしていた焦げた木の残骸の隙間から、血塗れの細い腕が見えた。


 その手の指には、少年がよく見知っていた指輪がはめられていた。それは、母がいつも身につけていた指輪だった。


「母さん! 母さん!!」


 少年は土埃だらけの頬に涙を流しながら、何度も母の名を叫んだ。その声は、次々に街に墜落して行く船の断末魔の轟音によってかき消された。 




「······銀髪の君は派手に暴れている様だな」


 カリフェースの街に墜落する船を見上げながら、馬上のヨハス聖騎士団長は半ば呆れた様な表情をしていた。

 

 あの軍船の舳先から放たれる光の柱を撃たせる前に船を撃墜させる。被害を最小限に抑える為のチロルの意図は、ヨハスにも伝わっていた。


 だが、街の中心地に次々と落下炎上する船の為に、カリフェースの街は甚大な被害を受けていた。


 ヨハスは街に住む妻と子が無事に避難している事を祈った。そしてヨハスは自分の考えに苦笑する。


「······私が信仰するオルギス神は我が王の身体の中におられる。私はウェンデル様に祈った方が正解なのかもしれんな」

 

 ヨハス率いる五千騎の聖騎士団は、迅速かつ整然と大聖堂の前に集結していた。ヨハスは厳しい表情をしたままその時を待った。


 今街に突入しても、住民を救護すべき聖騎士団が船の下敷きになる恐れがあった。チロルの雷撃によって、破壊された船が全ての落ちてからヨハスは行動を開始するつもりだった。


「どうした? ワトラン。浮かぬ顔をしておるぞ」


 ヨハスは騎乗しながら隣に控える副官のワトランに声をかける。


「······ヨハス聖騎士団長の判断は間違いありません。ですが、今正に燃えるている街を手をこまねいて眺めるのは心苦しく思います」


 黒く短い癖毛、そして面長の顔に悲痛な表情を見せワトランは歯ぎしりする。生真面目な副官にヨハスは一瞬だけ苦笑する。


「それよりもです。ウェンデル様は近衛兵も連れずにお一人で出陣されたとか。王にもしもの事があったら」


 ワラトンの落ち着かないその様子に、ヨハスは白い髭の下の口に笑みを浮かべた。


「心配は無用だ。あの御方には最強の護衛がついている」


 再び落下した船が街を破壊する轟音を、ヨハスはその耳に聞いていた。


「落ち着け! 取り乱すな! 全艦地上へ降下せよ!!」


 オットイ指揮官の副将であるマキラル三等区少将は、恐慌状態の味方に対し必死に指示を出す。


 このまま空に浮遊すれば、また雷雲の餌食になる事は火を見るよりも明らかだった。


 マキラルは伝令兵を各船に飛ばす。天界軍の副将は、上官であるオットイの船を見上げる。


「何故オットイ様は指示を出されぬ? 船も空に停止したままでは無いか」


 天界軍の総指揮官がチロルに討たれた事など、この時のマキラルには知る由もなかった。百五十隻余の艦隊は、カリフェースの王都に降下して行く。


 船からは天界兵達が続々と飛び出し、街に襲いかかって行く。


「なんだ? あの男。一人でこちらに向かって来るぞ」


 一人の天界兵が、地上すれすれで飛行しながら正面の大通りを闊歩する人間に気付いた。


「地上の民の最初の犠牲者か。運が悪かったな。さっさと逃げなかったのが災いしたな」


 百人の天界兵達は、手にした剣を一人の人間に向ける。その人間は、慌てる様子も無く腰から剣を抜いた。


「······なんだ? あの黄金の剣は?」


 天界兵がそう呟いた瞬間、その黄金の剣が光り輝き、十個の光の玉が地上に降り立つ。


「十英雄!!」


 紅茶色の髪の王は、ただ一言だけそう叫んだ。光の玉が十色の光を放ち弾けた瞬間、ウェンデルの前に十人の甲冑を纏った騎士が立ち並んだ。

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