第13話 天界軍侵攻

 カリフェースの王都は、王が政務を司る大聖堂を中心に建造物が放射状に伸びている。もし明かりが灯った夜の街並みを空から見下ろせば、その機能美に満ちた美しい街並みに見る者は言葉を失うと言われていた。


 だが、その美しい街並みの一角が一瞬の轟音と共に炎上していた。カリフェースは大国に於いて比類無き大国であり、それ故に敵国も多かった。


 今カリフェースの王都を傷付けたのは列強の敵国では無かった。それは、大聖堂の会議室に集まったカリフェースの中枢に座す者達が今正にその目で目撃する事になった。


 空に浮かんだ白い船の舳先には、両腕で自分の身体を抱く女神像の様な石像が鎮座していた。


 その女神像が輝いた瞬間、光の柱がカリフェースの街に降り注いだ。その瞬間、つい先刻耳にした轟音が再び轟く。


 チロルは会議室の窓を開き、窓枠に右足を起き後ろのウェンデルに振り返る。


「ウェンデル兄さん。行きます」


 銀髪の君のその言葉を、ウェンデルの配下達は瞬時に理解出来なかった。紅茶色の髪の若き王は、ただ黙って頷く。


 チロルは風の呪文で空に飛び立った。それをラストルが間髪を入れずチロルの後を追う。


「ブリツアード! ラルフロット! 直ちに兵を集めよ! ヨハス! 聖騎士団は街の負傷者の救護にあたれ! 私は一足先に戦場に赴く!」

 

「はっ!!」


 大軍を御するに不足無い通る声。その王の命に対し、臣下達は起立したまま返答する。そして直ぐ様会議室から駆け出して行く。


 跪く時間すら惜しみ命を即実行する。王がそれを望んでいる事を、臣下達は知っていた。


「テンショウ。モンブラ。テフラ。大聖堂を頼む」


 ウェンデルはそう言い残すと、会議室を後にした。秘書官テフラの日記には後にこう記されていた。


『王は甲冑も身に着けず。共も連れず。ただ一本の剣を腰に携え、ただ一人で戦場に向かわれた』


 ブリツアードとラルフロットは、肩を並べて長い廊下を走っていた。


「ラルフロットよ。何故ウェンデル様は我らより実績のあるヨハス殿に住人の救護を命令されたと思う?」


 ブリツアードは目にかかる赤い前髪を手で払いながら僚友に質問する。ヨハス聖騎士団長は、宰相テンショウと並びブリツアードとラルフロットの偉大な先輩であり、いずれ超えるべき高い壁でもあった。


「実績とウェンデル様の信頼があればこそであろう。単に敵と鉾を交えるだけなら俺とお主で事足りる。だが、柔軟かつ繊細な判断力が求められる戦災救護はヨハス殿でなくては務まらん」


 ラルフロットは鋭い両目を前に向けたままブリツアードに返答する。


「······お主の言う通りだな。では、せめて戦いで実績を見せなくてはな」


 ブリツアードはそう言うと、自分を待ち受ける戦場に意識を集中し始めた。


 カリフェースの街に三度目の爆発が起きた時、空飛ぶ船から人影が街に向けて降下して来た。その人影は、地上から高速で上昇するチロルとラストルの直線上にいた。


「ほう? 地上の民にも空を飛べる者がいるか。ロッドメン一族が生み出した魔法とやらか」


 背中に二つの羽を生やし、悠々と空を飛ぶ白銀色の甲冑を纏った男は、自分の足元に迫るチロルとラストルを見て不敵に笑った。


「よく聞け! 地上の民よ! 私は天界軍の使者である!! 我々の最後通告を良く聞······」


 天界人の使者と名乗った男は、最後までその言葉を発せられなかった。上昇したチロルとすれ違いざまに、その首を一瞬で斬られた。


「チロル! 使者を斬ってしまえば、戦いはもう止められない!」


 迷い無く使者を斬り捨てたチロルに対し、ラストルは諭すように声を上げた。


「心配ないわ。ラストル。敵はもう既に一線を越えている。野盗に必要なのは言葉では無く力よ」


 長い銀髪とマントを向かい風に乱しながら、チロルは断言した。チロルは一時的に風の呪文を解き、一隻の船に左腕を真っ直ぐに伸ばした。


 チロルが爆裂の呪文を唱えた瞬間、地上に光の柱を落とした船は閃光と共に爆発四散した。


「チロル! 破壊した船が落下すれば、街に大きな被害が出る!」


 炎上しながら地上に向けて落ちる船の残骸を見下ろしながら、ラストルは必死にチロルに叫ぶ。


「座して敵の攻撃を待てば、被害はもっと大きくなるわ」


 チロルは冷たい口調でそう言うと、再び風の呪文で次の標的に向かう。だが、破壊された船から脱出した天界人達が一時の恐慌から覚め、加害者であるチロルに向けて復讐の刃を向けて行く。


 白銀色の鎧の天界兵達は、二つの羽で自在に空を飛翔しチロルに襲いかかる。だが、チロルと三合と渡り合える天界兵は存在しなかった。


 チロルの凄まじい剣速に抗し得ず、天界兵達は次々と致命傷を負い地上に落ちて行く。


「······一体何隻あるんだ?」


 ラストルは向かい風に紺色の髪を揺らしながら戦況を把握しようと空を眺める。雲の隙間から軍船は絶え間なく出現し、その数は二百隻に達しようとしていた。


 船の規模を観察し、一隻に百人前後の兵がいると思われた。


「······天界人の兵力は二万前後か」


 ラストルは冷静にカリフェースと天界軍の兵力差を計算する。今頃ウェンデル達は兵を集めていると思われたが、二百隻の軍船が一斉に光の柱を撃てば、カリフェースの王都は灰燼と化すとラストルは確信していた。


「······カリフェース軍が兵を集める迄の時間稼ぎ。そして光の柱を撃たせない為の陽動。僕は何をしているんだ! 結局チロルの行動が正しいじゃないか!!」


 ラストルはチロルに倣い、爆裂の呪文を天界軍の船に叩きつける。爆発炎上する船が十隻に達しようとした頃、チロルの大きな瞳は一隻の船を捉えていた。


 その白い羽が模された軍旗は一際大きく、チロルはその船が旗艦だと判断した。


「ええい。何が起こっているのか! 何故我が軍船が次々と落とされている! 状況を報告せよ!!」


 精緻な装飾が施された白いマントと甲冑を纏う男は、周囲の部下達に厳しい口調で命令する。屈強な身体に波打つ肩までの茶色い髪の男は、三十代半ばに見えた。


「はっ! 報告致しますオットイ様。空を飛ぶ二人の人間が我々の船に攻撃を加えている模様です!!」


 跪き報告する兵士の言葉に、オットイと呼ばれた男は両目を見開いた。


「······たった二人の人間だと? しかも我々が姿を現したのはつい先刻だぞ? 僅かな時間で電光石火の如く反撃に出たと言うのか?」


 その時、オットイの眼前に何者かが空から降り立った。オットイが見たのは、銀髪の髪をなびかせる美しい娘だった。


 チロルの美しさに目を奪われた刹那、オットイは本能だけで自分の胸を反らせた。チロルの凄まじい一撃は、オットイの肩から腰にかけて白銀色の鎧を切り裂いた。


「······娘! 貴様は何者か! カリフェースの手の物か!!」


 オットイは叫びながら胸に浅くない傷を感じていた。反射的に避けなければ、今頃自分の命は無かったと戦慄する。


「私は無頼組織「猫の手も借りたい」の首魁です。天界人さん。貴方がこの軍の指揮者ですか?」


 質問と同時にチロルはオットイに斬りかかる。オットイは腰の鞘から剣を抜く途中でその一撃を防いだ。


「······猫が何だと? せっかちな娘だ。私はまだ何も名乗っておらぬぞ!」


 オットイは今度こそ剣を鞘から抜き放ち、チロルに斬撃を浴びせる。チロルはそれを後方に下がり避ける。

 

「おのれ! オットイ様に近づけさせるな!」


 チロルの背後にいた天界兵達が一斉にその刃を銀髪の君に向ける。だが、ラストルが空から甲板に着地すると同時に、その兵達を次々と斬り伏せて行く。


「私の後ろを取るのは不可能です。ラストルがいる限り」


 チロルはまたもや言うと同時にオットイに向かって突進する。


「我が名はオットイ! この軍を総べる天界軍二等区中将だ!!」


 オットイは大剣を両手で握りチロルの足を狙い剣を振り下ろした。だが、その一撃は空を切った。


 重力の戒めから解き放たれた様に、チロルは軽やかに地を蹴りオットイの頭上に飛んだ。


 それが一瞬の出来事の様に感じたオットイは、無防備な自分に振り下ろされるであろうチロルの一刀に死を覚悟した。


 だが、オットイが耳にしたのは刃が交わる鋭い金属音だった。天界軍の二等区中将は、視線を下から上に移す。


 そこには、チロルの前に一人の天界兵が立ち塞がっていた。オットイを眉間を切断する筈の一撃を防がれたチロルは、目の前の天界兵を見据える。


「地上の娘よ。このオットイ様は天界軍に十人しかおらぬ二等区中将殿だ。簡単にはやらせんよ」


 長く細い黒髪に狐の様な細い両目。その天界兵は、細身の剣をチロルに向け不敵な笑みを浮かべていた。





 

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