第10話 午後の井戸端会議は、無人の塔の中で行われる

 皇帝オルギス。千年前にこの大陸を統一した不世出の英雄。だが、その統治は短く僅か在位二年でこの世を去る。


 彼の生涯を綴ったオルギス教典にはそう記されていた。だが真実は異なった。オルギスの精神は、愛用していた黄金の剣の中に取り込まれたのだった。


 それは黄金の剣を使用する者への呪いだった。黄金の剣はラバートラと呼ばれる精霊の神の所有物であり、他者が扱うと代償にその身に呪いを受ける。


 オルギスは千年間、黄金の剣の中に幽閉され続けた。そして黄金の剣は長い年月の中でいつしか錆びたガラクタの剣と成り果てた。


 だが、千年の時を経てウェンデルが黄金の剣を甦らせた。だが、今度はウェンデルが剣の中に取り込まれ、代わりにオルギスがウェンデルの肉体を支配した。


 二つの精神が混在するウェンデルの身体の中に、更に精霊の神ラバートラが現れる。本来の身体の持ち主であるウェンデルは、オルギスとラバートラと三者対談を経て、自分の身体を取り戻した。


 以後オルギスとラバートラは、ウェンデルの精神の深淵部の中で留まり続けた。


『オルギス。貴方が天界人について知っている事は?』


 無音の塔の中で、若きウェンデル王は自らの心の内に問いかける。質問された者にもし肉体が存在していたら、間違い無く尊大な表情をしていたと確信させるに足る声色が返って来た。


『······天界人が地上に残して行った子孫と呼ばれる鳥人一族。かつて天界と地上を往来する為に作られた塔。余の時代に散見されたのはその程度だ」


 オルギスの返答の内容は、質問を投げかけたウェンデルの予想の範囲内だった。オルギスは千年前に生きた者とは言え、天界人の伝説は遥かにその以前の物だった。


『精神の神ラバートラ。貴方が知っている事は?』


 神と呼ばれる存在にウェンデルは気軽な口調で問いかける。その相変わらずの性格に、オルギスは内心で呆れていた。


『······人間の騎士よ。この世界に如何なる災厄が降りかかろうと、それを食い止めるのは世に生きる者達の役目だ。私が介在する余地は無い』


 精霊神ラバートラがウェンデルの精神の中に留まるのは、紅茶色の髪の王を通してこの世界が存在する価値があるかどうか見極める為だった。


 それは監視でもあり観察でもあった。ラバートラは言わば中立のその立場を崩そうとはしなかった。


『そうか。ところで疑問なのだが、天界とこの地上。貴方の様な神と呼ばれる者達も別なのかな?』


 間髪を入れずウェンデルは質問する。今しがたラバートラは言った。自分達の事は自分達で解決しろと。


 にも関わらず何も聞いていなかった如くのこの態度。オルギスは確信していた。精霊の神は内心で必ず呆気に取られていると。


『······天界はこの地上とは別の空間にある。だが、神と呼ばれる存在は共通だ。彼等天界人の世界にも精霊は存在している』


 ウェンデルの呑気な性格に嵌められ、まんまと喋らされた。オルギスは精霊の神に内心でそう同情した。


『なる程。天界人は精霊を操り、人間は魔法を使うか。ラバートラよ。私達の地道で苦労を重ねた調査結果を聞いてくれ。かつて地上と天界を結んだ「虹の塔」と呼ばれる塔を発見した。今の所、現存するのは一つだけだ。しかも二年前、その塔と天界が繋がり天界人が姿を現したらしい』


 いつの間にかウェンデルは、自分達の苦労を成果としてラバートラに報告していた。若い王と精霊の神の会話を客観的に傍観していたオルギスは、この場をウェンデルの空気を読まぬ性格が支配しつつある事を感じていた。


『もし天界人が地上の支配を目論んでいるなら、塔と天界が繋がった二年前に侵攻を開始している筈。彼等天界人は本当に地上の支配を望んでいるのだろうか?』


 ウェンデルの自覚無き誘導尋問に、喋らされる自覚の無いラバートラは答えてしまう。


『······人間の騎士よ。現世とは如何なる世界も不変だ。昨日手を取り合った相手を翌日には敵とする。それは個人も国も変わらぬ』


『なる程。昨日の友は今日の敵。と言う事だな? 突然天界人が地上に攻め入って来ても何ら不思議は無いと言う事か』


 中立である筈の精霊の神から言質を取り、ウェンデルは一人で納得して話を進める。その光景に、オルギスは呆れを通り越してあろう事か感心してしまった。


『ところでラバートラ。天界人達にも暦はあるのかな? 後は我らと同じく食べ物を食すのか?』


 三者対談のこの場は、完全にウェンデルが主導権を握っていた。質が悪いのはその自覚がウェンデル本人に欠けていた点だった。オルギスはそう断定していた。


『······暦と食物は天界と地上も変わらぬ。変わるとすれば種族の数だ。地上は雑多な種族が存在するが、天界は単一の種族しかおらぬ』


 最早良い様に質問に返答させられている精霊の神。至高の存在を手玉に取る自覚無きウェンデルの話術に、オルギスは感心を通り越して戦慄していた。


『······そうか。暦があり食物を食す。ならば彼等天界人にも補給路が必要だ。後は天界人が暑さに強いかどうか分からんが、仮に夏の前に侵攻を開始するとなると最短で猶予はあと二ヶ月程だな』


 一人で話を進め、一人で納得したウェンデルは、合点が行った様に一人頷く。


『オルギス。ラバートラ。助言感謝する。礼代わりに今夜上等なワインを飲むゆえ貴方達も味わってくれ。また何かあった時は宜しく頼む』


 両目を開いたウェンデルは、陽気に内なる心にそう言った。オルギスは思う。精霊の神は自分の迂闊さを呪ったか。


 それともウェンデルの余りにも自然な清新さに中立の立場を崩した己の行為に気づかなかったか。


 オルギスはラバートラに意識を向けたが、精霊の神からはその表情を読み取る事は出来なかった。


 


 




 

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