紅茶色の髪の王は、終わりなき世直しに奔走する

第9話 若き王

 石畳の長い廊下を、二人の騎士が並んで歩いていた。共に軍で正式採用された甲冑を身に着けており、首元に記された階級章は共に中将だった。


 一人は肩までの赤い髪を束ね、鋭い眼光を放つ端正な顔の騎士。もう一人は短い黒髪に黒い瞳。


 引き締まった顔の額には、大きな刀傷が残っていた。尖った耳が男を魔族である事を証明していた。二人の騎士は共に三十歳前後に見えた。


 長身の二人の騎士の背丈はほぼ拮抗していた。だが、拮抗していたのは身長だけでは無く、これ迄積み重ねた武勲の大きさも同様だった。


 人間と魔族が同じ軍隊で肩を並べて活躍するなどと言う事実は、両種族が共存するカリフェースならではの光景だった。


「見て。ブリツアード様とラルフロット様よ。武装勢力の討伐から帰還されたわ」


「いつ見てもブリツアード様は素敵だわ。無骨なラルフロット様も魅力的だけど」


 二人の騎士を遠巻きに見ながら、女官達が囁き合う。ブリツアードとラルフロットが敵に勝利したかどうかなど話題にもならなかった。


 猛将と名高い二人が敗北するなど、女官達は考えもしなかったからだ。


「ラルフロット。今回の戦はお主が一番手柄だな。何しろ首領の首を取ったのだから」


 ブリツアードは表面上は微笑しながら僚友の活躍を称える。だが、内心ではラルフロットに一歩遅れを取った事を悔やんでいた。


「違うなブリツアード。俺が首領を討ち取れたのは、お主が敵陣形を寸断したからだ。誰の目にも第一の功績者はお主だ」


 ラルフロットは愛想の無い表情と声で返答する。彼もまた、内心ではブリツアードの華麗な用兵に及ばなかった自分を恥じていた。


 ブリツアードとラルフロット。二人は相手の知勇を認め合いながらも、互いを強烈に意識し合っていた。


 何故なら、二人はこの国の王の第一の功臣として歴史に名を残す事を望んでおり、互いにその野望を阻む最大の好敵手として見ていたからだ。


「ブリツアード中将にラルフロット中将。武装勢力の討伐御苦労だった」


 飾り気の無い白い官服を来た男が、生真面目そうな表情で二人の猛将に声をかける。長い白髪を首の後ろで束ねた白髪の男は、五十歳前後に見える。


 若き猛将達は先程までの自分の考えを訂正する。この国に於いて、最大の功臣は自分達に声をかけたこの宰相だったからだ。


 宰相テンショウ。数年前まで地方官僚だったこの男は、優れた行政手腕を買われウェンデルに宰相に任命された。


 テンショウは宰相に任命されると、直ちに政治腐敗の一掃に乗り出す。賄賂を送った者。受け取った者は厳罰に処す法を作り、政治に携わる者達を監視する組織を作った。


 テンション自らが人選し巨大な権力を与えられたその組織は「清流団」と呼ばれた。


 国を清らかにする意味を込められたその組織に、国に寄生する権力者達は震え上がった。


 当初権力者達は「清流団」を鼻で笑って問題にもしなかった。自分達がこれ迄で手を染めてきた汚職や不正の手法で清流団も丸め込めると高を括っていたからだ。


 権力者達が清流団監査員の目の前で積んだ金貨の山は、監査員の冷笑と厳罰で報われた。


 宰相テンショウが選び抜いた監査員達に、賄賂で揺れ動く者は一人として存在しなかった。


 テンショウが次に行ったのは財源の健全化だった。通常国王は国の財源が不足すると商人達から借金をする。


 借金の担保として商人達は一定の徴税権が与えられ、その権利を悪用し商人達は暴利を貪り民衆を苦しめる。


 その弊害を排除する為に、テンショウは国の借金を禁じる法律を作った。その年の税収だけで予算を編成する為に、新年度の各大臣達の予算審議は熾烈を極め、会議部屋は常に殺気立っていたと伝えられている。


 テンショウが一番に削ったのは軍事費だった。膨大な予算を必要とする軍事費を限界まで抑え、貧民救済に多くの予算を費やした。


 その為、軍からのテンショウの評判は決して良くなかった。だが、清廉な宰相の言動が幸いし、不満が爆発するまでは至らなかった。


 故に軍の規模は人口比に対して縮小編成された。大国カリフェースなら軍の最大動員数は七万が可能だったが、それを三万に設定した。


 テンショウは少数精兵を是とし、軍もそれに答えるように精強な軍団になっていった。かつてテンショウは、臣下達の前でウェンデル王の非を大声で口にした。


 その逸話通り、テンショウは一度決めた事を頑として変えなかった。民衆にとっては誠に頼りになる宰相であり、臣下達のとっては異型の念を抱くと同時に厄介な上司だった。


 カリフェース。人間と魔族の国々を含め、この大陸で比類ない大国だった。その大国に君臨する若い王ウェンデル。


 三十代前半のまだ若き王は、登極するまで吟遊詩人が狂喜しそうな経歴を持っていた。ある国の騎士団大佐を辞め冒険者になり、その後請われて王に即位した。


 元々カリフェースは、オルギス教を信仰する宗教国だった。千年前この大陸を統一した皇帝オルギス。


 カリフェースはそのオルギスを信仰する人間と魔族が共存する稀有の国だった。その皇帝オルギスが使用していた黄金の剣を腰に帯びるウェンデルを、人々は皇帝オルギスの生まれ変わりだと称えた。


 


 秘書官テフラは両手に抱える書類に視線を落としながら廊下を歩いていた。長いまつ毛の下の瞳が、素早く今年度の税収に関する報告書の長文を追っていた。


 その時誰かとすれ違ったが、さしてテフラは気に留めなかった。だが、その異様な雰囲気に気付き、テフラは茶色いおさげを揺らして猛然と後ろを振り返る。


 テフラの眼鏡の中の瞳に映ったのは、白いマントに金の刺繍が入った水色の絹服を纏った青年。そして形容し難いその人間離れした雰囲気。


 自分がすれ違ったのは、この国の若き王だった。


「ウェンデル様! 共の者も連れず御一人で何をされていますか!? エルド殿は!?」


 テフラの怒声に近い声に、ウェンデルは背中を向けたまま右手を上げた。


「自分の家の中を歩くのに共は要らんよ。エルドは休暇中だ。テフラ。歩きながら書類を読んでいるとまた躓くぞ」


 魔族であるテフラは、尖った耳の聴力を最大限に活用し主君の言葉を聞き取る。小柄なテフラがウェンデルを追いかけようと試みたが、若き王は長い脚を効率的に動かし、秘書官から遠ざかって行った。


 ウェンデルが座す王宮は城では無く、大聖堂の中にあった。元々カリフェースは大司教が治める宗教国だった。


 腐敗しきった大司教達と、国を憂う聖騎士団の武力衝突の果てにカリフェースは王政に変わった。


 その大聖堂にある一つの塔にウェンデルは足を運んだ。円柱に囲まれた大理石の床の上にウェンデルは立つ。

  

 塔にはウェンデル以外誰もおらず、その静寂は耳が痛くなる程だった。少し長めの紅茶色の前髪の下にある両目を閉じ、ウェンデルは自分の中にある深淵な内部に語りかける。 


『精霊の神ラバートラ。皇帝オルギス。聞こえているか?』


 ウェンデルは心の中でそう言葉を発し返答を待つ。


『聞こえているぞ。人間の騎士よ』


 もし荘厳な絵巻物語に登場する神が声を発したら。その声は、正にそう思わせに充分な響きだった。


 そして次に聞こえてきたのは、怯懦とは無縁な自身に満ち溢れた声だった。


『嫌でも聞こえるぞ。余はそなたの居候の身だからな』


 居候の身分とは思えないその居丈高な物言いに、ウェンデルは小さく苦笑する。


『お二人に相談したい。この世界の存亡についてだ』


 紅茶色の髪の王は、これから茶飲みを誘うような口振りで呟いた。静寂が包む無人の塔の中で、重要な三者会談が開かれようとしていた。


 


 

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