第5話 潜む狂気

 早朝の森の中で、シャンヌはアサシルと向かい合っていた。空は薄暗く、まだ太陽がその出番を待ちわびていた。


「シャンヌ。組織の本拠地があるこの場所。ここが何処の国の領地内か知っているか?」


 最悪の暗殺集団「下弦の月」出身の男は、赤毛の少女の眠気を払った両目を真っ直ぐに見つめながら質問をする。


「はい。ここはカリフェースの西の国境線です」


 革の鎧と腰の剣。完全装備のシャンヌは、迷い無くアサシルの質問に答える。この大陸の中央から東は人間の国々。そして西は魔族の国々が存在した。


 カリフェースは人間と魔族の国々の丁度中央に位置し、チロル達組織の本拠地はいわば魔族の国々との最前線に在った。


「人間と魔族の人口比は?」


 続くアサシルの問いに、三対一とシャンヌは答える。魔族は人間との人口比を補う為に、魔物を自国の勢力圏に配置している。


 その魔物を造り出しているのが、バタフシャーン一族と呼ばれる魔族だった。彼等は貨幣を触媒にして魔力で魔物を生み出し、同族の魔族達に魔物を売る事を生業とした。


 その歴史は長く、魔物市場と巨万の利益を独占し続け、人間と魔族の戦いの裏で常に暗躍して来た。


 魔物達も各々移動する事があり、人間の国々に出没する。その魔物達を狩る事を専門としている冒険者も存在した。


 人間と魔族。そして死の商人であるバタフシャーン一族。三者の血塗られた歴史は永遠に続くかと思わせる程、膨大な時間を重ねて来た。


「シャンヌ。昨日ブレットに見せた技。あれをもう一度俺に仕掛けてみろ」


 全身の黒い衣服以外、武器を帯びている様子が無いアサシルは、右手を腰に当てながらシャンヌに指示する。


 頷くシャンヌは腰を落とし、右手を鞘に収まっている剣の柄に添える。そしてアサシルに向かって一直線に駆け出した。


「陽炎!!」


 そしてアサシルの数歩手前でシャンヌの姿が忽然と消えた。褐色の肌の暗殺者の背後に現れたシャンヌは愕然とする。


 またしてもアサシルの姿がシャンヌの目の前から消えていた。呆然とするシャンヌの耳元に、背後から低い声が囁かれる。


「いい技だ。だが魔法では無いな。シャンヌ。その技は誰に教わったんだ?」


 シャンヌは冷や汗を流しながら後ろを振り返る。消耗していた昨日とは違い、万全の状態で技を繰り出したシャンヌは内心で動揺していた。


『······気配も可能な限り消していた筈なのに。アサシルさんにはまるで通じなかった』


 赤毛の少女は深く息を吸う。今は自分の力に絶望する暇など無かった。寸暇を惜しんで少しでも力を求める時だった。


「······この「陽炎」は私の師から教わりました。師匠はこの大陸の生まれでは無く、異国の島からの漂流者だと言っていました」


 長い黒髪を頭頂部で結い上げ、刀と呼ばれる反り上がった武器を操る男。その師匠にシャンヌは一年間戦いの基礎を学んだ。


「師匠はこの「陽炎」は魔法では無く「術」と呼んでいました。魔法と違い魔力は消費しませんが、精神と体力を使います」


 シャンヌの説明に、アサシルは興味深そうな表情で頷く。


「なる程な。お前のその妙な構えもその師から教わったと言う事か」


 細い顎に指を当て、アサシルは合点が行った様に頷いた。


「アサシルさん。教えて下さい! どうやって私の陽炎を見破り、姿を消したんですか?」


 必死にアサシルに問い正そうとするシャンヌに、褐色の肌の暗殺者は感じた。それは一切の寄り道を排除し、最短で目的地に到達しようとする者の姿だった。


 それは未熟な若者の素直な渇望でもあると同時に、危うさも伴う物だった。


「古代呪文に転移の術と呼ばれる魔法がある。正真正銘、姿を消し移動する呪文だ。だが、俺がお前の前から姿を消したのは呪文では無い」


 アサシルの説明に、シャンヌは一言一句聞き漏らさない様に聞き耳を立てる。


「暗殺術の一つにも姿隠しがある。だが、俺が使ったのはそれでも無い」


 姿隠しには地形や日の光。湿度や気温がなど多くの条件が必要になる。昨日、シャンヌの目の前から椅子に座っていたアサシルが消えた様に、室内で姿隠しを使用するのは不可能だと言う。


「······では何故? アサシルさんは姿を消せたんですか?」


「シャンヌ。俺は姿を消していない。お前がそう思い込んでいただけだ」 


 アサシルの返答にシャンヌは絶句する。そんな赤毛の少女を悠然と無視し、褐色の肌の暗殺者は言葉を続ける。


「シャンヌ。お前が俺と初めて顔を合わせたのはいつだ?」


 アサシルの問いに、シャンヌは急いで昨日の記憶を掘り起こす。丸太の家に入った時、アサシルはいつの間にかテーブルの前の椅子に座っていた。


「違うな。シャンヌ。お前は家に入る直前に俺と目を合わせている」


 アサシルの説明に、シャンヌは再び絶句する。どう思い返しても、その時アサシルの顔を見た記憶が赤毛の少女には無かった。


「無いだろうな。何故なら俺はお前に暗示をかけたからだ」


「······暗示?」


 シャンヌの訳が分からないと言う表情を無視し、アサシルは続ける。下弦の月一族には、稀に「邪眼」と呼ばれる眼を持って生まれる者がいた。


 その邪眼を鍛え特殊な訓練を積むと、相手を意のままに操れる技術を得られると言う。


「シャンヌ。俺はお前に暗示をかけた。俺が自由にお前の前から姿を消せるようにな」


 アサシルの説明にシャンヌは呆然とする。昨日、アサシルはシャンヌの目の前で椅子から突然姿を消した。


 だが、消えたと思ったのはシャンヌだけであり、実際のアサシルはゆっくりと椅子から立ち上がり、シャンヌの背後に回ったと言う。


「シャンヌ。お前はチロルに組織に入る事を許され、小屋に入る時に緊張感を失っていなかったか?」


 アサシルの言葉に、シャンヌは頭を鈍器で殴られた様な気分になる。赤毛の少女は昨日の自分を反芻する。


 全身の疲労も手伝い、あの時シャンヌは確かに気か緩んでいた。


「それだ。シャンヌ。俺の暗示にかかったのはその油断が原因だ」


 アサシルは淡々とシャンヌの自尊心を破壊して行く。赤毛の少女は自分の未熟さに恥入り、穴に入りたい気持ちになっていた。


「落ち込んでいる暇は無いぞ。シャンヌ。この重しを身体につけるんだ」


 アサシルはそう言うと、シャンヌの足元に小さい布袋を幾つも投げた。布袋は鈍い音を鳴らし地面に落ちる。


「······これは?」


 腰をかがめ布袋の一つを持ったシャンヌは、その重さに驚く。


「その袋には鉛が入っている。全身に重しを身に着けて先程の技を繰り返すんだ」


 要を得ない表情のシャンヌに、アサシルは重しのを身につける意図を説明する。


「シャンヌ。お前は小柄で俊敏だ。今はその長所を伸ばす事を考えた方がいい。その重しを身に着け訓練し、機動力を上げるんだ」


 シャンヌは半信半疑のまま、全身に布袋を縛り付けていく。入浴時以外は外す事は禁じるとアサシルは付け加えた。


「······重い」


 鉛が入った袋を身に着けたシャンヌは、誰かを背負った様な気分になった。背の低い一本の木を標的に見立て、シャンヌは駆け出す。


 全力疾走しているつもりでも、シャンヌの俊敏さは見る影も無かった。そして陽炎を発動しても完全に姿が消えず、不完全な物となった。


 アサシルに指示された訓練を忠実に続ける赤毛の少女を、小屋から出て来たブレットは物珍しそうに眺める。


「朝から訓練か。子供は元気があり余っているようだな」


 深酒が祟ったのか、ブレットの両目はまだ酒気を帯びていた。


「ブレット。シャンヌへの剣の訓練はお前に任せたい。頼めるか?」


 シャンヌの動きを凝視しながら、アサシルはブレットに背を向けたままそう言った。


「何故俺がリスに教えなければならんのだ? アサシル。お前が教育係を買って出たんだ。自分で教えればよかろう」


 樽の水で顔を洗いながら、ブレットは不機嫌な口調で返答する。


「残念ながら俺は短剣は使えるが剣は扱えん。勇名名高い「黒双旗」の団長であるブレット以上にその役を頼める者がいないのだ」


 アサシルは相変わらずブレットに背を向けたまま、大袈裟に両手を広げて見せる。


「ふん。持ち上げても無駄だぞ。そもそもアサシル。何故リスに自分から関わるんだ?」


 胸のポケットから出した絹の手拭いで顔を拭くブレットは、アサシルの背中に非友好的な口調で問いかける。


「ブレット。犬を飼った事があるか?」


「······犬? いや。無いな」


「犬は賢く義理堅い。信頼関係を結べは決して飼い主を裏切らない。ついでに芸を仕込めばそれなりに楽しめる」


 アサシルの言葉に、ブレットは段々と胸の辺りに不快感を感じていた。


「あのリスがお前の愛犬となった。そう言いたいのか? アサシル」


 重い身体を必死に動かし訓練するシャンヌを一瞥し、ブレットはアサシルの背中を睨みつける。


「俺が十二の時だ。俺を信頼しきっていた飼い犬の首をナイフで切った。その時の犬の表情は見物だったぞ。正に「どうして?」と言う顔をしていた」


 アサシルの突然の昔話に、ブレットは二日酔いが吹き飛ぶ嫌悪感を抱く。


「流石は下弦の月一族だな。その精神の壊れようは常人の比では無いな」


 ブレットの辛辣な口調にも、アサシル微動だにしなかった。


「そうだ。ブレット。俺は壊れている。何故そんな俺をチロルが組織に入れたか分かるか?」


 アサシルは初めて後ろを振り返り、その鋭い両眼をブレットに向けた。


「チロルは俺が役に立つと思ったからさ。汚れ役。捨て石。使い方はチロルの好み次第だ」


 アサシルの異様とも言える話の内容に、ブレットは最早敵愾心を隠そうとしなかった。


「······では逆に聞こう。アサシル。お前は何故この組織に入った?」


 ブレットに睨みつけられたアサシルは、両目を閉じ空を仰いだ。


「······狂気さ」


「······何?」


 アサシルは両目を開き、不気味に笑みを浮かべる。


「チロルはその内面に狂気を潜ませている。気付いていたか? ブレット。俺はその狂気に惹かれるんだ。どう仕様も無くな」


 アサシルはチロルと出会いを垣間思い出す。一度敵と認識した時のあの無慈悲なチロルの表情を。


 チロルはこの争いの絶えない世界に深く絶望している。アサシルはそう確信していた。銀髪の君は自らが率いるこの組織の使い途を決めていないが、無意識の内に来たるべき時の為に用意しているのではないか。そうアサシルは想像していた。


「······この世界を滅ぼす為にな」


 アサシルの囁く声は、ブレットの耳に届かなかった。その危ういチロルを支えているのがラストルと言う存在だった。


 あの穏やかなラストルがチロルの側にいる間は、銀髪の君の暴走は有り得ないとアサシルは踏んでいた。


 だが、何かの原因でラストルがチロルの前からの消え去ったら。その時、チロルは内に抱える狂気を抑えきれるのか。


『······俺は見てみたいんだ。その時狂気に支配されたチロルの姿を』


 アサシルは内心で独語する。それは、捕らえた獲物を舌なめずりして眺める捕食者の目だった。


 その時、林の北側で悲鳴と馬車の駆ける音が響いて来た。シャンヌはその様子を一瞥すると、小屋に向かって猛然と走り出した。


 シャンヌはアサシルとブレットの間を走り抜け、小屋の前で繋がれていた馬の縄を解いた。


「誰かが助けを求めています! 馬を借ります!!」


 アサシルとブレットの返答を待たずに、シャンヌは馬を走らせる。赤毛の少女の背中を見ながら、褐色の肌の暗殺者は昔飼っていた犬の事を何故か思い出していた。


 









 

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