第4話 褐色の肌の暗殺者

 シャンヌは半ば押し掛ける形で銀髪の君ことチロルの組織「猫の手も借りたい」に加入を果たした。


 森でシャンヌがチロルの姿を目撃したのは全くの偶然だった。シャンヌはチロルの組織の噂を集め取捨選択した結果、おおよその範囲を絞り出し、組織の居場所を捜索していた。


 だがその範囲は広大で、組織を率いるチロル本人に遭遇したのは、シャンヌにとって全くの幸運だった。


 組織の本拠地である小屋の中を、赤毛の少女は改めて眺める。昨日は疲労の為に直ぐに寝入ってしまい、その細部を見る余裕が無かった。


 丸太の家は二階建て、二階には大小六つの部屋があった。二階建の上には屋根裏部屋もあり、詰めればそこに数人は寝泊まり出来そうに見えた。


 一階は仕切りの無い大広間になっており、中央には樫の木の長テーブルが置かれている。鎧を脱いだラストルがそのテーブルに人数分の皿を置き、ライ麦パンと二種類のチーズを添えていく。


 慌てて手伝いを申し出たシャンヌに、ラストルは礼を言いながら果実水の用意を頼んだ。


 壁に備え付けられた戸棚から、シャンヌは果実水の瓶と陶器製の杯を取り出そうとした。その時、壁に貼られた無数の小さい紙がシャンヌの目に入った。


「それは組織に属している者達の置き手紙だよ。大体の居場所。そして今何をしているのかが書かれていたいるんだ」


 ラストルが壁を眺めるシャンヌの手から、杯を譲り受けテーブルに置く。何故そんな置き手紙が必要なのか、シャンヌには理解出来なかった。


「私達の組織「猫の手も借りたい」に属する者達は普段は各自で行動しているの。単独で冒険者をしている者もいれば、街や山で生活している者もいる」


 そして組織の面々は月に一度この山小屋を訪れ、自分の居場所を壁に記載して残して行くとチロルは説明する。


 それにしても。とシャンヌは壁に貼られた紙を再度眺める。紙には筆跡者達の個性的な文字が残されていた。一体この組織の規模はどれ程なのかとシャンヌは想像していた。


「さあ? 今何人かしら。ブレッド。細かく知ってる?」


 全員食卓に揃うまで我慢出来なかったチロルがパンを頬張りながら、組織の長たる者とは思えない問題発言をする。


「さてな。元盗賊に元山賊。変わった所だと王族の者や魔族の者もいる。配下を持つ者達も含めると検討もつかんな。今しがたラストルも七千の配下を手に入れたしな」


 ラストルの勧める果実水を謝絶し、棚から赤ワインを取り出しグラスに注ぐブレッドは曖昧な返答を返す。


「あ、あの。この組織は普段、どんな行動を行っているのですか?」


 シャンヌは思い切って「猫の手も借りたい」の存在意義に迫る質問を口にした。パンのお替りをラストルに求めながら、チロルは迷い無く即答する。


「別に無いわ。仲間にしてくれって皆がしつこく言ってくるから組織化しただけなの。さっき言って通り、普段は各自で行動しているのよ」


 銀髪の君が率いる組織はこの乱れきった世の不正を正す。そんな壮大な想像をしていた十五歳の少女は、拍子抜けを通り越し絶句してしまった。


「どいつもこいつも、チロルに勝負を挑んで負けちまった連中ばかりさ。言わば負け犬の集まりだな」


 声の主を見てシャンヌは驚く。褐色の肌をしたその男は、いつの間にかテーブルの席に座り果実水を飲んでいた。


 一体いつこの大広間に現れ、そして席に座ったのか。シャンヌは頭をどう捻っても理解出来なかった。その赤毛の少女の当惑を、ブレッドは見透かす様に笑う。


「リスが驚くのも無理は無い。コイツの名はアサシル。最悪の暗殺集団「下弦の月」の一族の者だ」


 「下弦の一族」の名はシャンヌも耳にした事があった。法外とも言える報酬を依頼人に要求する代わりに、暗殺対象者を手段を選ばず必ず仕留める暗殺集団。


 アサシルと呼ばれた男は褐色の肌とは対照的に短い白髪であり、細身の身体に鋭い両眼を光らせている。年齢は二十代後半に見えた。全身に黒い衣服を身に着けている。左頬に深く長い古傷があった。


 アサシルの杯を持つその右手の甲には、月を型どった入れ墨が描かれていた。何故下弦の月一族の者がここに居るのか。


 果実水の瓶を胸に抱えながら、シャンヌはアサシルに警戒心を抱く。ブレッドは赤ワインをアサシルに勧めるが、褐色の肌の暗殺者は手でそれを制した。


「酒は勘を鈍らせる。命のやり取りの際は特にな」


 アサシルの静かではあるが凄みを含んだその言葉に、ブレッドは舌打ちをして自分のグラスにワインを注いだ。


「専門が暗殺の者の金言には傾聴の値があるな。他にも心得とやらがあるのか?」


 ブレッドの嫌味を隠さない言い様に、アサシルは平然として即答する。


「ああ。あるぞ。先ず長い髪と髭は厳禁だ。長い髪は視界を遮り、汗を流しやすい。そして髭は変装の際に邪魔だ」


 肩までの波打つ黒髪。そして高い鼻の下に生やした髭。ブレッドの容姿をそのまま暗殺者の心得に例えられ、ブレッドは舌打ちしながらグラスを煽り飲み干した。


「俺に何か用か?」


 背後に立つシャンヌに、アサシルは振り向きもせずにそう問いかけた。シャンヌは迷いの無い表情で暗殺者に問い正す。


「······貴方は。チロルさんの暗殺が目的なんですか?」


 組織の人間関係や事情などまだ知らぬシャンヌは、自分の思った事をそのまま口にした。ブレッドはそのシャンヌを呆れた顔で見る。


「一切の取り繕いと遠慮を省いた質問だな。だが効率的でもあり嫌いではない。娘。何故そう思ったんだ?」


 アサシルはシャンヌに背を向けたまま、杯に半分程残った果実水を片手で揺らしている。


「······理由はありません。そう感じたからです」


 シャンヌはアサシルの背中から目を離さなかった。それが、師からの教わった暗殺者の対処法だった。


 だが、シャンヌの視界から突然アサシルの姿が消えた。


『私はあの人から目を逸らさなかった! どうして姿が消えるの!?』


 驚愕するシャンヌの耳元に、背後から誰かがそっと近づき囁いた。


「感じる、か。不確定要素でしか無い曖昧な表現だ。だが娘よ。お前は本質的な物を見極める目を持っているようだな。気に入ったぞ」


 暗闇の底から這い出て来るようなアサシルの低い声に、シャンヌは背筋が凍てつく様な気分だった。


 シャンヌの目の前には、つい先刻までアサシルが手にしてた杯が置かれている。その杯の中の果実水は、まだグラスの中で揺れていた。


「アサシル。余りシャンヌを脅かさないでくれ。彼女はチロルが見込んだ大事な逸材だ」


 ラストルの穏やかだか反論を許さぬ言い様に、アサシルは頷く。そしてシャンヌの肩を軽く叩き席に戻る。


「チロル。この赤毛の娘は誰が教育するんだ? 何なら当面は俺が面倒を見てもいいぞ」


 細く長い足を組みながら、最悪の暗殺集団出身の男は意外な申し出をする。シャンヌは呆然とし、ブレッドは口にした赤ワインを吹き出しそになる。


「一体どういう気まぐれだアサシル? どう考えてもお前は人を育てる柄じゃないぞ」


 ブレッドはグラスをテーブルに置きながら、アサシルの意図を分かり兼ねていた。


「今は仕事も無く暇だ。そして、この娘は面白い。その理由だけでは不足か?」


 椅子の背もたれに身体を預け、アサシルは顔を傾けシャンヌに視線を移す。


「······お願いします。私に貴方の技術を教えて下さい!!」


 チロルの許可を待たずに、赤毛の少女はアサシルに叫んだ。力を手に入れる。その為には、シャンヌはどんな事でもする覚悟を既に決めていた。

 





 

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