第3話 紺色の髪の勇者

 憧れの「銀髪の君」が率いる組織に入る事を許されたシャンヌは、早朝から丸太の家の外で剣の素振りをしていた。


 そしてふと赤毛の少女は空を見る。それはシャンヌの物心ついた頃の癖だった。理由はジャンヌ自身にも分からなかった。


 遥か遠く。空の向こう側に視線を向けさせる何かの存在を感じる。ジャンヌはそうとしか理解出来なかった。


 三頭の馬達は、そんなシャンヌに興味も無さそうに干し草を食べている。早春の朝の気温はまだ身体に厳しく、剣を握るシャンヌの両手はかじかんでいた。だが、シャンヌの心は高揚していた。


 昨日の疲れも忘れ、シャンヌは一心不乱に剣を振っていた。


『剣は人を斬る道具だ。何も無い空間を斬って何の意味がある?』


 一年間シャンヌの師であった細目の男は、シャンヌが剣の素振りをしていると半ば呆れながらそう言った。


 だがシャンヌはこの素振りの鍛錬が好きだった。無心で剣を振っていると、この世に存在する全ての残酷さから目を背けられるからだ。


「こんなに朝早くから熱心だね。寒くないかい?」


 突然の背後からのその声に、シャンヌは金縛りにあったように固まった。赤毛の少女の脳裏に、昨日のブレッドの説教の言葉が甦る。 


 ブレッドに対して気配を消し切れなかったシャンヌは、今度は相手の気配を察知出来なかった。


 自分の未熟さに泣きそうな気分になったシャンヌは、その表情のまま後ろを振り返った。


 そこには、紺色の髪の若者が立っていた。高い背丈に長い手足。黒いマントに鋼の鎧を纏い、前髪の下には優しげな黒い瞳がシャンヌを見ていた。


「······紺色の髪の勇者?」


 シャンヌの口から自然とその言葉が漏れた。師に酒場に連れて行かれた際、壇上で楽器を演奏しながら歌っていた吟遊詩人の歌詞を赤毛の少女は思い出す。


[銀髪の君の傍らには 常に紺色の髪の勇者が寄り添い その背中を守る]


「······僕の事を知っているのかい?」


 一年前、シャンヌの村を襲った盗賊達をチロルと共に全滅させたもう一人の勇者を、赤毛の少女は鮮明に覚えていた。


 紺色の髪の若者がシャンヌに近づくと、小屋の中からブレッドが出て来た。


「帰ったか。ラストル。騎士団の連中は納得したのか?」


 残った眠気を振り払うように、ブレッドは頭を掻きながら若者の名を呼んだ。


「おはよう。ブレッド。何とか説得して来たよ。ところで彼女は?」


 ブレッドの質問に答えたラストルは、反対に波打つ髪の男に質問を返す。


「俺達の組織に押しかけてきた奴だ。一応チロルが入団を許可していたぞ」


 ラストルとブレッドの会話を、シャンヌは忙しなく左右に顔を動かし要を得ない表情をしていた。


「いいか。リス。騎士団ってのは「黄金の鷲騎士団」の事だ」


 そのシャンヌを見兼ねてか、ブレッドは面倒臭そうにしながらも説明して行く。


 黄金の鷲騎士団。それは、どこの勢力にも属さない独立自尊を自称する集団だった。だが、騎士団の勢力圏はセンブルク国の領土と重なり、両者は領土を巡って武力衝突寸前の状態に陥っていた。


 そして事態が動き、両軍の睨み合いが続いていた時だった。馬に乗った紺色の髪の冒険者が両軍の間に割って入った。


 それは、戦場の近辺にある村から懇願され戦闘を止めに来たラストルだった。


「戦火はここら一帯の村々に及ぶ。無辜の民を巻き込む戦いは避けられよ!!」


 突然現れた若者の説得に両軍は失笑した。だが、事態は急変する。両軍の戦いの間隙を縫って、漁夫の利を狙った魔族の軍が進撃を開始していた。


 魔族の軍隊の進路には、小さな村々が点在していた。騎士団とセンブルク軍にその報せが届いても動こうとはしなかった。


 村々の運命よりも、今目の前の軍隊との戦いが最優先だったからだ。


「貴方達は正気か!? 守るべき民を見捨てて一体何の為の軍隊か!!」


 ラストルに一喝されるも、両軍は沈黙を続ける。説得を断念したラストルは、馬を操り魔族の軍が進軍する方角に駆け出した。


 その様子を呆れながら眺めていた騎士団の一人が、嘲笑混じりにラストルに叫んだ。


「おい若造! 一人で魔族の軍隊と戦う気か?」


 その野次にも等しい言葉に、ラストルは迷いの無い瞳を向けた。


「民を守れぬ軍隊に、その存在意義は無い!!」


 ラストルはそう言い残し、砂塵を残して去って行った。ラストルに雑言を浴びせた騎士は、口を開けたままその姿を見送っていた。


「······あの若い冒険者。本気で魔族と戦う気か?」


「その勢いだったぞ。それにしても。あいつ、なんて澄んだ目をしてやがんだ」


「······魔族が向かっている村には、俺の家族がいるんだ」


 両軍から動揺の声が漏れ始めた。そして、一人の中年の男が声を上げた。


「我らが戦う相手はセンブルク軍にあらず! あの紺色の髪の若者に続けぇっ!!」


 両軍に響き渡る大音量の声を発したのは、黄金の鷲騎士団長、トラガルだった。騎士団長トラガルはこの年五十歳。


 長年探し続けた自分の後継者を、トラガルはラストルの澄んだ瞳に見出した気分だった。


 あの若者を死なせてはならない。その使命感にも似た思いが、トラガルを突き動かす。黄金の鷲騎士団七千の騎兵は、全軍揃ってラストルの後を追う。


 その光景を、センブルク軍は追撃する事も忘れ呆然として眺めていた。こうして、魔族と黄金の鷲騎士団との戦いが始まった。


 魔族は五千の兵力に加え、二百体の魔物をその軍列に加えていた。人間相手ならまだしも、魔物の対応に慣れていない騎士団はその対応に苦慮した。


 そこに、魔物相手の専門職と言って差し支えない冒険者ラストルの指示が飛ぶ。騎士団の指揮は、いつの間にかラストルが取っていた。


 劣勢に立たされた魔族は、切り札である全身が黒いゴーレムを戦列に立たせた。三メートルを越すその巨体は、騎士団を薙ぎ払い陣形を乱した。


 たが、その黒いゴーレムもラストルの光り輝く剣によって打ち倒される。全軍撤退した魔族達を油断無く見送っていたラストルは、騎士団達に礼を言う為に後ろを振り向いた。


 ラストルの視界には、紅い夕陽の下で七千人の騎士達が跪く光景が広がっていた。


「······その清浄な瞳と心根。そして大軍を統御する器量。貴方は王の資質がおありだ。冒険者殿。どうか我らの王となって下さい」


 騎士団長トラガルは兜を脱ぎ、刀傷だらけの顔をラストルに向ける。事態の急変に困惑するラストルは、戦闘時の凛々しい声から普段の穏やかな声色に戻る。


「僕に王の資格などありません。騎士団の皆さん。どうか顔を上げて下さい」


 ラストルの要請も、トラガルを始め騎士団の誰一人として立ち上がる者は居なかった。魔族の軍勢にただ一人で立ち向かう難事以上の問題をラストルは抱えてしまった。


「······で? どうやって騎士団達を説得したんだ。ラストル?」


 庭に置かれている樽から柄杓で水をすくい、それで喉を潤しながらブレッドは冷やかす様に問いかける。


「騎士団の意思決定会議には参加する。非常勤特別顧問としてね。それで納得して貰ったよ」


 ラストルは肩をすくめてため息混じりに返答した。騎士団の王となるようトラガルに懇願され続け、何度も折衝を重ねた結果だった。


「ほう。特別顧問か」


 ブレッドは手で口を拭いながら、内心では騎士団がラストルを王にする事を諦めていないと想像していた。


 頑固一徹。黄金の鷲騎士団の騎士団長トラガルの性格は、ブレッドの耳に入る程有名だったからだ。


 ブレッドの予想通り、騎士団長トラガルはラストルを王に据える事を断念していなかった。


 時間をかけラストルを必ず騎士団の王にする。それは、トラガル自身が残りの半生を費やすに値する行為であり、頑固な騎士団長に迷いは無かった。


「お帰りなさい。ラストル」


 丸太の家の中から、寝癖混じりの頭をしたチロルが姿を見せた。その表情は、シャンヌが初めて見るチロルの無防備な顔だった。


「ただいま。チロル」


 ラストルは穏やかに微笑む。紺色の髪の勇者は、優しい手付きで銀髪の君の寝癖を整える。


 その二人の姿に、ブレッドは面白く無さそうに顔を背ける。


「······銀髪の君の傍らには、常に紺色の髪の勇者が寄りそう」


 吟遊詩人の一節を、シャンヌは誰にも聞こえない小さな声で呟いた。チロルとラストルの間には、誰も入る余地が無いと思わせる雰囲気が漂っていた。


 二人の勇者のその姿を、赤毛の少女は頬を赤らめて見つめていた。


 


 


 

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