第6話 堀井愛莉はママになる
「おかえり! どんな子を連れてきた──やだ、こんな可愛い子を連れてきて! よくやったわ、大地!」
家から飛び出してきた女性は愛莉が抱いた子猫を見るや、愛莉に駆け寄り子猫に顔を思い切り近付ける。 40半ばほどか、極端に若い外見ではないが細身な体も溌剌とした表情も若々しさを感じさせる。
「可愛いわねぇ♪ あら? びっくりさせちゃったかな? ごめんねぇ、よしよーし」
あまりの勢いに引きつっている子猫に謝りながら
「もう大丈夫だからねぇ。 ちゃんと飼い主さん探してあげて、見付からなかったらあなたはうちの子よ♪」
「お袋──」
「あ、あんた、
ゴッドハンドに撫でられ、子猫は愛莉の腕の中でピクピク痙攣していた。 その様子に夢中になりながら女性の顔は蕩けそうになっている。
「お袋……客の前でそれはやめろ」
「……お客さん?」
言われて初めて気付いたというように女性が顔を上げ、愛莉の存在をようやく認識したようだ。 子猫しか目に入ってなかったようで、数秒、呆気に取られて愛莉と見つめ合ったと思うと、不意にすごい勢いで大地の方に向き直る。
「ちょっと大地! こんな可愛い子を連れてきたと思ったらこんな可愛い
「言っとくけど──」
「大地が彼女を作れたなんて、ずっと心配してたけどもう安心ね。──初めまして。 大地の母の美里です」
彼女とかじゃないと釘を刺そうとしたのだろうが遅かった。 大地の母親──八坂 美里はすっかり勘違いしてニコニコしながら愛莉に挨拶する。
「大地とはいつから? この子、そういう話をしてくれないから全然気付かなかったわぁ」
「あ、あの、八坂くんとはそういう──」
「堀井はお袋に挨拶したいって言うから連れてきたんだよ」
「もうそんな関係なの!?」
否定の言葉にさらに勘違いをする母親に、大地は頭が痛いというように手を当てる。
「ん? ちょっと待って……堀井さん?」
きっぱり否定しないとと、口を開きかけた二人の目の前で、美里が何かに気付いたかのように呟いていた。
「はい……八坂くんのクラスメートで堀井 愛莉って──」
「まぁっ! 愛莉ちゃんだったのね!? 全然気付かなかったわぁ。 こんな可愛くなってて、おまけに大地が愛莉ちゃんを連れてくるなんておばさんびっくりしっぱなしよ」
「「……は?」」
突然、一人で納得し始めた美里に、二人は揃って間の抜けた声を上げていた。 どういうことか理解できずに困惑する二人に気付かず、美里のテンションは上がりっぱなしだ。
「もう、あんたったら早く言いなさいよ。 でもそっかぁ……愛莉ちゃんとなら納得ね。 あ、それじゃ愛莉ちゃん、夕御飯はうちで食べて行って。 色々話も聞きたいし、由紀さんにはおばさんから連絡しておくから──」
「……ちょい待ち、お袋」
一人で話を進める母親を、混乱した様子の大地が止める。 愛莉も何が何だか分からずに混乱しきっていた。
由紀というのは間違いなく愛莉の母親の名前だ。 ただ偶然出会ったクラスメートの家にきただけなのに、自分のことも母親のことも知られている風なのがどうにも理解できなかった。
「どうしたの?」
「いや……こいつのこと知ってるの?」
「知ってるのって……いやねぇ。 あなたたち、幼稚園からずっと一緒じゃない」
「「はぁっ!?」」
あまりの驚きに、大地と愛莉は思わず顔を見合わせていた。 幼稚園からずっと一緒と言われてもそんな記憶は愛莉にはなかった。 大地の顔をまじまじと見ても、顔が隠されているせいもあるだろうが心当たりは全く浮かんでこない。
大地もそれは同じようで、愛莉の顔をまじまじと見て、それでも思い当たりはしないようで首を傾げている。
そんな二人を見て、美里は苦笑していた。
「あんた、あの愛莉ちゃんだって気付いてなかったの? でもそうねぇ、同じクラスだったのは年少組と年中組の時だけだったから忘れちゃったかしら?──大地、トラマルを助けた時のこと、覚えてない?」
猫の名前だろうか、いきなり美里に話を振られ、大地は記憶を探るように唸る。 遠い記憶ですぐには思い出せないのか、しばし考え込みながら思い出したことを整理するように呟いていく。
「確か……幼稚園の時に木から降りられなくなってたのを俺が助けに……だったっけか?」
「それであんた、木から落ちて病院に運ばれたでしょ?」
それも覚えていないのか、自信なさげに唸る大地に美里はその時のことを聞かせる。
「幸い大きな怪我にはならなかったけど気絶しちゃって、目が覚めたあんたに何でそんな危ないことしたのって聞いたらこう言ったのよ? 『あいちゃんが猫ちゃんを助けてって泣いてたから助けにいったんだ』って」
その言葉に刺激され、愛莉の脳裏に幼い頃の記憶が甦った。 確かにあった。 木の上で鳴いてる猫を見付けて、助けてあげてほしくて泣いてしまっていた自分の姿が思い出される。
『ぼくがたすける!』
泣いている自分にそんな風に言って木に登っていった男の子のことも思い出していた。 フルネームまでは思い出せない。 けれど、その男の子をどう呼んでいたか、それははっきりと思い出した。
「……だいくん?」
「……あいちゃん?」
大地も思い出したか、同時に呆然とお互いの昔の呼び名を呟いていた。
接点もない、意識もしていなかったクラスメートとの過去を思い出すと、愛莉は不意に恥ずかしくなって目を逸らす。 自分のために猫を助けに行って大変なことになった男の子に、当時の自分がどんな気持ちを抱いていたか、それまでも思い出してしまった。 目の前にいる好感を抱けると感じたクラスメートがその男の子だと唐突に知らされ、顔が赤くなるのを抑えられなかった。
不意に明かされた事実に戸惑っているのは大地も同じなのか、赤くはなっていないものの気まずそうに頭を掻きながらそっぽを向く。
「あんた、あの後から習い事を始めて幼稚園の友達とはあまり遊べなくなっちゃったもんね。 おまけに愛莉ちゃんの家はちょっと離れてるし、由紀さんが猫アレルギーがひどいから行き来もできなかったし仕方ないか」
うんうんと頷きながら、美里は二人を見て微笑ましげに笑み崩れていた。
「それなのに気付かないまま付き合ってたなんて……運命的ねぇ。 詳しく聞きたいわぁ」
「いや、だから付き合ってるとかじゃないんだよ」
これ以上勘違いされて過去の話を掘り返されるのはごめんなのだろう。 大地がきっぱり否定すると美里は怪訝そうな顔になる。
「えっとだな……堀井とは今は単なるクラスメートで──」
「あいちゃんでしょ? 昔はあいちゃんのこと好き好きって毎日──」
「んな覚えてもないガキの頃の話はいいんだよ!」
思わず怒鳴り返す大地の横で、愛莉は頬の熱が増すのを自覚せざるを得なかった。 覚えてもいない子供の頃の話などもはや無関係と分かっているのに、好意を抱かれていたなどと聞かされて恥ずかしくなってしまう。 無論、言われてる大地の方がより居たたまれなかっただろうが、そうした思い出話は親の特権だろうと美里はどこ吹く風だ。
「とにかく、堀井がこいつに飛び付いたもんだから親に捨てられる可能性が高いし仕方なく拾ってきたんだ。 で、自分の責任だからちゃんと挨拶して謝りたいって言うから連れてきたんだよ」
「あの……ほんとにすいませんでした」
「まあ、そんなこと気にしなくていいのに。 むしろ愛莉ちゃんのおかげでこの子がうちにこれたんだから感謝しないと」
さっきからの子猫への態度で分かってはいたが、愛莉の謝罪など無用と美里は嬉しそうにしている。 これならこの子も心配ないなと安心する愛莉に、美里はいいことを思い付いたと言うように手を叩く。
「そうだわ! それじゃこの子はうちで飼うけど愛莉ちゃんの子ってことにしようかしら。 愛莉ちゃん、この子の名前、付けてあげてくれない?」
「いいんですか!?」
美里の思わぬ提案に、愛莉は全力で食い付いていた。
「もちろんよ。 この子に会いにいつでもきてくれていいから」
「うわぁ……ありがとうございます、おばさま!」
この子にいつでも会える。 それに他の猫たちにも。 その嬉しさに夢見心地な愛莉は何かを企むように悪戯っぽく笑う美里にも、憮然とした大地にも気付かずに腕の中の子猫を見つめていた。
自分の子として名前を付けられる。 家を出るまでは絶対にないと思っていた夢の一つだ。 突然降って湧いた幸せにどうしようか悩んでしまう。
──どうしよう……可愛い名前……ううん、大きくなったらかっこよくなりそうだし……何がいいかなぁ──
腕の中から見上げる子猫を眺め、人生で初めてと言っていいくらいに真剣に悩んでいた愛莉はふと子猫の尻尾に気付いた。 生まれつきか、それとも誰かに踏まれたりする事故があったのか、子猫の尻尾は
それを見て、愛莉は頭に不意に浮かんだある名前を口にする。
「あの……『ナイト』っていうのはどうですか?」
黒猫ナイトの縁結び 黒須 @xian9301
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