第3話 堀井愛莉は暴走する
「キャァァァァッ! なにあれなにあれ!? チョーちっちゃくてカワイー♪」
声を張り上げるのは堪えたが興奮は抑えられず、愛莉は声を潜めながらはしゃいでいた。
大地が示した茂みの向こう側には小さな子猫がいた。 真っ黒でフワフワな毛並の可愛らしい子猫、それも生後一ヶ月程度の本当に小さな子猫だ。 芝生で丸まって寝ている姿の可愛らしさに、無類の猫好きな愛莉のテンションは一気に上がっていた。
「やぁん! 気持ち良さそうに寝てるー。 動いてるー。 あっ! 今ピクッてした! カワイー♪」
寝ている子猫を起こさないようにと声を潜めながら、愛莉は隣にクラスメートがいることも忘れたようにデレデレに笑み崩れていた。 漫画だったら目がハートマークになるか周りにハートマークが出ているところだ。
猫が好きで好きでたまらないのに家で飼えない事情がある愛莉にとって、目の前で眠る子猫の姿はスイーツよりも甘い吸引力があった。
「あんまり騒ぐなよ?」
隣からの声にはっとなり、愛莉は大地を見ると恥ずかしさに顔を赤くしていた。
「あ、あはは……ごめん。 でもチョー可愛いねぇ──って、あんた、あの子のことずっと見てたの?」
「まあな」
──分かる。
大地の返事に愛莉は大きく、それはもう本心からの同意を込めて頷いていた。
あの子だったら10時間でも見ていられる。 朝に見かけた時に声をかけて、大地があの子を見ているのだと知ったら予定を変更して愛莉もそうしていた。 そうしない理由が何一つ存在しない。
愛莉の中から大地を不審者と思ったことなど吹き飛び、猫好きの同士に対して好感度爆上げ、親近感MAX状態になっていた。
「あんたもそんな猫好きだったんだ? 可愛いもんねぇ……あ、見て見て! お鼻がヒクヒク動いてるよ! やぁん、あんな可愛いの反則だよぉ♪」
「いや……別に猫好きってわけじゃないんだけどな」
子猫の様子を眺めながら嬉しそうにはしゃぐ愛莉だが、冷静な大地の返事に間の抜けた顔で大地を見返していた。
大地は愛莉の方を向いていない。 熱心に、なのかは目が隠れていてよく分からないが、とにかく子猫から目を離そうとせずに見つめていた。
「猫好きじゃないって……じゃあ何で?」
「親猫とはぐれたみたいだからな。 いじめたりするバカもたまにいるしカラスとかに襲われるかも知れないだろ? 親猫が迎えにくるか誰かが拾うかするまでは見ててやろうと思ったんだよ」
愛莉は思わず頭を捻っていた。 大地の言うことはつまりあの子猫に危険がないよう見守っていたということだ。 それも10時間もの間、トイレに一度行った以外は目を離すこともなく見守り続けていたんだと。 それこそ猫好きでなければできるわけがない。
「……何でそこまで?」
「あんなの見たら放っておけないだろ」
当たり前のように言う大地に、猫好きかどうかを置いても愛莉の好感度は上がっていた。
──やだ……こいつ、チョーいいやつじゃん──
きっと、大地もあの子を飼ってやりたくても飼えない事情があって、それでせめて安全になるまでは見守ってあげようとしてたんだろう。 そう思い、大地を不審者と思ったことを内心で謝りながら、愛莉は子猫に目を戻す。
子猫は本当に気持ちよさそうに、穏やかに眠っている。 親とはぐれた子猫とは思えない、家猫が自分の家で昼寝をしているような落ち着きぶりだ。
──お母さんとはぐれたのにのんびりした子だね──
子猫の大物ぶりを微笑ましく思っていた愛莉だが、不意に大変なことに気付いた。
「あっ! あの子、お母さんとはぐれたならご飯は!? まだミルクたくさん飲まないといけないよね!?」
「あれくらいなら離乳食に慣れさせる時期だ。 ミルクに離乳食を混ぜたのを妹に持ってこさせて四回やった。 ちゃんと食べてたから心配ない」
お腹を空かせてるんじゃないかと、そう心配した愛莉だが餌までしっかりあげてたという大地にほっと胸を撫で下ろしていた。
「……詳しいね」
「まあな」
「てかそこまでしてあげてたの?」
「当たり前だろ」
──……当たり前じゃないと思うけど──
野良の子猫をずっと見守って、しっかりエサまであげて、そんなことが当たり前だったらこの世は猫にとって天国だ。 そして猫好きにとっては理想の世界だろう。 当たり前なわけはなく、よほどの猫好きでなければできるわけがない。
どの口で猫好きじゃないと言うのかと、大地の横顔を見ながら愛莉は苦笑していた。
──ツンデレってやつだね──
きっと猫を好きというのが恥ずかしいと思ってそう言っているのだろう。 そんな風に思うと愛想のないクラスメートが可愛く思えた。
──男の子ってカッコつけたがりだもんね──
愛莉はそれ以上触れないことにして愛らしい猫の寝姿に目を向ける。 ただ眠って呼吸の度にお腹が動いてるだけなのに、愛莉にとっては至福の時間だ。
「あー、やっぱり可愛いなぁ♪ 早くお母さんが迎えにくるといいね」
このまま眺めていたいが早く親猫に保護されるのを確認して安心したいなと、そんな風に愛莉が呟いた時だ。 眠っていた子猫が身を震わせてうっすら目を開けると、体を起こして大きな欠伸をする。
「あ、起きた起きた! やぁん♪ あくびしてるのも──」
「ちょっと静かに──」
大地が制止したが遅かった。 母親の姿を探すようにキョロキョロと周りを見ていた子猫だが、大地と愛莉を見て可愛らしく鳴くとまだ覚束ない足取りで二人へ向かって歩いてくる。
「……離れる──」
「とぉっ!」
大地が何やら促そうとしたがそれも遅かった。 短い足でトコトコと可愛らしく歩いて向かってくる子猫の姿に理性が飛んだ愛莉が、芝生にダイブして子猫を抱き上げていた。
「あははっ! 驚かせちゃってごめんね。 よしよーし、いいこいいこ♪」
突然のことに驚いてジタバタと暴れる子猫だが、その小さな体では猫好きの魔の手から逃れるのは到底叶わなかった。 抵抗する姿も可愛くてたまらず、逃がさないように抱き締めながら、愛莉はそれはもう幸せいっぱいな笑みを浮かべて子猫を撫で回す。
子猫も愛莉の腕の中でしばらく暴れていたが、撫でられる内に落ち着いたか大人しくなり、少し憮然とした顔で愛莉にされるがままになる。
「はぁぁぁっ……かぁわいぃ♪ 見て見て、八坂! この子チョー可愛いよ! ほら、あんたも──」
猫好きと喜びを分かち合おうと抱き上げた子猫を大地に差し出すが、愛莉の傍らに立った大地の様子はどうもおかしかった。
髪に隠れて表情は見えない。 しかしその雰囲気からは露骨なまでの不機嫌さが感じ取れる。 それを示すように思い切り溜め息を吐く大地に、愛莉は困惑を目に浮かべながら大地を見上げる。
「……どしたの?」
「お前さ……そいつ飼えるの?」
「んー……飼ってはあげたいしお母さんもすごい猫好きなんだけど……お母さん、猫アレルギーがひどいからちょっとムリかな」
愛莉の母親も愛莉に負けないくらいの猫好きだ。 しかし同時に、猫を抱っこでもしようものなら倒れるくらいの重度の猫アレルギーで猫を飼うことは到底叶わない。 猫を飼ってる友人から写真や動画をもらっては眺めるのをせめてもの楽しみにしていて、愛莉もよく見せてもらっている。
愛莉の返事に大地はまた大きく溜め息を吐くと、子猫を抱き締める愛莉に目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「ほら、あんたも撫でてあげて! ゴロゴロ言って──」
「お前に一つ教えてやるよ」
子猫を抱き締めるためにそうしたと勘違いする愛莉に、大地は衝撃的な一言を放っていた。
「お前は今、そいつを殺したんだぞ」
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