第2話 堀井愛莉はクラスメートと遭遇する

 愛莉は6時過ぎにフィットネスクラブに入って一時間程度運動をしていた。 予定がない日ならもう少し時間を使うが、予定がある日は出かける準備もあるし控えめにしている。

 シャワーと身支度で時間が多少かかり、現在の時刻は8時少し前。 子供連れの夫婦や子供同士が集まる大きめの公園とは言え人影はまばらだ。 とは言え、他に人が全くいないわけでもない。 それなのにその人物に注視したのは二つの理由があった。


 まず、その人物は極めて不審だった。 挙動不審というわけではない。 むしろ微動だにせずしゃがみ込んでいる。 とは言え具合が悪そうなわけでもなく、茂みの中かその向こうか、何かを覗き込むようにしていた。

 朝の散歩を楽しんでいる、あるいはどこかに出かけるために駅へと向かう人の中では明らかに浮いていて、みな怪訝な目を向けてはそのまま通り過ぎていく。 それくらいに怪しい。

 そしてもう1つの理由が──


「……八坂?」


 その少年は親しくはないもののクラスで見知った顔だった。 顔、と言っていいのかどうかは判断が難しい。 しかし、長い前髪で目を隠すなどという漫画かゲームでしかまず見ることのないその特徴からしてまず間違いない。

 八坂 大地は見るからに陽キャな愛莉とは真逆で、外見はいかにもな陰キャだ。 しかし、愛莉が知る限りでは孤立しているとかそういうことはなかったはずだ。


 親しくはないので詳しくは知らないが、クラスメートとも普通に話しているし、田所と村瀬とは友人らしく三人でいるところはよく見る。

 田所は空手の有段者で県大会で三位の実力者。 村瀬はストリートダンス部で色んな大会に参加してるし宇宙部に動画を上げて結構人気らしい。

 その二人と仲がいいのだからオタクというわけでもないのだろうと思う。 田所と村瀬のこともあまり知らないから実はその二人もオタク趣味の可能性は否定できないが、大地自身がその外見とは裏腹に何かしらの運動をしている可能性もありそうだ。


 しかし、学業も運動も目立っていれば印象にくらい残るだろうから、運動をしていたとして平凡なのだと思う。 物静かなこともあってとにかく地味なクラスメートと、それくらいにしか思っていない相手だ。 よくも悪くも思っていない、ごく普通のクラスメート。


──八坂ん家って近所だったんだ──


 そんなクラスメートを自分の生活圏で見かけたことに軽い驚きを感じながら、愛莉は大地を観察する。

 大地はじっと見つめる愛莉に気付く様子もなく、ただひたすら何かを見ている。 これが夜中であれば愛し合う恋人の姿を見守る『愛の傍観者出歯亀』かと疑うところだがこんな時間でさすがにそれはないだろう。 しかし、それにも負けないくらいの熱心さで何かを見つめている。


──……何してんのかな?──


 親しくもないクラスメートとは言え、その不審さに逆に何をしているのか興味をそそられる。 声をかけてみようかと考え、しかし愛莉はそれを思い止まった。

 クラスメートを見かけて声をかけるのはさほどおかしなことではないとは言え、大地がどんな人間なのかを愛莉は知らない。


──……変に意識されたりしたら困っちゃうしね──


 愛莉のことを自意識過剰とは言えない。 実際、愛莉はそれくらいに学校で人気があるしモテる。

 大地が見た目通りの陰キャで女子に免疫がなかったとすると、変に意識されてストーカーになってしまうかも知れない──そう心配したとしても周囲の人間は心配しすぎとは言わないどころか同調するだろう。 何しろ彼女は一度、深刻化する前に解決はできたものの実際にそうした被害に遭っている。

 ここまで考えてしまうのも、ナンパ男を避けるのも、そうした経験から愛莉がどこか臆病になってしまっているためだ。


──邪魔はしない方がいいよね──


 ひょっとしたら虫の観察でもしているのかも知れない。 昆虫学者でも目指していて、実践的な学習の最中かも知れない。 何であれ、あれだけ集中しているのを邪魔するのはよくないだろう。


──虫とか見せられても困るし……──


 いつの間にか想像を事実としながら頷くと、愛莉はそのままペダルに足をかけ、自宅へ向けて自転車を走らせ公園を出ていった。

 友人たちとの待ち合わせは11時。 フィットネスで仲良くしている社会人のお姉さんたちと比べれば化粧にかける時間は少ないとは言え、それでも出かける準備にはそれなりに時間もかかる。

 お洒落をして思い切り休日を楽しもうと、友人との楽しい時間に思いを向けながら家に着く頃には、公園で見かけたクラスメートのことは頭から離れていた。



「えっと……えぇ……?」


 その目を疑う光景に、愛莉は呆然として呟いていた。 深紅みく杏珠あんじゅ、二人の友人と遊んだ帰り道のことだ。

 三回ほどナンパはされたものの、イケメン好きの深紅と筋肉フェチな杏珠、二人の気が向くような相手はいなかったため、三人で楽しい時間を過ごせた。

 パンケーキも美味しかったし水着も気に入るものが見付かった。 猫柄のビキニで、試着してあまりの可愛さに即決していた。 ちなみに深紅はピンクに花柄のフリフリなパレオ付きビキニで杏珠はシンプルな黒のストラップレスビキニを買っていた。

 海やプールに行くのが楽しみにはなったが、深紅も杏珠もスタイルがいいだけに三人揃ってビキニだと鬱陶しいくらいにナンパされるのが目に見えている。 できればナンパ男ではなくちゃんとした彼氏に見せられればなと、そんな風にも思ってしまう。


 夕方までそうして過ごしていた愛莉だが、もう少し遊んで帰ろうかと思った時にまたナンパされて、それが深紅と杏珠のお眼鏡に適ってしまった。

 夕方近い時間だというのに一緒に遊ぶという二人に対し、愛莉は不安だったため一人で帰ることにした。 ナンパ慣れしてる二人はあしらい方も上手いので、いつも通り問題は起きないだろうと、そうして地元に戻り、朝も通った公園に差し掛かったのだが──


──まさか……ずっと?──


 そこにいた。 場所こそ変わっているものの、朝に見た時と同じように、熱心に茂みを覗き込むようにしている大地の姿がそこにあった。

 実のところ、昼前に駅に向かう時にも大地の姿は朝と変わらずあったのだが、この時間までいるなどとは夢にも思わなかった。

 仮に朝からずっといるなら実に10時間以上もそうしていることになる。 クラスメートとは言え、愛莉もさすがにドン引きしていた。


──うわぁ……なに? 八坂ってアブナイやつ?──


 失礼なことを考えながら関わらないように通りすぎようとした愛莉だが、大地の背後を通りすぎようかという時に足を止め、大地の背中を凝視していた。

 関わらない方がいいと思う。 しかしその警戒心以上に、10時間以上も夢中になって一体何を見ているのか、湧き上がる好奇心は強く抗いがたいものがあった。

 時刻は18時を少し回ったところ。 日も大分傾き暗くなりつつあり、親子連れは姿を消しているが人影が全くないわけではない。 夕暮れの公園というムードのある空間に、カップルらしい二人連れがちらほらと見える。

 好奇心と警戒心を秤にかけてしばらく考え、そう危ないことにはならないだろうと結論づけると愛莉は大地の背後から声をかけていた。


「八坂、だよね? なにしてんの?」


 突然の呼びかけに驚いた風もなく、しゃがみ込んでいたクラスメートが振り返る。


「……堀井か? 何でこんなとこにいるんだ?」


 声をかけられたことに驚きはしなかったものの、接点のないクラスメートとの邂逅には驚きがあったか、気怠そうな声で問い返してくる。

 学校でも大地はいつもこうだ。 覇気がなく気怠そうにしていて、友人といる時でも騒いだりしてるのを見た記憶がない。


「あたしん家、近所なんだ。 遊びに行った帰りなんだけど……あんた、朝からずっとそうしてたの?」

「……見てたのか?」

「見てたってか見えちゃったんだけど……まさかずっとそうしてたんじゃないよね?」

「……妹を呼んで代わらせてトイレに一回行ったくらいだな」


 少し考え込んでから返ってきた答えに、愛莉のドン引き度が上がった。 食事に帰ったりはしたのだろうと思っていたのに、まさか本気で10時間もこうしていたとはさすがに理解に苦しむ。

 好奇心に負けたことを若干後悔しかけたが、もう声をかけてしまったのだからと愛莉は開き直る。


「でさ、何をそんなに夢中になってるの?」


 あまり他人に知られたくないことだったりしないかと、今更ながらにそんな風に思って心配する愛莉に、しかしそんなことは全くないようだ。 静かにと示すように口許に指を立てながら、大地は反対の手で茂みの向こう──自分がずっと見ていた方を指差す。

 一体何なんだろうと、躊躇いながらも大地の隣にしゃがみ込んで指差された方を見て──


 愛莉は口許に手をやり思わず上げかけた悲鳴を抑え込んだ。

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