黒猫ナイトの縁結び

黒須

第1話 堀井愛莉はこんな少女です

「んー……気持ちいー」


 自転車でのんびり走りながら、爽快感に愛莉は思わず呟いていた。 初夏を迎えたとは言え朝の、それも木陰の多い公園の涼しげな空気は心地よく、運動した汗をシャワーで流した後の素肌を優しく撫でてくれる。

 日曜日──学生も社会人も、大半の人間が楽しみに迎える休日の朝。 惰眠を貪りたくなるこの時間にも活動する人間はいる。 愛莉もその一人だ。

 明るい髪色に軽く日に焼けた肌、元々はっきりした顔立ちをしていることもあり控えめなメイクでもいかにもギャルと言った風貌をしている。 そんな彼女の生活は意外にも健康的だ。 週に四回、月曜と水曜、金曜の夜に日曜の早朝、近所のフィットネスクラブで汗を流すのが習慣となっている。


 愛莉は元々は運動があまり好きではなかった。 猫とお洒落と可愛いもの、それに食べることが大好きな今時のギャルだった彼女だが、ある日、母親からこんなことを言われた。


『愛莉……太った?』


 その一言に、愛莉はクッキーを口に放り込む直前で硬直していた。

 自覚がなかったと言えば嘘になる。 愛莉の家は割と裕福で、クラスメートと比べるとお小遣いは多めだったが、食べることに一番はまっていた当時の愛莉はスイーツの食べ歩きにその大半を注ぎ込んでいた。


──ちょびっと太ったかな……──


 入浴時に鏡で自分の体を見て、そう思ったことは確かにある。 胸が大きくなっていてそれは女子としては嬉しかったものの、お腹周りや二の腕に付いた肉はその嬉しさを半減させていた。

 しかしその度、ちょっとだけだから、すぐに戻るから、きっと胸はそのままで他の部分は消えるから、そう目を逸らしてスイーツを食べ続けた結果、消えてくれることを期待した部位は消えるはずもなく、毎日顔を合わせていて少しくらいの変化なら気付きづらいはずの母親に言われるまでに成長してしまった。

 愛莉の名誉のために言っておくと、そこまで太っていたわけではない。 ぽっちゃりの入り口に足を踏み入れかけていた程度であって、胸の大きさを考えれば男受けはむしろいいのではないかと思える程度だった。 しかし、10代半ばの女子にとっては自意識が傷付くほどショックなことであることは言うまでもない。

 自分を誤魔化すために乗らずにいた体重計に覚悟を決めて乗った時に示された数字は、愛莉にとっては忘れたいが忘れ難い黒歴史だ。


 ダイエットをしなくてはと一念発起した彼女だが、食事制限は二日で諦めた。 愛莉に甘い年の離れた兄が買ってくる甘いケーキの甘い誘惑を断ち切るのは、愛莉にとっては砂漠で一杯のコップの水を他人に譲るようなものだった。 つまりは不可能なことで、ダイエットの決意はどこへやら、三つのケーキをペロリと平らげた後に兄に感謝しながら恨めしく思ったものだ。

 食べるのをやめられないなら運動だと、ジョギングと筋トレを始めたのだがこれも長続きしなかった。 一人でただ走る、部屋で筋トレをするというのはどうにも集中できず、せっかく買ったウェアとシューズも一週間と経たずに使わなくなってしまった。


 ダイエットを諦めようかと、そういう考えにはならなかった。 食べることも好きだったが可愛いものも好きで、自分も可愛くありたいと、その気持ちも強かった。

 食べたいし痩せたい。 そうなると運動するしかないわけで、楽しく運動できる方法がないかと考えていた愛莉に母親が差し出してきたのが近所にオープンしたフィットネスクラブのチラシだった。

 無料体験のクーポンがあったのでとりあえず試しに行ってみて、終わる頃には愛莉は入会を決めていた。 様々なマシンを使った運動や用意されたプログラム、それに同じように運動するために人がいる環境は、単調さがなく楽しんで運動ができた。


 そうして高校入学の前から始めたフィットネス通いだが、運動で汗を流す快感にはまってしまい一年以上も続いているこの習慣は愛莉を以前よりも魅力的な少女に変えていた。

 筋肉質にはなりたくなかった愛莉はインナーマッスルを鍛えるトレーニングと有酸素運動をメインにしていて、出るとこは出てへこむとこはへこむ、それも変に細すぎもしない女の子らしい魅力的なスタイルになっていた。 運動で汗を流すことがデトックスにも繋がり、また多少のストレスも運動で解消されるのか、17才という年齢を差し引いても美しい肌艶をしている。 さらには運動が精神的にもいい刺激として働くのか、表情も人を惹き付ける明るさを発しているようだった。


 元々の顔立ちのよさと性格の明るさも相俟って、学校ではかなりモテるし友達と遊んでいてもよくナンパされる。 フィットネスクラブでも話しかけてくる男性は年齢を問わずいるが、下心が見えるようでそうした男はあまり相手にしていなかった。


──自分が可愛くありたいから。


 それが愛莉の原動力で、男にモテたいから可愛くしてる友人とは少なからずずれていることは自分でも自覚していた。

 そんな彼女ではあるが恋愛に興味がないわけでもない。 しかし、彼氏がほしいからといってナンパしてきた相手と試しに付き合ってみようなどとは思わなかった。

 ギャルだからと軽く見られがちだが、愛莉はこの人が好きだと、この人と付き合いたいと、そう思ってドキドキするような相手じゃなければ付き合いたいと思わない、そんな恋に夢を見る乙女な一面があった。


 もちろん、ナンパしてきた男にも話が上手で面白かったり、夢があってがんばってるような人もいて、付き合ってみれば愛莉が夢見るような恋愛に繋がるかも知れない。 そうは思っても、ナンパ=下心のイメージが先に立ち、一人でいる時にナンパされれば全部お断りしているし、友人と一緒にナンパされて少し話したり遊んだりした時も連絡先の交換をしたこともなかった。


 今日は友人と出かける約束をしている。 まだ夏本番には早いがみんなで水着を選んで、お気に入りのカフェが夏限定のパンケーキを始めるとのことなので早速食べに行くことになっている。

 楽しみではあるがまたナンパされるかと思うと、少し憂鬱ではあった。


深紅みくはこないだナンパしてきた人とはもう別れたし……あの娘、いつも十日も保たないもんなぁ。 杏珠あんじゅも彼氏ほしいって言ってるし……」


 深紅はおっとりしているくせに肉食系で、イケメンにナンパされると簡単に付き合うが10日も保たずに別れる。 まずはともかく付き合ってダメだったらお別れとさっぱりしている。 色々と心配になるが体まですぐ許すことはないようで、すぐに別れることからも深い付き合いになるまでのハードルは高いようだ。


 杏珠も彼氏を欲しがるが彼女のハードルはなお高い。 何せ彼女は体目当てで男を選ぶ。 一言で言うなら筋肉フェチだ。

 そんな杏珠だがボディビルダーのような分かりやすい筋肉は好きではないと公言している。

 何やら拘りがあるようだが杏珠がそれを語り始めると長いので愛莉はいつも聞き流している。 ただ外からははっきりと見えないような部分への拘りなので、ナンパされて少し気になったらとにかくボディタッチで感触を確かめる。 お気に召すことは中々ないので付き合うこと自体そうそうないがナンパのハードルは低い。


 ナンパされて二人が相手を気になったら一緒に遊ぶことはほぼ決まりだろう。 友人だけで遊んでる方が楽しいのにと、そうは思ってもナンパされて乗り気になってる友人たちにはさすがに言いづらい。

 できればナンパされませんようにと、そう思いながら公園の真ん中に差し掛かった時のことだ。 ふと目に入った一人の人物に、愛莉は自転車を止めて注視していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る