第4話 堀井愛莉は助けを求める
「……へっ?」
大地の言葉が理解できず愛莉は間の抜けた声を上げていた。
愛莉は抱き締めた子猫を見下ろす。 愛莉に甘えているのか抵抗しているのか、愛莉の指を甘噛みする子猫は元気いっぱいだ。
「えっと……や、やだなぁ。 そんな縁起でもないこと──」
「お前さ、野良の子猫の生存率って知ってるか?」
たちの悪い冗談だと、そう思いたくて茶化すように言う愛莉だが、大地は真面目だった。 重苦しく聞かれ、愛莉は首を横に振る。
「よく言われるのが10~20%。 死因の中には親猫の育児放棄なんてのもある」
野良猫にとって外の環境は過酷だ。 怪我や病気、栄養失調、外敵に襲われる、それに一定のエリア内で繁殖を繰り返していると近親交配が進んで遺伝子的に脆弱になりやすいなど、様々な要因で野良の子猫はほとんどが死んでしまう。
そしてその中の一つに親の育児放棄がある。 弱った子供を助けたりしない、それは自分と他の子供が生き残るための残酷な取捨選択だ。 親に捨てられた子猫は他の庇護者が見つからない限り、生存率は限りなく0に近いものとなる。
「親猫が餌付けされてたり元飼い猫で人間に慣れてるならともかく、人間を警戒する野良猫は人間の匂いが付いた子供を警戒して育てなくなることがある。 そしてこの辺の猫は俺が知る限りだと警戒心の強いのが多い。 意味は分かるだろ?」
──お前が不用意に触ったせいでその子は親に捨てられるんだ。
大地の言葉の意味を理解して、愛莉は真っ青になった。
「えっ……ちょっ……ど、どうすれ……あたし……ねぇっ!?」
腕の中の可愛い子猫。 じゃれるように指に噛みつき遊ぶこの命が自分のせいで失われる。 思いもしなかったことに愛莉は混乱しきっていた。
「ダメ……そんなの……誰か……」
自分の家では飼えない。 だけどこのままにもできない。 すがるような目を大地に向けかけ、すぐに愛莉はうつ向く。
この子を飼えるなら大地だってこんな何時間もただ見守るなんてしていなかっただろう。 自分が仕出かしたことで飼ってあげてくれないかなんて、そんな無責任なお願いをできるはずがなかった。
腕の中から子猫が愛莉を見上げ、首を傾げて鳴く。 この愛らしい子の命運を自分が断ってしまったのだと、そう思うと愛莉は涙と震えが止まらなかった。
どうしていいか分からず、何も言えずに涙を流す愛莉に、大地はもう一度溜め息を吐くと愛莉の腕の中の子猫を首筋をつまんで持ち上げる。
困惑して見上げる愛莉の前で子猫を抱え直すと、大地はスマホを取り出し電話を始めた。
「お袋?
短く一方的に告げて電話を切る大地を、愛莉は呆然と見ていた。
「八坂……その子……飼ってくれるの?」
「元々、親も拾う人間も現れなかったらそうするつもりだったんだよ」
事も無げに言う大地に、愛莉は全身の力が抜けていた。 今度は安堵から涙が止まらず、子供のように泣きじゃくる。
「よかっ……ほんとに……ありが……うっ……」
目の前で泣きじゃくる同級生女子の姿に、無愛想で何を考えているのかいまいち分からない大地も気まずそうだ。
「あー……まあ脅すようなこと言って悪かった。 だけど俺がいなかったらそうなってたんだってことは覚えとけよ」
「うん……ごめん……ほんとに……」
今まで野良の子猫に触ったりしたことはなかった。 子猫を見かけても逃げられるのが当たり前だった。 それで本当によかったと、愛莉は心底ほっとしていた。 知らずに子猫の命を奪うようなことをしていなくて安堵していた。
泣いている女子を置いていくのは気が引けたか、大地はしばらくそのまま、子猫を撫でながら愛莉が泣き止むのを待っていた。
大地の撫で方が上手いのか、目を細めて撫でられていた子猫が骨抜きになった頃、ようやく愛莉が落ち着いたのを確認すると、地面に置いていたバッグを拾い上げる。
「それじゃ俺は帰るから。 暗くなってきたしお前も気を付けて帰れよ」
「あ、待って! あたしも八坂ん家に行く!」
愛莉にそれ以上興味がないと言うように背を向けて歩き出した大地だが、愛莉の唐突な言葉に振り向いていた。
「……何で?」
「その……あたしのせいでその子、八坂ん家で面倒見ることになっちゃったし。 おうちの人にちゃんと挨拶して謝らないと」
大地は問題ないように振る舞っているが突然猫を拾ったなどやはり迷惑だろう。 それに猫一匹でも経済的な負担もある。 最終的に拾うつもりだったとは言え、親猫に保護される道を塞いだのは愛莉であり、本人もその責任を感じていた。
「別にそんなのいらないけどな」
「ダメだよ! 八坂だけじゃなくておうちの人にまで迷惑かけちゃうんだから!」
愛莉の強い言葉に大地は押し黙る。 表情は窺い知れないが、愛莉がこうも強くしっかりしたことを言い募るのが意外だったのだろう。
愛莉が言っていることは筋が通っている。 別にそれを断る必要もないはずだ。 だが、大地はすぐに頷かなかった。 気が進まないと言うように、何やら考え込んでいる。
そのまましばし考え込んでいた大地だが、何かを諦めたような溜め息を吐くと子猫を愛莉に差し出していた。
「この子……」
「うちまで抱っこしてろよ。 もう会えないんだし」
もう会えないと、大地のその言葉の意味はすぐに分かった。 家にくるのをあまりよく思ってないのは大地の態度からも一目瞭然だ。 この子に会いに行きたいと言ってもそれを許すつもりはないと、そういうことだろう。
大地のこの反応は愛莉には意外で新鮮だった。 他の男子だったら子猫を出汁にいつでも遊びにきていいとか、そんな風に下心丸出しで誘っていたと思う。 フィットネスクラブでも、愛莉が猫好きだと耳にして家に見にこないかと誘ってくる大学生や社会人の男性も実際にいる。
最初からそうだが、愛莉に全く興味を示さない大地の態度は珍しく、愛莉にとっては逆に好ましく思えた。
「……ありがと」
差し出された子猫を受け取って涙を拭いながら、愛莉は満面の笑みを大地に返していた。 クラスの男子だったら浮かれて、それこそ愛莉が心配するように変に意識されかねない美少女の笑顔に、しかし大地は何も感じた風でもなく公園の出口へと足を向けていた。
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