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私の住む地域には一風変わった伝統がある。それは年明けから数えた四日間、神社で行われる華天狗という祭事を拝見するのだ。
元々住人のそれほど多くない田舎のこの地域で、祭りだって大した活気を残していない割には深く根付いている伝統行事だ。
けれどそれほど小難しいことをするわけではない。深夜から日の出にかけて小一時間、天狗の面を被った女性の舞を見る。それだけ。また一年大きな災いもありませんよう神様に向けて舞を献上するのだ。それくらいなら日本中探せばいくらでもありそうなものだけど、華天狗の珍しいところは、踊っているのが誰も名も顔も知らぬ少女だというところだ。
毎年、三が日も過ぎた辺りで、年に一人だけ誰かが選ばれ、華天狗の役を任せられる。その少女は一年をかけて舞を覚え、そして年越しと共にそれを披露する、らしい。
正直なところそれが本当のことなのか私たちは曖昧にしか認識できていない。地域の行事として形式上は教えられているものの、それを実際に体験した人の話や関係した人の話なんか聞いたことがないのだから。
それは昔馴染みのオキテによって決められている。華天狗の掟。その伝統を背負った人は、背負わせた人は、決して誰かに口外してはならない。そんな掟。だから私たちは自分が選ばれでもしない限り、目の前で舞っている少女が誰なのか、知り合いなのかすらわからない。
その役目が教えられるのは選ばれた子と、その母親だけ。選ばれる基準だって年齢なのか容姿なのか血筋なのか何一つわからない。わからないけれど、選ばれたらその子は一年をかけて秘匿に踊りを教えられるらしい。それが脈々と受け継がれてきたこの町の伝統だ。
この地域に住む人々はみな家族単位で三つのくくりに分けられ、三が日のそれぞれの夜更け、この近くで一番大きくて古い神社に詣でに行く。そこで華天狗の舞を見るのだ。基本的に自分の家族が割り振られた日は必ず出席し、四日目の舞は自由参加だ。
わざわざ年始の長々と寝ていられる時分に召集されて寒い中じっとしていないといけないだなんて不幸なことだが、決められているのなら仕方ないし、他にやることがあるわけでもない。こんな片田舎だと友達と早々出歩いて遊ぶところなんてないのだ。初売りだって、精々二丁目の高田ベーカリーさんが紅白パンを売り出すくらいだ。
だから私は毎年、友達も毎年、その古めかしい行事に参加する。時代遅れな気もするが、日本のグローバリズムから取り残されたようにひっそりとしたこの町には似合ってる気も、しないでもない。
私の家族が今年充てられたのは、
お母さんが私の肩に掴まって息を速くしているのを耳元で感じている頃、葉を落とし寂し気に佇む一本の木の脇に、揺らめく鳥居が朧げに浮かんできた。
奥で焚かれているかがり火を頼りに足が歩幅を上げて導かれていく。鳥居の横で待っていた神主さんとお母さんが挨拶を交わしている間、私の隣で佐代子叔母さんが風がざわめくように嘆息したのが耳に入った。
境内に広く敷かれたござはもうほとんどが埋まっている。私たちは脱いだ靴を手に、前の方の集まって座れるだけの空きがある場所を探した。靴下を二枚も履いているというのに氷の上を歩いているように足は冷え、腰を下ろす頃には風で頬がぴりぴりと痛み、なんて時代錯誤なイベントなんだろうかと家のこたつが恋しくなっていた。
でもまぁ、あまり寒い寒いと文句も言えない。これから私たちの前で舞う誰かの方がよっぽど寒いはずなのだから。
毎年、花天狗が踊る時の装束は決まっている。いや、装束と言っていいのだろうか。華天狗は裸なのだ。許されているのは一枚の褌だけ(これこそ時代錯誤だ)。それと天狗の面に付けられた長く赤いけばけばしい髪。それだけなのだ。
年頃の女の子が大勢の目の前で半裸で踊らされるなんて、都会のPTAなんかが聞いたら怒り狂いそうな気もするのだが、なんとなく古風で硬い考えの人が多いここら辺では、それがそのまま受け入れられている。華天狗の秘匿の掟で決められていることは選ばれた女の子を守る為でもあって、その面の下が絶対に誰かわからないから、引き受けられているというところもあるのだろう。
しかし誰かバレないからと言って、それが気休めになるとは思えない。分厚いコートを着込んだ私だって、正座をついた足元からござにどんどんと体力を奪われて歯が鳴り始めているというのに、そんな張りつめた寒さの中裸で踊らなくちゃいけないんだもの。去年選ばれたその子は、遠目で見ていても腕に鳥肌を浮かべ指先を震わせ、いたたまれなかったことを今でも覚えている。私だったら絶対にやりたくない。
今年の寒さだって去年と比べて大差はない。冬場の深夜だなんて多少差があっても寒いのは寒いのだ。私と、これから出てくる誰かのためにもさっさと終わらせて欲しい。家でお雑煮でも食べながらテレビを見たいのだ。
そんな気持ちが通じたのか、肩を叩くように軽い和太鼓の拍子が取られる。反響する笛の音が、寄せ合った肩の隙間をかいくぐっていった。
どこかで聴いたような、でも旋律なんて覚えていられない雅楽の音。和の音。それに心動かされるのはもう遥か昔の人だけなのだろうと感じながら、私は揃えられた指先のように自分の内側が平坦であること確かめていた。
そして、音が止んだ。太鼓の反響は着込んだ服と下着の間でくぐもっている。それがすぐになくなると、静寂を敷き詰めた境内は宵闇を深く吸い込んだ。
雲間の月明かりが私たちの隠れ場所を奪う。
薪のくべられたかがり火が一度火の粉を散らした。ぱちり、と。
その火花が地面へと届く軌跡を追う私の目に、それが歩み込んだ。
それは滑るように、人の動き方を忘れてしまったように、己の居場所を確かめ、整える。
華天狗。
赤い面に、長く反り立った鼻。
ぎょろりと舐める左右で揃わない目玉。
逆立ち、四方に広がるごわごわとした赤髪。
そして赤黒い面から生えた、そぐわない白い体。
闇夜に月明かりを返す白い肌。
伸びた手足は棒に肉を付けたよう。
一歩足を前に出すたびに、ふとももの肉が僅かに揺れる。
僅かに膨らんだ乳房の先は尖っている。
赤い褌が足に挟まれてはまた押し出される。
華天狗。
見知らぬ少女が扮した妖の神事。
それは毎年見ているものと何一つ変わらない、演じる者の違いさえほとんどわからない、ただの取るに足らない形式だけの神事。
だが、何かが違った。
この華天狗は。
それが私たち全員の前に伏せ、頭を下げる様子を見て、私はどうしようもなく不安になっていた。何故だろう、毎年見ているはずなのに胃袋の底を揺すられているような落ち着かない気分。まだ小さい頃、意味も分からず近づいてくる獅子舞が怖かったように、未知の伝統に触れるような恐怖。
華天狗に、彼女に、私は踊って欲しくなかった。私の意識に割り込もうとしてくる太鼓の拍子を止めたかった。
けれど彼女は舞い始めた。恐ろしく優美で、疎ましいほどに艶やかな舞を。
華天狗。名も知らぬ少女の舞。
彼女の指先は風の尾を撫でる。
彼女の爪先は神の膝元をくすぐる。
彼女の浮き出た肋骨は月明かりの上を滑る。
指先から溢れた震えは二の腕を通り、首元をすり抜け、乳房をくすぐり、腰を揺らせ、足を伝わっていき、地面へと解けていった。
かがり火の火の粉に照らされ、彼女は回り、膝をつき、手を合わせ、面を跳ねた。その舞は私の首の中を這いずり回り、眼球の裏を舐め回した。それは神の目の前で踊るにはあまりに賤しい舞だった。
これは、違う。私の知っている、知っていたはずのどうでもいい祭事なんかじゃない。
彼女はまだ舞っている。踊り足りないとばかりに。神の前でふてぶてしくも厭らしい踊りを。
どうして誰も止めないんだ。何故彼女をあの舞台から引きずり降ろそうとしない。
あれは祝詞なんか意味していない。ただただ身を嬲らせるだけの踊りだ。
私はその艶やかから目を離そうとした。私の中のぬらりとした生物が舌の付け根を押さえつけて口から飛び出そうとしていた。けれど、その妖からは目を背けられない。頬に手のひらが添えられているように、全身の肉を縄で締め上げられているように、彼女は私を離してくれなかった。
彼女は、華天狗は、赤い鼻を白い肉を、空が白み始めるまでかがり火にくべる。
毒の塗れた供物はその裸体を私に晒し続ける。
私は、いつの間にか自らの体を抱きしめていた。
私は、いつの間にか自らの肉を引き寄せていた。
私という幼い獣は、どうしようもない快楽を覚え、興奮していたのだ。
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