華天狗

十手

1

 「あけまして」から始まる私の挨拶は、足並みの揃わない声に呑まれて一つの大きなざわめきを形作った。

 無事に一年を乗り切った満足感も、新しい一年が始まった感慨も味わう暇なく、私はお母さんに駆り立てられお酒の瓶を持って台所と酔っ払いの間を行き来する。酒臭い口から出てくるめでたいめでたいという言葉は私にとっては餌をせがむ小鳥のさえずりぐらいにしか感じられなかった。

 こんな時おじさん達はお酒があれば何をしてたって楽しいのかもしれないけれど、私はお節の煮物を突っつくくらいしか楽しみがない。一番好きな里芋はもう完売してしまったし、さっさと部屋に戻って録画した大晦日の番組を見るか美奈たちと電話でもしたかった。けれど明日の「お給料」に支障が出るといけないのでもう少し働いておくことにする。

 まぁこんな半分山の中みたいな場所にこれほど大勢の親戚が集まる機会もそうそうないので、大人達が盛り上がりたい気持ちもわかる。ああやって大声で笑うことで「俺は遠くに行ってもこうして元気だぞ」ってアピールしているのかもしれない。それにしたって元気過ぎる気もするけれど。

 なんだか目が怪しくなってきたどこか遠縁のおじさんが私を見定めているような気配を感じた。その視線に居心地が悪くなってきた頃、女性陣の一人が手招きをしてくれて、私は嬉々としてそちら側に移動した。

 佐代子叔母さんは隣を少し空けて、グラスにサイダーを注いでくれる。

「ごめんね、紀未ちゃん。大人ばっかりバカ騒ぎしちゃって楽しくないでしょ」

 私はグラスを傾けながらなんとなしにはにかんだ。叔母さんは自分のお猪口にも日本酒を注いで、それで唇を湿らせた。

「紀未ちゃんももう高校生だもんね。知らないオジサンなんかより早く彼氏と話したいわよね」

「彼氏だなんて、そんなの……」

「いないの? こーんなに可愛くなったのに」

 叔母さんはお猪口を置くと、煙草の煙でも吐くように長々と息を吹いた。お酒の匂いはしたけれど、酒臭いって程じゃない。にやにやと私の表情を窺っていたが、お母さんのようにお節介な詮索はしてこなかった。

「女なんて若いうちが華よー。枯れる寸前まで自分が咲いてることに気付かないなんて、私みたいな勿体ない真似はしないでね」

「佐代子叔母さんは今でも綺麗じゃないですか」

「あらまぁ、いっちょ前にお世辞なんか覚えちゃって。でもいくら綺麗になったって一番艶があった頃には戻れないわ。若々しさなんてのは使い方を覚える前に無くなっちゃうんだもの」

 彼女は自身が綺麗だということは否定せず自然に受け止めていた。私は佐代子叔母さんのそういう所がオトナっぽくて好きだ。大人といっても叔母さんはお母さんとは歳の離れた妹だから、私とも大人と子供というほど歳に差があるわけではないのだが。

「叔母さんにはその、付き合っている人はいないんですか?」

 なんとなく彼氏という言葉を使うのが憚られて、私はもごもごと口ごもりながら尋ねる。

「こんな田舎でどういい男を見つけるってのよ。周りなんて知ってる顔ばっかりなんだから」

 さっきまで私に彼氏を作れみたいな話をしていた割に、叔母さんはばっさりとそう切り捨てた。

「紀未ちゃんはまともに恋愛したいならこの町の外に出なさい。世の中良い男ってのは腐るほどいるみたいだから。でもほんとに腐ったような男連れてきたら叔母さん許可しないからね」

 私がくすくすと笑うと叔母さんも口元を歪ませた。佐代子叔母さんの口紅はお酒を飲んだ後もけして滲んでいなかった。いつもさばさばとした物言いの叔母さんは密かな私の憧れだ。

「佐代子叔母さんは外に出ないんですか? 仕事はあるけど……休日とか」

「うーん、億劫なのよね。わざわざおめかしして時間かけて外に出ても会いに行く人がいるでもなし、欲しい物があるでもなし」

「でも、いつかは叔母さんも結婚して遠くに行っちゃうんでしょう? そうしたら淋しくなるなぁ……」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの」

 叔母さんは海老の殻を爪の先で綺麗に剥いていき、裸になったそれを私の皿の上に寝かせた。私がそれを口に運びながら彼女の方を見ると、叔母さんは僅かに困ったような表情を見せた。

「でもまぁ、私はここを出ていくことはないわよ」

 普段は気のいい笑顔を浮かべているその人が、その時だけ口どもって憂いのようなものを見せたのが私にはなんだか意外だった。私がその理由を聞こうとすると、彼女はそれを遮るようにお猪口の残りを呷った。そしてほんのりと朱の差した頬を見せ私に聞いた。

「紀未ちゃん、華天狗は見に行くかしら」

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