願いの怪物
「そういや、あの妖怪のことだけどさ」
冬のある日。
いつものようにリビングでゴロゴロしていると、姉が不意に話しかけてきた。
肇の思考の中には『あの妖怪』なんてものは、とっくの昔に忘れさられていたので、姉が何のことを言っているのかが分からなかったのだが、姉はお構いなしに話を続けた。
「最後はこのあたりに封印されたらしいのよ」
「封印」
「そう。倒すことは出来なかったんだって。なんでも無数の魂が寄り集まって、出来ている妖怪らしくて……」
「――っていうか、何でソイツ倒されることになったのさ」
「え?」
肇の問いに、姉はただ疑問を示すだけだった。
「だって、人を食うでも襲うでもない。願いを叶えてくれる妖怪なんでしょ? そりゃ、願いを催促しに来るのは、アレだけど」
「あんたねぇ」
姉が片手を額に当てて、わざとらしく『やれやれ』といった仕草をする。
「何でもかんでも願いを叶えちゃうのよ? それが良いとか悪いとか判断せず。そんなのめちゃくちゃにヤバイ奴じゃない」
「そりゃ、まぁ、そうか……」
何だか、ちょっと可哀そうな気もするけどな、と肇は思ったが、あえてそれは口にはしなかった。
「あ、そういや、読み方って結局何だったの?」
「あぁ、そういや、それもあったわね」
「何て名前だったの? ヒトガタカミとか?」
「違うわよ」
ひらひらと姉が手を振って否定する。
「ヒンナガミ、だってさ」
◆◆◆
「ヒガン・ミナ……!」
離れたところに居る肇がそう叫んでいた。
背後にただならぬ気配を感じて、理香子はとっさに振り返る。
いつから居たのかは分からない。
ただ、そこに立つ女性を認識したとき、青い死神を呼び出していた。
その鎌を、女性の首に向けてふるう。
しかし、その刃は届かない。
新たなに影から生えた人形の腕が、死神の鎌を受け止める。
肇にヒガンと呼ばれていた女性が、僅かに口を笑みにゆがめる。
全てを飲み込みそうな真っ黒な瞳が、自分を捕える。
「なんだ……、お前……!」
その顔を見ていると胸が苦しくなる。
知りたくもない事を。見ないようにしてきた事に、思い出したくない事を思い出してしまうような。
「アナタの役割は終わりです。アナタは私の人形として立派に勤めを果たしてくれました。願いを叶えるための力を得た骨を7つ集め、神を呼んでくれた。――私のために」
「お前のためじゃない……! ワタシのためだ! ワタシが人間になるために……!」
「どうして人間になりたいのでしょう?」
「――は?」
「だって別に人形のままでもいいじゃないですか。こうして意思があり、魂があって。それこそが人間ではありませんか。なぜ、アナタは人間にこだわるのです?」
「そ、それは……!」
言葉に詰まる。息が苦しい。
遠くで肇が何か叫んでいる気がするが、耳に入ってこない。
なぜか。
そんなもの、人形より人間の方がいいに決まっている。
でも、その理由が分からない。
心の奥底から無限に湧き出続ける、この欲求の理由が分からない。
「フフ」
ヒガンが屈託ない笑みを浮かべた。
「スミマセン、こうしてアナタと喋るのは初めてなので、少し意地悪をしてしまいました」
「意地悪……?」
「はい。アナタは私が作った人形。身も心も願いも思いも、私が用意した、私のための人形なのです」
ヒガンの足元から何かが湧き出てくる。
それは泥だった。
次の瞬間、ヒガンの体がどろどろに溶けた。
そのまま足元の泥と混ざる。
「――は?」
困惑する理香子を前に、泥に『コプ』と泡立つ。
それを皮切りに、ゴボゴボと沸騰したように騒ぎ出す。
ぬ、と。
下から、何かが這い出てくる。
それは『顔』だった。
巨大な人形の顔が、彼女の足元からゆっくりと現れる。
次いで指、手、着物と全容がだんだんと明らかになっていく。
それは日本人形だった。
前を切り揃えられた黒の長髪に、赤色の着物。
着物ははだけていて、露になった胴体では、無数の小さな腕が祈るように両手を合わせていた。
下半身はなく、代わりに泥のような何かが、蛇のような尾を作っている。
尾には無数の札が巻き付いていて、その間から人の腕がいくつも生えていて、それらが虫の足のように体を支えていた。
両目もまた無数の札に覆われていて、札の隙間から泥が漏れ出ていた。
五メートル以上はあるのではないのだろうか。
泥の中から這い上がったそれが、理香子を見下ろす。
「多くの人の願いを叶えるために、私はここを出なければなりません」
どこで喋っているのか分からないが、その巨大な日本人形からはヒガンの声がした。
「そのためには、私の願いを叶えてくれる存在が必要だったのです」
人形の巨大な腕が動く。
未だ、泥から伸びている無数の小さな人形の腕にとらわれている神に向かう。
――喰う気だ。
咄嗟に理香子は、自分のネックレスの骨を適当に4つ掴んでそれを肇に向かって投げた。
神は自分の能力で呼び出した存在だ。
ならば、骨を手放せば能力は消え、神も消えるのではないか。
「愚かですね」
冷ややかなヒガンの声が頭上から降り注ぐ。
見れば神は消えておらず、すでにヒガンの巨大な手に捕らえられていた。
「この神は、アナタの能力で生み出したのではありません。呼び寄せたもの。だから、実在するし、能力を解除しても存在し続ける」
「そんな……!」
ぬちゃあ、とヒガンが口を開く。
その顔は人形そのものであるというのに、開かれた口と、そこに並んだ歯は異様に生々しいものだった。
「――なら、そこから逃げるまでだ」
次の瞬間、ヒガンの手の内にあったのは神ではなく、鉄製の校門だった。
次いで自分の視界も切り替わる。
気づけば肇のすぐ隣に居て、さらに肇が横たわる神の腕を掴んでいた。
◆◆◆
霧元肇は自分が笑っていることに気づいた。
正直、目の前で起こっていることを正しく認識できている自信がなく、どこか他人事のように受け止めていた。
神とやらが現われ、それを喰おうとしている化け物がいて。
今それから自分たちは逃げている最中で。
理香子と神を抱きかかえるようにして、肇はひたすらに入れ替わりを繰り替えてしていた。
行き先があるわけでもなく、ただがむしゃらに逃げ続けて、気が付けば住宅街のど真ん中。そこにある公園に辿り着いていた。
「どうなってるんだ、これは……」
理香子がつぶやいた。
「知るか。だがとにかく、あの人形野郎が悪い奴ってことはハッキリしてるわけだ」
「違う、そうじゃない。――今何時だ? どうしてこんなに、外が暗いんだ?」
理香子にそう言われて、はっとして空を見上げる。
家を出たのは午前中だったはずだ。
けれど、今の空は黒一色に染まっていた。
世界が急に真夜中になったようだった。
いや、と肇はその考えを否定する。
おかしいのだ。
ここは住宅街のど真ん中の公園。
けれど、誰も見当たらない。
まるで、別の世界に飛ばされてしまったような――。
「結界ですよ」
それは理香子の影の中から聞こえた。
途端に周囲に泥があふれ出す。
慌てて何かと入れ替わって逃げようとしたが、手ごたえも何もない。
泥から這い出た巨大な腕に、吹き飛ばされる。
公園に遊具に思い切り叩きつけられて、意識が混濁する。
「――それは私の泥で作ったものです。つまり私の一部です。能力の発動を一時的に封じることなど、造作もないのです」
泥から這い出た巨躯のヒガンが、無慈悲にそう告げる。
「そして、理香子。アナタの能力はダメですね」
振り返ることもなく、ヒガンが言う。
背後には青い死神を出現させた理香子が居て、その鎌はすでに動いていた。
「魂を解放する能力。私自身とはすこぶる相性が悪い」
ヒガンの巨大な指が動く。それはまるで糸で人形を操るときのそれと同じような仕草だった。
「――まぁ、本体のアナタを無力化してしまえば、何も怖くはないのですが」
途端にガクン、と理香子の体が膝から崩れ落ちる。
死神も消え、鎌も当然ヒガンには届かない。
うつぶせに倒れた理香子は、それこそ人形のように動かないでいた。
「土は土へ。泥は泥へ。――それらから生まれた人形も、またそこへと」
ヒガンの泥の尾が持ち上げられ、それが理香子に向かって振り下ろされる。
バキン! という音と共に、理香子の体が砕け散った。
美しかった彼女の体が、今はそこかしこに散らばっている。
血の一滴も流れず、ただの一体の人形が壊されたようだった。
彼女の頭蓋は砕け、『がらんどう』の中身をのぞかせている。
死んだ。
もしくは壊されたのか。
ともかくそうして、紺野理香子は動かなくなったのだ。
「さて」
再びヒガンの意識が肇へと注がれる。
しかし肇の意識は、そちらには無かった。
たった今雑多に砕け散った理香子を、ただじっと見つめていた。
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