神の形/人の形

「でも神様って本当にいるのかしら」


 人形展。

 そこの目玉ともいえる、人形のショーケースの前で、仁王立ちする姉がそう言った。

 肇は横に居て、姉の言葉にため息をついていた。


「なにさ、藪から棒に」

「だって、これが神様って、ねぇ……」


 ううむ、と姉が唸る。

 まぁ、分からなくもないかと肇は視線をケースに戻す。


 そこに飾られていたのが、件の『人形の神』であった。

 千手観音のように背中から無数の手が生えていて、片目をつむり、額にはもう一つの口があり、開かれたそれの奥には巨大な目玉があって……。


「バケモンじゃん」

 にべもなく姉が言う。

「まぁ、確かに……」


「率直なご意見、有難く思います」

 背後から声をかけられ、慌てて振り返る。

 そこに居たのは黒いドレスを着た女性だった。

 白い肌を黒いドレスに包んだ女性で、ほの暗い会場の中で、白い顔が浮かび上がっていた。


「えーっと」

 誰だろうかと、肇が小首をかしげる。


「ヒガン・ミナ。今回の個展の作者でございます」

「あ、あぁ……。それは、どうも」

 と、つい先ほどまで、彼女の作品に『バケモンじゃん』と言っていた姉が、何ともばつの悪そうな顔で会釈をする。


「いえいえ、率直な感想ほど大事なものはありませんので」

 ミナが首を振る。

「それに、バケモノというのは、その通りでしょう」


 ミナがケースの前まで歩く。

 彼女の白く細い人差し指が、ガラス越しに奥の神を撫でる。


「祈るほかない存在。そこに心はなく、ただ恐怖に近い崇拝でつながった関係。人間ではどうすることも出来ないものに、人は仕方なく神という名をつけたのです」


 そういうものか。

 ミナの説明を聞きながら、肇はどこか納得していた。

 どうしようもない存在を恐れ、それを神として崇めたのなら、この化け物のような人形が、そういう類のものだったとするなら。


 人間は、それを神と信じたのだろう。

 その存在を神と思うことで、どうにか折り合いをつけたのだろう。


「ところで」

 

 突如、ケースのほうを向いていたミナの首が、後ろに立つ肇たちの方に向いた。

 首だけが、ぐるりと180度、回転したのだ。


「目覚まし、鳴ってるみたいですけど」

「え?」


 ミナに言われて、はっと気づき――。



 そこで肇はぱちりと目を覚ました。

 先ほどまで居た、人形展の天井とは違う。

 見慣れた天井が視界に飛び込んできて、肇はようやくさっきまで見ていたものが、夢だということに気づいた。


「うぅ~~」

 下の方で声がして、そちらを見れば理香子が布団の上で寝苦しそうな顔で寝返りを打っていた。

 

 窓を見やる。

 閉められたカーテンの向こうから、白い朝の光がにじんでいた。


◆◆◆


「学校でやろう」


 朝。

 二人で朝食をとりながら、肇はそう切り出した。

「学校?」

 向かいに座り、牛乳に浸したフレークを食べる理香子が、キョトンとした顔で言う。


「今日は土曜日で、基本的には生徒もいないし、この時期は誰も校舎に寄り付かない」

「どうして?」

「クレームが出たんだ。受験が近いのに、近所で騒ぐな、って」

 難儀なことだ、と理香子は笑う。


「あの『自称神』は、お前の能力で呼び出したものと見ていい」

「だろうね……」

「ただ、あれを呼び出した時、お前は場所を指定しなかった。だから、学校でそれをやる。次は場所をイメージして、神をそこに呼び出す」

「呼び出した後は、神様にお願いして終わりってことか」


 かちゃりとスプーンが置かれる。

 二人の間に、苦痛ではない沈黙が降りる。


 理香子が自分のネックレスの骨に指で触れる。

「【骨】はどうする?」

「埋めよう。……あるいは破棄だ」

「キミは……。キミの願いは?」


「さぁ。でも、オレの人生に必要なものは、もう貰ったから。今さら、骨に頼むこともないんだよ」


◆◆◆


 朝食を終えて支度をして、2人は学校へと向かった。

 十二月の街は、妙に静かだった。

 雪だけがしんしんと降り、行きかう人々も口数は少なく、白い息を口からわずかに吐いて、急くように歩いていた。


 校門まで来たところで、例によって肇が適当な石を投げ入れて、自分たちとそれらを入れ替えて中に入る。


 少し歩くとグラウンドに出る。

 肇はそこで立ち止まって周囲を見渡した。


「ここでやろう」

「目立つんじゃないか?」

「狭い場所でやって、壊されると後が面倒だ。手早くやってしまえばいい」

 ほら、と肇が理香子にさっきまで自分が持っていた、骨を差し出す。


「わかった。やろう」

 それを受け取って理香子が数歩、肇から離れる。

 目をつむり、昨日と同じように何かに祈るように両手を握る。


「お願いします、神様。私はここに居ます。どうか私を人間にしてください。どうか私を人間に――」


 突然、肇は背後に誰かの存在を感じ、慌てて振り返った。


「私を呼んだのは、お前か」


 それは音もなく、突然そこに現れた。

 背中から無数に生えた腕と、額の口。

 それはテレビで見た、あの神を名乗る存在だった。


「あ……。は、はい、そうです……!」

 動揺しつつも、理香子が問いに答える。

 震える手を握りしめる。

 寒空の下、彼女の口から白い息が漏れる。


「私は神だ。あらゆる願いを叶えよう」

 神を名乗るそれが、ゆっくりと理香子の方へと歩いていく。

「命の在り方。過去の在り方。未来の行方。生と死。――この世の全てに介入し、お前の願いを叶えてやろう」


 神の指先が、理香子の額に触れる。

 理香子はぎゅっと目をつむり、やがて意を決したように目を開けて――。


「私を――」

 理香子が口を開いた。


「私を本当の神にしてください」



 気が付いた時には、何かが神を捕えていた。

 それは無数の腕だった。

 白く細い腕。節々には丸い関節があり、神が暴れるたび、ガチャガチャと音が鳴る。


 それらは理香子の影の中から伸びていた。


「私を」

 その影の中から、何かが現われようとしていた。

 ズズズ、と腕をかき分けて、何かがせりあがってくる。


「本当の」

 その声は、今まさに現れんとするものの声だった。

 それは女の顔をしていた。

 影の中から、黒い髪、白い肌、黒いドレスが順番に露になる。


「神に」


 女性だった。

 そして、それは見覚えのある顔で――。

「ヒガン・ミナ」

 ぽつりと、肇はその女性の名を呟いていた。

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