神頼み

「あんたさ、お守りってちゃんと持ってる?」

 そこは家だった。

 いつの日かは分からない。

 けれどそこは家で、自分はリビングに居て、姉と一緒に下らないテレビ番組を見ている最中だった。

 外は雪が降っていて、夜で、静かだった。


「持ってるけど……?」

「ふぅん」

「なにさ」

「――顔」

 つんつん、と姉が自分の顔を指さした。


「絶対、何とかするから。――ごめんね」

 いつになく真剣な声で姉がそう言った気がした。


 その記憶をたどりながら、ふと気づく。

 こんな過去は無かった。

 姉は自分にお守りを渡して、それきり死んでしまったのだ。


 だから、これは夢だ。

 自分が見たいと思った都合のよい夢なのだ。


 ――夢?


 なぜ夢などを見ている?

 自分は、もう死んだのではないのか……?


「何とかするってどうやってさ」

「なんか、貰ったのよ。そういうお守りっていうか……。なんでも願い事を叶えてくれる、変なもの」

「……騙されてるんじゃないの」

「うっさいわね。とりあえず、それの超パワーであんたの顔を治すって言ってんのよ」

「何それ。っていうか、その変なものってなにさ」

「【骨】」


◆◆◆


 紺野理香子は、驚愕していた。

 それは眼前の緑コートにではなかった。


 その背後。

 理香子がやって来たために、手早く始末され放置された霧元肇の死体だった。


 頭部を失い、体育館の床に打ち捨てられている肇の死体。


 それが。

 ゆらりと。

 起き上がったのである。


「どういう、こと……だ?」

 声を発したのは理香子だった。

 それに反応して、緑コートも振り返る。


 失われた頭部の周りをチリのような何かが待っている。

 それらが徐々に収束していって、やがてそれは顔になった。


 顔。

 傷一つ無い、霧元肇の顔がそこにあった。


 ぼんやりとした表情のまま、肇が自分の顔に指を触れる。

「顔……。そうか何とかするって、お守りって……。そういうことだったのか」

 ハハと、肇が力なく笑う。


「木原は骨を2つ持っていた。一つは、オレと同じように送られてきていたとして、もう一つはどうやって手に入れたのか。――そうか、姉さんだったのか」


 頭部を完全に再生しきった肇が、そこでようやく緑コートを見やった。


◆◆◆


 霧元肇は。

 あの火事の日から初めて、片目を隠している髪をはっきりと人前でかきあげた。

 しっかりと両目で緑コートを、芳川歩生と皆元知美を捉えた。


 お守り。

 再生した頭部。

 消えた火傷の痕。


 今しがた起こった、それらの事実が肇を身軽にしていた。


 ぎゅっと握りしめて『ソレ』を緑コートに向かって投げる。

 入れ替わりを警戒した緑コートが、とっさにソレを避ける。

 肇が投げた物が緑コートを抜けて、その後ろに居た理香子に当たる。


「決めろ!」

 肇は叫んでいた。


 はっとした表情で、自分の体に当たって宙を舞うソレを掴む。

 理香子の背後に青い炎に包まれた死神が現われる。


 緑コートが自分に背を向けたのを確認して、肇はそこに向かって走り出した。


「ブルー・フェアリー/フェーズ3!」

 青い死神の鎌が緑コートに振るわれる。

 咄嗟に緑コートが、そちらに向き直る。

 鎌の刃が緑コートの首を刎ねんとする、その刹那。


「その未来は必要ありません」

 緑コートの真ん中の首が呟いた。

 突如、青い死神が消える。


 肇が手の内に違和感を覚えた。

 握っている手のひらの感触から分かる。

 この中には【骨】がある。


 知っているのだ。

 こうして咄嗟に防がれることは。


 かつて緑コートは言っていた。

 時間は一本のテープのようだと。

 何かを巻き戻したのなら、何かが早送りされなければならないと。

 

 たった今戻されたのは、自分が投げた骨の時間だ。

 僅か数秒程度だが、その時間が戻された。

 ならば、そのわずか数秒だが、早送りにされるものがあるはずだ。


 それは一体何か。


「――これは賭けだったんだ」

 肇は、すでに緑コートに触れていた。

 理香子の死神が現われるのと同時に駆けだした肇が、まるで瞬間移動したかのように緑コートのすぐ近くに立っていた。


 その手はすでに、緑コートがかけているネックレスに触れていた。


「その未来――」

「リプレイス」

 緑コートが言い終わる前に、肇は能力を発動させていた。


 自分が握っている骨一つと、緑コートの骨が4つついたネックレス――そのうちの、三つの骨とを入れ替えたのだ。


「終わりだ」

 肇が無慈悲にささやいた。


「いいや。一つであろうと、触れられれば進められる!」

 緑コートの4本の手が、肇の体を再び掴む。

「もう、あのお守りも無い! 今度こそ!」


 4本の手から同時に能力が発動し、肇の体の時間が早送りされ――。



 緑コートが砂になって消えた。


「かつてのオレはこう思ってたのさ。『姉さんの顔と自分の顔が入れ替わればいいのに』って。――つまり、状態の交換ってわけさ」

 

 ぱさりと何かが落ちる音が体育館に響いた。

 それは砂になった緑コートの上に、肇が持っていた骨が落ちる音だった。


 気づけば肇の頬には、涙が流れていた。

 けれどそれが何の、誰のための涙か分からず。

 ただ震える喉で、ため息をつくだけだった。


◆◆◆


「ほら」

 静まり返った体育館の中で、肇は理香子に5つの骨を渡した。

 

「これで……人間に……」

 7つの骨を握りしめて、理香子が目をつむる。


「神様……どうか、私を人間にしてください」

「そこ神頼みなのかよ」

「うるさいな。そういうものだと言ったのはキミじゃないか」

「へいへい」


 ぶー垂れながら、理香子が再び目をつむって祈る。

 両手で骨を握りしめて、すがるように首を垂れる。


 しかし。


「何も起こらないな」

「せめて、あの青い死神くらい出てくれても良いと思うんだが」

 

 ううむ、と理香子が唸る。

「もしかすると、私はもう人間なのかもしれない」

「なるほど――?」

「一度、骨をキミに預ける。――もし、私が人形でぶっ倒れても、ちゃんと返してくれよ?」

「分かってるって」

 

 はっと、息を止めて理香子が、自分の骨のネックレスを外して、肇に向かって投げた。

 肇がそれを受け取るのと、理香子の体が崩れ落ちるのとは同じだった。


 倒れてくる理香子を肇が抱き留める。

 そっと、理香子の胸に耳を当てる。

 理香子の体からは、相変わらず心臓の鼓動は聞こえてこなかった。


◆◆◆


「約束が違うじゃないかぁぁぁぁ」

 

 肇の家のリビングで、理香子が吼える。

 骨をすべて外した結果を伝えた時から、ずっとこうである。

 3人掛けのソファに一人うつぶせで寝転がって、じたばたとしている。


「7つ集めたら、人間になれるとぉぉぉ」

「――まぁ、確証はなかったよな」

 

 ばたばたと暴れる理香子を、すぐ横で見下ろしながら肇はため息をつく。

 ――確かに、元気づけるためとはいえ、不確かなことを言ってしまった。

 

 しかし、と。

 肇の意識は、少しそことはズレた所に向けられていた。


「っていうか。骨を七つ集めたのに、お前に何も起こってないのはおかしいんだよな、それはそれとして」

「どういうことだ」

「いや、今までみたいに新しい能力が発現したりしないのか、って話だよ。4段階くらい飛ばしちゃってるけど」

「それは確かに」

「オレみたいに、既存の能力が強化されたのか……」


 そこまで、考えてふと気づく。

「そういえば、お前。7つ持った時に、何を願ったんだ」

「願い?」

「そう、願い。骨の能力って結局願いが元になってるわけだからな。そこがヒントになるんじゃないかと」


 う~ん、と理香子がソファに寝転がったまま唸る。

「といってもなぁ、人間にしてください、って神様に祈ったくらいだしな」

「マジか」

「マジでそれだけだ」


 二人の視線が交差して静寂が訪れる。

 しばし続いたそれを、肇のため息が打ち破る。


「とりあえず、晩御飯にしよう。今日は疲れた」

 テレビでも見てろ、とリモコンのボタンを押す。


 チャンネルはどうやらニュース番組に合っていたらしく、どこか高いビルから眼下を見下ろしつつ女性のレポーターが、興奮気味に喋っていた。

 彼女が見下ろす先には人だかりが出来ており、何か事件があったらしいことだけは分かる。


『これはフィクションではありません……!』


 女性の声と共に、カメラがその人だかりの中心にズームする。

 ピントが合わず、映像はぼんやりとしたままだが、そこに居るのが男性らしいということが分かる。

 

 ただ、その出で立ちが妙だった。

 袈裟のようなものを着ていて、その背中から何かが生えている。


 カメラのピントが合う。

 それは、腕だった。

 無数の腕が、その男性の背中から生えているのだ。


『午後8時ごろ。ここA県B市の交差点に、落雷と共に現れたこの男性――いえ……』


 男性の額がパカっと開く。

 よくよく見れば、そこにあったのは口で、その奥からはぎょろりと巨大な眼球が覗いていた。


『この未知の生命体は、何と自らを「神」と名乗り、自分を呼んだとある少女を探していると言ったそうです。プライバシー保護のため、その少女の名前は伏せさせていただきますが……』


 早口で、興奮気味にまくしたてる女性レポーターとは対照的に、肇と理香子は黙ったままだった。


「なぁ、お前。何に祈って願ったんだっけ?」

「神に」

「神」


『繰り返します……! この自らを神と名乗る生命体は――!

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