産まれていたもの

 翌日。

 肇は理香子と一緒に登校した。

 こうして誰かと共に通学路を歩くのは、そういえば姉が死んでからは無かったな、とふとそんなことを思っていた。


「約束、だったわよね」

 放課後、図書室に二人で行くと、そこには瑞枝が居た。

 本を読むでもなく、彼女はただその白い机に座っている。


「骨を一つ、貸してくれるだけでいい。それと木原の所持品」

 瑞枝の言葉に、肇は理香子に視線を送る。

 彼女がそっと、一つだけを残して骨のネックレスを外して、机の上に置いた。


 長い骨と短い骨が机の上に置かれた。


「能力はこっちの骨を使ってくれ。そして、追跡はこっちの骨だ」

「――こっちが木原の骨ってことね」

「そうだ」


 肇の言う通りに、瑞枝が短い骨を胸ポケットにしまって、残された長い骨に手を触れる。

 途端にその骨から足がひょこりと生える。

 いつもなら、そのままどこかへと行くのだろうが、木原の骨は机の上をきょろきょろするばかりで、どこにも行かない。


「どういうことだ」

 うむ? と理香子が首をひねる。


 ただ机の上で迷い続けるだけの骨を見て、瑞枝はため息をついた。

「昔、死んだ母親のものに能力を使ったことがあるのよ。死んだ人間の物は、どこにいくんだろう、って」

 瑞枝がちらと肇のほうを向く。

 その瞳は、ただ今を受け入れろと告げていた。

「遺品はどこにも行かない。誰のものでもない、それは、どこにも帰れないのよ」


 ただ無為に動き回るだけの、骨を見て瑞枝はそう言ったのだ。


◆◆◆


 あれから結局、木原は死んだという結論になり、念のため裕理も同じ方法で探したものの、やはり机の上をうろつくばかりだった。


 図書室を出ると時刻は、もう十八時を回っていて、外は薄暗くなり始めていた。

 2人は静かに、帰り道を歩いていた。

 

「なぁ、その……」

 もじもじと横で理香子が話しかける。

 彼女の肌と同じ色の吐息が冬の空に溶けて消える。


「いいさ。今日もとりあえずオレの家に泊ればいい」

「すまない」

「いいよ、本当に」


 誰かと。


 誰かとこんなに穏やかに街を歩いたのは、いつぶりだろうか。

 姉を助けてからは、他人と距離をとるようになった。

 あの時は、顔の怪我を誰にも見られたくないのと、姉とも距離をとりたくて、誰からも離れていたのだったか。


 ちょうど始めた男装のおかげで、周りの連中は離れていったが――。

 あの芳川だけは、それでも気にせず一緒に居てくれたか。

 中学からの腐れ縁。

 

 ふと会いに行こうかと思った。

 恋人が、おそらくは木原の被害に遭って、傷心の彼に、今の自分なら少しくらいマシな言葉をかけてやれるかもしれない。

 頭をよぎったのは、グラウンドで両親に一緒に撮ってもらった、高校の入学写真だった。


「あのさ。ちょっと寄り道してもいいか」

「なんだい……?」

「ちょっと、友達の見舞いっていうか



 ブン。


 と、無理やり視界が切り替わったような気がした。

 目の前に広がっているのは、久しく見ていないものだったが、しかしどうにか記憶をつなぎ合わせて、一つの答えを導き出す。


「体育館……? 中学校の……?」

 

 あまりの展開に、肇はその一言を絞り出すのが精いっぱいだった。

 ついさっきまで、理香子と一緒に帰っていたというのに、気が付けばかつて通学していた中学校の体育館に居たのだ。


 明かりもついていない、薄暗い体育館の中で、肇は静かに自分の服のボタンを掴んだ。

 

 ――攻撃されているのだ。


 そう。

 これは昨日も受けた、図書室に戻ったものと同じ。

 おそらく、緑コートの能力……!


「――木原は死にましたよ」

 声がした。

 それは甲高い声で、少女のようでもあり、少年のようでもあった。

 緑色のコートが、体育館の闇の中からぬっと現れる。


「いや、厳密には私が殺しましたが」

 

 顔の見えない緑のコートがそこに居たのだ。


◆◆◆


「うん……?」

 不意に会話が途切れ、理香子はふと横を見る。

 そこには、ついさっきまで会話をしていた霧元肇が居るはずなのだが、しかし、今は影も形も無い。

 ただぽつりと、理香子だけが夜の道に取り残されているのだった。


「おい……? 肇……?」

 と辺りを見渡しながら、その名を呼ぶが、誰も何も返事をしない。

 

 おかしい。

 理香子の脳裏に『攻撃』の二文字がよぎる。


 そう、こんな事は前もあったのだ。

 あの緑コート。

 あの緑コートが裕理の家に現れた後。

 自分たちは数刻前に居た場所に戻された。

 これは、それなのではないか。


 つけているネックレスを握る。

 骨の数は2つだった。


「なら、彼らに聞くとしよう」

 手始めに理香子は近くにあった自販機に手を添えた。


 あの緑コートが何者なのかは知らないが。

 しかし自分は勝たなければならない。


 人間に。

 人間になるために。


◆◆◆


「時というものは、一本のテープのようなものなんです」


 夜の体育館。

 肇は目の前にいる緑コートを注意深く観察しながら、その言葉に耳を傾けていた。

 二人の間には、まだ少し距離があり、肇の見立てでは緑コートがこちらに掴みかかってくれば、回避できる程度の間合いは確保できていた。


「一方を戻せば、一方を進めなければならない。常に、その場に存在する時間の総数は同じなのです」

「何かの時を戻して、戻した時の分だけ何かの時を進める能力、ってわけか」


 裕理はあの屋敷で、最後は砂になって消えた。

 人が砂になるまでに、いったいどれほどの時がかかるのだろう。

 そして、ならばそれほど戻されたものとは何なのだろうか。


「それは正解です。そしてだから2人は独りなので。また別の正解もあります」


 何やら急に緑コートの言動があやしくなる。

 まるで機械的に翻訳されたセリフのようだった。

 

「アナタは私たちと親しく、だから教えてあげようと思うのですが、これは不利なことなのですが、やはり伝えておくべきかと思いまして、しかし私は反対したのですが、ですがですがですがですががががががが」


 がくんと緑コートが大きく揺れて、それきりピクリともせず、首を垂れてそこに居る。

 まるで壊れたアンドロイドのようだった。


「――でも、やっぱ友達だからさ」


 それは恐ろしいほどにまで優しい声だった。

 それだけは、さっきまでの緑コートとは違う声で……。


「芳川……」

 肇は、その声の主を知っていたのだ。


 緑コートが、そのフードに手をかける。

 はらりとそれが剥がされる。


 中から現れたのは、しかし芳川の顔ではなかった。

 半分は。


「なんだ……それ」

 肇の体はそこでようやく動いた。

 ただし、恐怖のあまり後ろに下がる、という形でだが。


 そこにあったのは、芳川の顔だったが、そう見えるのは右半分だけで、左半分は見知らぬ少年か少女かの顔に切り替わっていた。

 中央の境目が波打っていて、徐々に芳川の顔の肌の色が、もう片方の肌の色に侵食されつつあった。


「私たちは言うなれば子供」

 声がしたが、吉川は喋っていない。

 その声は、コートの中から聞こえて来た。


 す、と白く細い腕がコートのボタンの間からはみ出てくる。

 その腕が、さ、さ、とボタンをはずしていく。


 ボタンが全て外れてコートの内側が露になる。

 それは少女だった。

 芳川の体、腰から上の部分から少女が生えていたのだ。

 右肩から彼の体に同化した少女が、だらんと左腕を垂らしている。


 皆元。

 

 その顔には見覚えがあった。

 芳川の恋人だった少女。

 木原に殺されたであろう少女。


 その彼女は、今まさに芳川の上半身から生えているのだ。

 いや、これは『結合』している、ということなのだろうか。


「恋の果てが愛で、愛の果てが結合であり、子を成すことだと思います。悲しみは時をさかのぼって無かったことにするべきなのです」


 芳川と皆元の間に居る誰かが、そんなことを早口で言った。

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