二人の夜

「人形の神様って、元ネタがあんのよ」

 人形展から帰ってきて、一週間後のこと。

 姉が不意にそんなことを言ってきた。


「なんだよ、どーせ、ランプの魔人とかだろ」

 と肇はいつも通りに返事をすると、姉もまたいつも通りぶー垂れるのである。


「違うわよ。確かに、そのまま『人形の神』ってやつよ。ニンギョウガミ……だっけ」

「何それ」

「『妖怪』よ、妖怪。昔さ、小学生のころに社会の夏休みの宿題かで、何でもいいから地元の歴史のレポートを出すってやつがあって。あたし、その時にその妖怪の事を知って、それのレポートを書いたのよ」

「へぇ……。でも、願いを叶えてくれるんなら、良い妖怪なんじゃないの? 座敷童みたいな感じの」

「それが違うのよ。なんか願いを叶え続けるって妖怪で、願いがなくなると催促しに来るみたいなの」

「何それ、変なの」

「でしょ。だから覚えてたんだけどね……。う~ん、でも、読み方が多分違うのよね」

「ニンギョウガミ、以外の読み方とかあるの、これに」

「変わった読み方だったんだけどね。……よし、後で、ネットで調べよう」


「っていうか、そんな妖怪がこの辺に居たんだ。――いや、居たっていうか伝承があったって感じなんだろうけど」

「だねー」


「そういえば、そいつって結局どうなったの」

「え?」

「だから、そのニンギョウガミってやつ。願いを叶えるだけ叶えて、最後はどうなったのかなって」

「あぁー……」


 姉がうーんと唸りながら天を仰ぐ。


「そーいや、そんなことを担任にも言われたわ。で、その話のオチは、って」

「で、オチは?」

「それが無かったのよ」

「へ?」


 姉のあっけらかんとした返しに、肇はポカンとするほかなかった。

「結局、その妖怪がどうなったのかっていう文献が無かったの」

「何それ」

 微妙に呆れてしまった肇をよそに、姉は開き直ったように。

「今もどっかに生きてんじゃないのー」

 と返していた。


 後日。

 妖怪の正しい読み方と、その妖怪が最後はこの地に封印されたのだという顛末を、気になりすぎて結局ネットで調べた姉から共有されたのだが、正直、肇にとってはどうでもよい情報であったので、彼女の記憶の中では、それらはすっかり埋もれてしまう事になったのである。


◆◆◆


 肇は、自分の目の前にいる、腕の抜けた紺野理香子を、ただ茫然と見つめていた。

 一見、義手かとも思ったが、しかし見れば肘のほうも、その球体関節とよく似た素材のものが見えていた。

 

 異様な光景だった。

 理香子の体は、ちょうどすっぽ抜けた肘の部分から、人形のようになってしまっていたのだ。

 他は全て人の体と相違ないように見えるというのに。


「骨を三つ手に入れて、私は自分が人間でない事に気づいた」

 理香子が口を開いた。

「きっと、あの三つの時の能力が『魂を解放する』という能力だったからなんだろう。私は、私の魂が誤認してしまっていたものを、あの力を得た時に無意識のうちに修正したんだ」


「ちょ、ちょっと待てよ。じゃあ、お前は……一体……」

 

 肇がそこまで言った所で、理香子は所在なさげに俯いてしまった。

「それが……分からないんだ。私が今までどうやって生きて来たのか。一体、どこに帰っていて、誰に育てられていたのか……」


 ぽとりと、何かが彼女の瞳から落ちた。

 それはきっと、人形ならば落ちなかった雫だ。


「私は……一体何なんだ」


 消え入りそうな声で理香子はそう言い、会話はそこで途切れた。

 

 霧元肇は考える。

 自分は、果たして何になりたいのだろうか。

 かつて姉にあこがれ。

 姉に嫉妬し。

 姉を殺した殺人鬼を殺そうとして。


 果たして自分は、どこに行きつきたいのだろうか。


 きっと、正しく、自分というものを持った人間になりたいはずだ。

 そして、そんな人間は、目の前で涙を流す友を見過ごしはしないはずだ。



 違う。



 くみ上げた自分の答えを、肇は否定した。

 自分が彼女を助けたいと思っているのは、彼女には自分しかいないと分かっているからだ。

 僅かばかりだが触れ合い、彼女の友達になったからだ。


 在り方がどうとかいう話じゃない。

 ただ、そうしたいと思っているから、というだけの話なのだ。


 ならなぜ、理屈を立てたのか。

 

 そうすべきと、魂で感じ取った事をして、終わった後で後悔したくないからだ。

 姉を助けた時のように。

 鏡に映る自分の顔を見て、助けたことを後悔して泣いてしまった、あの夜のように。


 自分は――今度は後悔しないで済むのか。


「す、すまない。食事時にこんなものを見せてしまって」

 涙をぬぐいながら、理香子がハハハと力なく笑って腕を元に戻そうとする。


 咄嗟に。

 肇はその人形の手を掴んでいた。


 ……あぁ、くそ、そうか。

 

 咄嗟の自分の行いに、思わず笑ってしまう。

 その様を理香子が呆気にとられたように見ている。


 それが答えなのだ。

 掴んだこの手が答えなのだ。

 自分自身の魂の、奥底の。


「名前」

「え……?」

「理香子って呼んでいいか。お前も、オレのこと肇って呼んでいいから」


◆◆◆


 夜。

 理香子は肇の部屋の、彼女のベッドの隣に布団を敷いてそこで眠ることになった。

 部屋の電気を消して、それぞれ横になって天井を見上げていた。


「――骨さ。全部集めたら、お前にやるよ」

 肇が特に変わらぬ様子で、そう告げる。

 見えないが、暗闇の向こうで理香子が息をのんだのが分かる。

「何故だ、キミ……肇にだって骨は必要なものだろう」

「本当はもういらないんだ。――いや、骨は確かに、オレの願いは叶えてくれたさ。でも、願いそのものは、もう叶わないんだ。……それに、もう叶わなくてもいいかなーって思ったし」

「そんな、ものなのか」

「そんなものさ。分かってる範囲で、骨は後4つ。案外、7つ集めると願いを凄い力で叶えてくれたりするかもだし。お前はそれで、本当の人間になれよ」

「何かで聞いたような話だな」

「何でもいいさ」


「そういえばさ」

「何だよ」

「キミの能力ってなんだっけ、名前……」

「リプレイスだな。……何だよ、能力に名前とか付けてて痛いとかって話か? 無いと無いで、苦労するぞ、多分」

「いや、そうじゃなくて……。よくよく考えれば、ワタシの能力に名前とか付けてなかったなって……」

「何でもいいだろ」

「な、何でも良くはないだろ……! なんていうか、ちゃんと決めたいし。……でも、ワタシには歴史が無いんだ。自分が本当に好きなものとかが、分からない……。だから、名前も何から取ってくればよいとか、どうつければ良いのかが分からないんだ」

「なるほど」

 ふむ、と理香子の能力を思い返して考えるが、しっくりくるものは思いつかない。

 せいぜい、彼女が人形であることを踏まえたうえでの古典的な話から、引っ張ってくる程度の物だった。

 なので。


「明日にしようぜ」

「むぅ……」

 さすがに理香子もむっとするだけで収まったらしい。

 ただ。


「……なぁ」

「なんだよ、まだ何かあんのかよ」

「じゃあ、これ、聞いていいのか分からないんだが。その……、キミはどうして男の格好をしているんだ」

「深い意味なんてないよ。ただ、顔に酷い火傷があって、しかも姉は美人でね。横に同じ女としてずっと並ぶのが嫌だったんだ。別に心まで男ってわけじゃない」

「そうか……」


「あー。じゃあ、理香子が人間になったらさ、一緒に服を買いに行こう」


 あの人形の手を掴んだ時。

 きっと自分は、今のままの自分自身を受け止めることができたのだろう。

 だから、もう。


「いい加減、男装も辞め時かなって思ってたしな、『あたし』も」

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