紺野理香子

「最後に見た時、アイツは砂になって消えたみたいだった」


 同じく図書室に戻っていた瑞枝が、ふとそんなことを言った。

 ナイフで切ったはずの手首をさすっているが、なぜかそこの傷はもうふさがっていた。

「傷口がふさがっている。深く切りつけたはずなのに」

「――時を巻き戻す。それが、あの緑コートの能力なんじゃないのか」

「でも、それだとあの裕理の死に方が分からない。アイツは砂になって消えた」

「死んだ? 死んだのか、あれ」

「多分ね。そして確かめる方法はあるけど……」

「今は、手元に骨が無い、か」

 骨は最後に全て紺野に三つとも渡してしまった。

 

「ともかく、今はあの紺野って子と連絡を取った方がいいんじゃない?」

「あぁ、そうだな」


 スマホを取り出して、紺野理香子の連絡先を探そうとして――、そういえば知らないということに気づいたのである。

 それを瑞枝に告げようとして彼女の方を見た。


 なぜかは分からない。

 けれど彼女の頬から一筋の涙が流れていた。

 それを彼女は指で拭うが、すぐに次のが流れてきて、彼女はそのままずっと泣き続けた。


 静かな図書室には、復讐を遂げたはずの少女の嗚咽だけが鳴り響いていた。

 涙の理由は分からない。


 けれど肇の脳裏に浮かんだのは、ナイフを振り上げた後、僅かに躊躇した瑞枝の姿だった。


◆◆◆


 その日は、瑞枝が落ち着いてから解散し(彼女とは連絡先を交換した)、家に帰ることにした。

 明日、また学校の図書室に行けば会えるだろう考えていたからだ。


 家に帰るころには、時刻はもう夜の6時になっていて、雨が降り始めていた。


 気だるさを感じる体を、ベッドの上に投げ出して、今日の事を考える。


 裕理人志と、彼を恨んでいた篠原瑞枝。

 瑞枝の復讐は終わったのだろうか。

 彼女は、あの結末で満足しているのだろうか。

 いいや、もはや、ああなってしまった以上は、彼女の感情は全て後付けでしかないのだろうが。


 自分は。

 木原を殺したとして、それで何か変わるだろうか。

 元より自分のは、復讐ではない。

 ――一つの区切りなのだ。


 自分を愛してくれた姉を、僅かでも嫉んでいた自分と決別するための、儀式なのだろう。


 願い、骨。

 骨は持っている人間の願いを叶えるための力を与える。

 自分の力は入れ替わる能力。

 姉のキレイの顔と、自分の傷物の顔を入れ替えたかったから。


 瑞枝は探して殺したかったから。

 木原は閉じ込めて殺したかったから。

 裕理は支配したかったから。

 緑コートは……まぁ、多分、巻き戻りたいとかそういうんだろう……。


 理香子は。

 じゃあ、理香子の願いは何なのだろうか。


 木原の一件からつるむようになったが、彼女の願いを自分は聞いていない。

 そして――。


 裕理の家でのことを思い出す。

 あの時、自分がロフトに上がり確認したところでは、彼女は息をしていなかった。

 けれど、とっさに裕理の命令から逃れるために、理香子のボタンと骨とを入れ替えたら、彼女は意識を取り戻した。


 いや。

 あれは、まるで生き返ったような――。


 不意に、インターホンが鳴らされる。


 届け物だろうかと、玄関を映すカメラに出てみると、そこに居たのは、雨に濡れた紺野理香子だった。


◆◆◆


「……お邪魔します」

 いつもの図々しさはどこに行ってしまったのか。

 家に上がった理香子は、妙にしおらしい態度で肇の部屋に居た。


「とりあえず、シャワーいる?」

「え?」


 ずぶ濡れの理香子に肇が言う。

 当の理香子のほうがキョトンとしていて、それからワンテンポ遅れて。

「あ、あぁ……。貰えるかな」

 と理香子は頷いた。


 とりあえず彼女を脱衣所に押し込む。

 扉越しに衣擦れの音が聞こえる。


「制服。お前が入ったら、オレの方で洗濯しとくから」

『――分かった。助かる』


 一つ。

 肇の頭の中で考えていることがあった。

 

 ガラガラと、脱衣所の奥、浴室の扉が開いて、閉じる音がする。

 一呼吸おいてから肇が脱衣所に入る。

 折りたたまれた制服を手に取り、確認する。


 やはり、そこに骨はなかった。

 

 とりあえず、それらを洗濯機にぶちこんで、スイッチを押す。

 ちらと浴室の扉を見ると、そこにはシャワーを浴びる理香子のシルエットがあった。


「何で急に来たんだ。裕理の件なら、明日の学校でも良かっただろうに」

「……あぁ」

 

 理香子の返事は気のないものだった。

 自宅に来たのは、明らかに違う用事だった。

「……ところで、ご家族は居ないのかな」

「今日は居ないよ。母さんも父さんも仕事」

「そうか……。なぁ……その……」


「泊まっても良いぜ、別に」

 言いよどむ理香子のセリフを、肇が先取りする。

 扉の向こうで理香子が息をのんだような気がした。


 どうしたって、こんなに親切にしてやってるんだろうか。

 会って間もない、ただの……ただの……。


「なぁ」

 理香子の震える声が耳に届いた。

「……キミは、その……私の、トモダチ、って事で良いんだよな」


「あぁ、そうだよ」


 きっと、それがこの親切の答えなんだろうな、と肇はぼんやりと思うことにした。


「着替え、取ってくる。――姉さんのやつ、な」


◆◆◆


 シャワーを終えて、肇は理香子と夕食をとっていた。

 リビングの四人掛けのテーブルに、今は2人向かい合っている。

 

 冷蔵庫の中のもので、適当に晩御飯をこしらえると、理香子は「キミ、料理が出来たのか!」と驚いていた。


「しかも、美味しい!」

 うむ! と理香子が、あり物で作った焼き飯を頬張りながら、しきりに頷いている。


「昔、姉さんに対抗してた時期があったんだよ。ま、結局は料理でも叶わなかったわけだけど」

「それでも、今私の空腹を満たしてくれているのは、キミの料理だ」

「――ありがと」

 しばし、皿とスプーンがぶつかる音だけが部屋に響く。


「なぁ紺野、お前、オレに隠し事してるよな」

 肇の不意打ちに理香子は一瞬ぎょっとしてから、取り繕ったような笑みを浮かべる。

「人間だれしも秘密はあるものだろう」


 ハハハと笑う理香子を、肇はじっと見つめる。

 見つめ続けた。


 きっと。

 きっと彼女は、その秘密を言うために、ここに来たのだ。

 別に言ったところで解決するのかどうかは分からないが、しかし、自分一人では抱えきれなくなったから。

 

 だから。

 彼女が唯一、友達と思える自分の所に来たのだ。


「裕理の家でお前を見つけた時、お前は息をしていなかった。あの時の、お前は【骨】を持ってなくて、それでオレがお前に骨を3つ渡したら、お前は目を覚ました」

 

 肇の話を、理香子はただ静かに聞いている。

 その瞳の中に、反論とか苛立ちとかいう感情はなかった。


「――お前……死んでるんだろ」


 生き返りたいという願い。

 それこそが、紺野理香子が骨に願った、願いなのだろう。

 

 肇はその言葉を最後に、理香子の返事をただ静かに待った。


 皿とスプーンの音も聞こえなくなって。

 ただ時計の針の音だけが部屋の中にあって。


「――ふぅ」

 やがて、理香子のなんとも言えない吐息の音が、部屋の中の音に加わった。


 そして。


「――違う」

 と、静かに首を横に振って否定した。

 

「確かに……。確かに私は、骨が一つでもないと生きていられない体さ。でもね、それは生き返りたいという願いから、そうなってるわけじゃないんだ」

 

 理香子が右腕を左腕で掴む。

 ぐっと力を込められる。


「私はね。生き返りたかったわけじゃないんだ。血液が操れるのも、物と会話できるのも、死神を呼び出せるのも――」


 ポン、と間抜けな音が聞こえる。

 

 理香子の右腕が、ひじの部分からすっぽ抜けていた。

 腕の先端にあるものには、見覚えがあった。

 

 関節の駆動を実現するために、使用されている球体。

 一般的には球体関節と呼ばれるものだ。


「全ては、私が『人間』になりたかったからなんだ」 

 それは、あの日、姉と行った人形展で見た人形のものだったか。

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