図書室、三度
床に伸びてピクリともしない裕理から【骨】を2つ回収すると、肇は辺りを見回した。
ロフトのようなリビングの二階。
光が入らないその空間の奥にはベッドがあり、そこには誰かが横たわっていた。
「紺野」
その誰かの正体が分かり、肇は安堵の息を吐いた。
何の戯れか、こんな男に誘拐された紺野理香子が、ベッドの上で眠っていたのである。
――いや。
おかしい。
肇は耳を澄ます。
音が聞こえないのだ。
彼女の、紺野理香子の寝息が全く聞こえないのだ。
慌てて彼女の胸に触れる。
しかし、そこにあるはずの振動が一向にやってこない。
「紺野に何をした――」
問い詰めようと、裕理の方を振り返る。
しかし、そこに裕理の姿はなかった。
「は?」
誰もいない。
ロフトにいる肇は、自分の呼吸音しか耳に届いていなかった。
まさか一階に移動したのだろうか。
確認のため、ロフトの手すり部分まで移動する。
一階をのぞき込もうとして、何かが首元をかすめていった。
咄嗟に下がる肇。
何かが、手すりを超えて一階から何かが跳躍してくる。
「人の全ては脳にある。記憶も、心も、体のリミッターも」
その何かは、手すりを飛び越えて、肇の前に舞い降りた。
「人間の体は無意識のうちに、脳がリミッターをかけているのだそうだ。そして、私のグランド・オーダーは、その脳も支配できる」
そこに居たのは、裕理人志だった。
満身創痍でありながら、その目には戦意が強く渦巻いていた。
よく見れば、奪い去ったはずのネックレスが、彼の首に戻っている。
いや、違う。奴の骨は自分がまだ握っている。
だから、あれは、きっと。
「キミが言ったのだ。アレに意識はないのだと。なら、奪うことは容易いということだ」
気づけば、人形もすべて消えている。
どうやら裕理は瑞枝の骨2つを、回収してきたらしい。
そして、自分の能力で自分自身の体を支配している。
「私の能力は支配。とはいえ、それには条件がある」
ぽつり、と裕理が喋り始めた。
「それは高さだ。私の能力は、相手が自分よりも低い位置に居なければ発揮されない。どのくらいの位置関係であれば良いのか。それの詳しいことは分からない。――が」
裕理が後ろの手すりに背を預ける。
マズイ。
肇は駆けだしていた。何と、どう入れ替わるかは後で考えれば良い。
だが、さっきの事が本当なら、裕理が手すりの上に乗った時点で、自分の敗北が決定してしまう。
いや、厳密には登ってから自分に命令をしてしまったら、だ。
まだ、今この瞬間なら、若干のタイムラグがあるのだ。
肇は、それに賭けたのだ。
だが。
バンッ! と何かが爆ぜるような音がして、気づけば目の前に裕理の顔があった。
状況を理解しきるより前に、肇は両肩に強い衝撃を感じて、そのまま体が90度後ろに回転する。視界がぐるりと回って、天井だけが見えるようになった。
「さて」
ダン! と床に思い切り背を打ち付け、裕理に見下ろされた所で、肇はようやく自分が押し倒されたのだと理解した。
あの時、裕理は手すりに上るフリをしたのだ。
そうして直後、リミッターを外した脚力でもって疾走し、そのまま正面から自分にタックルをかまして、押し倒したのだ。
だからわざわざ自分の能力の条件の説明なんてこともしたのだ。
「この――!」
肇は何とか逃れようともがくが、両肩をがっしり床に押さえつけられているため、大した身動きも出来ない。
「やめた方がいい。今キミは化け物同然の存在に、両肩を押さえつけられているのだ。無理に暴れれば、そのまま外れてしまうだろう」
そして、と裕理がにやりと笑う。
「命令だ。持っている骨をこちらに渡せ」
裕理が言った。
肇の手が、付けているネックレスへと伸びる。
するすると制服の下にある、それを手繰り寄せ――
「なに?」
制服の上に出されたネックレスの先にはあったのは、ボタンだった。
骨ではなく、制服のボタン。
肇と同じ高校の、中に着ているシャツのボタン。
「どうやら、命令できることにも限度があるようだな。持ってもいない骨を、渡すことは出来ないように」
誰かの視線を感じて、裕理が振り返る。
薄暗いベッドの上から、彼女は降りて、何故かその目から涙を流した、紺野理香子が裕理を睨みつけていた。
◆◆◆
覚醒した紺野理香子は、握りしめていた右手を開いて中を確認する。
そこには、骨が3つあった。
目が覚めた時、自分の体の上――ちょうどボタンがあった所に、骨が3つ置かれていた。今、右手で確かに掴んでいるのは、その骨だ。
熱いものが頬を伝う。
それは涙だった。
理解したのだ。自分自身というものを。
骨を3つ手にしたことによって、自分自身というものの【正体】に気が付いたのだ。
しかし、けれど。
今はそれよりも、目の前のこの男だ。
「何の能力かは知らんが」
男はすでに跳躍し、手すりの上に居た。
「命令し、支配してしまえば何ら問題はないッ!」
「紺野! ベッドの上に乗れ!」
未だ倒れたままの肇が叫ぶ。
だが、理香子は動かない。
「命令だ! 動くな!」
男が叫ぶ。
ゾン、と何かが振るわれる音が耳に届いた。
紺野理香子の骨の能力は、木原と同じく複数あった。
1つの時は、血液を操る能力。
2つの時は、物質と対話するサイコリーディング。
そして、3つの時は――。
「何だ、それは」
男が目を見開いて驚愕していた。
理香子は何となく、3つ目の能力が何になるのかを理解していた。
それは彼女の正体にも関することで、全ては繋がっていて、最後はそれを望むのだと気づいたからだ。
燃え盛る青い炎のような布を纏い、巨大な鎌を両手で持った死神の像が、理香子の背後に出現していた。
顔に当たる部分は、ドクロではなく、ペストマスクのようなものになっていた。
「人には心があり、体には血が流れている」
動くなと命令された理香子の体が――足がゆっくりと前に踏み出される。
「全ての生命に魂があり、アナタの能力はその魂を縛るものだ」
死神が鎌を構える。
「そして、私の死神は、その魂をあらゆる支配から解放するもの。よって――」
ゾン、と鎌が振るわれる。
切っ先は男の首を確かに捉えて……そして、すり抜けた。
首は刎ねられなかった。代わりに、ブチリ、と何か黒い糸のような何かが引きずり出されて、ちぎれて消えた。
「アナタの、アナタ自身への支配も。他全ての人への支配も、この鎌が切り裂くのだ」
◆◆◆
動く。
指先が言うことをきいた、その刹那。
肇はすでに、起き上がっていた。
手すりの上という不安定な場所に立っている裕理に向かって、体をひねって、半歩踏み出す。
拳を構え、踏み出した足に体重を乗せて、そのまま拳を発射する。
これは賭けだった。
理香子の3つ目の能力が、どうなるのかは完全に分からなかった。
ただ、裕理に骨がさらに3つも渡ってしまう、という事態だけは避けなければならなかった。
骨2つで、あれだけの能力だったのだ。
骨5つとなれば、いったいどれ程のものになるのか。想像さえしたくない。
しかし、まぁ……。
「ともあれ、今度こそ終わりってわけだ」
肇の拳が裕理を殴りぬき、彼の体が手すりから何もない、後ろへと飛んでいく。
そしてそのまま、1階部分へと背中から落下していった。
ほどなくして、バン! という音が肇の耳に届いて、辺りはそれきり静かになった。
◆◆◆
耳に届いたバン、という音で、篠原瑞枝の意識は再び覚醒した。
ゆっくりと瞼を開けると、目の前には自分とは逆の仰向けに横たわる裕理人志の姿があった。
なぜ、こいつがここにいるのだろうか。
自分はどこにいるのだろうか。
全てが朦朧とする中、瑞枝はどうにか体を立たせる。
そう、自分は霧元肇から骨を借りて、こいつを殺しに来たのだった。
殺しに来たが、それに失敗して――。
ふとネックレスを探したが、それはもうそこには無かった。
しかし、と。
床に落ちたナイフに視線が移る。
殺すのなら、もはや何だっていいのだ。
血まみれのそれを拾い上げて逆手で掴む。
そして、それを振り下ろそうと裕理の元へとふらつきながらも、歩いていく。
「や……めろ」
ぐぐぐ、と食いしばりながら、裕理が立ち上がろうとする。
「私を……殺しても、何の意味もない……!」
「黙れ」
その言葉は瑞枝の口からぽつりと漏れ出た物だった。
「黙れ黙れ黙れェエェ……!」
これは単純な話なのだ。
復讐したいとか、恨みを晴らしたいとか。
そういう話じゃない。
ただ、自分の人生をめちゃくちゃにしたやつが、普通に生きていることが許せなかっただけなのだ。
あの幼き日に抱いた問いに、自分自身で納得のいく答えを用意しようとしているのだ。
ナイフを振り上げ、思い切り振り下ろす。
切っ先は裕理の喉を完全に捉えていた。
振り下ろすか否か。
それを逡巡したその刹那。
気が付くと瑞枝は床で寝ていた。
まるで、ナイフを掴む前……少し前の時間に戻されたようだった。
◆◆◆
「一体、何が起こったんだ」
肇はそう呟くほかなかった。
確かに瑞枝は走り出していたのに。
もう少しでナイフが裕理に刺さるところだった。
だが、違う。現実は違う。
二階部分。
ついさっき落とされた場所に、裕理が立っていた。
きょとんとした様子で、肇を見つめ返している。
「――あ?」
そして、何かに気づいたのか裕理は自分の手に視線を移す。
何の変哲もない自分の手を。
だがどうだろうか、それはみるみるしわがれていって、手から【老い】が広がるように裕理は歳を取っていった。
「あ、あぁぁぁぁ?」
髪も歯も抜け落ちて、両手足も細くなって。
けれど、目だけはぎょろりと大きいままで。
裕理はみるみる老人になっていった。
「アナタが言ったんですよ。支配者になるか、奴隷になるか。もっとも、アナタも時の奴隷だったようですが」
奇妙な笑い声。
いつから居たのか、誘拐犯のすぐ側に緑のダッフルコートを着た少年が立っていた。
彼は裕理の手首をつかんでいる。
いや、少年というのもどうだろうか。
その声は、どこか少女のようでもあるし、しかし少年のようでもあった。
体のフォルムも、ぶかぶかのコートのおかげでよく分からない。
顔で判断しようにもフードに隠れてよく見えない。
「老いて滅びないものはない。唯一あるとすれば、それは時そのものか、あるいは……」
「だ……誰だッ! お前はッ!」
「誰だと思う?」
ニチャァとフードの奥の口が笑った気がした。
危険だ。
肇はほとんど直感的に行動していた。
さっき裕理にしたのと同じように、一歩踏み込んで拳を突き出していた。
しかし、それがコートに触れるかどうかという所で。
肇の意識は、闇に沈んでいった。
遠くで、何かの音が聞こえる。
カチリカチリと、何かが動く音。
霧元肇はその音で意識を取り戻した。
まず視界に飛び込んできたのは、白だった。
どういうことかと辺りを見渡す。
白い机。
無数の本棚。
静かに時を刻む時計。
それは、今日3度目になる、学校の図書室だった。
◆◆◆
『グランド・オーダー』
裕理人志が発現させた骨の能力。
phase1では触れた相手を支配し、phase2では自分より低い位置にいる人間を支配することができる。
支配の対象、命令の数には限りがある。
空虚な自分の存在を嘆き、他者からの刺激を欲していたものの、どこかでそれを恐れ、支配下に置きたいという意識が働いた結果、発現した能力。
能力名は、その力に沿ったものを愚直につけたつもりだったが、仕事柄よく目にしていた作品の名前に無意識に影響を受けている。
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