奇数の殺意

 頭が痛い。

 まだひりひりする後頭部をさすりながら、霧元肇は起き上がった。

 ついさっきまでの記憶のピースは散らばってしまっていて、今がどういう状態なのか、しばらく判断がつかなかった。


 意識を取り戻して周囲を見渡すと、そこは学校の図書室だった。

 部屋の中は、ついさっきまで篠原と喋っていた時と同じように、しんと静まり返っている。

 どういうことだ、これは。

 

 ついさっきまで自分たちは、あの家の前に居たはずだ。

 それがどうして、こんな所に居るのだろうか。

 

 ――いや、答えは簡単なはずだ。


 気を失う直前に見た光景が脳裏をよぎった。

 裕理の家に入ろうとした瞬間、自分は何者かに頭を殴られた。

 

 緑色のコート。

 おそらくは、あれの【能力】なのだろう。

 きっとソイツも骨を持っているのだ。


 だとすると、篠原が危ない。

 肇は未だ反応の鈍い体をどうにか動かして、図書室を飛び出た。


 記憶の底に散らばった景色を繋ぎ合わせて、しばらく歩いて何とか【裕理】と書かれた表札を探し出した。

 その家は二十分前と変わらず静かなままだった。

 瑞枝はどうなったのだろうか。彼女はこの家の中に入ったのだろうか。


 ともかく、考えていても埒があかない。

 気を失う前と同じやり方で小石を投げ入れて、それと入れ替わって中に入った。


 家の中も静かだった。

 懐に刺していたボールペンを掴んで、それを転がす。

 くるくると回って、銀色のペンは廊下の終わりにある扉にぶつかって、ぴたりと止まった。


 落ち着け。

 自分自身に言い聞かせてから、肇はペンと自分とを入れ替えた。


 が、入れ替えた際の勢いで、扉を押し開けてしまった。


「――キミの能力は入れ替えるという能力なのか。中々便利そうじゃないか」

 リビングのような広間に飛び出た。声は背後から降りかかってきた。振り向いて見上げると、そこに居たのは黒いシャツを着た男だった。

 髪の毛は瑞枝のように癖があって、能面のように無関心な表情をしている。

「だが、その能力を発動させるためには、一度それに触れておかなければならないようだな。全く、今日は客の多い日だよ」


 衣擦れの音がした。横を見ると、這いつくばったまま荒い呼吸を繰り返す、篠原瑞枝の姿があった。

 見れば彼女の体には何本かの切り傷があった。白い制服がほんのり朱に染まっている。


「どうやら、アンタが誘拐犯らしいな」

「だとすると、どうする?」

「紺野里佳子は、どこにいる?」

「さぁ」


 何をすべきか。

 肇はそっと、気付かれぬように上着の袖のボタンを引きちぎった。

 コイツを男の前に投げつけて、ボタンと位置を入れ替わる。

 そしてまずは思い切り殴る。


 だがどうだろうか。そこにこうして、瑞枝が敗北している以上、一筋縄でいく相手ではないと考えるべきだ。


「……動かないほうが良い」

 這いつくばったまま、瑞枝が途切れそうになる言葉を必死に紡いだ。

 それから彼女は、生まれたての子鹿のように震える手足で、自分自身を支えて起き上がろうとする。


「アイツの能力は【支配】。アイツが命令するだけで、対象は支配されてしまう。弱点は――、今の所不明」

「弱点はない」

 裕理がぴしゃりと言い放つ。

 しかし、瑞枝はそれに動じることなく、言葉をつづける。


「霧元。改めて言うわ。アタシが殺したいって言ってたヤツがアイツ。だから、アンタがこの場でアイツを殺してくれれば、それでいい」


 瑞枝は何とか、といった風に起き上がった。

 それでも、片膝はついていた。


「霧元。先に行っとくけど、アイツの能力の発動条件は、【触れている】とかじゃない。

 もっと何か違う。別の理由があるはず。もしくは、デメリットがあるはず。それを今から試す。さっき条件を変更したのは、アンタに後の事を託すため」


 支配し、命令する。

 そんな力があれば無敵だろう。だが、きっとどこかに攻略するための糸口があるはずだ。

 瑞枝は、そんな能力を乗り越える糸口を、何か見つけたというのだろうか。


「例えば、数とか」

 瑞枝が作った血の池から、赤い槍を携えた人形たちが這い出てくる。数は十一体。

 それらが、分散して誘拐犯へと向かっていく。あるものは階段をそのまま登り、あるものは階段ではなく壁を這うようにして。


「アンタがアタシに命令して、血をずっと垂れ流させてくれたおかげで、材料には困らないわね。

 頭とかくらくらするけど、それでも数を作るのには十分。こうして、時間も稼げたしね」


 血まみれの兵隊が誘拐犯へと向かっていく。

 やはり数なのか、誘拐犯の顔から余裕の色が消えた。

 階段から上っていった人形たちは、ぴたりと動きを止めたが、別のルートから襲撃する人形たちは止まらなかった。


「なるほど、確かに数もある」

 ぎりぎりまで人形に接近されても、裕理が余裕を失うことはなかった。


「だが、こんなものはお前に【止めろ】と命令すれば済む話だったりするんだがね。瑞枝、人形を【止めろ】」

 静かに、けれどはっきりと裕理はそう言った。

「……」

 それに対して瑞枝は静かなままだった。

 いや、すでに姿勢は崩れ、元のうつぶせの状態に戻っていた。


 そして、だから。

 人形たちは止まらない。


 そこで裕理がはたと何かに気づいた様子で、今度は人形たちの方を向いて叫ぶ。

「【横のものを殺せ!】」

 さっきまで裕理めがけて疾走していた人形たちが、突如、くるりとその頭を横に向けて、並走するほかの人形たちに槍を振るう。


 そういうことか。

 だから、瑞枝は後を託すと言ったのだ。


 人形に命令を下した裕理が、今度は肇の方を向く。

 しかし、そこにもう肇の姿はなかった。


「命令は、意識のあるものにしか出来ないようだな」

 肇の声は、裕理のすぐ近くで聞こえた。

 

 肇はすでに動いていた。

 引きちぎったボタンを裕理の傍に投げ、それと入れ替わっていたのだ。


「そして、おっかない女だ、篠原瑞枝。こうなることも分かっていたのか。人形の数は奇数だったな」


 生き残った人形の一体が、裕理に槍を突き刺す。

 それと同時に、肇が裕理にこぶしを叩き込んでいた。

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