報復の遺伝子

 篠原絵里子が死んだのは、彼女が瑞枝を産んだ八年後だった。

 

 ろくに社会経験も積んでいない女性が、一人で子供を育てるというのは、想像に余りある、壮絶な状況であった。

 育児とパートで精神をすり減らした彼女は、しかし両親に頼ることも出来なかった。


 彼女の両親は、相変わらず学生のみでありながら子を身ごもった彼女を、許してはいなかったのだ。


 彼女はそうした状況の中、懸命に我が子と生き続けた。

 それは自分を捨てた彼や、助けようとしない両親への当てつけのようでもあった。


 そういったことを、瑞枝が理解したのは、彼女が絵里子に暴力を振るわれた時からだった。

 何度も叩かれるうちに、瑞枝は自分の母親がとうに壊れてしまっていることを感じ取っていた。

 けれどそこに悲しさはなかった。

 愛し愛される前に、そうなってしまったのだから、特に何も思わなかったのである。


 ただ、何故? という疑問はあった。

 何故自分なのだろうか。

 ほかの子供たちは、親と仲良く暮らしているのに、なぜ自分はこうも理由もなく暴力を振るわれるのだろう。

 何か、そうなる理由があったのだろうか。


 瑞枝が八歳になった時、絵里子は事故で死んだ。

 車にひかれたらしいが、目撃者の証言によれば自ら飛び込んだようにも見えたという。

 今となっては、真実は定かではないが、それもありうるだろうと瑞枝は思っていた。


 絵里子が死んで、絵里子の両親が彼女を引き取った。

 絵里子の両親、つまり瑞枝からすれば祖父と祖母に当たる人物は、非常に優しかった。

 いや、優しいのではなく、罪滅ぼしのようなものだったのだろう。


 結局、この二人は自分の娘の死に、自分たちも関与していると、そう思っているのだ。

 母は、両親は自分たちを捨てたと言っていたが、果たして最後までそうだったのだろうか。

 八年もすれば、わだかまりもある程度は溶けていたのではないのだろうか。

 

 けれど瑞枝が、そのことについて聞くことはなかった。

 聞いて知ったところで、何もならない。

 

 祖父母に引き取られ暮らしていく中で、しかし瑞枝の中にあの疑問はあり続けた。

 

 何故、自分には両親がいないのだろうか。

 何故、自分がこんな目に合わなければならなかったのだろうか。

 運動会で親子三人で食事をとる光景を見るたび、瑞枝の中には怒りが静かに溜まっていった。


 そうして日々を過ごすうちに、瑞枝の怒りの矛先は、自分の父親に向かっていった。

 何故、彼は責任を取らなかったのか。

 何故、彼は母と別れたのか。

 何故、その時どうにかして堕胎を見届けなかったのか。


 瑞枝が人形展に呼ばれ、そこで骨を受け取った時、願ったことはシンプルなものだった。

 ただ父を見つけ、復讐をすること。

 それだけだった。


◆◆◆


 瑞枝は階段の上に居る男を見た。


 この男は忘れているのだ。

 自分の事も。

 自分の母のことも。

 瑞枝は、ともすればうっかり笑いそうになるほど怒っていた。

 これは、この男に復讐するための力なのだ。


 人形たちに動けと命ずる。

 しかし、階段の所で止まった人形たちは相変わらずだった。


「無駄だよ」

 階段の上にいる裕理が、淡々と述べる。

「キミが【骨】を持っているように、私も【骨】を持っている。知り合いの人形師から譲り受けたんだが。まさか、同じようものを持っている人間が他にもいたなんてね」


 正直驚いたよ、と裕理は付け加える。

 それから余裕たっぷりに、髪をいじりながら瑞枝を観察する。

 昆虫が獲物を狩るときのような、無感情な視線の動かし方だった。


「『グランド・オーダー』私はそのようにこの骨の力を名付けている。能力はその名の通り、支配し、命令するというもの。キミの人形がそこから動かないのも、私が命令したからだ」


 むちゃくちゃな能力だ。

 どんな敵も支配してしまえば無力化出来るし、その上、手駒としても使える。

 将棋のような能力だ。


 だが、本当にその通りだろうか。


 将棋は、取った相手の駒なら使えるという条件が存在する。

 自分の帰る能力にも、一度それに触れなければ発現しない。

 ならば、裕理の【支配】という能力にも、何らかの条件があって然るべきだ。


 ではそれは、何だろうか。触れるという事か。

 それは無い。


 階段を駆け上った人形たちに裕理は触れていない。

 では、最初に触れていたから【支配】出来たのだろうか。

 あの靴は裕理のものだ。

 もし、触れていることが【支配】の条件ならば、あの人形たちを止めたのも納得がいく。


「さて、キミが何者なのか。まずはソイツを聞き出す所から始めようかな。

 それに、もしかすると他にも私と同じように【骨】を持っている人間がいるかもしれない。

 誰が来ようと私の敵じゃあないが、あまり気分の良い話じゃないんでね」


 もし。

 もしさっきの仮定が本当だとするならば、裕理の触れたものは使えない。

 それを人形に変化させたところで、再び支配されて終わりだ。

 ドールズ・オーダーはすでに、物体を武器に変えて、人形がそれで持ち主を追跡して襲い掛かる能力に変わっている。

 人形の武器に変えて攻撃出来るのは、【本来】ならば裕理が支配出来るものと同じなのだ。


 そう、【本来】ならば。

 

 あるのだ。

 たった一つだけ。裕理が触れていない、しかし裕理の物が。

 それを瑞枝は持っている。


 そも、瑞枝の能力が【帰る】というものなのも、これに起因する。

 

 右手に巻かれていた包帯は、すでに外で取っていた。

 包帯を失って、姿を現したのはリストカットのような傷跡だった。

 だが、その傷跡は自分を傷つけるためのものではない。

 目の前の男を探すために付けた傷なのだ。


 ポケットからナイフを取り出す。

 そして、それで手首を切り裂いた。

 噴水のように血液は流れ落ちていった。


 運命という言葉があるのならば、喜んで迎え入れよう。

 まさに運命なのだ。皮肉な運命。

 心の底から怨む、この血液こそ、自分の望みを叶えてくれるのだから。


 したたり落ちる血液は小さな池を作った。

 血液は形状を変えて、槍のような形に変わり、その傍に人形が現われる。

 持ち主の元に帰るために。

 一人はもうこの世にいないが、残ったもう一人のもとへと帰るために。

 瑞枝は笑っていた。


「今この瞬間ほど、この体を巡る血液に感謝したことはない! この血液だから、アンタに勝てる! アンタを殺せるんだ! この血統ゆえに!」

「一体何の事を言っている――!?」

 血で出来た槍を持った人形たちが駆けていく。

 赤い残酷な凶器が、男の命を刈り取らんとする。

「触れたものは持ち主の元へと帰る。簡単な事よ。アタシの体に流れる血を持ち主に返しただけ」

 ついに人形たちは階段を上り終えて、裕理の喉元へと飛び込んだ。


「なるほど。理解した。運命……。彼女が言っていたのは、こっちだったのかもしれないのか。しかし、まさか産んでいたのか」



◆◆◆

『ドールズ・オーダー/phase1&2』

篠原瑞枝が骨で得た能力。

触れた物の傍に、それの持ち主の元へ向かう人形を呼び出す。

phase1の時点ではただ持ち主の元に返るだけだが、骨を二つ得たphase2では触れたものを武器に変えて人形たちが攻撃する能力へと変わる。


自分を捨てた父を探し出し、復讐をしたいという瑞枝の願いが生んだ能力。

触れたときに現れる人形の意匠は、彼女のセンスではない。

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