『ドールズ・オーダー』
木原孝司は【骨】が与える能力とは、その人が望む理想を形にしたものだと言っていた。
リプレイスという能力は、姉と入れ替わりたいという願いが具現化したものだろう。
木原は、その醜悪な願いが。
では、紺野は?
彼女の【血液】と【サイコリーディング】の能力は、何の願いが具現化されたものなのだろうか。
図書室までの廊下を歩きながら、霧元肇はふとそんな事を考えていた。
図書室の扉を開けて中に入る。
いつもは居るはずの紺野理香子の姿はどこにもなかった。
今日は休んでいるのだろうか。昨日はあれだけの情報を手に入れたというのに。
「紺野理香子は、休んでなんかないわよ。だって彼女、昨日は家に帰らなかったから」
背後で少女の声がした。
黒髪は所々ウェーブがかかっていて、眉にかかる程度まで伸ばされていた。
涼しげな目元をしていて、どこか人を見下したような印象を受ける。
だが、そんなことよりも肇は、ちらりと見える少女の右手首にまかれた包帯のほうが気になっていた。
◆◆◆
彼女は人形のように静かに眠っていた。
裕理人志は自分のベッドで眠っている少女の胸の上にそっと手を置く。
本来ならば、かすかな振動がそこにあるはずだったが、今はない。
そう、この少女は『死んでいる』のだ。
裕理は、しかし落ち着いていた。
彼女から奪ったネックレスを、もう一度彼女の上にそっと置き、それから再び同じところに手を置く。
どくん、どくん、と。
今度は、心臓の鼓動が手のひらに伝わってきた。
人形展でヒガンと出会ったあの日。
人形に少しだけ興味があると言って、彼女としばらく話し込むと、ヒガンは自分の工房に案内してくれた。
薄暗い部屋で中央に作業台があり、そこに作りかけの人形が置かれている。
その横にテーブルがあり、誰が用意したのかは分からないが、そこにはすでに淹れたての紅茶が湯気を立てていた。
どうぞ、と勧められて、彼女と向かい合うようにそのテーブルに座る。
香りの良い紅茶を口につけながら、彼女は口を開いた。
「――あの、赤いドレスの人形を気にいられたのですか?」
「えぇ。ほんの少しだけ」
同じように紅茶に口をつける。
砂糖も何も入っていないストレートだった。
「お許しください。私は外への関心が希薄な人間なのです」
先の感想は、あまりにあけすけ過ぎただろうか、と慌てて訂正を入れる。
だがヒガンは、それを気にするでもなく、むしろ穏やかで誇らしい笑みを浮かべて、こう返すのだった。
「おや。なら、そんなアナタが、ワタシの人形展に足を運んでくださり、こうしてお茶を一緒にしてくれるのは、非常に名誉なことなのでしょうね」
そう言われて裕理も、そこに気づく。
そうだ。
今までの自分なら、別にこんな誘いを受けても適当に断っていただろう。
しかし、何故か彼女にはついてきてしまった。
それどころか。
だんだんと、彼女が気になり始めている自分に気づいた。
細く白い指。
長く伸びた黒い髪。
艶やかな唇に切れ長の瞳。
目の前に座る彼女の一挙手一投足を、ただじっと見つめている自分がいた。
こんなのは初めてだった。
「――あなたは変わった方ですね」
ぽつりとヒガンが言った。
「いわゆる『願い』というものが無いようにお見受けします」
「……恥ずかしながら。私は自分が何を望んでいて、何を欲しているのか、それが分からないのです」
「ふむ……。大勢の人々が抱える問題とは、また異なるもののようですね、それは……」
「人間というものは、欲や願いがあるからこそ、人間なのだと、どこかの本に書かれていました。あれが欲しい。ああなりたい、など。単なる生命活動とは別のそれを抱いているからこそ、人間なのだと。けれど私にはそれが無い。自分が嫌悪するものを知りこそすれ、欲するものが何なのかが分からないのです」
ちらと脳裏に、その嫌悪するものが思い浮かぶ。
「そういう意味では、そこのよくできた人形と私とにさして差異はないのでしょう」
「――欲、ですか」
なるほど、とヒガンが目を閉じる。
そして、彼女はどこからか小さな【骨】のような物を取り出した。
人形とはあまり関係がなさそうなものだった。
怪訝そうにそれを見つめていると
「これはお守りです。アナタには非常に有意義な話を聞かせていただきましたので、そのお礼です」
と、それを差し出してきた。
触れてみると乾いていて、長すぎる時の流れを感じた。
一体何の【骨】なのかと彼女に聞いてみると、彼女は小さく笑ってそれきりだった。
何の骨か分からないのは不気味ではあったが、遠い異国の神にでも触れたような気になる。
「――さすがに、この流れでただのお守りと言っても、信じがたいでしょうね」
「……えぇ、まぁ。コレは何ですか。どこかの部族の祭具のようにも思える」
「近いものではあります。ですが、その正体は……今は秘密です」
「今は?」
「じき、この街で事件が起こります。それはきっと、アナタの乾いた心を潤す、刺激という水になることでしょう」
「これを持っていれば、分かると……?」
「えぇ」
そこでヒガンはにっこりと笑った。
それはあまりに美しいもので、だから人形のようでさえあった。
「運命は、やがてアナタの知る姿で現れるでしょう」
「……しかし、貰ってしまっても良いものでしょうか。私はただ、アナタに悩みを相談したようなものだというのに」
「いえ。先ほども言いましたが、あれはワタシにとって有意義な話でしたので。人間の心を知るということは、今のワタシにとって非常に重要なことなのです」
「――何か、新しい作品を作るために、ですか?」
「えぇまぁ。そんなところですね。もっとも、作品ではなく、どちらかと言えば『子供』のようなものですが」
◆◆◆
「誰だ」
右手首に包帯を巻いた少女に、肇は聞いた。
図書室に紺野理香子は居らず、この少女は彼女の行方を知っていると答えた。
そして少女の右手首には、昨日理香子が言っていた包帯が巻かれている。
「アタシ、昨日見たのよね~。紺野理香子が妙な男と一緒に歩いてるとこ。
歳は四十代前半くらいで、髪はアタシみたいにちょっと癖毛。
コート着てたから、詳しい服装は分からなかったけど、ズボンがスーツとかじゃなかったから、多分普通の企業じゃないわね。IT系? ってやつ?」
「――どうして、それを教えてくれる?」
「アンタ、紺野理香子のこと好きなんでしょ?」
「は?」
ぴたりと時が止まったみたいに。肇の世界は停止する。
この少女は、何を言い出すのかと思えば。
「え、何。違うわけ?」
「違うよ」
男子の服を着ているせいか、肇は、過去の自分を知らない人物からこういった誤解を受けることも少なくなかった。
「何よ、つまんない。じゃあさ、紺野の居場所って興味ない? 早く助けに行かないと、あの人、そのオッサンに色々されてるんじゃない?」
ぐいと少女の顔が肇に近づく。
鼻先にシャンプーの香りがする。
「アンタの【入れ替える】能力とか使ったちゃえば、助けられるかもしれないけど」
「何の事だ」
「とぼけんなよ。誰がアンタの傘を【返した】と思ってるわけ?」
じ、と少女が肇を見つめ変えした。
「お前が【小人】というわけか」
「そういう風に呼ばれてるんだ。知らなかった。小人って感じじゃないと思うんだけど」
「紺野の場所を知ってる風だけど」
「知っている、と言う表現は正しくない。これから知るのよ、場所はね。
まぁ、あの子がヤバイことになってるのは、間違い無いだろうけど」
「お前、攫っていった男を知っているのか?」
「さぁ……?」
少女が不敵な笑みを浮かべて、その先を濁す。
彼女がおもむろに、自分がかけていたネックレスを外した。
そこに繋がっていたのはやはり【骨】だった。数は一つ。
それを肇がしっかりとよく見えるように、振り子のように持ち上げる。
「アンタたちの【骨】の数は把握している。アタシも木原を追っててね。
実は、あのホテルにはアタシも居たのよ。だから、アンタら二人の能力も、知っている」
「木原を追ってどうするつもりだった?」
「アタシは、アイツに殺人を依頼しようと思ってた。
でも、アンタたちがアイツを追い詰めたのか、アイツが姿を消しちゃって、アタシの計画は台無し、ってわけ」
「――どういう取引がしたいんだ」
「話が早くて助かるわ。
単刀直入に言うわ。アタシと組まない? アタシはアンタのお仲間を見つける事が出来る」
「それで、お前は何を望んでいるんだ?」
「【骨】を一つ、貸してくれればいい」
少女が肇のネックレスを指さした。
寄越せと要求しているわけではない。ただ、貸してくれと彼女は言った。
「貸す?」
「そう。さっきも言ったけどね、アタシはある男を殺したいのよ。
だから【骨】の能力はそれに準ずるものになった。でもあいにく、その能力は探すことに特化していて、戦いには不向きだったの。
殺すという願いよりも先に、男の居所を探るほうが願いとしては強かったのね。
でも、アンタから【骨】を一つ貸してもらえれば、きっと次は戦うための力が手に入る。
もしアタシの事が信用出来ないなら、右手で【骨】に触れてアタシに渡せばいい。
そうしておけば、もしもの時にすぐに他の何かと入れ替えて、【骨】を取り戻せるでしょ」
「そうまでして、その誰かを殺したいのか?」
「アンタがそれを聞くわけ?」
はたして、この少女を信用しても良いのだろうか。
確かに彼女の言った通り、能力による保険はかけることが出来る。
しかし、彼女の能力がどんなものになるかは未知数だ。
もしかすると、入れ替えることが出来なくなるかもしれない。
ただ、例えそうであっても、理香子が攫われたというのは、無視できない情報だった。
「分かった」
肇はそっと、ネックレスを一つ取り外して、それを少女に差し出した。
「ただし、紺野が先だ。アイツを先に見つけて貰う」
「リョーカイ。よろしくね、霧元肇クン」
ネックレスを受け取った少女は、すぐにそれを自分の首に巻き付けた。
「アタシの能力はね、触れた物を持ち主に返す能力なわけよ。
つまり、アンタがその先輩の持ち物を何か持ってると良いわけ? そういうの、ある?」
木原孝司が起こした連続殺人事件を纏めたノート。
彼女が書いたそれを、確か借りていたはずだ。
鞄の中を探してみると、一番底で忘れられたように眠っていた。
「これだよ」
「――へぇ。こんなの書いてたんだ」
ノートが机の上に置かれる。
すると、そのノートがひとりでに持ち上がった。
違う。
そのノートを背負う何かが突然現れたのだ。
「ドールズ・オーダー」
少女が呟く。
ノートを背負う何者かの姿が明らかになる。
それはまさしく彼女が先ほど告げたように、人形のような見た目だった。
ちょうど『くるみ割り人形』のような姿をしている。
そしてそれが、ノートを担いでいて、どこかに向かって歩き始めていた。
「道案内は、この子がしてくれるわ」
続いて彼女も歩き出す。その背に肇が声をかける。
「待ってくれ、名前。名前をまだ聞いてない」
「瑞枝よ。
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