小人

 裕理人志ゆうり ひとしが彼女と出会ったのは、去年の夏の事だった。


『ヒガン=ミナの人形展』

 家のポストに突っ込まれていたチラシたちの中に、そんなものがあった。

 

 人形展。

 正直、興味など無かったが見た事のないものだったが、今週はこれだなと、日程と場所を確認して、スケジュールに書き加えた。


 今年でちょうど40になる裕理には、その年齢になるまで続けて来た、ある趣味のようなものがあった。

 それは、平日のうちに見た、聞いたものの中から一つを選んで、休日にそこに行くか、それをするか、というありきたりなものだった。


 裕理には生まれてこの方、夢中になる、ということを体験してこなかった。

 人に話せば嫌みのようなものではあるが、彼は大抵の事はそつなくこなすことが出来、顔だちもよく、多くの人間から慕われていた。

 

 だが彼は、そうした全ての事に酷く無関心だった。

 何でもできるがゆえに、何をしても特に楽しくもなく。

 放っておいても誰かに構われたり、すぐに告白されたりするので、人に対する関心も薄かった。

 

 恋愛をしたのも、ただの一度だけ。

 だが彼はそれで、自分には、そうした人の営みは向かないのだという事に気づくだけだった。


 仕事はかろうじて、それが苦痛ではなかったプログラムの仕事に就き、彼は今日までひっそりと生き続けて来た。


 社内でもそれなりのポストに就き、給料もおそらく同年代と比べると良い方だろう。

 しかし、その比べる対象の彼らには、趣味があったり、家族がいたりするのだ。


 自分には何もない。

 夢中になれることも、恋しい人もいないのだ。


 休日の予定を決めてしまうのは、彼のそうした人生ゆえの事だった。

 今の所、何にも夢中には慣れていないが、しかしきっと、どこかに。

 自分が「これだ」と思える何かが転がっているのではないかと。

 それを探すために始めた事だったのである。


 そうして裕理は人形展へと赴いた。

 薄暗い会場を見て回る。

 どれもこれも見た事のない等身大の人形たちだったが、その中でひと際目立つ人形があった。


 赤いバラのようなドレスに身を包んだ、黒い髪の少女型の人形。

 彼女自身が花であるように、そこに飾られていて、裕理はしばらくそれをぼうと眺めていた。


 生まれて初めてほんの少しだけだが、裕理は興味というものを、それに持ち始めていた。

 ここにある人形はどれも本当の人のように見えて、けれどどこか異質な雰囲気を纏っていて……。


 自分たちが暮らしていた所とは、ズレた世界なのではと思い始めていた。


「――お気に召しましたか?」

 

 控えめな女性の声がして、ちらと横を見ると、そこには黒い服に身を包んだ女性がいた。

 歳は三十くらいだろうか。


「あなたは?」

 という裕理の問いに、女性が頭を下げながら、こう答えた。


「作者のヒガンと申します」


◆◆◆


 一日の授業が終わったので図書室に向かってみると、今日は理香子が来ているらしかった。

 彼女はいつものように、机の上になにやらメモ用紙を広げて小難しい顔をしている。


 喋りかけようと近づいていくと、こちらの存在に気がついたのか、理香子が顔を上げた。

 視線が肇に向かった瞬間、彼女はどこか怪訝そうな顔をした。


「全く、キミはァ」

 酔っぱらいのオッサンのような喋り方で、理香子は切り出した。

 肇が対面に着席すると、言葉を続ける。


「――そういうことなら、そうだと先に言ってくれたまえよ……」

 最後の方は消え入りそうな声で、理香子が言う。

「何を?」

「いや、だから、本当は女の子だったって話だよ」

「あぁ……」

 何となく申し訳なくなって、それとなく謝ると、か細い声で理香子が「……全く、返してほしいもんだよワタシの……」と、その先はぶつくさ言い始める。


 最後の方は聞き取れなかったので、

「なんだよ」

 と聞き返すと、「いいよ! もう!」とヤケクソ気味に返された。


 そして大きなため息をついて、理香子が「ところで」と仕切りなおす。


「親切心は喜んで受け取ろうじゃないか。だけどだよ? だけど、それにしたって、もう少し配慮というものをして欲しいね。あの場合」

 はて。彼女は一体何のことを言っているのだろうか。


「何が?」

 と聞き返すと、理香子はますます不機嫌そうに眉をつり上げる。そしてため息を盛大についた。


「だ・か・らァ。わざわざ血塗れのまま、ワタシの上着を返すことはないだろう、と言っているんだよ。

 しかも、家の玄関前に置いておくなんて。そこまで来ているなら、チャイムを押せばよかったものを。

 そもそも、あれだけ言っておいて、自宅に来るかい? 普通」

 溜まったうっぷんをひとしきり吐き出すと、彼女はふぅ、と一仕事終えたように息をついた。


「――つまり、家の玄関に、お前の血が付いた上着が戻ってきていたってこと?」

「だから、そうだろうと言っているんだよ、ワタシは。木原の時に、ワタシが罠に使って、血がベットベットに付いた、あの上着をだ。

 この寒い冬に外に置きっぱなしにしやがって。返してくれるのは良いが、ガチガチに凍ってしまっていたよ

 なんとか洗って着られるようにはしたけれど!」


 ほらこれ! 理香子は自分の上着をわざわざ脱いで立って、肇に広げてみせる。

 しかし肇の脳内は、そんな上着を着るのかという疑問だけが占めているのだが。


「ともかく、それはオレじゃないよ」

「あん?」

 なにやら喧嘩腰のような声で、理香子は聞き返した。

 どうやら、よほどストレスが溜まっているらしい。


「そもそも、オレはお前の家を知らないし、まずそんな面倒な事はしない」

「キミはワタシに喧嘩を売っているのかい? いくらだ。言い値で買おう」


「だから違うって。それに似たような事なら、オレだって今朝あったさ。

 学校に置いてきたはずの傘が、今朝玄関の前にあったんだ」


 これだよと、一応参考なるかもと思って持ってきた傘を理香子に見せる。

 そこで、理香子がふむと唸る。


「――なるほどね。じゃあ、つまり。これはやはり【小人】の仕業というわけか」

「【小人】?」

 あぁ、と理香子は鼻で笑いながら、広げていたメモ用紙たちをかき集めて、とんとんと一束にまとめた。


「ちょくちょく前から噂になっていたんだがね、実はこの学校には【小人】が住んでいるらしいんだ。

 そいつは優しい奴で、人が忘れたものを勝手に届けてくれる。ふと気がつくと、自分のすぐ側に、忘れ物があるというわけさ。

 まぁ、殆どは当人の勘違いだとか、気のせいとかで終わっているが、七不思議程度に噂になっているんだよ。

 時期は、今年に入ってからかな」


「へぇ。良い奴だな、【小人】」

「本気でそう思ってるのか?」

「まさか。血濡れの上着をそのまま返すような奴、普通じゃない」

「だな。ところでキミ。今、【骨】は何個持っている?」

「あ? オレの分と、木原の持っていた分とで、合わせて二つだけど」

 ネックレスにつけた骨2つを見せる。


「キミは木原の【骨】を【一つ】奪った。それで奴の【化け物】の能力は消えた。

 だが奴は【部屋】の能力が使えた。普通【骨】を失えば、能力も失うはずだ。普通ならば、な」


「――やっぱり、木原は【骨】を2つ持ってたってことか」

 地下駐車場の最終局面で、理香子が叫んだことを思い出す。

 あの時すでに彼女は、ある程度その事実に辿り着いていたのだろう。


「おそらくはね。とはいえ、あの時はあくまで推測だった。だが、今はそれを実証する手立てがある。

 キミは今、【骨】を【2つ】持っているのだからね。……ワタシのでも良かったといえばその限りだが」


 木原の【骨】は、最初から持っていた【骨】と連なるように同じネックレスに繋がっている。

 だから、何か変化があるのなら、もうとっくにあるはずだ。だが、その実感は今のところ無い。

 試しに、目の前のメモ用紙二枚を机の上に並べて入れ替えてみる。

 果たして、普段通り入れ替わっただけだった。


「キミ、やる気はあるのか?」

「なら次はお前の目玉と、そこの本を入れ替えて実験してやろうか」

「是非止めてくれ」

 しかし、これで駄目というのは、どうしてなのだろうか。

 まさか、本当にやる気の問題なのか。


「う~ん。けど納得がいかないぞ。ワタシは結構、この仮説を信じていたんだ。駄目元でワタシに貸してくれないかい、【骨】」

 どうぞ。ネックレスから木原の【骨】を外して、理香子に手渡す。

 受け取る時に見えた手首の切り傷が痛々しかった。

 彼女はネックレスには付けずに握ったまま、静かに目を閉じた。


「あぁ~。本当だ、これでもかって言うくらい、何の実感も――」

 と、理香子はそこまで言って、急に辺りを見渡し始めた。

 きょろきょろとして、もしかすると誰かを捜しているように見えた。


「キミ、今何か喋った?」

「何も」

「おかしいなぁ。今確かに――」

 理香子は再び誰かを捜し始める。


「か細い声で聞こえるんだ。何かの話し声が。誰かの声が。ちょうど襖越しで話を聞いてるみたいにボソボソと」

「は?」

 耳をすましてみても何も聞こえない。

 そうする内に理香子の視線がしだいに定まっていく。


 その先にあったのは、今朝帰ってきた【傘】だった。

 彼女はその傘をひたすらじっと見続けたまま、しばらく動かなかった。


「――コイツだ」

 身を乗り出して彼女は傘を指さした。


「頭がおかしいと思っているのかもしれないがね。ワタシだって、正直自分が怖いさ。

 ただ、本当に聞こえるんだ。【物】の声が。多分、所謂【サイコメトリー】とかそういった感じの能力なんだろう、コレは」


 じっと傘を見つめたまま理香子は動かない。

 彼女は熱心に【傘】の話を聞いているらしかった。


「何て言ってるんだ オレの傘は」

「何かボソボソ喋ってて聞きづらい。もっとしっかり喋れ」

「――それ、やり方が間違ってるんじゃないか? 普通、サイコメトリーとかそういうのって、実際にソレに触れてみたりするだろ」

「あ、そうか」


 きょとんとした表情を浮かべて、それもそうだと理香子は一旦傘を机の上に置いて、うやうやしく傘の上に手を置いた。

 触れた瞬間、彼女の体がびくりと震えた。


「ちょっと右手首を見せてくれ」

「いいけど、ほら」

 右手を肇が差し出すと、理香子はちらと見ただけで、ありがとうと呟いた。

 それから、少し考えるようにして切り出す。


「キミの知り合いに【右手に怪我をしている人間】はいないか? もしくは、右手に包帯を巻いているような人間は?」

「いないと思うけど?」

「その傘が持つ記憶の中には、包帯が巻かれた右手首が強く映っていた。

 そして、キミは怪我をしていない。つまり、今しがたワタシが言った特徴を持つ人間が、この傘をキミの家に持っていたということだ」


「どうしてそんな事を」

「知らないよ。でも、これがもし本当に【小人】の仕業だとしたら、ワタシたちはソイツに用があるはずだ」

「――木原か」

 姉を殺し、自分たちがいま一歩まで追い詰め、けれど逃がした殺人鬼。

 小人とやらが評判通りなら、木原の忘れ物からヤツの居場所が分かるかもしれない。


「しかし厄介な話だ。今は冬で、みんな上着を着ているだろうから、手首を見るのは少し苦労しそうだ。

 それに此処はベッドタウン。マンションだらけのマンション街だ。この中から当たりを引くのは、至難の業だよ」


◆◆◆


 テーブルの上にコーヒーを置いて、裕理は作り笑いを浮かべた。

 そこは近所のレストランで、向かいに座っているのは若い女性だった。

 裕理は彼女と、もう何度目ともしれないディナーを過ごしていた。


 だが、裕理は特に彼女に対して好意を寄せているというわけでも無かった。

 単に取引先の役員に紹介されてしまったから、こうして会食を重ねているだけだった。

 

 彼女は高校を出たばかりで、今はどこかの芸大に通っているらしい。

 彼女は自分が勤めている社長の娘だった。名前は確か、市ノ瀬美也子といったか。

 歩いていれば、無意識のうちに視線に止めてしまうような、それほどの容姿ではあったが、やはりこれも裕理にとっては、どうでもよいことの内の一つに過ぎなかった。


「裕理さんと一緒にお食事するのも、もう二桁目ね」

 市ノ瀬が嬉しそうに語り始める。

 言外に何かを含んでいるのは伝わってきたが、正直裕理からすればうんざりする話だった。


 まさか自分はこの少女のような彼女と結婚するのだろうか。

 結婚して、子供を産ませて、育てて……。

 

 そこまで考えて裕理は自分の妄想を、心の中で嗤った。

 そもそも自分は彼女のことが別に好きというわけでも無いのだ。

 そんな事になりようはずもない。

 

 頭を切り替えて、いつも通り適当に話をすることにした。

 仕事の事、趣味の事。

 最近行った人形展の事を話すと、彼女はそこで食いついた。


「それにしても、ヒガンって変な名前よね。お彼岸だし」

「さぁ、さすがにペンネームみたいなものだとは思うけど」

「そうかも。あーあ。それにしても、ほとんど人間みたいな人形か……。裕理さんを疑うわけじゃないけれど、もし本当にそんなのがあったら、人間の女なんてどうでもよくなっちゃったりするのかしら。ほら、人形なんだから見た目とか変え放題なわけだし」


 その日は、夕食を一緒に食べただけで自宅に帰ることした。

 食後、どこかに行かないかと誘われたが、仕事があると言って断った。

 

 もちろん、そんなものはあるはずもないのだが、とにかく裕理は市ノ瀬から離れたかったので、そう言った。


 夜、自宅に帰るまでの道で裕理は思案する。


 最近の彼女は焦っているのか、やたらに誘いを受ける。

 こうしてズルズル会い続けているのが良くないのだろう。

 こちらも取引先の娘である手前、ある程度は合わせてきたが、そろそろハッキリさせておいた方が、お互いのためなのだろう。


 好むものは分からないが、裕理は自分が嫌悪するものが何かは知っていた。

 それは束縛だ。

 

 何であろうと、誰であろうと。

 とにかく自分に何かを強制しようとする、他者が裕理は嫌いだった。


 自宅までの道で、ふと、噴水広場を横切ろうとした時だった。


 裕理はあり得ないものを見た。


 高校の制服を着た少女。

 きっと家に帰る途中なのだろう。

 月明かりに映えて見える横顔に、あの時人形展で見た人形の面影があった。


『運命は、やがてアナタの知る姿で現れるでしょう』


 裕理は、それを見た時、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 人形展での彼女――ヒガンとの会話を思い出す。


 裕理は静かに少女の背後に忍び寄り、その肩に手を置いた。

 怪訝そうな表情で少女が振り返る。

 何か言葉を発しようと口を開いたが、それが音になることはなかった。


 代わりに。

「『ねむれ』」

 という裕理の声が闇夜にこだました。

 瞬間、少女は脱力し、裕理の腕の中に納まった。

 腕の中の少女からは、すでに寝息が聞こえ始めていた。


 彼女がしていたネックレスが視線に入る。

 気になって制服の中に埋まった先端を引きずり出すと、それは【骨】だった。

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