『リプレイス』

 霧元肇の姉は、いわゆる人気者だった。

 美しい顔立ち、いたずらっぽい性格、しかしそれでいて他人に対して優しい少女だった。

 勉強もできたし、スポーツも出来た。

 

 肇は、そんな姉を誇りに思っていた。

 周りの人間が勝手に行う、姉と自分との比較は不快だったが、そんなものは姉が自分に向ける愛情がかき消してくれた。


 ある日。


 家が火事になった。

 今の家、マンションとは別の、一軒家のころの話だ。

 両親は休日だというのに仕事に出ていて、肇は通っていた空手教室に居たから、家にはいなかった。

 家に居たのは、その日、家で勉強すると言っていた姉一人だった。


 何も知らず家に戻った肇は、外から燃える我が家を見た。

 両親はまだ帰ってきておらず、消防車も来ていない。

 近所の住人が家に誰かいるのではと騒いでいるだけだった。


 気が付けば肇は火の海に飛び込んでいた。

 姉の部屋に駆け込んで、勉強机の傍で倒れている姉を抱きかかえて、外まで運び出した。

 その際、肇の体を数度、炎が包み、その体を蝕んだが、それでも肇はひるまなかった。


 結果として姉は助かり、両親はその事実にむせび泣き――肇の体は焼けただれた。

 当然、両親は肇の治療のために方々を駆けずり回ったが、現在の医療では、その火傷痕を完全に消し去ることはできず、最終的に特に酷かった、顔の左側の火傷痕は、ほとんどそのままとなった。


 それでも肇は、最初の内はそれで良いと思っていた。

 この火傷痕はむしろ、最愛の姉を自分が救ったという名誉の負傷なのだと、そう思っていたのだ。


 だが。

 鏡で自分の顔を見るたび、心のどこかがズキリと痛むような気がした。

 姉が自分に向ける感情が、愛情から憐憫に代わりつつあるのではと感じた。

 

 人気者で、綺麗な姉の姿を見るたび、何故だか心の奥底でどす黒い感情が渦巻いているような気がしたのだ。


 肇は、あの日、己を犠牲にしてまで姉を救ったことを後悔し始めていたのだ。

 

 そんなはずはないと、しかし肇はそんな感情を認められなかった。

 その思いは『汚い』ものだ。

 姉よりも自分が大事だと。

 彼女の命よりも、自分の顔の方が大事だったなど。

 自分が、そんな浅はかな人間だと、思いたくなかったのだ。


 しかし、その疑念は『骨』を受け取ったあの日、確信に変わった。

 この【入れ替わる】という能力。

 骨が人の願いを叶えるものとするなら、自分は何と入れ替わりたかったのだろうか。

 この願いはどこから来るのだろうか。


 骨を受け取ってからしばらくして、姉は殺された。


 火事からしばらく経ったある日。


 肇は喋り方を変えた。

 もとより男勝りで、空手でも男子相手に圧倒していたので、周囲はその変化を緩やかに受け入れていた。

 自分の事を『オレ』と言い、男物の制服を着るようになっても。

 

 霧元肇という人間が、少女というものでいられなくなっても、誰も何も言わなかったのである。


◆◆◆


 おかしい。

 木原孝司はとうとう全身を扉から出した。

 一歩。廃ホテルへと踏み込む。


 先ほど送り出したネズミたちからの連絡がない。

 奴らを狩ったのならば、戻ってくるはずだ。しかし、ソレがない。

 

 元がネズミではあるが、凶暴化し、手なずけたヤツらは、ある程度の知性を有し尋常ならざる獰猛さを持っている。

 高校生二人を殺すことくらい、なんのことはないはずなのだ。

 事実、今までだってそうだった。


 奴らの歯は鋭く、鋭利に突き刺さる。

 俊敏に動き回る奴らを捕らえる事は出来ないし、何よりこの闇の中を奴ら以上に正確に動けるとは思えない。


 そう。だから、おかしいのだ。

 何故戻ってこないのか。

 では、ネズミたちは霧元肇、紺野理香子、どちらかの能力によってたおされた というのだろうか。


 右手を右側頭部に押し当てる。

 これで、能力によって凶暴化しているネズミたちの居場所は大体把握出来る。

 だが、何も帰ってこない。

 この場合は能力が解除されたことになる。

 ネズミたちは死んだのだ。


 やはり。

 木原は静かに思う。


 左手に握られたアタッシュケースを握り直す。

 これを持ってきていて正解だった。


 再び扉の中に入り、【部屋】に戻る。

 それから再び扉を出現させ、このホテルの別の部屋の扉とつなげた。

 ノブを捻って回して開けると向こう側では紺野理香子が、ぐったりした様子で地面に座り込んでいるのが見えた。


「随分、疲れているようだな。キミの能力は、酷く体力を消耗するらしい」

 見るからに死にかけの少女が一人。

 木原の頭は、もはや目の前の少女がただの獲物にしか映っていなかった。

 これから貪って殺すだけの、哀れな少女。


 しかし、待て、と。

 木原は思考する。

 もう一人の姿が見当たらない。


「一つ。アナタに聞きたい事がある」

 肩で息をしながら、理香子は言った。

「アナタの能力は、【部屋】と、【凶暴化】だろう? だが、どちらもベクトルの違う能力。一方の能力を応用して発動しているわけでもなさそうだ」

 

「大方検討はついているんじゃないのか?」

 警戒しつつも、木原が問いに答える。


 冷たい鉄の箱に触れて思案する。

 先の言葉で、彼女はすでに自分の能力の秘密に気付きつつある。

 そんな人間が、何の策も労さずにそこに立っているだろうか。

 殺してくれと言わんばかりに、そこで息も絶え絶えにようやく立っているだろうか。

 何か、きっと何かがあるはずなのだ。

 

 だが、と同時に違う衝動が体を突き動かそうとする。

 彼女を部屋に引きずり込んで、存分に生にしがみつかせて、殺したい、というのも事実なのだ。


 いいや、それだけが自分にとっては事実なのだ。

 あの涼しい顔をした少女が、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにする様を見たくて、見たくて、どうしようもないのだ。


 この【能力】はそのための力なのだ。


「――【骨】の能力は、その所有者が求める【ソレ】に由来すると、ボクは考えている。自分の能力が、まさにそういう風に出来ていたからだ。

 安全にじっくり殺すための場所を作り出す能力と、非現実的な未知の恐怖を殺す対象に与える能力。

 エイリアンは見たかい? あれは良い映画だ。特に女の腹からエイリアンが飛び出すシーンと、女がエイリアンに喰われるシーンとかが」


「――この変態」

 まっとうな意見だ。

 理香子の言葉を鼻で笑いながら、ようやく木原は一歩、扉の外に出た。


「グリードの冒頭、スピーシーズとか」


 返事をしながら木原は理香子に近づく。

 アタッシュケースの中に潜ませたアレの射程距離に理香子を入れるためだ。

 もう一人が何をしているのかは分からない。

 しかし、一度火がついてしまった性には、抗い難かった


「そういえば、昔アナタのような変態的な嗜好を持つ人間を何て言うか、聞いた事がある」

「止めておきなさい。とても女の子の言うような言葉じゃあない」


 とうとう理香子が射程内に入った。

 後は、このアタッシュケースを開いて、引きずり込むだけ。

 すぐに殺すかどうかは、引きずり込んでから決めればいい。


 胸は高鳴り、心臓は早鐘を打つ。

 目の前の世界がぼんやりと輪郭を失っていくほどに、興奮していく。

 この瞬間、自分はなんて邪悪なのだろうかと自覚するが、しかし暴走した感情が理性を食い散らかしていく。 

 この一瞬が、たまらなく心地よい。


「じゃあ、オレが代わりに言ってやるよ」

 肇は冷めた声でそう言った。


 次の瞬間。

 紺野理香子は消えていて、代わりに霧元肇がそこにいた。

 肇が一歩踏み込む。

 

 明らかに何らかの意思を持って、こちらに触れようとする肇を見て、木原は慌てて後ろに下がる。

 

 しかし、とん、と彼の手が触れる。

 木原は後ろに一歩下がって避けたつもりだったのだが――。


 気がついた時には、すでに自分は別の場所に飛んでいた。

 真っ黒な空間。

 

 ここはどこだ。

 木原孝司は、暗闇の世界の向こうに何か居ないかと警戒する。

 

 明かりは殆どなく、ぼんやりと周囲が見て取れる程度しかなかった。

 ふと、置き去りにされた車を見つけた。

 地面を見るとコンクリートらしく、さらにそこに白線が引かれていた。


 駐車場。

 おそらくはこのホテルの地下駐車場だろう。

 そして、第一の能力を発現させるのに必要な扉というものが、この辺り一帯には無かった。


 転移させられた。

 木原は2人を部屋に閉じ込めた時の事を思い返す。

 あの時、霧元肇が何か言っていたか。

 

 おそらく、部屋を抜けたのはヤツの能力。

 転移の類だと思っていたが、もう少し違うらしい。

 さっきは紺野理香子が居た位置に、入れ替わるように現れた。

 

【入れ替わり】が、ヤツの能力か。

 ここに紺野理香子がいないということは、霧元肇は最初ここに居て、そこから紺野理香子と入れ替わり、その後ここに転移した彼女と自分とを入れ替えたのだろう。


 だとすると、問題は他にもある。

 

 あの時。

 霧元肇が自分と何かを入れ替えようとした、あの時。

 確かに一歩、後ろに下がったはずなのだ。

 だが、そうではなかった。結果は違っていた。自分は何もしていなかった。


【何もしていないことになっていた】


 誰か。やはり他に誰か居るのだ。

 皆元知美の頭を引きちぎった人間。今さっき、自分に何かした人間。

 人数は分からないが、自分とあの二人以外に、骨を持つ人間が居るのだ。


 と、その時。遠くで足音が聞こえたような気がした。

 カツン、カツン、と誰かが歩いている。


 駐車場の地上へと上がる階段。

「触れた物同士を入れ替える。【リプレイス】って名前を付けたんだ、この力には」

 僅かに月明かりが差し込み青白く光るその場所に、霧元肇が立っていた。

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