『セブンス・ルーム』と『ズー』③

 凶暴化した生物の特徴は、自分の好みに準ずる。

 そっと、顔だけを扉から出して、周囲を確認すると、そこは無人の部屋だった。


 木原孝司は、セブンス・ルームで【部屋】とつなげた廃ホテルの扉を開いていた。

 

 相手をセブンス・ルームに閉じ込めて、ズーによって狂暴化した生物で始末する。

 それが木原のやり方だった。


 今はそれが崩れてしまっているが、ズーの生物で始末することには変わりはない。

 ただし、セブンス・ルームの外にいる人間を始末する場合は、少しやり方が変わる。

 

 ズーは、同じ次元に自分が居ないと発動しないのだ。

 セブンス・ルームに籠もったまま、外に凶暴化した生物を送り出すことは出来ない。

 凶暴化した生物は外に出た途端、能力は解除され元の生物に戻ってしまうのだ。

 だから、こうして外の敵を倒す場合は自分自身も外に出ておかなくてはならない。


 面倒な事だ。

 木原は静かに息を吐いた。

 あんな子供二人を仕留めるために、自分が逃げ隠れしなくてはならないとは。

 だが、相手の能力も分かっていない今、うかつに攻め込むのは危険すぎる。

 

 幼少期から植え付けられた、猜疑心と警戒心が警鐘を鳴らす。

 そうだ。いつだって、冷静沈着に物事を片付けてきた。


 穏やかな好青年の仮面を被って、今日の今日まで生きてきた。

 それが、あんな子供二人に打ち砕かれてなるものか。

 

 それに、と木原はほくそ笑む。

 凶暴化した生物は、対象を正確に追跡する。

 闇夜にばらまいた狩人は、確実に邪魔者を殺してくれるはずだ。

 

 ただじっとして待っていればいい。


◆◆◆


 肇は、理香子と二人で廃ホテルの中を歩き回っていた。

 罠を張るための場所を探していたのだ。

 その間中、理香子の手首からは少しだけだが血が垂れ続けている。


 このままいけば、出血死もあり得る。

 そう肇が苦言したが理香子は、そうも言ってられないさ、と疲れた笑みを浮かべて、言葉を返した。


「ここらで良いか」

 玄関扉さえも取り外された哀れな部屋の中に体を滑り込ませる。

 入口部分に理香子の血がたっぷりしみ込んだ上着を置く。


 そこはさっきまで自分たちが居た部屋より上の階の部屋だった。

 肇は理香子を支えながら、どうにか部屋の奥まで進む。


 奥の壁にもたれかかるように理香子が座る。

 本当はベッドにでも寝かせるべきだが、さすがに今の状況ではまずい。


「そろそろ限界だ。お前はさっさと逃げろ」

 例えば小石を掴んで、外に思い切り投げて、それと入れ替われば、容易に離脱出来る。しかし彼女は首を横に振った。


「だがキミは残るんだろう? あの男に殺された、姉の仇を討つために」

 彼女は知っていた。そのことに肇は、さして驚かなかった。

 あんなノートを作ってまで、この事件を調べていた彼女のことだ。

 自分の事を知らないほうがおかしいのだから。


「霧元という名字を被害者で見た覚えがある。その被害者は、君の姉だった。違うか?」 

 理香子の問いに、肇は何も返さない。


 姉の仇をとる。

 それは自分が犯人を心の底から恨んでいるということが前提だ。

 しかし、自分にそういった感情はない。


 ただ。

 ただ、決着をつけたいだけなのだ。

 

 姉を殺した殺人鬼を始末して、自分という存在を先に進めたいだけなのだ。


「最初はただの好奇心だった」

 ぽつりと、理香子がつぶやいた。

「でも、事件の事を調べていくうちに、心の内に怒りがこみ上げて来た。それと同時に使命感のようなもの感じて、それが頭の片隅にこびりついたんだ」


 その時、彼女の瞳は確かな決意を秘めていた。

 澄んだ瞳の奥の奥に、涼しげな顔の仮面を被った彼女の、本当の感情が見え隠れする。

 紺野理香子は、すでに決意していた。


「警察は骨の能力を知らないだろうし、きっと信じないだろう。もし犯人が、そうだったなら対抗できるのは自分だけだろうと。――もしワタシが上手くやれば、被害者が減るのかもしれないと」


 彼女のシャツには、所々彼女自身の血液が飛び散っている。

 白いシャツに、斑点の柄のように赤い点がぽつぽつとあった。


「何、ただの傲慢な思い上がりの偽善さ。人間は意思の生き物。犯人に怒りを覚え、決着を選んだワタシ自身が――ワタシは、以前のワタシよりちょっぴり好きだっただけの話さ」


 だが、その言葉だけは、しっかりと矢のように耳に刺さった。

 雰囲気はぼんやりとしていても、彼女の意志だけははっきりとしていた。

 瞳には確かな色があった。

 ネズミたちの鳴き声と足音が近づいてくる。


 奴らは知らない。

 理香子が自分の血液を垂らして作った罠への道を追跡していることを。


 奴らは知らない。

 そのゴールにあるのは、餌ではなく【ネズミ捕り】ということを。


 部屋の入り口に置かれた、理香子の血液をよく吸った上着に無数のネズミたちが飛び込んだ。

 それが理香子当人だと錯覚している奴らは、その上着に食らいつく。


 理香子は右手で手刀を作り、それを勢いよく振り上げた。

 瞬間、彼女の上着から、無数の血液の細い槍が噴出し、ネズミたちの体を貫いていく。


 無数の獣の鳴き声が充満していた部屋が、途端に静かになる。

 部屋の中には、疲れからくる2人の荒い吐息しかなかった。


 肇は、満身創痍でありながらも、ただの一点の迷いもなく、前を見続ける理香子の在り方に、ただただ眩しさを感じていた。


 どこかから吹き込んだ風が肇の頬を撫でた。

 左目を隠す髪の毛をさらりとかき分けられーーその奥の焼けただれた肌が夜風にさらされた。

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