『セブンス・ルーム』と『ズー』①

 霧元肇は周囲を見渡して何か妙な物は無いかと探していた。

 未だホテルの中に居て、けれど何かを見つける事もなく、ただただ時間だけが過ぎていく。


 ピンク色の部屋だったであろう空間も、今となっては見るも無惨な廃墟となっていた。

 それは死んでいるように見える。

 穴だらけのベッドに右手をつくと、どこかのバネが折れる音が聞こえた。


「どれもこれも、怪しく見えるよ」

 その間も、紺野理香子はめげることもなく、探索を続けていた。

 シャワールーム、トイレの中、テレビが置かれていたデッキの中と下。

 どこもかしこも探していて、彼女はすっかり埃まみれになっていた。

 きっと今の自分も同じ風なのだろう。

 バネの折れたベッドに座った肇は、自分の服についた埃をはらっていく。


「そろそろ帰らないか」

 窓の外に映っていたのは、夕焼けをすっ飛ばしてやってきた夜空だった。

 気の早いことで、まだ六時過ぎだというのに、外は闇に満ちていた。


 冬場は日が沈むが早いものだ。まじまじとそれを実感する。

 肇の提案に、しばらく理香子は考える様子を見せたが、やがてため息をついて彼女は折れた。


「そうだな。どうにもこうにも、何も見つからないんじゃラチが空かない。ここは一先ず帰って情報の整理をしたほうが良さそうだ。電車に乗って帰ろう」

「それじゃあ、帰りに【吉川歩生】の家に行こう」

「吉川歩生? 皆元知美の彼氏か。キミは彼の家が分かるのかい?」

「友達なんだよ、オレ、アイツの」


 地下鉄を一駅超えて、見慣れた駅から地上へと這い出る。

 空はもう暗くなっていて、時刻はもう七時くらいになっていた。

 

 肇はついさっき理香子に軽く殴られた頭をさする。

【どうして、そういう事を先に言わないんだ、キミは】と叫んで、彼女は思い切り、頭をはたいたのだ。

 今までの印象からして、彼女はそんなキャラではないと思っていたが、認識を改める必要があるかもしれない。

 思いの外殴られたところが痛い。


「さて、その吉川歩生というキミの友人の家はどこだい?」

 頭をはたいてすっかり気分が良くなったのか、普段通りの口調で理香子が聞いた。


「確か、ルインプレイスの十三棟だよ」

「ルインプレイス?」

 理香子は目を丸くして、オウムのように言葉を返した。

 そういえば、彼女は転入生だった。いきなりルインプレイスなどと言っても、分からないのかも知れない。


「ほら、神森町から出たところにある団地。神森小学校がある方面の」

「あぁ。町の端っこから横断歩道を渡った所にある、アレか。なるほど、名前を知らなかった」

「歩生はあっちに住んでるんだ」

「あんな迷路みたいな所にかい? ワタシは昔あそこで迷子になりかけた」

「この町に来たばかりじゃ、仕方ないよ」


 そういえば。ふと、他愛の無い疑問が頭をよぎった。

 紺野理香子という少女は一体どこからやって来たのだろうか。

 彼女の醸し出す独特の雰囲気や、性格。どこか、遠くからやってきた、外国人のように思えた。


「そういえば、紺野が前に住んでた所ってどこ?」

「ん? ワタシ? ワタシが前に居たのは――」

 と、彼女が何かをしゃべり出すよりも早く、別の声が飛んできた。

 声の主は後ろに居て、振り返るとベージュのコートに身を包んだ、担任の木原が立っていた。


「やぁ、こんばんは。霧元君とそれから――」

「紺野です」

 ぺこり、と彼女は綺麗にお辞儀する。

「あぁ、どうもこんばんは紺野君」

木原が会釈をする。

「というか、霧元君、まだ帰ってなかったのかい? 危ないよ。最近は物騒だからね」

「大丈夫ですよ。襲われているのは女性ばかりですから」

「いやいや十分危ないって」

 と訂正する木原の横で、理香子がぽんと手をたたく。

「そうだ、よく考えればワタシ、危ないじゃないか」

「今更」

 肇が思わずため息をつきかける。

そんな肇を見て、木原は小さく笑みを浮かべた。


「霧元君。実はキミに頼みたい事があるんだけど、いいかな? 時間は取らせないよ、多分」

「夜は危ないんじゃなかったでしたっけ?」

「ここから帰るついでだよ。実は、吉川君に届けたいプリントがあるんだ。本来なら、ボクが届けに行く所なんだろうけど、友達が届けに行った方が吉川君、喜ぶかなと思ってね。ほら、彼は今多分――」


 そこで、木原が言葉を濁した。

 皆元知美が消えた当日の話。彼女を呼んだのは木原だ。

 その時、狼狽する歩生を見ていたならば、いくら鈍い人間でも、彼と彼女の関係にある程度の予想は出来るだろう。


「良いですよ」


 だから、すぐに返事をした。

どうせ、歩生の家には行くのだ。プリントを持って行こうが、それは変わらない。


「ありがとう。それじゃ――あぁ」

 と、鞄の中を確認して木原は、しまった、と分かりやすい失敗の表情を浮かべた。それから乾いた笑いをして――、

「忘れて来ちゃった」

 そして、そうほざく。


「先生」

 思わず肇は、本音を漏らしてしまった。

「ご、ゴメンよ。すぐに取ってくるから」

 慌てて踵を返す木原の背に、理香子が喋りかける。

「先生。だったら、ワタシたちも一緒に行っても良いですか?」

「へ? あぁ、ゴメンね。そうだね、こんな寒い所で待ってもらうよりも、職員室のほうが暖かいしね」

「はい。そういう事です」

 そういって理香子がツカツカと歩き出す。


「現場はもう一つある」

 小声で、ぼそりと理香子が呟く。

「職員室で皆元知美は消えた。ワタシたちの仮説が正しければ、原因は【職員室のドア】のはずだ」



「いや~。それにしても助かったよ。霧元君に会えて」

 夜の校舎に居るのは教師ばかりだった。

 普段なら、部活をしている生徒たちが居ただろうが、今は事件のせいで、皆自宅に帰されていた。


 活気溢れるはずの校内を静寂が包んでいる。

 廊下を走る者は誰もいない。肇と理香子は、木原の後について、職員室へ向かって歩いていた。


「でも、こんなことを聞いていいかどうか分からないけど、どうしてあんな所に? 霧元君は確か、神森町に住んでたよね。たしか――」

「今日は小説を買いに行こうと思いましたので」

 と言ったのは理香子だった。無論、それは嘘だ。


「少し頼んで、繁華街のお店まで連れて行ってもらったんです。ワタシ、この辺りは詳しくないので」

「へぇ。どんな本を買ったのかな?」

「ライトノベルですよ。結構古い奴で、女の子だけが知ってる死神が出てくる、ってやつです」


 他愛の無い会話を続けて、時が流れて、やがて視界に職員室の扉が見えた。

 白いスライド式の古風な扉には、何の仕掛けもないように思えた。

 事実、外見だけならば、どこもおかしくはない。しかし、きっと何かがあったに違いない。


「でも、悪いね。こんなことに付き合わせて」

 木原がその扉を開けながら言った。

 目の前に広がっていたのは、何の変哲もない普段通りの職員室だった。


「いえ、構いませんよ」

 おざなりに返事をしながら肇は考える。

 例えば、何かしらの能力だの、何だのがあったのなら、既に発動しているのではないのだろうか。

 だが、表面上は何も変化が見られない。おかしい所は見当たらない。


「――普通だな」

 背後で理香子の囁き声が聞こえた。

「だな。何かの仕掛けがあるようにも思えない」

 などと言っている間に、木原は職員室の奥へと進んでいく。

 仕方なく、肇と理香子も、一歩職員室の扉を、失礼します、と言いながらくぐり抜け、振り返って扉を閉めた。


 その時。

 つい今し方まで見えていた、プリントの山を乗せた机や、湯気立つコーヒー入りのマグカップや、疲れ切った顔の教師達は視界から消えた。


 と、いうよりも、【全く別の世界】に連れてこられた気分だった。


「は?」

 その急激な変化に、肇はただただそう呟くしかなかった。

 背後の理香子も同じような、表情をしているだろう。

「これは、一体どういう事かな?」

 ハハハと、乾いた笑いを漏らしながら、理香子は言う。

 本当に、ついさっきまで見えていた職員室は消えて、目の前に現れたのは味気ない、コンクリートの部屋。

 振り返ってみても、扉なんて存在しない。まるで、ぽつんと自分たち二人だけがそこに入れられているよう。


「犯人のトラップが、まだ生きていたのか」

 苦々しげに理香子が呟く。彼女は何も無いカラッポな部屋の中を歩き回る。

 肇も同じように、壁に手を当てて歩いてみた。

 冷たい感触は、まさにコンクリートのそれで、床も同じものだった。

 部屋というよりも、コンクリートで出来た四角い箱といったほうがしっくり来る。


「犯人の能力は、やはり扉と扉をつなげる能力だったんだよ。ただし、中継地としてこの部屋が使われる。ここがどこかは不明だが、窓も扉もないこの部屋は、人を殺すのにはもってこいというわけだ」

 さて、と理香子は人差し指を顎に当てて考えるそぶりをする。

「ということは、だ。犯人はここにやってきて、ワタシたちを殺すということだ。早く何かの対策を練らなければならないんだが――」


 その時だった。


「え」

 短く肇は呟いた。

 なぜなら、さっきまで何もなかった灰色の壁の中に、ぽつりと赤い色の扉が出現していたからだ。

 そして、その扉は静かに開かれていく。


「――やはり」 

 犯人は男だった。

「やはり、誰かは気づくと思っていた。ボクのこの能力――」

 若い男。ベージュ色の服を着た男で、肇は彼を知っていたし、理香子もついさっき彼に会ったばかりだった。

「『セブンス・ルーム』に」

 普段の温厚そうな顔の仮面は剥がれて、木原孝司はそこに立っていた。

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