骨とカクテル

 ある冬の日の朝。

 肇の机の上に、綺麗に包装された小さな箱が置かれていた。

 誰が置いたのだろうか。

 正直、別に今日が特別な日というわけでもないので、心当たりがない。


 疑問を頭の片隅に置いたまま、肇は箱を開けた。


 中に入っていたのは、【骨】のついたネックレスだった。


◆◆◆


 大江桃子の死体を見に行った翌日。

 肇は昨日と同じように図書室に向かっていた。

 今日こそは新聞を読みたかった。

 だが、今日もやはり新聞は一冊残らず無かった。

 昨日と同じく、白い机を支配するように灰色の紙が広げられている。


 小柄な彼女は今日もそこにいた。せわしなく目を動かして記事を追っている。

 昨日借りた本を返すフリをして、肇は彼女に近づく。

 彼女に背を向けて、本棚に本をしまうその瞬間、時が止まったようだった。


「キミ――」

 彼女は口を開いていた。

「昨日、あの現場にいたよな?」


 部屋の中にいるというのに、背中はひどく寒かった。

 冷たい何かが這い上がっていったようで、きっとこれが【悪寒が走る】という奴なのだろう。

 ゆっくりと振り向くと、彼女がこちらをじっと見ていた。


「もしかして、キミもこの事件を追っているのか?」

 と、彼女が新聞の一面を見せる。

 大江桃子の事件が見出しに載っていた。


「ちょっと興味があるだけさ。近所でこれだけ人が死んでいれば、気にもなるだろ」

「……去年の冬から始まって、もう八人目だからね」

「あぁ。……ところでアンタは? 冬休みの自由研究にでもするつもりか?」

「いや。――ところで、首のそれ、何かな。ネックレスみたいだけど、肝心の飾りが見えない」

 す、と彼女が、制服からわずかに見える肇のネックレスの紐を指さした。

 

「ただのネックレスだよ。でも、全部出すとさすがに先生に怒られるから」

「どんなネックレスかな?」

 

 骨の、とはさすがに言い辛い。

 さてどうしたものかと肇が逡巡していると、目の前の少女がポケットから何かを取り出して見せた。


「もしかして、こんなのかな?」

 

 彼女の細い指でつるされたそれは、肇と同じ骨のネックレスだった。


◆◆◆


 彼女の名前は紺野理香子こんの りかこといった。


 図書室での一件後、肇は彼女からその名を教えられた。

 彼女も同じ、【骨】を受け取った人間であるらしい。

 どこまで信用していいのかは謎だが、しかしとりあえず理香子と放課後、図書室で待ち合わせる約束をしてその場は別れた。

 授業が終わり、肇が図書室に入ると理香子は昼間とは違って新聞ではなく、分厚い小説を読んでいた。


「キミがさっき直した本だ」


 理香子が音を立てて本を閉じる。よく見ればどこか見覚えのある表紙だった。

 ハードカバーの表紙にタイトルが刻まれている。変わったタイトルだった。

 タイトルは英語だが、直訳するとそのまま「本」なのだから。


「こんなの、適当に取っただけだ」

「実は、この作家のファンなんだ。ハードカバーの本が出ていたのを、今さっき知ったところでね」

 ふと、さっきの本の表紙を思い出す。

 ダークブラウンの表紙に、短く作者の名前が彫られていた気がするのだが思い出せなかった。



「とりあえず『パブロフ』に行かないか? あそこに入ったばかりのファミレスに、ドリンクバーがあっただろ。ちょっと興味があるんだ」

 学校を出るなり、理香子がそんなことを言った。


 パブロフ、というのは神森町の中にある大型スーパーのことだ。

 一階にはフードコートも入っていて、その中には学生向けの安いファミレスもあった。

 今の時間帯なら、ちょうど自分たちと同じようなことを考えている連中は、ごまんといるのだろう。


 図書室で言っていた通り、紺野理香子は心底ドリンクバーを楽しみにしていたらしく、恒例のミックスとやらを完成させて満足げにそれにストローをさして飲んでいた。


「ミックスではなく、カクテルだ」

 ついさっきミックスと言った肇に、理香子は不満を漏らし、それをストローで飲んだ。

 とても美味しそうには見えない色の液体が、彼女の唇目掛けて這い上がっていく。


「ところで、ここ二日間、キミの新聞を横取りしていた償いをしておこうか」


 そう言って理香子は、なにやらごそごそと鞄を漁って、一冊のノートを取り出した。

 赤色のキャンバスノートの表紙には何も書かれていない。

 ほら、とそのノートが差し出される。受け取ってめくってみると、中はどうやら事件について書かれているらしかった。

 理香子が書いたらしい小さくて丸っこい字で、事細かに死体の状態や場所が記述されている。


「ワタシが今までの事件をまとめたノートだよ。まぁ、大して役に立つとは思えないけど。新聞とかネットとか、ニュースとかの情報をまとめただけの小学生の宿題レベルだ。あまりアテにはしないで欲しい」

「最近の小学生はもっと雑だよ」

「それは酷い」


 ページをめくっていくと、やはり例のことについて書かれていた。

 彼女も同じく、被害者たちが殺された現場へと向かったという、痕跡が無いことに着目していた。

 ご丁寧にも、そこに黄色いマーカーが引かれている。


「そこはワタシも気になったんだ」

 ストローを口の端にくわえながら理香子は言った。


「被害者たち、つまり【彼女たち】は誰一人としてそこに行ったという痕跡がなかった。そしてもう一つ、気になるアレだよ」

 机の上に広げられたノートの上で、彼女の指がトントンと縦に動いた。


 そこに張られていたのは、【二番目】の事件の時の記事だった。

 見ればまたマーカーがひかれている。


「被害者の女性の遺体に、まるで何かに食い荒らされたような跡があるんだよ。そう、たとえば凶暴な肉食獣のような、おおよそ都会では出くわさないような生物の痕跡だ」


 理香子がストローから口を離す。両手を机の上で組んだ。

 急に世界が静かになったように、肇たちに静寂が訪れた。


「――ワタシはね、この犯人も【コレ】と同じものを持っているんだと思っているんだ」

 コレだよ、と理香子は自分の【骨】のネックレスを取り出して見せる。


「その【骨】が超能力みたいなのをオレたちに授けてくれる、ってそう言いたいのか?」


「キミがサラリーマンを助けた日。実は近くにワタシもいたんだ」

 ずず、と理香子がジュースを飲んで言った。

「自販機の下に突っ込んでいた手と、違う方の手からキミはスマホを渡していたね」

「手品みたいなもんだよ」

「なら、種を教えてくれるかな」


 しばし2人で見つめあう。

 やがて、幕引きの合図のように肇がため息をついた。


「分かった、認めるよ」

 降参とでもいうように肇は腕を上げた。

「でも、どういうのかはまだ教えない。お前が味方だって、まだ信用したわけじゃないしな」

「構わないさ。その時になれば、おのずとお互いのがどういうものか分かるだろう」


 肇の答えに納得したのか、理香子は楽しげに目を細めて、すぅっと事件について書かれたノートを肇のほうに押し戻した。


「そいつは渡しておくよ。内容は全てワタシの頭の中に入っているからね」


◆◆◆


 この寒気は、どうやら校舎の分厚い壁さえも無視して来てしまうらしい。

 芳川歩生は凍えそうになりながら、職員室前の廊下に立っていた。


 恋人の皆元知美みなもと ともみが職寝室に入っていったのは、ずいぶん前のことのように思える。

 いや、実際随分前のことかもしれない。


 ポケットに突っ込んだスマホを取り出して開くと、この前知美と二人で一緒にとった写真の右上に時刻が表示されている。

 すでに午後四時を少し過ぎていた。ということは、かれこれ三十分は待っていることになる。

 

 どうやら現代国語の課題について、何かあったらしく知美は職員室に寄ってから帰ると言っていた。

 呼び出した教師は、それほどチミチミと小言を言うようなタイプではないので、すぐに済むと思っていたが……。


 知美は優等生だ。その彼女が、これほどの時間職員室で捕まっている理由は、なんだろうか。

 歩生はしばらく考えたが、答えは出なかった。


 程なくして、職員室の扉が開いた。

 中から出てきたのは、知美を呼びつけた張本人である木原孝司きはら こうじだった。

 所々曲がったクセのある髪の毛と、黒縁の眼鏡、それからベージュ系のアースカラーのセーターが特徴的な教師だった。

 温厚そうな顔立ちで、歳はまだ若く最近ようやく30になったくらいだと、聞いている。


「先生」

 歩生が木原に声をかける。

 すると木原は害のなさそうな草食動物のような、穏やかな笑みを浮かべて、やぁ、とまったりと言う。

「どうしたんだい? 何か、課題でも出し忘れたのかい?」

「いえ、そうじゃなくて。三組の皆元さんはまだですか?」

「ん? あぁ、確かにまだ来てないね。おかしいな、放課後来るようにお願いしたんだけどね」

「え?」

 ふと、歩生は目の前の教師が冗談を言っているのかと思った。

 なぜなら、自分はこの目でつい三十分前、知美がそこの扉を開けて職員室に入るところを見たのだ。

 だからてっきり、今の今まで知美は木原と一緒に喋っていたと思っていたというのに。


「皆元さんなら、さっき職員室に入っていきましたけど」

「え? でも見てないよ、皆元さん」


 あれ? と心底不思議そうに木原は首をかしげて、人差し指をあごに当てて考えるしぐさをする。


 遠くでサッカー部の掛け声が聞こえる。

 けれど、その声はもっと遠くから聞こえているに思えて。目の前の世界にざっくり亀裂が入ってしまったようだ。

 歩生の耳にははっきりと、何かの歯車が狂った音が聞こえた。

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