感情について

 こうして色々と自分に乗っかていたものがおろせるようになったから、以前は動かなかった感情というのが幾らか動くようになってきたのを最近は実感するようになった。少なくとも好きな物を好きであると認識できるようにはなったのである。とはいえかつてのような衝動性がともなうものではない。これが大人になったからか、あるいは既に壊れているからか、そのどちらも含めているからかというもの分かっていない。もっとも原因がなんにせよ、ある程度の人間性というべきものが戻ったのはよい事である。理性も大切であるが、生きる実感を持つためには感情の高ぶりもまた必要だからである。

 そういった面でいえば、こうして日記を書いているのもその確認と記録という面が僕には強い。一度無くなったものは元には戻らない以上、そしてまた一度感情をだいぶ失った以上はまたいついかなる時に同じようになるかもしれないからだ。かつての様に何も感じないようになるのは非常に恐ろしかった。

 とはいえそうした感情の振れ幅という面を全て出したいとも思わないし、それを全てオープンにしたいとも思わない。場所は選ぶべきであるし、なによりもそれを子供のように行うのは社会的にみて問題がある。飲み込むべき感情と出すべき感情を切り分けするのは大切である。何でもかんでも感情的になり、自分第一で自分勝手と自分を大切にするのを間違えるのは非常によろしくないのは既に他人の仕草をみて学んでいるのである。

 問題なのは、この薄い感情をいかにして生かし、育てるということである。今までのように行えば自滅するのは目に見えているので、これからはそれを踏まえていかにして行動するかが必要だった。けれどこの面はいまだに試行錯誤の最中である。感情を表すというのは別段、言葉や表情である必要もないので、何か別の方法で行うのでも良い筈なのだ。それはこれからの課題だろう。

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