過去を想う6

 もっともそれを文句を言ってもどうしようもなく、信頼・信用のおける人間ではなかったのも分かっていたので、自分のやりたい事の為には自分でどうにかしなければならなかった。そしてその多くの場合の障害は金であり、それを超えるにはつたない知識であろうが、他者からズレていようが、それを自覚しながらもそれを自分で修正しながらも早く社会に出て働く必要があった。

 たとえば年齢的には20歳が大人と言われるが、多くの場合は20歳というのは大学なり専門なりで遊びながら勉強をすることや、そうしたことからより自分の世界を広げるための準備期間というものだろう。

 だが、そういった事を望むこと自体が僕の家では難しく、それをやってしまえば家がつぶれるのは明白だった。その為、学校には自分で稼いでいくと伝えて就職したし、そのつもりで金も貯めていた。今はそうでないが、昔の会社はどこも年功序列であり、どちらかというと軍隊にちかいものであり、上司の言葉が間違っていようが従うのが通例だった。それとまたおかしな人が多く、自分の気に入らないことがあると怒鳴る人やアルコール中毒で朝に一杯の酒を必ず呑む人間など、いま考えてもちょっと不思議な人がいて、自分の仕入れた情報よりもおかしな人間とルールであり、非常に困惑した覚えがある。また中小企業だったので、教育という教育はなく、それも自分で何とかしなければならなかった。少なくとも会社側から真っ当な教育を受けた事はない。その点も非常に辛く、自分がそれを耐えられたのはただ自分にやりたい事があっただけであり、けして真っ当な企業とはいえないものだった。

 とはいえ、社会で働くこと自体はけして悪い事ばかりではなかった。そこで学んだこと自体は有効であり、それ自体は無駄ではなかったと思う。少なくとも自分の家がおかしいという自覚を明確化できたし、同時にどういった考え方が正しく、また社会人であっても言葉だけで何もしないで、いうことはよいが結局のところは立場に胡坐をかき、何もしない人間の方が多数であるという事を学べた。こうした人間の方が世間的にみれば大多数なのだ。多くの人間からすれば自発的や自分で考えるという事自体が拒絶反応の方が高い。他人が出した利益をかすめ取ろうとする人間の方が多数であり、また自分の理想を叶えないか、あるいは耳が痛いことは何も聞きたくないという、子どもでも間違いを自覚して謝ることができるような事を出来ない人間の方が多いのである。そしてそれを改善するのは容易ではない――ほぼ無理といった方がいいというのを学んだ。

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