過去を想う2

 しかしながら、今振り返ってみれば、小さい頃から親は良い親ではなかった。少なくとも世間一般的にいうような子供をつれてアミューズメント施設に連れて行く親ではなかった。もっぱら行くのはパチンコ屋であり、それを毎週繰り返していた。幼い頃の自分もそれにつれられてパチンコ屋にいた記憶がある。

 あまりにも軽い体重のせいで開かない自動扉、足元にはごわごわとしたたわしのようなマット、二重の扉の先には丸い回転する椅子とぴかぴかと光る台、そこら中になるうるさい音。左には自動販売機があり、当時は紙パックのジュースが安かったように思う。毎回、メロンジュースをのんで入口の左にある高い台の所で足をプラプラとしていた。そうしていると、大抵の場合は自分と同じ境遇の子どもが――しかし毎回同じ顔触れ――現れるのだ。僕と同じ、親に連れてこられて、放置をされた、子どもが。

 一定の知識を得て、モラルも持っている今だからこそ分かるが、あれは今でいう所のネグレクト(育児放棄)だった。じゃあ誰が世話をしていたのかと言えば、もう名前も覚えてない、同じ境遇の子どもだった。誰もいないようなグランドで二人で寂しく団子を作ったり、もしくはコインを拾って回転させたり、あるいはつまらないね。早く終わらないかなとかを話していたりした記憶がある。子供なんて本当にいなかったら、同じ境遇同士で、駐車場で遊んでいたりしたのだ。けれどもそんなのは時間が経つにつれていなくなるものだ。次第にその子供も来なくなったし、僕も行かなくなった。行きたいとすら思えなかった。

 結局はそうしてずっと放棄をされてしまった。だから僕には写真がない。何故なら行かなかったからだ。思い出と言われても、そもそもそんな経験なんてないのだから、ある筈がないのだ。

 そんな幼少期だったから、僕は良く普通の人間の生活がしたいと良く思っていた。もしくは早く大人になりたいと思っていた。何せ幼い頃と今だってなんらやっている事は変わらないのだ。だったら何も変わりはしないし、大人の方がよほど有利だった。

 けれども――どこかで甘さがあった。家族だからと言い訳をして、人間であるならば理性と言葉をもって行うべきだと考えていた。

 だがそれは違う。そもそもたとえ自分が理性的であり、言葉を費やしても相手が話を聞こうとしなけば成り立たないし、何よりもモラルがない人間に理性を求めるのは無理がある。はなっから中にないのだから。ない物を出すことはできないのだ。はなから前提を間違えていたのだ。

 だとするならば、やはり僕は愚かなのだ。

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