不幸


 昔は、わたしが彼女の後ろについて行くと嫌がっていたのに、最近では彼女の方から呼びにくる。それにしてもあの日は急だった。いつもなら放課後まで待つのに、あの日は昼休みに呼びにきた。


「付いてきて」


「どこに行くの?」


「C地区の草原地帯」


C地区は政府が管理を諦めた、かつての緑化区域で、今は砂漠地帯だ。

「意外、緑が好きなんだと思ってた」

彼女は緑の"なまえ"であったり、分類であったりをよく話す。


「緑は好きだけど、今日は星を見に行くから」


「星?どうしてC地区まで?」

星なら家の資料室に写真がある。それに確かB地区の旧市街には今は使われていないプラネタリウムもある。


「周りが明るいと見えないから」


 星は空の上にある。小さな子供でも知っていることだ。だけど、夜空を見上げる人はいない。夜空に星が見えたのは、大昔の話だ。


「夜空の星を見に行くの?」


「そう、ちゃんと見えるよ、だからこれ運ぶの手伝って」


そう言う彼女は倉庫から防寒毛布とレジャーシートを2人分下ろした。


 倉庫内の端で2人分の借用記録をつけてから、四角く畳まれたそれらを受け取る。C地区までは片道2時間程かかる。今夜の睡眠予定時刻を脳内で未定に修正した。

 荷物の整理を終えると、言われるまま彼女の後をついて行く。このペースなら1時間56分27秒後に着くだろう。時折周囲の障害物を避けながら、ほぼ均一のペースで進む。特に言及するようなことがないからか、彼女にしてはいつもより発言量が少ない。

 C地区は国が管理していただけあって、区画が綺麗に整理されていた。そのため、資料写真からは変わり果てていたにも関わらず、特に道に迷うことなく、目当ての草原地帯に辿り着けた。砂に埋まったスプリンクラーの残骸が、ぼんやりと定間隔で浮かび上がっているので間違いないだろう。予想の3分53秒の遅れで到着だ。


「ここ、ちょっと寒いよね?」

 彼女が両手で長袖の裾を伸ばしながら聞いてくる。彼女は支給された服を着たくないと言って、布を不思議な形に縫い合わせたものを服として着ている。正規の服ではないからなにかしらの不備があったのだろうか。同意すべきか考える。わたしは支給品の服を着ており、季節に合わせての温度調節も考慮されているため、温度に関しては基本的に快適だ。しかし、ここは周囲の障害物が少ないため風が強く吹いている、体感温度は多少低いと言えないこともないような気がする。彼女が寒いと言っているのは風が原因と考えるべきだろうか。立ち止まって周囲を観察していると、突然、彼女に手を握られた。


「うん、こうするとあったかい」

 

 手は多少暖かいかもしれないが、体感温度を低く感じる原因となる風は除けない。引き続き周囲を見渡すと透明な建物が見える。古びてはいるが、見たところ数本の骨組みに支えられた単純な構造をしているし、動植物によって劣化考えられないので倒壊の危険は少ない。

早速移動しようといたのだが、

「これ、歩きづらい」


「あ、そうだね」

彼女は握った手を見て、急いで離した。

寒いはずなのに、なぜか顔を赤くしていた。


 建物の中に入ると、ほんのり腐葉土の匂いがした。元は熱帯植物用の温室だったのだろう。草原地帯とは異なり、植物が風化しきっておらず、所々に枯れ葉らしきものが落ちていた。備え付けられた立派な空調設備は動いていなかったが、全面ガラス張りの室内は風避けには充分すぎるほどだ。

 タイル張りの通り道らしきところにシートを引き、毛布も出して横になる。2人で横たわると腕が当たるぐらいの狭さだ。場所を変えるか尋ねたが、彼女はここが気に入ったと言って、変えようとしなかった。それからはそのまま、ただ寝転んで、空に広がる淀んだ青が暗くなるのを待った。


 そして、日が沈んでしばらくした時、彼女は言った。

「ほら、見えるでしょ」


 真っ暗闇に灰色のもやが掛かったような空は、ぼんやりと光が漏れているように見えないこともない。

「こんなのでよかったの?」

汚染された大気によって光が遮られており、星座どころか、星と星の境界を識別することすらできない。


「......うん」

彼女は微笑むと、再び空を見て言った。


「前にもね、ママとパパと見たんだ」


「パパ?ママ?"なまえ"?」


「ううん、親って意味」


「親?どうして?」

親に星のことを教わった時も空を見たことはない。効率が悪い上に、見ても意味がないからだ。大抵の内容は資料や写真から学ぶ。


「綺麗で整理された素晴らしい理想よりも、汚くて、不格好で、どうしょうもない現実を見てほしいからだって」


「親が?」

親は計画通りに学習を進めてくれる。授業に無関係なことは言わない。ましてや政府に反している。現実は綺麗に整えられて素晴らしいのに。


「私のは本当の親だから」


「テロ組織の?」


「そう、こっちではそう呼ばれてるんだ」


「こっち?テロ組織では違う呼び方してたの?」


「そりゃそうよ、って、あなたには分からないか」


「なんて呼ぶの?」


「人類最後の人間社会」


「なにそれ?」

人類最大の人間社会は政府の管理するここに現存している。


「わかんない?人間は今を生きるから人間なんだって、今を捨てたら過去にも未来にも生きられない。だから、今を生きてない人は人間じゃないんだよ」


「どうゆうこと?」

 

 死亡した人は人間ではないということか。人の死後を決めるのは新興宗教によくあるパターンだ。テロ組織にも通じるところがあるのだろう。しかし、死後人間じゃなくなることと、最後の人間社会と自称することに関連はあるのだろうか。


「そっかー、そうすると今では私が人類最後の人間ってことになるね」


「なんで?」

人間は56890人も生存しているのに。


「............なんでだろうね」


 彼女は毛布を目深に被ると私に背を向けた。眠るつもりらしい。

 邪魔にならないよう気をつけながら、立ち上がり、すぐ側に置いていた鞄の中から、寝袋、枕、着替えを取り出す。時間を確認すると予定していた就寝時刻には2時間程早かった。とりあえず寝間着に着替えたが、すぐには眠れそうにない。

 特にすべきことも思い当たらないので、しばらく彼女の隣で夜空を眺めていた。ぼんやりした光を眺めていても、星には見えなかった。しかし、この光源が星であることは確かなのだ。今夜は新月だから月の光ではない。

学校で習った星座がどの辺りにあるはずか考えながら眺めると大分時間が経ってた。

 隣の彼女はしっかり眠っているらしく、規則正しい寝息が聴こえる。寝相は悪いようで、毛布が腰のあたりまで落ちていた。下から毛布を掛け直し、ついでに、枕も入れてあげようと、近くに置いていた枕を取ろうと起き上がった時、突如、服を掴まれた。

 かなり不明瞭で聞き取りづらかったが、おそらくはこう言っていた。

「やだ、1人にしないで」と。


服を軽く揺すってみても、彼女の手は服の裾を握り締めたまま離れない。動きづらいのでやめてほしい。寝言を言うほど睡眠が浅いなら、やはり枕があった方がいいだろう。わたしは彼女を起こさないように静かに彼女の頭を持ち上げると、素早く枕を滑り込ませた。

 感触からして後頭部に手術跡はなかった。


 そういえば以前テロ組織に関する授業で聞いたことがある。テロ組織の人間は抑制手術を受けていないから、不幸だと。手術をしていないため、不幸にも不必要なことで思い悩み、不幸にも価値のないことで思考力を妨げられ、誤った選択をするらしい。

 わたしは悩んだことがないのでよく分からなかったが、彼女は不幸なのだろうか。

 寝袋に入ってもなかなか寝付けなかった。

空は徐々に明るくなる。気が付くとガラス越しに淀んだ朝日が彼女の髪を照らしていた。


 彼女を起こして帰宅すると、親は既に出かけていた。持ち出した荷物を片付けもせずに、寝室へ向かう。ベットに横わると、体が昨晩眠れなかった分の睡眠時間を取り戻そうとしているのか、強熱な眠気に襲われた。今眠ってしまうと、余計に睡眠のサイクルが乱れてしまうが、考える気にはなれなかった。そのまま眠気に逆らわず、意識を手放した。

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