9 王、なれど人の欲望
一時間後。
アーサー王自身が告げた時間をきっちりと守り、宰相バラモス・D・クレーガーは、いつも通りに音もなく王の自室へと入室する。普通、王の自室に無音で入室すれば、暗殺の疑いで即斬首だろう。
しかし、それが許されているのが宰相バラモスであり、同時に暗殺される気配が欠片もない王自身の頼みでもあった。
(まぁ、我々もこの王が暗殺者ごときに出し抜かれる姿を想像出来ないのだが)
そう思いつつも、一時間前に見たあの現象の前では安心出来ない自分がいることにも気が付く。まるで、あの異常な現象を見るために、あの黒エルフの子供を呼び寄せたとも取れる眼の前の王。その真意は……。
「やぁ宰相。いや、わが友人たるバラモス。時間も秒単位で正確に一時間で来たね」
考え事をし続けながらも一切気取られることないバラモス。そのように鍛え、結果を残してきた歴戦の格闘家でもある宰相。そのはずが、完全に察知されている。バラモスの心情を一切合切を無視し、呆れ半分の笑顔で迎えるアーサー王。
だが、そんなことはいつものことだ。ため息一つ、部屋の中を見る。
王の部屋と思えないほどに質素で、狭い部屋だ。
最低限の書物を備えた書架と執務机。衝立で隔てられた向こう側に備え付けられているベッドも、聖都内のにある高級宿のほうが余程豪華なベッドではないかと思えるほどのもの。使われているシーツや寝台の素材自体は良質な素材だが、そこに華美な装飾はない。
「さて、君があの場で言い損ねた……もう一つの報告を聞かせてくれないか?」
大体の想像はついているけど――そう呟きながら、執務机に腰かけたまま手を組む。
見抜かれている、わかってもらえる。それは大きな信頼となりうるだろう。だが、それは時に、必要以上に恐怖も生みだす。人は他者に理解を求めるが、己を把握されることも、支配されることも望まない。とてもわがままな生き物。
圧倒的な力を持つ王。その力に守られている信頼は、時として王が自ら埒外であると突きつけてくる。我々とはまったく別物なのだと。
先程のことと合わせて、気が付かぬうちにかすかに震えている腕を意識的に止めて向き合う。底知れぬ自らの王へと。
「水晶龍の乙女より使いが訪れました。『虹の龍』の封印が突如として歪んだ、と」
「……そうかい」
報告を受けたアーサー王はまるで揺るがない。
バラモスの報告に対して、何の変化を見せることもなく座っている。
この国で、『虹の龍』の恐怖を知らない者はいない。むろん、生きて経験した者はアーサー王ぐらいだが、その所業が消えるわけではない。
虹色のブレスを吐く、絶対破壊の龍。如何なる物理防御も、如何なる魔法防御も通用しない。龍としての規格すら逸脱した何かとして、420年ほど前に現れたこの世界を滅ぼしうる災厄の一つ。目の前にいる、アーサー王以外は誰も立ち向かえなかった存在であり、そのアーサー王が滅ぼすのではなく封印を選んだ龍。
「まぁ、しょうがないよ。まだ封印は維持されているみたいだけど、僕と同質の力を奮うことが出来る存在が現れたんだ。たとえ眠っていたとして、それを見逃すような存在じゃないよ、あれはね」
「……それは」
アーサー王は『虹の龍』が目覚めかけているのは当然だと言う。
現状という王の言葉、それら整理するのであれば、それはあの黒エルフの子供――エリス・クロスフィードが原因だと断言して見せた。
そうであるばならば、宰相として見逃すわけには……。
「殺しちゃだめだよ? あの子は、停滞していたこの世界を動かせる駒の一つ。動くことの無い世界、そして自らで勝ち取ることを忘れた世界は死んでいるのと同じなんだから」
多くのことが不安定なこの国における不確定要素とイレギュラー、そんな存在は許しておけるぬと、バラモスの体からわずかに漏れ出た殺気。それは即座に封殺される。
それ以上の感情で、上書きされていく。
「ですが、その結果で世界が滅んでは元も子とないと思いますが……ぁ……っ」
酷く冷たい。自国の民に向けるべきではない氷の瞳がバラモスを、その魂を貫いている。
バラモスは、自らの言葉を最後まで告げなかった。否、告げられなかった。動くことすらままならない。呼吸ですら、意識しなければすぐにでも止まりそうなほどの圧迫感。今この瞬間、これまで人としての自分の主観でそれなりの時間を共に過ごしたと思っていたアーサー王。その存在にバラモスは初めて、
記憶の中にあるアーサー王はいつも微笑んでいる。
上位者として慈しんでいる顔。それを厭う者も少なくないが、守られている事実を誰も否定出来ないのし勝利することはもっとあり得ない。結果、この聖都から出ていくか我慢するかの二択しかない。
そして、慈悲と慈しみ以外の感情を表に出したところをバラモスは見たことがない。恐らくは、バラモス以外の者も見たいことがないのではだろうか。歴代の宰相が残していた自筆にして秘密の記録。宰相の職に就いた者のみが閲覧出来るそれらをすべて読んだバラモスは、本当に感情を表に出しているアーサー王について書かれているものは一つも無かったと記憶している。
記憶も、長い時の記録でもアーサー王は微笑む。圧倒的な知性と力を持つ上位存在であるがゆえに。
だが、今自分の目の前にいるのは人間だ。
感情を伴った、自らの目的――エゴのためなら聖都を、最悪このヒイロガネ島すべてが消えたとしても叶えようとする化け物がいるのだと、戦士としてのバラモスの直感が理解する。
そこに理屈などありはしないし、必要ない。目の前にいるのは、どんな者でも、感情を持つ者ならば必ず持っている傲慢と欲望の化身。
「すでに死んでいる世界であるならば死んでしまえ、と?」
「そこまで言うつもりはないよ。けど、そうだね……待ちに待った自分の楽しみを邪魔されるのは嫌いだね」
その言葉のタイミングに合わせ、机に乗せられていたグラスを手に取って赤い液体を注ぐ。血のように赤い液体。
「君も飲むかい?」
拒否を軽く手を上げて示す。
アーサー王が普段から口にしている赤い液体の正体は、恐らくは葡萄酒の類だと思う。のだが、その正体を正確に把握している者もいないだろう。王たる存在が口にする飲み物の正体を知らないのはどうかとは思うが、その中身の正体を語ることはしない。むろん、バラモスも知らない。
たとえ王が口にする液体でも、得体の知れないモノであることに変わりはない。宰相としての仕事に影響を出ることを考えて一口だけ……などとすら思わない。そこに加えて、執務中の飲酒はしないと決めているバラモスは拒否する。このやり取りも、思い返せば100回以上は行っているだろう。そんな相手にも関わらず、今目の前にいる相手が初対面の存在にしか感じられない。
(素直に認めねば……今私は……眼の前の存在に恐怖している。理解出来ない存在としてでなく、人としての感情を持つ、理解出来る化け物だからこその恐怖……)
「王よ、あなたからの……質問などがなければこのまま下がろうと思いますが」
「あぁ、構わないよ」
結局、アーサー王はバラモスを一瞥することもなく、自室からの退室を許可した。
結局、聖都どころか島そのものを揺るがす知らせに対しての話し合いも無かった。彼にとって、本当にどうでもいいのだろう。『虹の龍』の封印も、ひょっとしたら倒せる存在だったものを、ただ自分の目的に使えると判断して後世へと残す。、そのための封印なのではないか? 疑問が……疑惑が……恐怖が……頭の中をぐるぐると回る。
部屋を出て、廊下の角をいくつ曲がっただろう。にもかかわらず、バラモスの頭と心の中から恐怖は絶えず消えることがない。今この瞬間、追いかけてきたあの存在によってくびり殺されるのではないかという恐怖がどうあっても消えてくれない。
たとえ追いかけてこなかったとしても、ずっと見られているかのような気持ち悪さがある。本音を言えば、この感覚は初めてではない。常日頃から感じていた感覚。それがより一層、強く感じられるようになっただけだ。意識がことさらそこに向いている結果だ、気のせいだと……自分を落ち着かせ、騙す。
そうしなければ、今すぐにでも自殺したくなる。
「絶対的な庇護者など存在しない……わかっていたはずなのだがな」
苦笑いを浮かべながら立ち止まる。ふと周りを見渡せば、宰相としての自分の部屋ではない王城の外。冷たい夜風が頬を撫でる。
上を向けば、夜空に星が眩しいほどに輝き、それでもなお暗い。
――こんなにも星が見える夜のなのに、あぁ……希望だけが……見えないのはなぜだ。
一人、宰相バラモス・D・クルーガーは絶望の中で歩みを開始する。
自分の無力さを呪いながらもなお、この世界の未来に一欠けらでも救いを残すために思考する。それが私、『宰相』の役目だと自分に言い聞かせてながら。
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