閑話:そこまで昔でもない昔話
『灘のロケット』ってのが昔の通り名。
顔も見る前に死んだオヤジが好きだったって、割とありきたりな理由で始めた野球。身長も体重も人並み。けど、肩の使い方が良いとか何とかでピッチャーになった途端、俺は自分が思ってたより『特別』って事に気付いた。
俺が投げればチームは勝って。俺が休めばチームは負ける。
俺の球にバット当てられる奴は、それこそプロの卵が揃うチームの一部しかおらんくて、抑えられる奴も同じ。
気分は良かった。母子家庭ってだけで、気持ち悪い同情とか軽蔑の目ぇ向けてくるアホを纏めて黙らせられたし、何より勝つってのは本当に気持ち良いことやからな。
「夢はプロ野球選手です」
現実を見る必要のない、子供の微笑ましい夢じゃなくて、それは俺にとって目標になっていた。
金が無くて普通の軟式に行ったけど、中学でも特に状況は変わらんかった。
多少レベルは上がったけど、それは俺も同じ。
寧ろ、トレーニングの幅が広がったのと身体の成長が上手いこと噛み合って、二年の春には138が出せるぐらいに伸びた。変化球も覚えたから、そこらのチームなんか相手にならん。事故ってホームラン打たれん限りは、市や地区レベルで負ける事は想像も出来んかった。
けど、人生は必ず帳尻合わせがあるんやろうな。
忘れもせん中学二年の秋。投球練習してた時に肘から何かが千切れた音がして、そこでボールを投げられんくなった。
診断結果は肘の靱帯損傷。投げ過ぎ……よりも、自分の放る球の速度に身体が付いて行けなくなった。ということらしい。
家に手術する金は無い。意識してなかったけど、まあ俺はいけ好かん餓鬼やったみたいで、善意の第三者が現れることも無かった。
ここで、野球少年吉村大樹の人生は終わった訳。ハイオシマイ。
……って訳でもない。野球肘は癌や脳梗塞みたいに命取られるモンじゃない。
丁度オカンが再婚して、中三からは東の都にほど近い外崎市って場所に移り住むことになって、再スタートを切ることになった。
映画とかゲームに出てきそうな怪物が、ボコスカ出る町らしくてそれっぽい連中も沢山町中におるけど、だからどうしたって話や。
外崎に行ったところで、壊れた肘が治る訳でも野球が出来る訳でも、ましてや都合良く友達なんて出来ん。
野球しかやってこんかったツケか、共有出来そうな話題もない。
無い無い尽くしの着地位置として、俺はグレてみることにした。
軽蔑の対象でしかなかったアホみたいに髪染めて、適当なアクセを身に付けて登校した結果は、風紀のセンセーにボッコボコにしばかれる、だった。
「お前は頭がおかしいのか」
そりゃこんな事するんやから頭おかしいのは当然っしょ。
言いたかったけど、葬式と隠し借金が同時に来た顔のオカンをみたら、流石に言えんかった。まぁ、結局染め直しはせんかった。髪傷むし。
中坊にとって、一番大事なんは友情でも愛情でもなくて内申点。
内申点をどうやって稼ぐかと言えば、センセーに好かれる事。初っぱなでセンセーの地雷を踏み抜いた俺に、寄ってくる奴はおらんくなった。狙い通りっちゃそうなんやけど。
かくして、無事俺は一人中学生ライフを手にした。心配なんは就職先の確保やけど、それは何とか――
「……吉村、プリント」
「ん? あぁ」
遠慮がちな、けれども折れん意思が垣間見える声と一緒に、プリントが突き出される。クラゲ擬きの俺にこんな事すんのはたった一人しかおらん。
自分の事を棚に上げて、校則どないしたって突っ込みたい肩まで伸びた黒髪に、男だか女だか分からん弱っそーな顔と身体。ついでに名前は
何から何までけったいなクラスメイトは、俺と同じクラゲ擬き。つまり友達おらん奴ってのは初日で分かった。かと言って、傷の舐め合いをしようって腹でもなさそうなのは謎やけどな。
「いらん言うとるのに」
「お前が良くても、俺が困る。後、まだ早いんじゃないかって思った。それだけ」
「あ?」
意味不明な言葉に固まってる間に、プリントは俺の机に乗っかって、出灰も席を立ってどっかに消えた。
転校して、そんで出灰と顔合わしてから二か月。当然会話はロクにない。普通ならとっくに諦めて話しかけてこんくなる。
相手の根気強さに、どうしてか敗北感が生まれる。
「お前に色々言われる筋合いはない……っての!」
色々紛らわす為に思い切り机を殴りつけると、周囲の連中が一斉にこっちを見る。お前らにやった訳ちゃうんやから、ほっとけ。
口には出さず、鞄を引っつかんで教室を出た。
◆
生きるのにも、そんでイキるにも金が要る。
で、小遣い以上をオカンからせびるのはクソダサい。そもそも、そういうのになりたい訳でも無いけどな。集団でルールから飛び出してイキるなんて、カスのする事や。
てな訳で、転校直後から俺は家の事情を適当にでっち上げてバイトを始めた。場所は駅前のラーメン屋。
調理師免許持ってるオカンから色々仕込まれて、料理は得意やし、他人と合わせるだけの薄っぺらい会話は『注目』されてた頃に身に付けてる。
「吉村君が入ってから、客が増えたよ。ありがとね!」
「そりゃおおきに! ほな、また明日!」
店を出て数分で愛想笑いを吹き消して、頭ん中で銭勘定。今月はそこそこ金が入るけど、特に使う用事も無い。染め直しもまだまだ先で、アクセも欲しい奴は大方買った。
「そういや、もうすぐおっさんの誕生日か」
面倒の塊、つまり俺を抱えてるオカンと再婚したおっさんは、まぁ出来た人なんやろうなって簡単に想像付いたし、会ってみたら実際良い人やった。
だから感謝してるし、色々申し訳なくも思うし、かと言って普通の家族みたいにベタベタしたいとも思えん。
よー分からん関係が出来てしもたけど、おっさんに非は断じてない訳で。
「なーんかプレゼントでも贈ったるか」
色々突っ込まれそうな思いつきを口にした時、近くで重い音が聞こえた。
割と不味そうな響きに引かれてそっちへ向かう。
人がぶっ倒れていた。
「……いや、大丈夫かアンタ!?」
流石に目の前で人が死ぬのは嫌すぎる。駆け寄って鼻の近くに指を当てる。息はしてるから死んでない。だったら救急車を。
スマホに手を掛けた時、腹の鳴る音が聞こえた。
俺? 賄いのラーメン食ったから問題ない。じゃ、誰? 答えは単純、この倒れてる……なんやコイツ出灰やんけ。
夜遊びなんか死んでも無理そうな出灰が、なんでこんなとこで腹鳴らして倒れてるんか。理由は分からんけど、腹鳴らしてるって事はメシ食わせないかん訳で。
「おい、お前ん家どこや。……よっしゃ、もう少し堪えろよ」
一応聞こえた声に従って、変な声が出そうなくらい軽い出灰を背負って歩いた先にあったんは、デカい地震があったら一発で崩れそうなアパート。嫌な予感に包まれながら鍵を借りてドアを開けると、中には物も人もなかった。
「異形に食われて、父さんも母さんもいないんだ」
「……そうか」
「先回り」に、全然上手い言葉を返せんまま、出灰を卓袱台の近くに転がして台所に行く。……なんやこれ、冷凍とインスタントのガラしか無い。うっわ、フライパン汚っ! 顔の割にコイツ、独身のおっさんみたいな生活しとるな。
「アレルギーとか、嫌いなモンあるか?」
首が横に振られるのを見て、冷蔵庫の中を……卵と牛乳しかない。ホンマなんやねんコイツ。もう良い、パンがあるし卵焼きサンドで行く。
取りあえず洗ったフライパンを温めて、溶いた卵を放り込む。適当なタイミングで解してスクランブルエッグ状態になった卵をパンに挟んで、出灰の前に突きつける。
「はよ食え」
「良いのか?」
「お前ん家の食いもんやろ。なんで俺に聞くんや」
頭の回転がとことん落ちてるんか、トンチキなこと喋る出灰は、俺の返しに納得したんかサンドイッチに齧りついて――
「美味い!」
目ぇ輝かせよった。
いや、普通の卵焼きサンドやん。サルでも作れるぞ。
突っ込まずに渋い顔をしてると、ちょっと顔を赤くした出灰は目を伏せてぽつりと口を開く。
「俺、全然料理出来ないからずっとコンビニとかで飯食ってるからさ。……一人暮らしだから、いい加減ちゃんと作らなきゃ不味いのは分かってるんだけど」
「一人って……親戚とか」
「皆死んだ。病気と……事故で」
弱そうな見た目からは想像も付かん、ドライな声で断言された。
間抜けな呻きをしばらく延々出した後、それに絡めた話がちょっとの間続く。
「吉村はさ、なんでそんな格好してる訳? まだ中学生なんだしさ、早いんじゃないか?」
「そりゃぁ……」
野球を辞めることになって、何もかんも嫌でグレたくなりました。
こんだけでしかない理由は、本当に重い物を抱えてる出灰には流石に言えなかった。口籠もる俺を見て、ちょっとだけ緊張が緩んだのか、出灰は薄く、本当によく見んと分からんけど笑った。
「何かする理由に大小要らないけどさ、折角ならもう少し……高校行くぐらいは考えようぜ。吉村、頭良いんだからさ」
「どんな根拠や」
「テストの点。勉強してないのにあんだけ取れるなら、普通に勉強すればヤバくなると思う」
「お前に見せた覚えないぞ」
「掃除でゴミ捨ててたら見えたんだよ。あんな所に捨てるなよ」
痛いところを衝かれて、思わず黙り込む。腹立つけど、出灰の言うことは正しい。でも、正しいのとそれを飲み込めることは別って奴や。
「俺のこたぁ放っとけ。エラそうに言う前に、自分で飯食えるようになれ」
負け惜しみでしかない言葉を吐き捨てて、出灰のアパートを出る。
……負けは負けなんで、次の日から一応提出物は出して、授業も真面目に聞くようにした。微妙に勝ち誇った顔してた出灰には、その次の日にレシピブックを叩きつけといた。
「何これ」
「これでチャラにせぇや」
「……変な奴」
「お前が言うな」
「ありがたいんだけど、俺本読んでも多分……」
「基礎からアカンのか」
うーん、なんというか変な奴。
◆
ちょっとだけ距離は縮まったけど、俺と出灰の、そんで周囲との関係もそれ以上変わらんまま、二か月ちょいが経った。
今日も今日とてバイトを消化して家に帰るだけ。特に楽しいことも無いけど、やるべき事はある。
そう、定期テストが近い。
絆されたとかじゃない。決して。けど、周囲の感情とかに背くことを外見でしてんなら、中身でもやるのが筋って理屈は何となく分かった。欠点にならん所を狙う形を続けてたけど、次のテストでは派手に決める。
――まぁ、一発かませばそれで良い。高校とかは……。
元々、考え事は好きや。野球に限らず、スポーツは真性の阿呆には出来んからね。自分の中にあるモンを整理して、色々掘り下げていくと、何処までも没頭できる。
ただ、それがこの瞬間は仇になった。
「っと、すんませ……」
「お前、この間の!」
肩と腕がぶつかって、適当に謝って終わらせようとした時、相手さんに左腕を掴まれる。右腕やったら反射で殴ってたけど、そうじゃなかったんで相手の顔を見る。
特徴も無い、イキってるだけのチンピラが三人。……思い出した、コイツ等ちょっと前に俺が店から叩き出した連中か。
酒飲んだ後に暴れとったんで、何発かシバいた覚えはあるけど、恨む程度には覚えとった訳か。
「ちょっと来い!」
メンツがどうとか喚く男に引き摺られる形で、人の少ない路地に連れ込まれる。まぁ、ここから先は古今東西お決まりのコースって奴やな。
「餓鬼に三人って、それこそメンツが潰れるんちゃうか。男ならタイマンで来い」
「お前にメンツ潰されたのは俺達三人。だったら、三人で掛かっても何の問題も無いだろうが!」
間違ってはないな。クソダサいけど。
延々罵声を浴びて、適当に流す過程がしばらく続く。罵声で晴れたらええんやけど、どうにもその気はなさそう。寧ろ、十分近く怒鳴ってるのに、全然収まる気配がない。いや、そんだけ怒鳴れるなら、なんか天職ありまっせ。
ふざけてみても、この状況は不味いのは変わらん。イキっちゃいるけど、喧嘩はそんなに経験が無いし、武器も無い。ボッコボコにされるんが一番はよ終わる。でも、流石にそれは不味い。ってか、正しい事をしたのにシバかれるのは絶対に無理。
こういうの、二律背反って言うんやっけか。
生まれて始めて使う四字熟語をぐるぐる回しながら、落ちてた木の棒を拾い上げる。バッティングフォームは嫌なんで、テレビで観たフェンシングっぽい形で構えて、悪役っぽい面を作ってみる。
「三対一は絶対に勝てん。だからせめて、最初に掛かって来た奴を二度と表に出れん顔にする。……そのつもりで来いや」
三人とも呆気に取られた顔をしたけど、すぐに顔をタコみたく赤くして、よく分からん騒音を吐きながら仕掛けてくる。……不味い、三人同時は不味い。
後悔してても状況は変わらない。こうなりゃヤケクソで――
「殴られろ!」
はい?
聞いたことのある声で動きが止まって、図らずも指示通りに拳が顔に刺さる。
目の前に星が飛ぶって事がどういうことか。レアな体験をしながら吹き飛ぶ俺の耳にシャッター音。つられて動いた視線の先に、男だか女だか分からん出灰桜花ウィズスマホ。
大体狙いは分かった。いやでも、お前バクチ打ち過ぎちゃうんか?
こんだけ至近距離でシャッター切ったなら、当然連中も気付く。間抜けにダウンしとる俺から、当然出灰に視線は逸れる。
「おい、そのスマホ渡せ」
「馬鹿なこと言わないでください。渡す訳ないでしょ? ……それに、もう警察は呼んでますから」
衝撃的な一言に、固まった場所にサイレンの音が届く。……いや、マジで呼んでたんかお前。
血相を変えて遁走しようとした連中の一人に、咄嗟に足払いを掛ける。
見事にすっ転んだソイツに組み付く。何発かシバかれて、こっちもシバキ返している内にやってきたお巡りに三人とも確保。交番に連行されて事情聴取。
出灰のスマホのムービーが決め手になって、このゴタゴタ自体は俺にとってノーダメージやったけど、問題は何でそんな時間にフラついてたかにシフトして……。
あぁ、その通り。バイトから何まで、センセーにも親にも全部バレた。
◆
「よぉ」
「……おう」
正座で痺れる足を無理矢理動かして、生徒指導室を出ると、同じように事情聴取を受けていた出灰の辛気くさい顔に迎えられる。
コイツもバイトしてたみたいで、でも一人暮らしやから云々で無罪放免になりそうって雰囲気はあった。待ってたんは律儀というかアホというか……。
「どうだった?」
「三人がかりや。で、もうバイトはしませんって念書を書かされた」
「中学で念書を書くなんてなかなか無いね。人生一歩リードだ」
微妙に腹が立ったんで、胸を小突く。
漫画みたいに咳き込む出灰を見ながら、俺は疑問を放り投げた。
「なんで助けた? お前に得ないやろ」
ちょっとだけ、出灰の視線が泳ぐ。
時間を計ってパトカー呼んで、わざと殴らせてその動画を撮る。で、派手に喧嘩せずに勝つ。ちょっとした義憤とかで、ここまで細かくは仕込めん。
カマ掛け半分、出鱈目半分。
答えはあんまり期待せず、足の痺れがマシになって歩き出した時、出灰が笑った。
「吉村が正しくて、あっちが間違ってた。正しい方が被害を受けるなんて、おかしいだろ?」
「お前、そんだけで? 善悪の判断だけであんな事したんか?」
首が縦に振られ、思わず呻く。
正義のヒーローはおらんし、政治家なんてのは自分の欲をそれっぽく飾るのが仕事。こんな大上段な話をせんでも、善悪の判断で世の中が回ってないんは、俺みたいなアホでも分かる。
言うとアレやけど、善悪だけで物見て考えられる奴なんて頭おかしい。で、実際に行動できる奴は更におかしい。
ただ、それに俺は助けて貰った訳で。気にならんかって聞かれると嘘になる。
……うん、もうちょい知りたいな。コイツの事。
「放課後、時間あるか?」
「今日はバイトないからある。……何するんだ?」
「どーせ、台所もロクに片付いてなけりゃ、料理の練習もしてないやろ?」
漫画みたいに顔が引き攣る。……おい、昨日の度胸はどこに行った。
「クビになったから暇になってする事もない。で、俺はまた借りが出来た。折角やし教えたるわ。あんな飯ばっか食って早死にされんのは気ィ悪い」
キョトンとした顔で出灰が固まって、すぐに分かりにくい笑顔を浮かべる。
「ありがとな。色々分からんことばかりだから、よろしく頼む」
「かしこまるなって。同い年で友達おらん似た者同士や、気楽にやるぞ」
変な始まりやろ? でも、物事の始まりって大体こんなモンかもしれん。
この後、高校も一緒になって付き合いが続くのは、俺も予想してなかったけどな。
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