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翌朝。
五時三十分に目を覚ました桜花は、支給された制服を身に纏い、エクスを叩き起こして家を出る。
産業交流センターまでは、近くのバス停を使えば十数分で行ける。だが、帯剣した状態で堂々と公共交通機関に乗る度胸が桜花には無かった。今月の生活費が危ういのも多分に影響しているのだが。
「びんぼーしょー。後、その制服似合ってねーぞ」
「うっせ。食費やら何やらが嵩んでるんだから仕方ないだろが。それと、制服の事は言うな」
警備用に支給された制服は、警官が纏うそれに比べて圧倒的に防御性能が高い上、遥かに軽い。性能面に関しては何もケチを付ける点がない。問題は見た目だ。
「USアーミー擬きにしときゃ良かったのに、どうしてこう、微妙に大正テイストを匂わせた物になるんだろうなぁ」
最新素材を使っているコスプレ衣装だねぇ。
そんな八千代の表現が正鵠を射ている代物なのだ。締まった肉体を持っている人物なら決まるのだろうが、桜花が着ると本当に出来の悪いコスプレにしか見えない。とにかく知り合いには見られたくない姿だった。
桜花の抱いた疑問に対する回答は一応存在するらしいが、それを知るより先に、別のデザインのブツを持ってこい、が彼の偽りない感情だった。
「桜花の制服はどうでも良いや。アタシ達、今日は何すんだ?」
「……到着したら、ファルフスさんとまず産業交流センターの造りの最終チェックをする。地図は何度も見たけど、実際に観とかないと分からない事ってのも沢山あるからな」
「大事なのは分かるけど地味だな! で、次は?」
「ファルフスさんは上との打ち合わせもあるから、七時半位には分かれる。で開場が十時からだから、八時半には俺達ヒラが集められてお話がある。それまでに手早く飯食って、後は待つだけだな」
「アタシには退屈な時間になりそうだな。ま、そっちの方が良いんだけどさ」
「ああ……」
実際の所、昨晩の支部の様子は殺気立っていて大変な有様だったと、起床するのを見計らっていたかのように、電話をかけてきた八千代が語っていた。
「あんまり情報開示されてなかったみたいだからね。集められた連中が着くなりいきなりドカン。やー怖かった怖かった」
緊張感が無い言葉でそう語っていたが、一番怖いのは彼だろう。
万が一推測が正しければ、単騎でノーラに立ち向かう時間が確実に発生するのが八千代なのだ。幾ら彼が『人間無骨』の継承者であっても、勝率が五割を超える事はない。
果たして、ノーラ・ブロムクウィストは本当に姿を見せるのか。機関の人間の最大の注目事の答えが明かされるのはいつになるのか。天のみぞ知る所だろう。
今は、自分の仕事を確実に遂行する事だけを考えるのだ。ノーラを忘れず警戒するのは大事だが、気を取られ過ぎて別の事件の発生を許しては意味がない。
頬を一発、平手で叩く。
「どした桜花⁉ 変なのに目覚めたか⁉」
「ちげぇよ! 気合い入れたの!」
締まらない形になったが、緊張の糸を張り直し、桜花は目的地に向けて走り出した。
センターに到着し、ファルフスと共に内部の最終確認を行う。国際的な催しを開催出来るキャパシティは伊達ではなく、あちこちに侵入が可能となりうる箇所が見つかった。
過剰と言える程に人員をこちらに回す選択も、この広さならば別の観点から見れば正解といえるだろう。それでも、ファルフスは支部にいて欲しかったと思うのは、桜花の我儘なのか。
「私はここで失礼するよ。……幸運を」
一通りのチェックが終了した頃、時間が来たファルフスと別れ、再び同行者はエクスのみの状態になる。さっきエクスに告げた通り、空腹を満たしておきたいところだが、催しに追従して出店している屋台も、まだ開店準備中といった風情だ。
「ここから離れたくは無いけど、コンビニにでも……ん?」
「——朝は早いが、この吉村惣菜店出張版は絶賛営業中! なんとなんと、この展示会の関係者も絶賛の特注松花堂が、千円の価格大崩壊! 早い者勝ちでございます! この他にも――」
想定を遥かに上回る早いタイミングで、知人を発見した。変なねじり鉢巻をして、関西弁を封印して営業口調で売り込みをかけているが、金髪と無駄にロックなファッションをしている惣菜屋の従業員など、この外崎市に一人しかいない。
「……お前何してんの? まだまだ営業開始には早いだろ」
「そら決まっとるやろ。開店準備中の出店の皆さまに買うて貰う為に……」
皆まで言えず、大樹は盛大に噴き出した。営業用の声量に、日頃からよく通る笑い声の相乗効果で、遥か彼方まで響き渡ったとは後に誰かが語った感想である。
「お前その格好なんやねん。アレか、警備員もコスプレをしなアカン決まりなんか?」
やはりツボに刺さったポイントはそこだったようであり、桜花も苦笑いで返す。
「これが今回の標準の制服なんだよ。普段から着てる訳じゃない」
「いやー期間中だけでもイタイでそれ。今からでも別な奴に変えようや。セキュリティ面でも目立ちすぎてアカンやろ」
「是非とも納税者の声として、SDA日本支部に投書してくれよ」
周囲の視線を敢えて無視し、二人で馬鹿みたいに笑う。非日常に足を突っ込みまくっている状況で、日常と変わらない行為が行える事が、今の桜花にとっては嬉しく思えた。
ひとしきり笑った所で、疑問の言葉が投げられた。
「んで、お前は今何しとるんや。警備員やるんなら、こんなとこにおったらアカンやろ」
「それは……」
ノーラの事などを伏せた大まかな事を説明し、今は食事を摂るべく店を探しているとも告げる。すると大樹はぽんと手を打ち合わせて、引いていたワゴンの中に手を突っ込み、弁当を取り出した。
「なら一緒に食おうや。俺も飯まだやってん」
「良いのか⁉」
「別に構いやせんわ。……松花堂か開き弁当かフライ弁当か、どれにする?」
「それじゃ開き弁当で」
「……チッ」
「今舌打ちが聞こえた気がしたぞ」
「気のせいや気のせい! ほら食うぞ、ぼやぼやしとるとお前の分も食うからな!」
交流センター前の石段に二人は腰を下ろし、各々の弁当の蓋を開いて食べ始める。開き弁当は名前に違わず、アジの開きがまるまる一尾入っているという、素人から言わせれば採算が取れるのか不安になる代物だった。味の方はケチが付けようが無い。
食べながら、大樹に色々と質問を投げ、行動の予定などについて聞きだそうとする。「お前スパイみたいになっとるぞ」と笑いながらも、大樹は自分が開場からすぐに弁当売りとして会場に入り、品が切れた時に補充に戻る時以外はずっと会場にいるのだと語ってくれた。
「売れば売るだけ駄賃も増えるからな。目指せドゥカティや!」
「目標が高過ぎんぞ。……しかしずっと会場にいるのか」
「まぁ、ここにおるんが一番ええからな。出店やれたら一番良かったんやけど、色々あってそれは出来んかったんや」
出来る事ならば、この期間内は会場に来ずにいてくれる方が個人的には嬉しかった。親しい人間が事件に巻き込まれる可能性が存在しているなど、許容出来る人間はいない筈だ。桜花もそうだ。
しかし、こうして大樹はこの場にいるし、他の誰かも会場に見学しに来る事だって十分以上に有りうる。頼むから何も起こらないでくれ。桜花はそう願うばかりである。
「……そしたら、俺行くわ。頑張って売り切れよ」
「おう、そっちも頑張れよ。……はい」
掌を差し出される。どういう事なのだろうか、首を捻ったがすぐに答えに行き着き、思わず叫ぶ。
「金取るのかよッ!」
「そらそうよ。商品やし、俺も当然この分の自腹は切るんやで。……説明不足やったんは俺が悪いし、友達プライスで二百円引きの五百円にしといたるわ」
飄々と切り返してくる大樹の顔を見るとそれ以上何も言えなくなり、財布から五百円を取り出して高々と放る。テンパってずっこければ少し面白かったのだが、大樹は軽い動きでジャンピングキャッチ。何事も無かったように笑う。
「……流石元野球部だな」
「これについてのお代はいらん。……ほな、また会場でな」
手を振る大樹に背を向けて、桜花は走り出す。声量を絞った声ならば届かない距離まで離れた時、エクスが待ってましたと言わんばかりに、怨嗟の言葉を吐く。
「自分だけ美味いモン食いやがって……。あそこの惣菜、アタシ好きなのに……」
「一般人の前でいきなり『体艤装』をするのは不味いだろ。終わったら何か考えとくから今は堪えてくれよ。な?」
「むー……。しゃーないか……」
どうにか取り成して、二人はセンターに入っていく。
時刻は八時二十分。開場まで、残り一時間四十分。
◆
「それじゃ、皆さん配置について下さい。万が一、賊が来たら必ず複数人で当たるように。単騎で彼女に挑むのは絶対にNGだからね」
「しかし浅川さん、貴方は……」
「俺は別に一人で構やしないよ。何てったって継承者だもの」
「……承知しました」
警備の為に集められた人間を追い払い、八千代は一人で十一階の開発フロアに座していた。
ノーラの場合、要人や支部長の首よりも、武器とそのデータを狙うのでは無いか。
そのような推測に基づいた配置であり、強力な存在が相手であるにも関らず自分一人だけの配置としたのは、無用な犠牲を減らしたい、という八千代の手前勝手な感情に基づいたものだ。
十分程沈黙の時間が流れた頃、脇に置いてある革袋の中から、『人間無骨』の重々しい声が聞こえてきた。
「八千代、左腕の具合はどうなのだ」
「活性剤を打たれたから、すっかり治っちゃったし、動きにも問題はないよ。やっぱ科学の力ってすごいよね。面倒事が増えるから嫌いなんだけどね」
軽く返すが、人間無骨は低い唸り声を上げるに留まる。どうも、彼には相棒の左腕以外にも懸念要素があるようだ。
「……本当に一人で良かったのか? ファルフス殿が不可能であったとしても、別の者を配すれば……」
「俺が今この場にいる事も、交渉の成果なんだよね。や、元々のプランなら俺も展示会の方に行かされてたからね」
僅かな沈黙の後、先程とは質の違う感情が投げられる。
「上の人間は、我々に隠し立てをしているのだろうか」
「間違いなく、ね。非合理的なチョイスが多過ぎる。彼女が現われた事件についての、情報の閲覧を馬鹿みたいに制限していたり、捕縛部隊に彼女と対峙経験のあるファルフスを入れなかったりとかね。俺達が実際に目の当りにした事象だけでも、不審な点はゴロゴロしてる。本当はもっと沢山あるんだろうね。や、最悪の可能性を考えたら、擁護出来ない事もないんだろうけど」
ノーラ・ブロムクウィストは『バルドルズ・ソウル』を身に纏い、アイロットから奪った『カラドボルグ』を振るって戦う。ここまでが、下っ端の領域を出ない八千代や桜花に与えられた情報だ。
しかし、ここ最近起こった武器の略奪事件の幾つかも、闇で金を得る集団の仕業ではなく彼女に因る物と、突っ込んで調査によって八千代は掴んでいる。
となると、彼女の持つ武器は一個人としては有り得ない数字が出てくる。全てを完璧に扱いきれるのかについて疑問符が付くが、手練れの人間を虐殺してみせた彼女の実力を考えれば、完璧でなくても構わないだろう。
既に『バルドルズ・ソウル』に適合し、武器本体の意思を捻じ伏せているとはいえ『カラドボルグ』にも適合している事実だけで、恐るべき事なのだから。
一つに適合すれば天才。二つに適合すれば超人。それ以上は……人で在る事を放棄した化け物だっけか。やだねぇ、そんなのと殴り合うのは。
いつも通りの自分を保とうとしても、突き抜けている相手の実力がそれを許さない。適度に痛めつけて降伏させる、八千代の基本的なやり方が通用せず、命のやり取りに至る事が確定していれば尚更だ。
「私も全力で八千代の手助けをしよう。……『
気を遣わせていると気付いて、八千代は苦笑しながら、革袋の上から人間無骨を撫でる。
「や、そんなに卑屈になりなさんな。むっちゃんの実力は俺が一番良く知ってる。勝てない奴がいた時は、俺の実力が足りなかった時だ。今回も、頼りにしてるぜ」
「感謝する」
「や、こんな悲壮な雰囲気はもう止めにしよう。心を落ち着けて待とうじゃないか。来る時は来るし、逆も然りだ」
「……承知した」
目を閉じて壁に凭れ掛かる。何もかもを無にしようと試みるが、ノーラに関する情報が延々と脳内を飛び回り、いつも通りに上手くは行かなかった。
諦めて、普段は絶対に抱かない感情を引っ張り出して、不安を打ち消そうと試みる。
――来るなら来れば良い。全力で出迎えてあげようじゃないか。
闘争心を静かに燃やしながら、八千代は只その時を待つ。
◆
時計が十時ちょうどを指し示し、名前も知らない偉い人の独演会が終わると同時に、展示会は始まった。この手の催しらしく、国際色豊かな企業人から一般人、校外学習として利用する学生、はたまたミリヲタに至る様々な人々が産業交流センターへと集い、思い思いの場所を見て回っている。
活気ある会場をひたすら歩き回り、桜花は不審な物や人が無いかを監視する。途中、盗撮行為に及ぶ者を始めとしてほんの僅かな綻びを発見したが、午前中に限れば、ノーラに絡んだ事象を目にする事はなかった。
時計の針は十四時ちょうど。桜花は休憩時をバックヤードで過ごしている。エクスも『体艤装』を発動して、支給されているゼリー飲料を口にしている。
「今のところは特に何も起こってないな~。良い事だな、うん」
「……先は長いから、油断は禁物だぞ」
「んなシリアスに構えてると身体が持たねぇぞ。リラックスだ、リラックス」
実際そうするべきなのだろうが、泰然と構えるには、今の自分が踏んできた場数も精神の強靭さも足りていない。気を紛らわせるために、何か別の話題でもないかと思考を巡らせていると、エクスが首を捻りながら口を開いた。
「なぁ桜花、ノーラが来るとしたらいつなんだろうな?」
結局この話題に戻る。ある意味当然かと思いつつ、肩を軽く叩きながら思考を回す。
「いつってそりゃぁ……」
まず、明日に回るとしても午前中は無いと桜花は判断していた。警備の体力、注意力などが一番満たされている時間帯に突っ込むとは、ノーラが幾ら突進型の人間と言っても考え難い。
企業の人間だけが参加となる最終日も、やはり想像し難い。一般人の入場者がいなければ人の数が減り警備の目に余裕が出る。侵入するだけでも一苦労だろう。
「陽動に使うとしても、時間帯で言えば朝一番、日程なら最終日は来ないんじゃないか? 俺達にとって、その辺りは対処しやすい時間帯に入るからな」
「なら、桜花がノーラと同じ事をするなら、いつやる?」
問いの形を変えられたが、この形の方が考えやすくはなる。まず、混乱が大きくなる事によって警備の人間、特にファルフスが動きにくくなる事態になるのが望ましい。つまり四日間の中で一番人が多い日が望ましいだろう。
この手の催しは集客を稼ぐために、著名人のトークショーなどを行う事が多いが、まだ研究が始まって日の浅い分野に関する催しで、そんな物は用意されていない。
データ的にも人間の心理的にも、初物尽くしの初日が一番多くの来場者数となる。よって、今日が狙い目なのは推測しやすい。無論、こちら側も予測して、人員を多く配置している。
次にタイミングをいつにするか、これに関しては桜花の中で選択肢が二つ存在している。
まずは夜だ。侵入するにしても外部で何か仕込みをするにしても、日が没すればバレる確率はかなり下がると思われる。加えて、警備の人間の疲弊等を考えると一番適しているのは夜と言えるが、夜になれば必然的に人の数は減る。発見のリスクが増すのは必定だろう。昼間ならばその逆が想定出来る。
桜花が考えられるのはここまで。後は相手がどう出てくるかの問題である。
「ま、桜花がそこまで考えてんなら安心だ。アタシ、頭使うの苦手だからな」
「単に経験則って奴を捏ね繰り回してるだけで、こんなの頭使ってる範疇に入らねぇぞ。……さてと」
休憩終了の時刻が近づいて来ている為、元の配置場所へ戻るべく歩き始める。
「桜花、行儀悪りぃぞ」
「誰も見てないし――ッ!」
不意の衝撃音に、身を竦ませて周囲を伺う。火薬の匂いや熱は感じない。一瞬安堵するが、悲鳴の波が耳に突き刺さった時、咥えていたゼリー飲料をゴミ箱に向けて放り込んで走り出していた。
「二手に分かれるぞッ!」
バックヤードを抜けて、悲鳴と咆哮と破砕音の飛び交う会場に辿り着くなり、二人は別々の方向に走り出した。多くの展示物を蹂躙しながら、勝ち鬨を上げる異形の数は少なく見積もっても二十以上。展示物に燃料や火薬の類が積まれていなかった事、試射や試験稼働の展示が無かったのは不幸中の幸いだった。
敵は異形の中で小型に属する、熊がベースとなっている『ウルトス』だけだが、これだけいれば数の暴力で蹂躙する事は相手にとって容易。
「……させるかよッ!」
たった今、自分と同世代の集団が喰らわれようとしている光景に、桜花は叫ぶ。エクス無しでどこまでやれるか。疑問はあるが、無駄な思考を本能が抑え込んだ。
腰に差していたリボルバーを抜いて発砲、来場者を狙っていたウルトスの注意が、自分に攻撃してきた相手の捕捉に向けられた内に、桜花は『演者』の武器である『アクターズブレード』を抜刀。エクスに比べると何もかもが劣るが、現実は彼女が自分の手元に来るまで悠長に待ってくれない。
攻撃を仕掛けた無礼者をウルトスが認識した段階で、桜花は剣の射程に潜り込み、一切の容赦無しに心臓に向けて突きを放ち、一撃で沈黙させる。返す刀で刃を振るい更に三頭を気絶させた後、来場者に向けて一番近い非常口を指差す。
完全に脱出するまで付いて行ってやるのが正解なのだろうが、生憎そこまで出来る程、状況に余裕がない。
「あああ、ありがとうございます!」
転がるように集団は駆け出していく。彼らを見送った後、桜花は目に付く限りの一般人を非常口に向けて導いていく。その過程で幾度も異形と対峙し、それらも全て沈黙させていく。
「数が多過ぎる。……一人じゃ無理だ」
多勢に無勢を体験し、思わずボヤく。すると、遠くから聞き慣れた叫声と、独特の発砲音が耳に届く。どうやらエクスの方は、ファルフスとの合流を果たしたようだ。
「これ以上は一人じゃ無理だ。俺も……!」
合流を試みようと首を巡らせた時、視界の隅、壁際に人影が映る。非常に不味い事に、数体のウルトスに囲まれている。囲まれれば、適合者であっても脱出は骨が折れる相手。
一般人ならどうなるか、敢えて思考する必要もないし、したくもない。
「――ぐっ!」
出鱈目な動きで囲いの中に突入し、アクターズブレ―ドを闇雲に振り回して異形達を牽制しつつ、人を抱えて抜け出そうと試みる。ウルトスの振り下ろした腕が背中を掠めて制服を裂く。痛みは感じるがまだ許容範囲内で済んだ。
「さっさと逃げる……、あれ君確か……」
人影に向き直ると、それがこの間首を突っ込んだ、いじめられっ子の少女であると気付く。
制服を着ている辺り、校外学習か何かだろう。走って逃げられるか問うが、ただ首を振るばかり。自分も同じ立場なら、同じ状態になるのは違いないと理解は出来るので彼女に非はない。ただ場所と相手が絶望的に悪いだけだ。
ならば、動けるように背を押すべきだろう。傷を付けられて怯んだウルトス達も、そろそろ行動を再開しようとしているのだから尚更だ。
制服の上着を脱ぎ、少女に袖を通させる。一撃ぐらいは防ぐ事が出来る。頭や下半身に攻撃が来ればどうしようも無いが、させないようにするのが桜花の仕事だ。
「俺の後ろについて走るんだ! 出来るね⁉」
「……」
首肯を見るのと同時に、手を引いて走り出す。まず発砲して一体の脳漿を撃ち抜いて沈黙させる。視線が注意が骸と化した仲間に向いている内にめくら打ちを仕掛け、速力を上げて一気に突破を狙う、算段だった。
「……どんだけいやがるんだコイツら」
銃声と血臭、そして生物特有の仲間の死を感知するレーダーに反応したのか、敵は続々と二人の元へ集結していく。明らかに桜花の手持ちでは対処出来ない数にまで膨れ上がる中、突破の策を必死で探すが、生憎エクス無しの桜花一人の力では、全方面ハッピーエンドの線は薄いのは認めたくないが事実だ。
背後からの急襲を避けるべく、壁際への撤退を余儀なくされ、じわじわと包囲が狭まる中、震えが激しくなっていく少女の方に目をやり、無理矢理笑みを浮かべ、苦し紛れの言葉を吐きだす。自分でも何を言っているのか、頭に血が昇り過ぎていて良く理解出来ていないが、少女が理解出来ていればそれで良いだろう。
「この状況を打開するには、ちょっとばかし勇気のいる事をやって貰わなきゃいけないんだけど、出来るか?」
「……?」
「それをやるのは確かに怖い。けど死ぬのとどっちが良い? 学校でも塾でも、他人と交わる場所で全部いじめられてるから死んだ方が良い、とか思ってるなら言ってくれ。大人しく俺と一緒に自爆しよう」
「!」
「戦わないと、どうにか出来ない物ってのもこの世には幾つか有る。選べない道もあるけど、選べる道だってある。今はまだ道を選べるんだ」
包囲がまた少し狭まる。何発か発砲して弾数分のウルクスを黙らせ、また少し時間と、自分への更なるヘイトを稼ぐ。少しずつ、銃声や打突音が近づいている事にも気付く。
「説法の時間も無さげだし、早く選んでくれ。乗るか反るかをさ」
「……ます、やります! やらせて下さい!」
弾倉を入れ替え、物騒な弾丸を一発だけ放てるようにしながら、桜花は吼える。
「……なら、このまま真っ直ぐ走れッ! 何があっても、怯まずに走るんだ!」
弾かれたように少女は走り出す。案の定動きに反応し、異形達が少女を屍に変えようとアクションを起こす。瞬間、桜花は引き金を引いた。同時に、桜花の身体が噴出した空気にぶん殴られて壁に叩き付けられ、同時に弾丸の威力に耐え切れず銃身が粉々に砕け散った。
放たれた弾丸は、複数の異形の腕を狙いの違いなく完膚無きまでに消滅させ、少女の視界の先に確かな道を生み出した。
「後ろや横を向くなよ、前だけ見て走るんだッ!」
叱咤の言葉に従い、少女はわき目も振らずに血路を駆け、別の適合者の所に辿り着いた。
これでまたターゲットが一人だけとなった。アクターズブレードを構えなおすが、かなり分が悪い。頬に汗が一筋伝った時だった。
「桜花! 生きてるかぁッ⁉」
聞き慣れた叫び声と共に飛来したエクスが、踊るように剣を振るい、異形の首を飛ばしていく。呼応するように、独特な銃声と共にファルフスも現われ、桜花の周囲にいた筈の異形は、数十秒で沈黙する事になった。
「状況はどうなんですか?」
「死者はいない。重傷者も来場者には現状いない。だが、このような仕掛けがされているとなると……」
ノーラの情報が伝えられている人員の顔が蒼白に塗り替えられる。予告されていた通りの狂乱が、実際に起こってしまったのだ。
支部の人員配置を渋っていようが、完全に八千代一人には出来る筈もない。会場には手を出さずに乗り込む可能性も捨てきれなかった。
故に、支部にも少ないながらも適合者も配されている。しかし、事件が実際に起こってしまった今、彼らの殆どがここに向かわせられるに違いない。
『継承者』たる八千代はごねる権限を持っているだろうが、その他は是非もない。
つまり警備の人間が激減した今、彼女は悠々と支部の方に乗り込める事になる。
「急ぐぞ桜花! 今日はもう『体艤装』は厳しいけど、剣の形でなら全然動ける。頼むぜ!」
「私も――」
ファルフスも桜花に続こうとした時、ウルトスとはまるで異なる咆哮が場に響き渡り、全員の動きが硬直させられる。
「おい、ウソだろ……」
一同の視線が、咆哮の主に吸い寄せられる。
『フレスベルグ』などの上位種のように、完全にはフィクション要素だけで構成されている訳では無いが、現在は生存していない生物を基板とした異形が、視線の先で猛り狂っていた。
「『ペルディレックス』……!」
名前通り巨大肉食恐竜に酷似した異形は、目の前で棒立ちとなっている桜花達を一瞥するなり、口に引っ掛けていたウルトスの死体を吐き捨て、口を大きく開きながら、こちらへと迫る。
ターゲットはやはりこの中で一番弱く映る自分。桜花はそう判断したが、日本で初めて目にする存在が齎す、圧倒的な恐怖心が足を止める。
「させるかぁッ!」
牙に桜花が貫かれる寸前、二者の間にファルフスが割り込み、腕で噛み付きを受けた。現在の生物を一蹴出来る頸力に晒されながらも、巨漢は銃を抜きながら、桜花を叱咤する。
「コイツは私が引き受ける! 安心しろ、すぐにカタを付けるッ! ……だから、急いで支部へ向かってくれッ!」
促され、硬直の解けた桜花は走り出す。事前に確認していた裏口から産業交流センターを飛び出し、タクシーや何かを捕まえられないかと周囲を見渡したが、この騒ぎで道路は大混乱の様相を呈している。諦めて走りだそうとすると、思わぬ所から声がかけられた。
「桜花! お前そのカッコどないしたんや!」
首を向けると、グリーンモンスターに跨った大樹が手を振っていた。ウルトスやファルフスの血を被っている姿を見れば、当然の反応だろう。
彼が何故ここにいるのか疑問はあったが、今はそれどころではない。有無を言わずに、彼の後ろに跨る。
「お、おい! いきなり何して――」
「支部まで頼む! 時間が無いんだ!」
剣幕に押されたか。一瞬沈黙した大樹だったが、すぐに頷いてグリーンモンスターを発進させる。
「よー分からんけど、飛ばせば良いんやな。しっかり掴まっとけよ!」
派手なエキゾーストノートを響かせ、器用な動きで車と車との間を縫って、支部への道を走っていく。バイク特有の身体にぶち当たる風を感じながら、桜花は八千代の無事をただ願うばかりだった。
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