3

「捕縛部隊が全滅した⁉ それマジなんですか八千代さん⁉」

「マジだよ、残念ながら。死亡九の重傷二だから、厳密には違うのかもしれないけど、これは言葉遊びか」

 朝の日差しが眩しい道を、まるで爽やかでない陰惨な会話を電話で交わしながら、桜花は学校に向かっていた。昨日で大分軽くなった気持ちが、一直線で重くなっていく。

「策があったんでしょう? それがどうして……」

「通じなかったんだってさ。正確には一度効いたけど、あっさり復活されて逃げられたらしい。まぁ、詳細は学校終わったら支部で話すよ」

 気の抜けた声を残して電話は切られたが、桜花は暫しの間その場に立ち尽くす。

「なぁ桜花、どうしたんだ? 八千代から何言われたんだ?」

 鞄の底に放り込んでいるエクスの問い掛けにも、反応出来ない。平穏が戻って来る、その望みが完膚なきまでに破壊された挙句、あの化け物が自分の前に再び現われる恐怖に、身体の震えが止まらない。

「そっか、あの女は捕まらずに生きてるって訳だな。そんなに心配すんなって、アタシ達なら勝てるって」


 手放しで同意するなど、出来なかった。


 あの全てを呑み込む錯覚を抱かせる、燃える眼を見てしまった桜花にとって、エクスの発言は劣等感を煽る以外の効果を産まなかった。

「ま、そう思っとくか。次会った時に考えれば良いや」

 出来る限り後ろ向きな感情を抑え込んだ返事を返し、再び歩き出す。どうせ自分には、主役になる資格も可能性もそれほどない。

 諦観にも似た感情を抱きつつ、学校の授業を消化して支部に到着し、指定された部屋に向かう。


「×××××野郎!」


 扉を開けるなり飛んできた汚い罵声に、桜花は一瞬怯むが、すぐに自分に対して向けられた物と気付いて冷静さを取り戻す。視線を巡らせ、ファルフスと背広組の罵り合いの隅で気配を消している八千代を発見。罵倒合戦に負けない声量で問い掛ける。

「……何ですかこの不毛そうな争いは」

「桜花君か、学校お疲れ。や、昨日の捕縛部隊にさ、どうもファルフスは参加させて貰えなかったみたいなんだよね。実質施設内に軟禁状態だったそうだ」

「彼に匹敵するレベルの人員を、代替で出したりとかは……」

「してたらこんなに荒れてるわけないでしょーが。昨日の今日でこんな火種も投げ込まれたからね。昨日成功してたらこんなモン無かった訳だし、そりゃ荒れるよ」

 八千代が突き出してきた一枚の粗末なコピー用紙に記された文面を追い、次第に自身の表情が引き攣っていくのを、桜花は感じた。

「……これがアレか。はんこー予告ってヤツか?」

 流石にエクスの声も重い物になる。四日後に迫った展示会、そこに対して襲撃を仕掛ける旨の記述が、粗末な紙切れに記されていたのだ。

 展示会には政府要人、とまではいかないものの、各国企業の人間や軍隊の人間が訪れる故に、襲撃を仕掛ければ日本という国、そして警備を任じられておきながら侵入を許したSDAに批判が噴出し、権威が失墜する事は間違いない。理屈は一応通っている。

 しかし、ノーラが展示会に襲撃を仕掛けても何かメリットがあるのか。そう考えると、桜花には納得する筋が思い浮かばない。彼女の行動原理は根底に何があるかは掴めないが、あくまで武器を狙うだけの筈。

 異形対策用に開発されたとはいえ、展示会に出される物で彼女クラスの実力者相手に持ち出せる代物は、全世界を探しても存在しない。

 となると、この予告はハッタリ、別の意図があるのでは?との考えに行き着く。これ以上の推測は自身では不可能だと考え、桜花は自らの意見を八千代にぶつけると、首肯が返ってきた。

「単純に襲撃かけますよ、なんてオチは間違いなく無いね。彼女が捕縛部隊に残した言葉から考えるに、彼女は金儲けの類で動いている訳でもないんだろう。それが何なのか、まだ分からないけど」

「……」

 単なる金儲けではないのならば、どれだけ不利な状況であっても、再来するのは間違いない。 

 恐怖しか湧かない自分に少し情けなさを覚えつつも、ヒントの提示でもあるのだと無理にポジティブに捉え、また思考を巡らせ始める。だがそれは突如として右腕が掴まれたことで、強制的に中断させられる。

「出灰君! この分からず屋達にガツンと言ってくれたまえ!」

「えぇと、ガツンとって何言えば良いんですか?」

「君で通らないんだったら、俺や桜花君じゃ何言っても無駄な気がするんだけどねぇ」

 いきなり話の配役に放り込まれて動転する桜花や、調子を崩さない八千代とは対称的に、ファルフスの熱は上がり続ける。

「君たちの言う通り、この予告は間違い無く別の意図を隠す為の陽動でしかない。故に、会場にではなく、この支部を始めとした機関に関連する場所に我々を配するべきだ。そう主張しているのに分からず屋どもと来たら……。×××××ッ!」

 また外国語で背広組との罵声合戦が再開される。一応エクスに翻訳を頼むが「あんまし口に出したくねー言葉だらけだし、深い中身も無いからパス」とすげなく拒否される。

 とにかく、このまま身の無い言葉の殴り合いを観戦し続けても、得られる物は何もない。背広組はアテに出来ないので、ファルフスから情報を得る必要がある。

 その旨を八千代に伝えると、形容し難い謎の手振りと共に立ち上がり、突如として高笑いを始めた。突然の奇行を目にして皆の動きと口が止まった隙に、一応実力者の筈の眼鏡青年は滑り込む。

「ファルフス、そして名前も知らない貴方達! 同じ面子で長々と話しているから、ストレスも溜まるんだ。もっと心にゆとりを持ちたまえ!」

「ゆとりって、日本では失敗した概念って聞いたゾ」

「何を言うんだねエクスカリバー君! 無能な政治家共が意味をはき違えて、若者達に無用な傷を刻み込んだ下らない概念を、ゆとりとは言わないんだぞ!」

「あッ、はい」

 

 妙な方向にネジが巻かれたようにしか思えない八千代を、場にいる全員が珍獣、どころか可哀想な物体を見る目で見つめる中、当人は自らが決めた着地点に言葉を並べて行く。

 だが、それはあまりに長大かつ迂遠な代物の始まりでもあった。


 時間にしておよそ三十五分、桜花は欠伸を噛み殺し、エクスは苛立ちで床を踵で叩き、ファルフスは自前の銃を弄り始めた頃、ようやく着地点へと辿り着く。

「とにかく、だ! ストレスを少しでも軽減すべく、この私、浅川八千代が代わりに相手となりましょう! 良いですね!」

「いやしかし……」

「い・い・で・す・ね⁉」

 筋骨隆々の大男が、パッと見戦闘職に見えない眼鏡男に押される、なかなか珍しい構図が展開される。暫しの間ファルフスも抵抗していたが、やがて諦めたように首を振った。

「……分かった。この場はお願いしよう、ミスター浅川」 

「そうと決まれば話は早い! 桜花君、ファルフスと一緒に食堂で時間潰しとくように! 他に何かあれば良いんだが、気が利かないこの施設、それぐらいしか娯楽が無いからね!」

 色々な方向に喧嘩を売りにいっている気がする八千代の発言を受け、桜花はファルフスと共に部屋を退出。

 月並みな話題から話を始め、ゆっくりと本題に移っていくのが良いのだろうが、年齢や実績が二者の間でかけ離れている上、どのような人間であるかも分からない以上、何を話して良いのかも分からない。

「……それじゃ、八千代さんの言葉に従って食堂でも行きますか?」

「そうしようか。……メニューはどのくらいあるだろうか?」

「他の支部と共通のメニューと、日本人の身体に合うように……」

「今そんなモン重要じゃねぇだろ! ノーラについて聞きださないと駄目だろ!」

 エクスの放った言葉で、手探りの試みを一気に飛び越えて、本題が提示される。ファルフスは苦笑いをしながら、歩き始める。

「席についてから話そう。立って話すには、なかなか疲れる話だ」

 促され、ファルフスと共に食堂へと向かう。場に着くなり、有名人であるファルフスに対しての羨望の眼差しに加えて、桜花に対しての苛立ちや嫉妬といった、負の感情が籠められた眼差しが飛んでくる。

 落差があまりにも露骨である故か、怪訝な目を向けてくるファルフスに対し、桜花は自嘲気味に笑う。

「当たりくじ引いた割に、残した戦果が大きい訳でもありませんからね。八千代さんや綴さんと違って、ただの穀潰しですから、リスペクトなんてある筈もないですよ」

 何か言いたげなファルフスを目で促し、席に着く。一度大きく息を吸い込み、空振りながら自らの緊張を鎮めようと試みてから、桜花は口を開いた。

「……昨日のノーラと戦った部隊のデータによれば、必殺の武器が効かなかったって話ですけど、それはどういう事なんですか?」

「……君は、武器の改造をした事があるかな?」


 聞いた事の無い話、そしてまるで関連が無いと思える切り返しに、桜花は戸惑いながら首を横に振る。


「ならばそこから始めようか。我々『演者』の武器は量産品だから、当然改造が可能だ。私の銃も無論そうだ。純正品ではとても渡り合えないという理由もあるがね」

 テーブルに置かれた、割と有名な部類のモデルがベースになっているのであろう拳銃を眺め、安全装置がかかっている事を確認して手に取る。

 確かに質感や重量が、自分の持っているハッタリのそれとはまるで違う。無駄な物が極限まで削られていると、銃に明るくない桜花にでもはっきりと感じ取れる。

 感心しながらも、これが自分達やノーラにどのように絡んでくるのか、首を捻りながらも即興の思い付きを口に出す。

「まさか、エクス達も改造出来るって事ですか? そんで、ノーラも『バルドルズ・ソウル』に何らかの改造を加えている……」

「鋭いね、その通りだ」

「……え、正解なんですか?」

「寧ろ他になんか選択肢があんのかって話じゃね? んでおっちゃん、その改造とやらはどうやるんだ?」

 エクスの催促に応じ、ファルフスは言葉を継いでいく。

「通常の改造のように、パーツを交換するなどの外科的処置を施す事は出来ない。復元された姿から大きく外れてしまえば、持つ力も失われるからね。だから、伝承の武器は適合者の血を調整して作るんだ」

 血を調整する、とはどういう事だろうか。危険な香りも仄かにするが、こうあっさりと語られるならば、割と確立した手法なのだろうと結論付けて、次の言葉を待つ。

「学のない私には理解出来ないような手順を経て、もう片方の適合者に用いる『血』を配合した物を武器、人間両方に注入し、拒否反応が出なければ武器は変質する、だそうだ。日本では浅川君が行ったとの噂だが、正確な所は私も知らない」

 身近な名前が意外な場所で出てきた事に対し、桜花は少し驚く。自身の知る範囲では、八千代は一線級の実力を持っている。改造に踏み切る理由とは一体何だったのか気になるものの、今重要なのはそこではない。

「つまり、ノーラも改造とやらを行っているって事ですか? 八千代さんが、必殺となる武器が効かなかったって話は聞いてますけど、そのせいなんですかね?」

「……恐らく正解だ。あの鎧の原典『バルドル』はヤドリギが刺さって死んだ。エクスカリバー君が、まだ存在していないが『モードレッド』の血や武器の適合者と対峙した時に想定される事象と同様に、それが覆される事など本来有り得ないのだがね」


 ノーラは絶対である筈のルールを超えている存在。


 実力者にそう断言されてしまうと絶望しか湧かない。エクスでさえもルールの中には留まっていて、しかも自分が足を引っ張っているせいで本来の実力を出し切れていない状況で、勝ち筋が見つけられる訳もない。

 後ろ向きな感情しか踊らない桜花に対し、ファルフスの表情は明るい。ヤケでも起こしているのかと邪推するが、彼ほどの人物がそんな物を起こす筈もないだろう。

 首を捻る桜花に対し、ファルフスは笑顔のまま語りかける。

「安心したまえ。私は既にノーラと刃を交えたが、奴に対して確かなダメージを与える事が出来た。私自身の肉体も、そしてコイツも確実に実力は上向いている。必ずや仕留めてみせるさ。その為にも、次の展示会で何処に配置されるかが重要になってくるのだがね」

 支部から展示会の会場となる産業交流センターまでは、法定速度で走る車で大体十分程度、ファルフスレベルの適合者が身体能力をフル稼働させれば、それにプラス五、六分前後で辿り着けるが、彼女が現われるとなると、二十分程度のタイムロスでも致命傷になりかねない。

 故に、現在八千代が行っている交渉の結果が、非常に重要な意味を持つ。

 彼が適合者を支部側に多く配置出来るように話を持っていければ、ノーラの迎撃が容易な物になるのは間違いない。期待を籠めて、二人は食事を摂りながら待つ。

「なあおっちゃん、その改造ってのはさ、アタシと桜花でも出来んのか?」

 完食した時点でも、八千代が現われないので手持ち無沙汰になったのか、エクスが唐突にファルフスに対して問いを投げかけた。

「いきなりどうしたんだ? 何かあったのか?」

「ノーラが改造してるなら、アタシもそうしないと勝ち目薄くないかって思ったんだ。強くなれるんなら、桜花だって文句ないだろ?」

 納得は出来る理屈である。しかし、そんなに軽々しく出来る物なのだろうか。ファルフスに視線を向けると、重々しく首を振られる。

「確かに改造を試みる事は可能だ。だが桜花君、君は確か『血』には微弱な反応さえもしなかったと聞いている。間違いはないかな?」

 迷いなく首肯。自分にはエクス以外の適性はなく、彼女を失ってしまえば一般人に毛が生えた程度。鍛練は重ねているものの、前述の現実を引っ繰り返すところまでには辿り着いていない。

 故に桜花は、綴や八千代といった一部を除いた戦闘職の人間から、良い顔をされていない。

 また表情が曇り始めた桜花を余所に、ファルフスは言葉を続けて行く。

「武器だけでなく、適合者にも配合物を投与する必要があると説明したが、ただ投与すれば良いという話でもなく。何らかの反応がなければ変化は起こり得ない。反応の起こる確率は、最初の時点での『血』に対しての適合から大体推測出来る。……言いにくいのだが、君たちでは改造は不可能である可能性が非常に高い」

「そっか……」

 最良の提案があっさりと否定された事で、エクスの表情も曇る。桜花の方は色々極まって泣きそうな所まで感情が振れている。

「つまりは、俺達ではノーラとやり合えないって考えた方が良いんですかね?」

「彼女の弱点が分からない現状に於いて、特定の人物だけが資格を有しているとも言い難い。それに、君は彼女と対峙した際、エクスカリバー君無しで生き延びてみせただろう。そう自分を卑下する事はない」

 フォローされているのがはっきりと伝わって来るのにも関わらず、延々と悲劇の何とやらを気取るのはダサいと自尊心から判断し、桜花は実のある情報を得ようと問い掛ける。

「……改造とやらで武器も、そして使用者も強化されるのは分かりました。……彼女が行っているのならば、俺が知りたいのは一つだけです。改造に伴う副作用の類が存在するのか否か、副作用があいつを打倒する突破口となりえるのか。……ファルフスさん、どうなんですか?」

 これで何も無いのならば、今度こそ絶望しか待っていない。固唾を飲んで答えを待つ。

「無い事はない。改造にも問題点はある。総合的な力は変わらない事だ」

「総合的な意味での力が変わんないって、一体どういう事なんだよおっさん?」

 エクスは首を捻るが、桜花は大体合点が行った。自分の推測をぶつけると、それに対して首肯が返って来る。

「大体正解だ。例えるなら攻撃と防御で二百ほど持ちポイントがあるとしよう。各自の初期の割り振りは百ポイントずつだ。改造は、このポイントの配分を弄るような物なんだよ」

「ってことは攻撃を百三十ポイントにしたら……」

「防御は七十になる。攻撃力は上昇して短期決戦には適するようになるが、代償として脆くなって、長期戦に向かなくなる。改造は各人の理想とする戦い方を実現する手段ではあるが、完全無欠の存在に作り替える物ではない」

 ノーラはバルドルの死因となった、ヤドリギを無効化する改造を鎧に施していた。神話での死因ほどの強烈な縛りの無効化には、相当な代償が伴うのは間違いない。

 代償として増幅した弱点を叩けば、かなりの痛手となる。上手くすれば、一気に押し切る事も叶うもしれない。いや、可能だと信じたい。

 少しだけ、本当に少しだけだが、桜花の中に希望が湧き上がってくる。絶対無敵かとの幻想を抱かされていたノーラにも、実は弱点が存在している。今の桜花にとってこれほどの朗報は無い。

「まぁ、その弱点とやらが見つからないのが問題なんだけどね~。みすみす他人に晒すモンでも無いから、彼女の資料を漁っても出てこないだろうし。捕縛部隊に君が居ればヒントを得られたかもしれないけど、今ここで言ってもどうしようもない話か」

 緩い声で冷や水を浴びせる内容の言葉を発しながら、八千代が二人のいるテーブルの、空いている椅子へと座る。いつも通りの緊張感に欠けた笑顔を貼り付けているが、付き合って一年となる桜花には、彼が苛立ちや怒りの感情を抱いている事が感じ取れた。

 彼の抱く感情の元となった出来事は、やはり背広組との話し合いだろうと推測するが、自ら突っ込んで聞くのは憚られ、彼が自発的に発言する事を待たざるを得なかった。

「ぶっちゃけた話、あの狂った鎧の更なる強化が改造に依る物としても、彼女の強さは鎧に依存している訳じゃない。カラドボルグ、そしてもう一つの武器を強引に従えられている理屈は、未だに構築出来ていないのが現実だからね」

 もう一つの武器、とは一体何なのだろうか。気になる所だが、八千代とファルフスの二者間に於いては当然の知識なようで、特に説明が為される事なく話が進行していき、桜花は置いてけぼりを食らう。

 二人の間で、桜花には理解出来ない単語の飛び交う会話が始まる。取り敢えずは落ち着くのを待つべきと判断し、小声でエクスに話しかける。

「なぁエクス、カラドボルグに匹敵するような武器って何かあるのか?」

「知識が化石状態のアタシに聞くのは間違ってんぞ。『フラガラック』とか『ドラゴンベイン』とかじゃね? あぁ後『アロンダイト』もあるな。この辺りなら、カラドボルグとか、アタシにも並ぶと思うぜ。……あ、でも発掘されてんのかなこいつら」

 『フラガラック』以外の二つは桜花でも知っている高名な存在だ。どちらも、いや三本とも現代に復活を果たしていれば、ノーラの実力で扱えば脅威になりうる。

「心配すんなって! アタシはエクスカリバーなんだぜ。二人で一緒に戦えば、負けやしねぇよ!」

 根拠は何処にもない。八千代と同様、エクスはノーラとの対峙を果たしていない。楽観論と切り捨てる事だって容易だ。しかし、明日には彼女が再び現われ対峙する可能性は非常に高い。いわば非日常への突入を再び果たす、という事である。

 確実に訪れる非日常に対して、押し潰されそうなほどの重圧が圧し掛かってくる今は、普段通りに自らの力に疑いを持たない彼女が、とても頼もしく思えた。

「……おいコラ桜花、何頭撫でてんだ。アタシは犬じゃね―から喜ばねーし、桜花のクラスの奴が持ってる変なゲームの女の子みたいに惚れたりなんかしねーぞ!」

「んな変な意図は無いって。……お前、俺がそんなチョロくておめでたいアタマの作りしてると思ってんのか?」

「おうともさっ!」

 バッサリと切って捨てられる。少し、いやかなりショックだった。

「……まあ良いや。明日は頼りにしてるぜ」

「んだよ、いつもと態度が全然違うじゃねーか。調子狂うなー。……そうだ! 八千代、結局明日の配置はどうなってんだ⁉ 話し合い、してきたんだろ⁉」

 微妙に頬を赤くしながら、エクスは八千代にやり取りの対象を変える。


 今までそこそこ熱の入った様子で言葉を発していた、八千代の動きが突如止まった。


 残る三人が怪訝に思う中、油の切れた機械を思わせる動きでエクスの方に向き直り、ゆっくりと、非常にゆっくりと口を開いた。

「……聞きたい? 俺達三人が明日何処に配置されるのか、明言されずに散々引っ張られた挙句にメチャクチャな物だったから、交渉仕掛けてやっと最低限の譲歩を引き出せたんだけど聞きたい?」

「八千代さん、顔が怖いですよ……」

「怖い? 俺が怖いって? や、桜花君は誤解をしているよ。俺はいつだって怖くない、菩薩のような男なんだよ」

「日本文化の知識はあまりないのだが……浅川君が今纏っている物が菩薩の持つそれとはほど遠い位なら、私でも分かる」

「だまらっしゃいッ!」

 一喝してファルフスを黙らせ、頭を搔き乱しながら靴の踵で床をハイテンポに叩く。不穏な挙動で、周囲の人間を纏めて不安に叩き込んだ後、八千代は衝撃的な言葉を口にする。


「それでは発表しちゃいます! 明日の展示会、桜花君とファルフスは会場で警備に当たって貰います! この場にいる皆もね!」

「え、ならもしかして……」

「大正解だよ桜花君! いや、事態は君の予想を遥かに超えているから不正解かもしれない! 何と! 明日この建物を警備する前線職の適合者は俺一人だ!」


 場の時間が、暫し停止した。


「……は?」

「……え?」

「そ、そんな馬鹿な! 幾ら君であろうとも、適合者が一人だけでは対応し切れない。……左腕がそのような状態では尚更だ!」

 予想の遥か斜め下を行った発表に、ファルフスはいきり立って八千代に掴みかかり、派手に揺さぶるが、揺さぶられながら八千代も反論する。

「怪我に関しては、活性化細胞を注入するから大丈夫。警備職の人間にも普段より良い装備を提供するし、数自体も増員するから問題ない、ですって。……んな訳ないでしょうが! アイロットを撃破して神話を捻じ曲げる化け物が来た時、防ぎきれる訳がない!」

「私が抗議して……」

「無駄ですよ、無駄。未だに公になっていない上に、本当に来るのかも分からないノーラに対しての策より、政府の要人といった類の人間が少なくても、世界各国の人間が集まる展示会の警備を重視した方が、国の面子にとっては重要だと判断したんですよ。既に、全国の支部の上位層の適合者が会場警備の為に召集がかかっています。路線が決定した以上、貴方一人の力で変えられる訳がない!」


 事態に対するきな臭さと不安が、一気に爆発した。


 無茶な体制になるのを承知の上で、ノーラと関わる可能性のある人間の数を減らす策を選んだ上の人間の考えが、桜花には、いやこの場にいる者全員が理解出来ない。

「なぁ桜花、アタシ達はどうするんだ?」

 さっきまでのテンションが吹き飛び、不安の色が隠せないエクスが問い掛けてくるが、桜花は歯切れよい答えを返せない。もっとも、何か導き出せたとしても、一介の下っ端でしかない自分には、それを上申して変えさせる事も不可能だろう。

「……まずは指示通りに動く。ここで何か動きがあれば、すぐに戻って対処出来るように明日は早めに出て、脱出口やアシをチェックしとこう」

「……ん、分かったよ」

 裏で何が起こっていようと、仕事を放棄する選択は桜花の中に存在しない。自らの出来る最善を尽す、今ある手札から選べる手はそれしかないのだ。

「そいじゃ、俺達はもう少し打ち合わせするけど、桜花君は帰っていいよ」

「学生が家の外にいて良い時間でもなくなっているしな」

 促されて施設を辞して帰宅し、手早く明日に向けた準備を始める。

「展示会も明日なんだな。……アタシは出られそうにないけど」

「帯剣許可を八千代さんが通してくれたから、一緒にはいられるぞ。けど、出来る限り抜くなって指示も同時に出てるから、主役はこっちになりそうだけどな」

 支給された銃を指で小突く。ファルフスの持つ銃と同モデルのリボルバーだが、こちらはほぼ純製品に近い。対ノーラで考えると話にならないが、警備の仕事ならば、これだけで事足りるだろう。

 自分がまたあまり出られない状況に、エクスは頬を膨らませるも、すぐに感情を上手く着地させたのか、特に不満を漏らす事はなかった。

 準備や日常的なルーティンを済ませて、桜花は早々に布団に潜り込む。嫌な事を忘れるには、さっさと寝て自発的な思考を止めてしまうのが一番手っ取り早い。

 経験で得た知識に基づく選択だが、不安を多数抱えている故に、いつも通りに眠れるか疑問符が付いていたが、意外な程あっさりと眠りに落ちた。


 様々な思惑が蠢く中、夜は更けていく。


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