2

 ノーラ・ブロムクウィストは眠らない。


 常人が睡眠で得る物を、彼女の身体は夜になると意思に関係なく勝手に引き出す仕組みとなっている故、睡眠欲といった類の衝動は存在しないのだ。

 その結果、ノーラは夜間も常に覚醒し続けており、望遠鏡を担いだ少年少女が現われそうなこの時間にもアテもなく歩き続けている。

 いつもなら、自らの根源となる物を呼び起す以外の余計な思考を抑え込んでいる。眠らずに済むと言えど、戦闘時と同じ精神を保ち続けるのは、流石の彼女にとっても厳しい為だ。

 しかし、あの少年と対峙した昨日、そして今日は彼女の中に普段は決して抱かない、ドス黒い感情が渦巻いていた。


 絶対に勝てると踏んだ相手に、逃走を許した。


 有り得ない失策と屈辱を思い出し、唇に歯を突き立てる。裂傷から溢れ出る血液が、口元を伝って地面に落ちた。

「次は必ず潰す。そしてエクスカリバーも……」

 二日間で幾度吐いたか数えられない呪詛を繰り返しながら、ノーラは歩き続ける。

 吸い寄せられるように、市街から少し外れた、忌々しい少年と対峙した場所に辿り着く。 

 無意識にカラドボルグを虚空から引き摺り出し、振り下ろそうとした時、空気の流れの変化を感じて振り返る。常人には感知出来ない小細工をしているのだろうが、そんな物はノーラ相手では無意味な物だ。

「なかなか大所帯ね。日本語では『備えあれば憂いなし』だったかしら?」


 数の暴力で蹂躙される可能性を全く想定していない、余裕に満ちた雰囲気のノーラとは相反する気配を持った集団が、闇を裂いて現れる。数は十一。全員が各所に装甲が縫い付けられた迷彩服を纏い、各々の『血』に適合した武器を身に付けている。


 間違い無く平和的交渉の為の存在ではないと察せられ、並の犯罪者なら一瞬で武器を捨てて命乞いをするだろう。だが、ノーラは意に介した様子を見せずに、淡々と問いを重ねていく。

「あの忌々しい西部劇男は何処かしら? アレ以外に、私とやり合って勝算のある人間がいるとは思えないのだけれど?」

「降伏の意思はありませんか?」

 彼らはまず彼らなりの儀礼的行為を踏まねばならないようであり、こちらの質問に答える意は無いようだ。公僕の事情に嘲笑を浮かべつつ、無機質な降伏勧告に返していく。

「ここまで来て、折れる。私がその程度の軟弱な意思で動いて来たと言いたいの?」

「ここで降伏すれば……無論然るべき刑に服する必要はありますが、極刑は免れます。今ならまだ間に合います」

「極刑が怖いなら適合者狩りも、このバルドルを奪う事もする訳がないでしょう? あなた達、想像力が足りないわね」

「しかし……」


 話し合いという物がノーラは大嫌いだ。


 嫌い、を通り越して憎悪さえも抱いている。少なくとも自分にまつわる事象に於いて、それが救ってくれた事など、一度もないからだ。

 今このやり取りを交わしている事にも、もう我慢の限界が来ていた。


「服従させたくば、ここで私を地に伏せさせれば良いッ!」


 咆哮と同時にカラドボルグが振るわれ、雷光が大地を喰らいながら走る。同時に、土を巻き上げながらノーラは疾走。

 動きには何の戦略も見受けられない。彼女にとって、そんな物は弱者の希望的妄想を支える為の小細工でしかなく、強者たる自分にとっては不要物でしかない。


 傲慢極まる思想。それを実現させるだけの実力と、血路を超えてきた経験がノーラは確かに持っている。


 空を奔る稲妻と同質の物をモロに食らって動きが止まった、言葉を垂れていた者の首を斬り飛ばし、血霧舞う中でカラドボルグを翻してもう一人を射程に捉え、股間から脳天まで一気に刀身を走らせる。二人の生命を奪い取る事に、十秒も掛からなかった。

「一度距離を取れ! アレを持っている者は使用準備に……」

 賢明な指示を出していた男の腹部に、肉厚の刀身を思い切り突き立て、同時に雷光が炸裂。男は全身の穴から黒煙を吹き出しながら崩れ落ちた。

 次に仕掛けて来る者に対する警戒は切らしていなかったが、遺言が効いたのか、残る八人は円を描く形でノーラを囲んだまま、安易に踏み込んではこなかった。

「時間の無駄。さっさと斬り込んできなさい」

 見え透いた煽りには反応せず、八人は一斉に発砲してくる。先日対峙した少年の物とは違い、殺傷力を持つ弾丸。熟練者らしい尚且つ正確な射撃に対して、ノーラの反応は速かった。

 引き金が指にかかった段階で、カラドボルグを肩に載せて身を低く構え、弾丸が放たれるのと同時に独楽の如き高速回転を開始。

 何の型にも嵌らずただ腕力だけで振るわれた剣が、烈風を纏い全ての銃弾を明後日の方向へと弾き飛ばした。

 わりきる直前、二人の男達が同時に踏み込む。通常の人間ならば、未だに剣の重量に振り回されて反応出来ないところだが、ノーラは前方の男が振り下ろした戦斧を刀身で、後方の槍を片腕で受け、膂力の競り合いに持ち込んだ。

 三者の競り合いが加熱する中、空中から一気に四人が首を取ろうと襲い来る。逃げ場など何処にも無い状況に、ノーラは嗤う。

 左手で抑え込んでいた男を、槍の穂先を掴んで引いて上方に放り投げる。今まさに剣を振り下ろした者達の、必死の軌道修正は到底間に合わない。

 味方からの斬撃で細切れにされ、彼らの精神に多大な傷を残して男は絶命した。

 盛大に舞う血肉の中でノーラは哄笑を発しながら、眼前の男の首をへし折り、空いた右手でカラドボルグを振るって、精神的なダメージからか次への動きが出来ていなかった空中の敵を迎撃。

 フルスイングで放たれた大剣を受けるのは、中途半端に構えた汎用型の剣では逆立ちしても不可能。日本刀と洋式剣の長所を両取りしている筈の刀身ごと、四人の肉体は完膚無きまでに粉砕される。

 骨や内臓は塵芥と化し、吐き気を催す鉄の臭気だけが、それらが生物の構成物質であると辛うじて世界に理解させている。

 自らの振るってみせた圧倒的な力の齎す精神の高揚にノーラは酔い、その姿に辛うじて現在生を許されている二人は、恐怖に震える。一応の挟み撃ちの形で打ち合うが、そもそもカラドボルグを無理矢理従える様な相手に、勝ち目など生まれる筈もなく、何度も地に伏せる。

 昨日対峙した少年や、それ以前に対峙した者は口を揃えて、ノーラの動きは素人のそれと形容した。


 その見方は、正解であり大間違いでもある。


 彼女の動きに型はない。ただ眼前の敵の命を刈り取る事だけを意識した物で、それ以外全てを捨てている。故に、非合理的な選択を平気で選ぶ。常人ならば先に待つ物は死だけしかない無謀な選択を、彼女は自身の持つ逸脱した力で世界から強引に手繰り寄せる。

 徹頭徹尾シミュレートした戦いを基本として繰り広げる適合者にとって、最悪な相手とも言える化け物に対し、残された男達は死力を振り絞って立ち上がる。二人の目には、先刻までとは明らかに違う類の光が宿っていた。

 合理性を捨て去っている相手には、此方も同じように捨てるべきだ。意図した訳ではないのだろうが、結果としてそのような道を二人は選んだ。

「ァアッ!」

 闘争心の漏出たる絶叫と共に、血液でぬかるんだ大地を蹴って一人が駆け出し、愚直な突進を開始する。元々有している優れた技量に、死への覚悟を上乗せした動きは、ノーラから悠長に回避を行う為の猶予を奪い去った。

「――ッ!」

 完全に反応が遅れたノーラだったが、図抜けた反応速度で斬撃を刀身で受ける。油断と、決死の突撃の威力の相乗効果で、二者は鍔迫り合いに縺れ込む。無理に後退の素振りを見せれば、間違い無く何らかのアクションを起こされる。

 瞬時に判断して押し返しを狙うが、やはり相手は一歩も引かない。極限まで危うい状況に置かれた人間が呼び起す力を軽視していたと、ノーラは自らの判断ミスを少し悔やむ。

 寸刻足りとも集中を斬らせない状況の中、ノーラは視界の隅で何かが蠢動する様を捕捉。潰しに掛かろうとするが、その反応は遅すぎた。

「これで……終わりだ!」

 ノーラの腹に粗末な棒が突き込まれる。殴れば簡単に折れそうな粗末な棒は、しかし衣服を貫いて肉体の深い所まで達し、ノーラを地に伏せさせた。

「……なるほど、これは」

 呻くようにそう呟いた後、ノーラの動きが完全に止まった。

 沈まぬ要塞にも思えた彼女を沈めたこの棒こそが、神話に基づいた対『バルドルズ・ソウル』専用武器『ミストルティン・アルターヴ』である。

 ヤドリギを縒り合わせただけの棒は、機関の技術を以てしても通常の戦闘に於いてはまったく役に立たない。炎を浴びれば瞬く間に消し炭と化し、規格外の剛力を持った者が振るっても、異形にロクなダメージを与えられず砕け散るだろう。

 しかし、バルドルの力を受け継いでいる存在に対して、神話に於いてバルドルを殺害したヤドリギで構成された武器は、まさしく必殺の武器となる。

 腹部から血を流すノーラを見下ろし、生き延びた二人は安堵の息を吐く。

 出来れば生きたまま捕獲せよ、との指示を受けていたが、彼我の力量差と彼女の危険性を考慮すれば、上からの叱責程度は屁でもない。とにかく、この瞬間を生きている事を喜び合いながら、亡骸を運ぶ為の準備を始める。

 一人が運搬道具を取り出す中、もう一人は万が一の事態に備えて『ミストルティン』を突き立てたまま、亡骸を見つめる。

「……?」

 ふと『ミストルティン』を突き立てた箇所に目をやり、違和感を覚える。この武器はバルドルの力に反応し、傷を付けられた者は絶対にそれが塞がらずに死を迎える、との説明を配備される時に受けている。

 しかし、目の前の少女の傷口は完全に塞がり、血色も生前と変わらぬ水準まで戻りつつある。

 シミュレーションでは起こり得なかった反応に、不審感を覚えた男が更にミストルティンを体内に捻じ込もうとした時だった。


「……そう、これがお前達の切り札か。悪くは無いわ。相手が私でなければねッ!」


 目の前からノーラが消失し、同時に『ミストルティン』も完膚無きまでに粉砕された。

 次の瞬間には、カラドボルグを携えてノーラは宙に立っていた。辛うじて反応し、各々の武器を構え直す二人を嘲笑しながら、残酷な一撃を放って地面に叩き付けた。

 全身に走る痛みで意識が刈り取られそうになるが、それ以上にどのパターンの想定でも起こり得なかった現状への絶望が勝って、呆然とする男達。

 彼等に対し、宙に浮かぶノーラは雪のように白い指を突き立て、自らの魂に改めて刻み込むかのように吼える。


「愚かなお前達の上官、そして我が祖国の者に伝えなさい! 私はお前達の低次元な想定を超越した所に立っている。必ずや全ての力を手中に収め、大願を成すと‼」


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