3:闇と雷のブルース

1:銀色夜叉

「やぁやぁ美しいお嬢さん、SDA外崎支部へようこそ」

「……」

 ウルトスやペルディレックスをけしかけて警備を散らす事に成功した結果、ノーラは堂々と正面からの侵入を果たした。誰かに遮られることもなく、目的地の十一階開発フロアに乗り込んだ彼女を出迎えたのは、一人の青年だった。

 身長こそ高いが、着流しに包まれた貧弱そうな肉体と、眼鏡を載せた学者のような知性を漂わせる貌は、闘争心や緊張感の類が欠落しているようにも映る。

 だが、彼が何者であるのか。

『知っている』ノーラはいきなり斬りかかる愚を犯さず、静かに言葉を発した。

「『人間無骨』の適合者、ヤチヨ・アサカワね」

「や、俺の名前知ってんだ。いやぁ嬉しいね、有名人に名前が知れてるなんて。国際交流と銘打って、何処かに食事でもどう? や、俺の貧困な知識にはチェーン店とかジャンクフードぐらいしか存在してないんだけどさ」

 へらりと笑いながら、やはりズレた提案を投げる八千代に、ノーラは淡々と返す。

「私が貴方を知るように、貴方も私を知っている。違うかしら?」

「無論知っているさ。全てでは無いけれど、君の正体もね。や、上の連中があれだけ無理矢理隠そうとしてたら、馬鹿でも分かるよ」

「ならば戯言は不要。人間無骨を渡しなさい」

 闘争心を全身に纏い、カラドボルグを構えた時点で、彼女に平和的に事を済ませるつもりはさらさら無いと知れる。命の危機が急接近する状況でも、八千代は揺らぐことなく肩を竦める。


「武器との繋がりは心の繋がりだよ。俺とむっちゃんが築いた、涙無しでは語れない感動秘話を上回る何かが無いと——」


 何かが琴線に触れたのか、ノーラはカラドボルグを抜いて雷撃を放つ。不意を打たれた故に、相手は絶対に反応出来ない筈。事実、雷撃は狂いなく八千代に直撃し、彼の姿は噴出した白煙に覆われる。

「や、悪いね。雷はさ、綴がいるから慣れてんだよね。それに君、狙いが直線的過ぎる。腕の動きを見れば、一瞬で狙いが読めるよ」

「!」

 煙が晴れ、目に飛び込んで来た光景に、ノーラは一瞬ながら動揺を顕わにする。

 変わらず薄笑いを浮かべる八千代の両手には、二メートルを優に超える長槍が握られ、雷撃を絡め取っていた。雷光を振り払った八千代は長槍を構え直し、淡々と告げる。

「君が殺り合うつもりなら、俺も乗らせて貰う。無法な振る舞いをする若者を止めるのも、年長者の仕事だからね。……いくよ、むっちゃん」

「果たせるかしら?」

 両者が全く同時に床を蹴り、その音が空間に溶け切る前に、二人は十を超える打ち合いを済ませて距離を一瞬空ける。休む間も無く再びぶつかり合い、また距離を取って睨み合う。


「なかなかやるね。ここまで来ただけの事はある」

「貴方こそ。偶然だけでエクスカリバーに選ばれたゴミとは大違い。少しは楽しませてくれそうね」

「俺の友人をゴミ呼ばわりは許さないよ」


 敵意が滲み出た言葉を吐き合い、しかし笑みは崩さない八千代は姿勢を低く取り、アンダースローの姿勢で人間無骨を放り投げる。

 低位置から放たれた長槍を、ノーラは軽々と躱す。余裕の笑みを浮かべるノーラだったが、その美しい顔は驚愕に塗り替えられる。

 跳躍した際の無防備な身体を狙い接近していた、八千代の神速の正拳突きがノーラの腹に炸裂。一瞬の浮遊の後、少女の華奢な身体を地面に縫い付ける。

 同時に、ブーメランの如く帰還を果たした人間無骨を手中に収め、一気に突き込む。

「――来いッ!」

 衝撃で引き剥がされたカラドボルグが、一喝を浴びた途端動き出し、穂先が腹部に吸い込まれる前にノーラの手に戻り、両者衝突。


 強烈なインパクトが空間に発生する。


 戦車砲を何発同時に浴びても、ヒビ一つ入らないと言われる床に、巨大な亀裂を刻み込みながら、二人は己の馬力に任せた押し合いに移行する。

 体勢だけ見るならば、立ったまま最善の姿勢を保てる八千代が絶対有利。よって、早期決着も容易と常識を以て判断出来る。


 相手が常識の範疇から外れた相手でなければ、の話だが。


「……こりゃなかなかキツイね」

 言い回しこそ何ら変わりない八千代だが、彼の顔に汗が滲み始めている。不利な体勢である筈の相手に、全力を出さねば押し切られる状況に追い込まれた現実に、内心では焦りが隠せない。

 じり、じり、と足が後退の動きを示す。図っていたのか、黒い稲妻が振るわれて人間無骨が弾かれる。衝撃に身を任せて大きく後退し、追撃が来る前に距離を取る。

 あのまま無理に踏ん張れば、間違い無く雷撃か刀身そのものに食われていたと察し、八千代の背に悪寒が走る。

 彼の内心を全力で無視して距離を詰めたノーラと、三度打ちあう。堂々巡りに入ると思われた状況を、先に動かしたのは白銀の少女だった。

 カラドボルグを下段から一気に振り上げ、人間無骨を大きく跳ね上げる。相手の体勢が崩れた所に回転斬りを仕掛け、危ういながらも保とうとしていた体勢を、一気に崩壊させた。

 八千代が崩れた体勢を立て直そうとする刹那。生まれた隙をノーラは逃さない。

「るぅああぁぁッ!」

「――ッ!」

 咆哮と共に大上段から放たれる斬撃を、八千代は人間無骨の柄で受け流し、体に突きを撃ち込もうと試みる。

 が、強引に振り回されたカラドボルグが襲来する様を見るなり、あっさりと試みを放棄して後ろに飛んで後退。崩れた組み立ての代替を、脳に鞭を入れて探す。

 ――防御していない時に食らえば、間違いなく終わる。かと言って、開けた場所だから騙し打ちも出来ないし。……不味いね、どうしたもんだか。

「八千代、来るぞ!」

 人間無骨の声に反応して防御の構えを取ると、馬鹿げた速度の突きが飛び込んでくる。辛うじて間に合いはしたが、威力故にエネルギーを全て受けきれず、派手に吹き飛んで壁に叩き付けられる。

 苦鳴を浮かべながら本能で身体を低くし、寸刻前まで自分の首があった所に襲来したカラドボルグを躱す。

 止めどなく溢れる恐怖を強引に振り払い、崩れた体勢から強引にノーラの足に向けて突きを放つ。躱す素振りも見せなかった彼女の身体を捉え、勢い良く鮮血が噴き上がるが、傷口はすぐに泡立って塞がっていく。

 言いたい事は山ほどあるが口には出さず、突き刺したまま、一気に人間無骨を胴体に向けて走らせる。疾走する穂先が肉を抉る確かな感触が、長い柄を通じて八千代の腕に伝わる。このまま行けば、彼女の心臓に届く。

「小賢しい!」

 一喝と共に、肉厚の刀身が振ってくる。自らに接触する直前、人間無骨を引き抜き横に飛んで回避。そのまま跳躍に移行。

「――寝てろっ!」

 空中で器用に人間無骨を持ち替え、メイスの役割を果たすべく改造が為された石突きを前方に出して、そのままノーラの頭部へ振り下ろす。期待した鈍い音ではなく、激しい金属音が耳に刺さった時点で、気絶を狙った一撃が空振った事を察する。

 ――や、それだけじゃない。まだ何か……。

 思考を巡らせようとした時、本能の危険信号がけたたましく鳴り響く。反応を示す暇もなく、八千代を爆炎が襲った。無機質な床に叩き付けられ、何度もバウンドしながら、壁際にまで転がされる。

 激しくブレる視界の端に、既存の常識では有り得ない両手剣の二刀流という芸当を為しているノーラの姿が見えた。

 右手には最早言わずもがなのカラドボルグ、そして左手には、隠蔽された事件によって奪い取られた武器の一つが握られていた。

 流麗なる殺戮者、戦場の芸術、人々は彼の武器をそう形容する。


「……フランベルジュ、か」


 自らが名を呼んだ剣は、白銀の刀身を既に赤熱させ、陽炎を纏って世界に存在を朗々と主張する。自らが負ったダメージと相俟って、馬鹿げている程に揺れる視界の中、八千代は呼びかける。

「カラドボルグにフランベルジュって、豪華過ぎる二刀流だよね。……や、それ以上を望むって君なかなか罰当たりだよ」

「これだけではまだ足りない。全ての伝承の武器を手中に収めてこそ、私の大願は成就する。ここにある二つも、私が喰らう!」

「だんだん君が分かってきた気がするよ。……でもそんな事、ここにいる俺が許すと思うかい?」

「貴方の許可など必要ないわ。自分より弱い者の言葉など、只の雑音でしかないもの」

「弱肉強食を絶対とする思想が過ちであると、君を見れば一発で分かるね」

 火球と雷撃がまた放たれる。雷撃は経験に依る反射行動で防ぐが、火球の方はどうしようも無い。二つを完璧に防ぎきるのは、傷を負った八千代では到底不可能。容赦なく身を焼かれて膝を折る。倒れ伏さなかっただけでも、奇跡と呼べてしまう程に身体は悲鳴を上げ続ける。


 ――あぁ、これは不味い。負けを引き寄せてるね俺。


 自嘲気味に八千代は嗤う。勝ちの目はほぼ潰えている。彼我の戦闘力の差を鑑みれば、ここで逃げても誰も非難などしないだろう。それでもここで立ち上がらない選択肢は、彼には無かった。

 今まで共に歩いてきた人間無骨を、新たな友との出会いを待っている「蛇矛」や「膝丸」を、そして後輩の持つエクスカリバーを、渡す訳にはいかない。相手の抱く物の危険性以前に、無為とも言える、自らの中にある黄金律が彼を立たせていた。

「……むっちゃん、俺は後何手打つ事が出来るかな?」

「意味を持たない手を含めれば五手、現状打破の可能性を持つ物は一手だけだ」

「なら後者しかないね。……そこまでは、お付き合い願うよ」

「無論だ。現状を打破するだけでは留まらず、勝ちに行くぞ」

 相棒の力強い宣言に笑みを零しつつ、八千代は構えた。

 勝ち筋がないのに、反抗の意思を見せる相手に対し、ノーラは露骨に不快感を表情に出した。

「下らないヒロイズムね。私の中で世界で二番目に大嫌いな物だから、死体の欠片も残さずに消してあげるわ」

「下らなくて馬鹿げてる、そんな物が歴史を作る時だってあるんだよ。……多分ね」

 一度目を閉じ、再び開かれた瞬間、八千代が仕掛けた。ノーラとは違い、常人の世界に身を置きながらも、床を踏み砕かんとする踏み込みで放たれた凄まじい突きを、八千代は最後の賭けの手段に選択した。

 一見すればただの自殺行為に見えるそれの恐ろしさを、ノーラは瞬時に理解し戦慄する。

 愚直な直線行動は、裏を返せば全てを爆発力と速度に注いだ悪魔の一撃への昇華に繋がり、人間無骨の伝承に准えれば、二十を優に超える人間を一突きで仕留める威力を絞り出す。

 二つの剣を悠長に構えていては、敗北を喫する。

 確信を抱き、使い始めて日の浅いフランベルジュを放り捨ててカラドボルグを構え、初動の圧倒的な遅れを五分に持ち込む速度の斬撃を放つ。

 互いの、いや建物内の人間の聴覚を奪い去る轟音が炸裂した。

 激突の衝撃は局地的な地震を齎す波紋と化し、建物どころか周囲一帯をも揺るがせる。

 一歩も退かぬ激情が各々の武器に乗り移り、金縛りにかけられた様に両者は縺れ合う。

 足下の床が砕け散っていく中、八千代は狂ったような声で叫び、人間無骨に自分の持てる全てを注ぎ込んでいく。

「―――ァッ!」

「オオオオオッ!」

 切っ先同士から、衝突による火花とは別の類の光が産まれた。非常に小さな存在だったそれは、瞬く間にフロア全体を呑み込む閃光と化し、弾けた。何もかもが知覚出来なくなる前に、八千代は、武器を通して流れ込んでくる感情から、全てを悟った。

 ――なるほど、やはり君はそうなのか。


「――ぁ、はぁ、あぁ……」

「貴様……本当に人間なのか……!?」

「上手な答えを出すのはなかなか難しい問いね。……答える道理などないけれど」

 光が収束した時、残酷な現実がフロアに展開されていた。

 あれほどのエネルギーの炸裂を受けながらも、ノーラは自らの足で立っている。着衣こそ損傷は激しいが、身体の方にはかすり傷さえも無い。

 否、身体に巨大な穴を穿たれたのは間違いない。しかしそれはすぐに塞がり、実質的にはダメージを受けていないも同然なのだ。

 対する八千代は、抉り取られた壁にめり込み、全身に大小問わぬ無数の傷を作り、止めどなく血を垂れ流している悲惨な有り様だった。右手は人間無骨を離す事なく握りしめ、足は戦闘を続行しようと足掻いている。

 八千代の精神力の賜物と言えるが、最早戦闘の続行は不可能と見るのが妥当。勝敗はここで付いた。だが、この状況まで持ち込んだ事に対し、ノーラの目には何の皮肉も無い賞賛の色が浮かんでいた。

「貴方が人間無骨を『血』で改造していなければ、恐らく私は負けていた。この国のニンジャの血でも混ぜたのかしら? 威力が軽くなっていたけれど」

「……ご名答、服部保長の血だよ。そして君の仮定は成立しない。ここまで踊れたのも、改造を施して機動性を引き上げた結果だからね」

 動かぬ身体の変わりに、ノーラと比しても劣らぬ狂的な目の輝きで、未だ戦意が消えていない事を表す。

「サムライの国では、戦局が決まれば大人しく自害する決まりがあると聞いたけれど?」

「俺は侍でも何でもないからね。定義する物が叫ぶなら、足掻ける限り足掻くよ」

 激しく咳き込みながら、八千代は立ち上がろうとするが床に倒れ伏す。血を吐き散らした後、自らの身体がどうしようもない程壊れている事を理解すると、目を閉じた。終幕の一撃が来ると、本能で感じ取ったからだ。

「さよなら。人間無骨は、私が存分に使ってあげる」

 別れの言葉と共に、カラドボルグが八千代の肉体に吸い込まれるように突き出され、しかしそれは途中で止まった。

 怪訝に思い、ノーラの視線の方向へ八千代が首を回す。

 

 すると、見慣れた後輩の見慣れぬ表情がそこにあった。

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